14
二日くらいすると、ジェームズはハリーのいる居間にもきて、家族と会話をするようになった。だが、やはりハリーのことは存在を無視しようとしているように感じる。
「エマ」三日目に食事が終わったとき、ジェームズが話しかけてきた。「一時間後にぼくの部屋に来れる?」
「ええ」わたしはうなずいた。
一時間が過ぎるちょっと前、わたしはジェームズの部屋に行く階段を上っていた。自分のロケットが懐かしい。ジェームズの話が不安だったし、好奇心を持っていることに罪悪感を持ってさえいた。
「ジェームズ?いるの?」わたしは扉をノックして聞いた。
「入って」彼の声がする。
わたしは部屋に入って一瞬立ち止まってしまった。彼は椅子に座っている。そこには飲みかけのウォッカがあった。でも、彼が酔っぱらっているようには見えない。
「お酒なんて失礼だね」ジェームズは苦笑した。「でも、どうしても勇気が出なくて」
「大丈夫?」わたしは聞いた。
「とりあえずは。泥酔はしていないし、まともに考えられる」ジェームズはほほ笑んだ。「ぼくが寄宿学校にいたのは知ってる?」
「そうだろうとは思ってたわ。きっと名門の男子校ね」わたしは聞いた。もう話が始まっていると気がついていた。
「そうだね。ハリーもそこの生徒なんだ。ぼくには結構、友だちがいたよ。貴族の息子もいたし、名門の息子ばかり集まる学校だったからね」ジェームズはゆっくりと話し始めた。「でも、ハリーがぼくの親友だったんだ」
「親友っていうのは聞いたわ。でも、どうして仲たがいなんてしたの?」
「そこが問題なんだ。今から話すんだけどね」ジェームズが言った。「彼とは何年もの間、友人だった。でも、一年くらい前から彼の様子がおかしいと思ったんだ。ぼくを避けたり、学校から消えることが多くなった」
「どうしてだったの?わかったんでしょ?」わたしは相づちをうった。彼は自分の一人語りをしたいわけじゃなさそうだから。
「ああ、わかったよ」ジェームズが答える。「一つは簡単にね。ぼくを避けてた理由は。一度、彼が真剣な様子で話しに来たことがあるんだ。そのころ、ぼくらは女の子の話ばかりしてた。同じ街の女子校の子たちのことや社交界で会う友人の話ばかり。中には付き合っている子も、関係を持っている子も」
「それは当然に聞こえるわ」わたしは言った。実際、恋愛なんてよくあることだ。共学じゃあ学園内の愛憎劇は見ものだし。
「ああ、それにきみは知らないだろうね。多感な年ごろで人肌の恋しい少年たちは学校内で相手を見つけるんだ。それ自体はめずらしいことじゃない。実際、彼らの中には恋人が校外にいて、それで欲求不満のせいで関係を持つ人たちもいるから」
「あら」わたしは口ごもった。同性愛は罪じゃない。世の中に偏見はあるかもしれないが。けど、そんな風に淡々と語られるとどうすればいいかわからなかった。
「それはあまり関係ないんだ。とにかく、ぼくたちはそのころ、他校の女子生徒の話ばかりしてた。そんなとき、ハリーはぼくに言ったんだ。自分はどうしても女の子に興味が持てないと」
「それはどういうこと?」わたしは聞いた。
「彼がゲイってことかな」ジェームズは言った。「だから、欲求のせいで学校内で男子生徒を見繕うんじゃなくて、本気で恋するってことだ」
「それがどうあなたを避けることになるの?あなたがそれに偏見を持つかもしれないって恐れたってこと?」
「いいや」ジェームズが言った。「たぶん、カミングアウトは勇気がいることだと思うけどね」
「じゃあ、問題ないじゃない」問題があったのはわかってる。でも、今の時点のわたしにはわからなかった。
「彼はその話をした後に、ぼくの部屋を出て、それから二日間、行方不明になった」
「それで?」
「帰ってきたとき、彼は倒れそうなくらい弱っていた。実際、寮監が救護室に連れて行ったね。カウンセラーも来てた。だけど、彼は元に戻ったとき、ぼくのことは呼ばなかった。不思議じゃないか?ずっと近かった親友がぼくを拒絶してると思ったんだ」
