第2話 気遣い魔王、しらばくれる


「仲間の衣服を直して、優しい言葉までかけて……」


 立っていたのは、美しき聖女。


 『Legend』クラスの魔物『リュンクス』の力を手にしているがゆえに、見えなかったのもある。

 だがあまりに失望しすぎて、ひとり倒しそこねていたことに気づかなかったのが大きかった。


「――き、聞き間違いだ!」


 しらばくれる魔王の額を、大粒の汗が流れる。


「『地獄の苦難』というものを逃れさせるために、今、手を尽くしてくださって……?」


 繰り返すが、聖女は全てを見ていた。

 らしからぬ、魔王の謙虚な態度までも。


「……見られたからには、生かしておけぬ!」


 いまさら開き直って魔王らしくしても、遅かった。

 聖女に怖がる様子は全くなく、落ち着いた様子で、ただ澄んだ瞳を魔王に向けている。


「――本当に殺すぞ!」


 魔王は凄み、その手に魔法の光を宿してみせる。


「殺したところで、私もすぐに蘇生してくださるのでしょう?」


「………」


 図星だった魔王は再び閉口させられる。

 手にあった魔法の光も、しなびて消えた。


「こ、ころ……ころ……」


 凄むに凄めないコロコロ魔王。

 だが聖女は、そんな魔王を迎えるように両手を広げ、にっこりと笑った。


「でも嬉しい。やっと死ねます……これで『勇者の呪い』から逃れられる……」


 魔王の眉が、ぴくりと跳ねる。


「……死にたかったのか?」


 魔王の問いかけに、女は大きく頷いた。


「聖女は必ず、6歳の誕生日に勇者を愛するよう【呪い】を身に受けるのです」


「……ほう」


 魔王は精一杯の威厳を保ちながら、内心は興味津々にその話を聞いていた。

 人間同士の細やかな事情など、聞く機会がなかった。


「好き……いえ、むしろ嫌悪しかない男性が頭から離れない。これほどの苦難がありますでしょうか」


 聖女は苦々しくその整った顔を歪めた。


「この12年、本当に、日々が生き地獄でした」


(……なるほど)