「それでなんでか突き止めたの?」
「いや、よく考えてみた。彼はぼくにカミングアウトした。ぼくはそれを受け入れたのに、彼は消えたんだ。それに、彼はその前から様子がおかしかった。ぼくを見つめてて、何か話があるのかと思って近づきかけると急に消えるし。それで気づいたんだ。彼はただ単に同性を好きになるだけじゃない」
「あなたに恋してたのね」わたしは先を引き取った。「だからあなたを避けてたのよ。ゲイだって言えてもあなたのことを好きだなんて言ったら拒絶されると思ったのかも」
「ぼくが達した結論も同じさ。それで、ぼくにできることは少ないって気がついた。彼とぼくの間には彼がぼくに感情を抱いていても、それをぼくにぶつけなければいいという暗黙の了解ができてしまった。彼はぼくに心を閉ざしたんだ。ぼくだって同性愛についての知識は皆無に等しかった。どうしていいかわからなかったんだ」
「それもそれで当然よ。でも、学ぶ努力はしたの?」
「もちろんだよ。本も読んだし、人にも会った。でも、その間にもハリーは行方不明になる回数が増えて、どんどん不健康そうになっていった」
「それでどうしたの?」わたしは聞いた。
「あるとき、決めたんだ。何が何でも彼が何をしてるのか知らなきゃいけないって。でも、誰かぼくのしてることを誰にも言わない信用できる人がいい。だから両親の探偵は使えないし、信用できる探偵がほしかった」
「それが黒い紳士なの?」
「ああ、ぼくは凄腕がほしかったんだ。幸い、ぼくの両親はぼくに財産を持たせて自由にさせてくれたから、金額は問題なかった。当時、黒い紳士は孤高の探偵でパートナーを持たないことで有名だったし、仕事はどの探偵もかなわないくらい正確だった」
「それで、どうやって彼とパートナーに?」
「大変だったよ。彼がパートナー契約を持ち掛けてきた人間に出す難題を調べた。彼の過去を調べることなんだ。でも、その過去は謎に包まれている。だから、一か月以上かけて調べ上げた。どこで師弟に入っていたか、本名は何か。その過程で彼も同性愛者だって知ったんだ。それで絶対に彼に頼もうと思った。ハリーのことをぼくより理解するんじゃないかと思って」
「成功したのね」
「ああ。わかったのはハリーがドラッグに手を出しているってことだ」
「聞いたわ。それだけはね」わたしは言った。
「ディーラーを遠ざけようと思った。それでいろいろ試そうとしてたんだ。だけど、ちょっと遅かった」
「どうしたの?」わたしは聞いた。
「あるとき、ハリーが行方不明になった。それ自体はそこまでめずらしいわけじゃないけど、その時は一週間消えたんだ。ぼくはリチャード、探偵の本名なんだけど、彼に頼んで探させた。見つかったとき、彼はハイになってたよ。でも、その日の夜、ぼくは彼を談話室に連れ帰ったんだ。それで彼を問いただした。すごく心配したし、消えた彼に怒っていたから」
「彼はどうしたの?」
「何を言っても耳には入ってなかった。だって、ハイになってたから。それでぼくは怒鳴ったんだ。いい加減にしろって。そしたら彼は何かの糸が切れたらしい。自分の感情も誰にも言えなくて、もう限界だって言ってた。何をしたって変わらないのに、親友のはずのぼくですら手を差し伸べてくれないって」
わたしはうなずくしかできなかった。
「で、彼は言ったんだ。ぼくにずっと恋してるのに、そんなの言ってもどうにもならない。だけど、もう限界だって。それで、ぼくにキスをした」
「あなたはどうしたの?」
「一瞬固まったよ。彼は本気だったし、キスも本気だったから。でも、そのあとすぐに衝動的に突き放して、それで後悔した」
「でも、どっちも悪くないわ」わたしは言った。
「そうかな?とにかく、最悪なのはここからだね。彼がキスをしたのも、それがハイになって感情を抑えられなかったのも腹が立つ。もっと強くあってほしかったから。でも、困ったことにそれを別の生徒に見られてたんだ」
「彼はどうしたの?」
「クリスチャンはぼくたち、特にハリーを嫌ってた。ハリーは人と関わらないでいつも読書をしたり、人を避けていたから。クリスチャンにとって、話しかけても返事の返ってこない相手はムカつくんだ。それに、ハリーはよく行方不明になって、教師に心配されていたし、特別扱いされていたことも気に食わなかったらしい」
「彼が告げ口したの?」わたしは驚きで固まった。
「いや、彼はハリーをからかったのさ。本気で男に惚れるなんてバカだって言ってた。彼ら生徒同士で関係を持つやつを軽蔑した態度をとってるのに、自分の方がよっぽどたちが悪いって。それに、ハイになって帰ってきたのはその時が初めてだったから、告げ口をすればハリーは退学になるって」
「ひどいわ」わたしは言った。
「そのあとも何個か彼をバカにするようなことを言ったんだ。それでぼくはキレた。彼にとびかかったんだ。殴った覚えはある。ハリーは止めようとしたけど、クリスチャンもやり返したし、手が付けられなくなった。そのうちほかの生徒が起きてきて、寮監もやってきた」
「それで退学に?」
「そんなとこかな」ジェームズが苦笑した。「クリスチャンとぼくはケンカがひどすぎたし、今までもやったことあったから。今回はちょっと論外だったんだ。夜中にみんなを起こして、大騒ぎして校則違反の殴り合いをして」
「ハリーは?」
「停学を食らったよ。行方不明になりすぎだから、一回頭を冷やせって」
「クリスチャンは何も言わなかったの?」
「不思議なことにね。ドラッグの話もキスの話も誰にもしなかった。反省したのかなんだろうね。とにかく、ぼくはそれで転校することにした。ハリーに近づかないとも決めたんだ。あの時のキス、ぼくは突き放したけど、彼のその前のまなざしはたとえハイになっていても本気だった。それに突き放したことにも罪悪感がある。その上、彼が友人のままでいてくれなかったことや死ぬほど心配させたこと、彼が原因で放校になったことも怒ってたんだ。彼のせいだけじゃないのに」
「だからあんな時期に来たのね」わたしはつぶやいた。「だから友人も作らなかった」
「誰かと友だちになって同じことが起きることもいやだったし、友だちになった人がクリスチャンと同じようなことをすることも怖かった。それに、あそこの子たちがぼくが放校になった話を誰かに聞いてくることも」
「裏路地で怪しい人たちと会ってたのは?」
「自分は近づかないことにしたけど、リチャードにハリーを見張らせてたんだ。しばらくは家にいたけど、そのあと、またディーラーに近づかないように。彼の行くバーにいるディーラーを追い払うために必要だっただけさ」
「何をしてたの?」
「あの日は一人のディーラーが要求してきた特殊な機器がほしかったんだ。それに、新しいディーラーの情報も。裏社会では情報を売ってるのがバレるとマズいこともある。だから、彼らは躊躇したんだな」
「そんなことを。彼のことを大切に思ってるのね」
「みんなそれを言う」ジェームズは困ったようにつぶやいた。「大切に思うのは当然じゃないか。でも、怒るのだって当然だったはずだ」
「怒っていることを責めてるんじゃないの」わたしはなだめるように言った。立ち上がり、彼のもとに行って膝をつく。彼の手を握って彼を見つめた。「でも、あなたは彼に怒ることで自分自身も苦しめているのよ。あなたに非があるなんて言わないわ。だけど、彼に非があるのかしら?」
「わかってる。わかってるはずなんだよ」ジェームズはわたしの手を握り返した。「けど、感情の整理はそれほど簡単にはできないんだ」
「でも、わたしに話せたわ。あなたは自分のしたことに罪悪感を持ってるのね。それに、彼のしたことに動揺もしている。だけど、ちゃんと話し合って解決したらどう?陰から見守るだけじゃ根本の問題は解決しないのよ」
「ぼくに冷静に話せると思う?」彼は不安そうに聞いた。だけど、瞳には光がともっていた。
「もちろんよ。何も状況を知らないわたしに話せたのよ。彼とだって話せるわ」わたしは言った。「もしも心配なら、リチャードに相談したらどう?彼はきっと、あなたたちのどちらのことも本気で気にかけているわ。ビジネスだけでなくてね」