 確かに好きでもないやつを好きになれと強要されるのはつらいわな。

 あの勇者、アホっぽかったし、カリスマもなさげだったしな。


 毎回あれが勇者とか、人間ってやつも結構大変だな……。


「だからどうかその手で、私を殺してください」


 聖女は笑顔のまま、その目を潤ませた。


「どうか、今日で終わりに」


「くく、よかろう」


 そこでやっと魔王は笑みを浮かべた。


「ならばそなたは殺さぬ。その呪いごと転生させてやろう」


「――えっ!?」


 聖女の顔が、みるみる蒼白になる。


「ハハハ! 私は悪の大魔王。人間のそんな願いが届くと思うてか! ――フリアエ」


 かつての勢いを取り戻した魔王は、胸にある女の口に、【輪廻転生】の詠唱を開始させた。

 そして悪役らしく、元気はつらつに右手を掲げ、聖女に恐怖を植え付けようとする。


「転生直後から【勇者の呪い】とやらを背負うがよい! ハハハ!」


「――そ、それだけはやめてください! どうか、お願いっ!」


 聖女がとうとう、涙を流した。


「ハ………」


 魔王の高笑いが途切れる。


 魔王は、涙に弱かった。

 その動揺を反映するかのように、胸の口の詠唱がゆっくりになる。


「どうか、どうか許してください!」


 聖女は黒髪を振り乱して魔王に駆け寄ると、魔王の右手を両手で握り、自身の胸元に持ってくる。


「なんでも致します! だから、どうか……えっ……?」


 ふいに聖女が、はっとする。

 そう、自身におとずれた意外な変化に。


「………」


「どうした」


 固まっている聖女を見て、魔王が不思議そうに声をかけた。


「き、消えてる……」


 聖女は驚きを隠せない。

 そう。なんと聖女の脳裏から勇者の姿が跡形もなく消えていたのである。


「……なにが消えたのだ?」


 魔王は、さっぱり理解できずにいた。


「うそ、うそ……!?」


 聖女の涙が、とたんに嬉し涙に変わる。


 6歳のころから、焼きごてで烙印を押されたかのように頭から離れなかった、勇者の姿。

 今や、吐き気が四六時中止まらないほどの苦行。


 それが、魔王の手を握っただけで、きれいさっぱりいなくなっていた。


「だから何が消えたのだ」


 魔王は壊れた機械のように繰り返す。

 悲しいほどに訳が分からなかった。


「私……」


「私?」


「あなたに触れていると……大丈夫みたいなのです」


 聖女が右手で魔王の手を握ったまま、左手の人差し指で涙を拭いた。

 相変わらず、嬉しそうな様子を隠そうともしない。


「だから、なにが大丈夫なのだ」


 魔王はひたすら遺憾だった。

 これだけ恐怖させることを言ったはずなのに、聖女はこの上ないほどの笑顔になっているのである。


「ゆ……勇者様のことが、頭から消えるのです」


「……言っていた呪いが、か?」


 聖女はすぐそばから魔王を見つめたまま、深く頷いた。


「ああ、そりゃそうだ」


 自分は呪いの塊である。

 光の神あたりがとってつけたような、へなちょこな呪いが形をなしていられるはずがない。


「あ、待て。そうか」


 魔王はそれでやっと納得がいった。

 自分に触れていることで、この聖女にかつてない平穏が訪れているのだ。


「それはいかん」


 魔王が善行を為してしまっているではないか。


「離れよ」


「嫌です」


「えーい、離れぬか」


 叫ぶだけで、力づくにできない。

 繰り返すが、泣かれてしまうと、乱暴にできなくなるのがこの軟弱魔王であった。


「ではこの手を放しますから、代わりに私の願いを聞いてくださいますか」


 聖女が上目遣いで魔王を見る。


「……願いだと?」


 聖女がそうです、と頷いた。


「言ってみよ」


「代わりに、こうさせてください」


 そう言って、聖女はためらいがちに魔王の胸に寄り添ってきた。

 魔王の右胸に頬と手を当てた姿勢で落ち着くと、一層幸せそうな表情になる。


「なにをしている」


「手は放しました」


「そうではなくて、何をしている」


「すごいです……こうしていると跡形もなく消えて……」


 聖女はうっとりした表情で魔王の胸にもたれかかっていた。


 そう、騙し討ちに遭っていた。


「――おのれ! 私は魔王だぞ!」


「……はぁ。素敵な時間……」


 いくら凄んでも、聖女は聞いていない。

 それどころか、魔王の背中に手を回し、だいしゅきホールドを決めた。


 その時だった。

 魔王の胸に浮かび上がっている女の顔が詠唱を終えた。


 聖女の体がぽわん、と微光をまとう。

〈輪廻転生〉の魔法が完成したのである。


「あ、まずい」


 魔王は我に返ると、慌てて詠唱を開始する。

 このままでは本当に【勇者の呪い】とやらを残したまま転生させてしまう。


「〈第一の呪い解除プライマルリムーブ・カース〉」


 悪魔は強力な呪いを操る生き物である。

 だからこそ、裏表の関係にある〈呪い解除リムーブ・カース〉とて、自在に操ることができた。


 ほっ……。


 この一回の魔法では完全に除去できなかったが、これで【勇者の呪い】とやらは転生と同時ではなく、6歳からの出現になるはずである。


 いや、安堵するには早い。


 もう一つ。

 こやつの記憶を消さねばならぬ。


「今の魔法……」


 胸元に頬を寄せていた聖女が気づいて、魔王を見上げた。

 その目は潤んだまま、輝いている。


「あんなことを言っていたのに……今、勇者様の呪いを生まれ持たないようにしてくださったでしょう?」


「………」


「そうでしょう? 魔王様」


「――け、消してなどおらぬ!」


 魔王はやはり、凄むくらいしかできない。


「なんてお優しいの……」


 聖女は頬を染め、うっとりと見上げている。


 しかし魔王は気にしていられない。

 時間がないのだ。


 記憶消去の魔法をかけんと、詠唱を始める。


「本当にありがとうございます」


 聖女は背伸びして、魔王の頬に、そっとキスをした。

 ちゅっ、という音が、魔王の間に響いた。


「………」


 魔王は数百年ぶりに詠唱を失敗していた。


「私たちは魔王様を誤解していたかもしれません。皆に伝えなくては……あっ」


 それが、聖女の最後の言葉になった。


「――ま、待てっ!?」


 居なくなった相手を呼び止める魔王。

 だが、手遅れである。


 〈輪廻転生〉の魔法が発動し、聖女は光り輝いたのちに、忽然と姿を消していた。


「や……やらかしてしまった……」


 魔王は膝から崩れ落ちた。

 絵に描いたやられ役のように、石畳を何度も叩く。


 やってきた6人はすべて輪廻転生し終えており、この場にはもはや、魔王しかいなかった。


「ど、どうするのだ……歴史上最悪なことに」


 あの聖女の記憶が消せなかった。

 それはつまり、自分の今の行いが人間の世に広まってしまうことを意味していた。


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