「リチャードと話したのかい?」ジェームズが聞いた。
「ええ、数日前に見かけたの。彼はあなたたちのことを心配していたわ」わたしは言った。「ついでに言うと、わたしはお酒はいいと思わないわよ」
「そうだね」彼はそう言うと、グラスに残っていたウォッカを暖炉に捨てた。「これで飲まない」
「どこでお酒なんて見つけてくるのかしら?」わたしは首をかしげた。「ご両親は何も言わないの?」
「両親と一緒にいるのなんて年に数か月だけだよ」彼が言う。「二人とも政治で忙しいし、ビジネスもあるんじゃないかと思う。ぼく自身も寄宿舎にいて会うことはないから、生活についてとやかく言われたことはない」
「あら」わたしはつぶやいた。聞いちゃいけないことだった気がする。
「哀れむ必要はないんだ。これでも、ぼくは恵まれている。それに、親がどう見張ろうとしたところで、反抗期の少年たちにはいくらでもツテがあるんだから」
「わたし自身、飲酒は経験ないわね」わたしは軽く言った。実際、お金もないし、やろうと考えたことはない。
「なければそれだけいいよ」彼が言う。「仕方ないな。明日、リチャードと話してみるよ。きみのおかげで暗闇の先に光が見えてきた」
「手伝えたならよかったわ」わたしは彼の横から立ち上がった。「おやすみなさい、ジェームズ」
「おやすみ、エマ」
次の日、ジェームズとリチャードは朝から部屋にこもりきりだった。わたしは邪魔をしたくないからハリーのところへ行く。
「昨日、ジェームズと話したの」わたしはハリーの部屋のソファに座ってから切り出した。「あなたのこと、聞いたわ」
「そう。軽蔑した?ぼくとはもう関わりたくないって思わなかったの?」心なしか彼の瞳が自信なさげに揺れる。
「どうしてそう思うの?」
「親友に恋をした。それを誰にも言えずにドラッグに手を出した。ハイになって親友にキスをして、天敵にバレてバカにされ、親友が退学する原因を作った。これをどうして責めないんだ?」
「人はみんな、強い存在じゃないのよ」わたしは目を見てきっぱりと言った。「だから、誰かに恋をするし、過ちも犯す。それを責めてどうするの?反省しているなら、励ますのは当然かもしれないけれど、その人を否定するのは違うんじゃないかしら」
「きみはすごいね。ジェームズを責めるわけではないけど、彼はそんな風に達観していない。当然、ぼくもね」
「わたしは傍観者だから、冷静なことが言えるのよ。当事者ならこんな冷静なことは言えないわ」
「はたから見ても、そこまでにはならないよ」
「どうかしら?」
「きみが恋のライバルだとかなう気がしないな。まあ、もともとぼくに勝ち目はないけれど」彼が茶目っ気たっぷりに笑った。だけど、少し悲しそうに。
「あなたの方が彼をよく知ってるんだもの。十分強力な恋敵じゃなくて?」
「そんなことを言ってくれるのかい?うれしいね」そう言うと、ハリーは真剣な目になってわたしを見つめた。「けど、きみなら潔く負けを認めるな。こんな素敵な子だなんて、ジェームズも見る目が確かだ」
「お褒めの言葉、ありがたく頂戴するわ」
二人で笑い合って、その後はしばらく語り合った。くだらないこと、自分の話やジェームズの話、ハリーは確かに危ういのかもしれない。けど、いい子なのには変わりない。いい人過ぎるのだろう。だから、ジェームズに気持ちを伝えるのを恐れてドラッグに逃げた。弱いわけじゃない。繊細すぎて傷つくのを恐れただけ。ドラッグから回復するのはとてつもなく大変らしい。けれど、彼は努力している。それが大切な気もした。
「ハリー、ちょっと来てくれないか?」一、二時間後、ジェームズが部屋にやってきた。表情は落ち着いていて、すっきりしている。
「わかった」ハリーが少し緊張した面持ちで部屋を後にする。
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