12
わたしは一人になると、窓際に行った。頭の中を整理する。いや、しようとしたが、くらくらするような興奮が収まるはずがない。こんなお屋敷、自分が客として侯爵家のお屋敷に滞在しているなんて、信じられない。豪華な部屋に、きれいな洋服、使用人がうやうやしくかしずく人たちの世界。たぶん、学園の寄宿生の家庭よりもハイクラスなはずだ。なんといってもティルベラー侯爵家なのだから。シンデレラはこんな気分だったのだろうか?興奮したけど、場違いだと思っていた?パーディタは?自分の恋人が一国の王子だと知り、自分も王女だと知って、それをすんなり受け入れられたのだろうか?
そこまで考えて思った。わたしはシンデレラでもパーディタでもない。シンデレラは義母と義姉にいじめられていたが、それでもそこそこ裕福な家の娘だ。パーディタも羊飼いの夫婦の愛情を受けて育っている。その上、わたしは王子の、この場合は侯爵令息の恋人でもないし、結婚するなんてわけじゃない。どこかの王女でもないのだ。わたしはただの客。侯爵の息子の友人だ。そうでないとは信じたいが、ジェームズがわたしを憐みの目で見て、屋敷に招待した可能性だってゼロではない。本当にそうではないと信じたいし、ほぼ確実に彼がわたしに好意を持ってくれているからだろう。
とにかく、わたしはこの滞在が終われば、学園に戻る。また、家族もない孤児の一人として勉強して、働いて、ソフィたちと過ごす。将来は自分で働いて、生活する。不労所得の貴族のような贅沢は夢のまた夢だ。浮かれすぎちゃいけない。
そうは言っても、すてきな服が目の前にあって、興奮するなというのは無理な話だ。それに、豪華な屋敷に滞在して、侯爵家の人々と過ごすのにも。わたしは洋服ダンスから服を出してみた。さまざまな形、デザインの洋服がある。一つを選ぶと、さっそくディナーに着てみることにした。
ディナーと言っても、どこで食べるのかわからない。さっき通された部屋はどう見ても居間といった風貌で、食事をする場所ではないのだろう。自分自身が屋敷に暮らしているわけではなくても、食事は食堂かどこかで食べるということはわかった。問題はそれがどこかということだ。
自分の姿を鏡に映してみた。まるで貴族のご令嬢だ。普段から清楚な服を着て、清潔にするようにしていたが、高価な服を着ることはない。学園でも制服は寄宿生と孤児で違うのだ。でも、鏡に映るわたしは高価な生地でオシャレな服に身を包んで、アクセサリーも少ししている。わたしの両親のペンダントも。普段、制服や服にそのペンダントは似合わないからしないが、この服とはうまく合っていた。ペンダント自体がとても高価な品だとでもいうように。
廊下に出て、とりあえず一階に降りることにした。その途中で使用人が通り過ぎていく。全員、わたしに会釈をしたり、うやうやしく目を下げた。
「あの」わたしは階段のところでやってきた使用人に聞いた。「ディナーはどこに行けばいいのでしょうか?」
「こちらです。ご案内しますよ」使用人の人はわたしを見ると、感じよく笑みを浮かべた。わたしはその後ろをついていく。
たどり着いた食堂は大きいが、大きすぎるというわけでもないようだった。きっと、もっと大きな食堂があって、それはたくさんの人がいるときに使うのだろう。扉が開け放たれていて、中にジェームズと侯爵夫人が見える。わたしは息を深く吸い込むと、中に入って行った。
「エマ、すごく似合ってるよ」ジェームズがわたしを見るなり、満面の笑みで言った。夫人も賛同するように、にこにこうなずいている。
「テラの服が残っていてよかったわ。こんな風に美しいお嬢さんに着てもらえるなら彼女も喜ぶわよ」夫人が言う。
侯爵はしばらくすると食堂に入ってきた。続いて豪華な料理がコースに沿って出される。わたしは興奮を表に出しすぎないように気をつけた。ソフィたちに見せれればいいのに。この様子を知ったら、三人が大騒ぎするのは目に見えている。
食事が終わると、わたしたちは居間に移動した。わたしが来た時に案内された部屋だ。夫妻とジェームズと四人でたわいのないおしゃべりをする。侯爵夫妻は感じのいい人たちで、わたしの話を聞いてくれる。ジェームズも学園で見るときにたまに感じる無理をしているような様子がなく、のびのびとしていた。
次の二日ほどは平和に過ぎて行った。朝起きると、着替えをして朝食を食べに食堂に降りる。それから戻ってくると使用人が部屋をきれいにしてくれているのだ。午前中はジェームズと散歩をして過ごした。ティルベラー家の敷地は広いらしく、森の中の小道や庭園を回りきるには二日間では足りない。昼食をとってからは一日目は近くの町に出かけて、次の日は敷地の池のほとりで敷物を敷いて本を読んだ。こんなにのんびりとした生活が毎日できるなんて信じられない。何かに追われることがなく、完全に自由。ジェームズは一緒に過ごす時間と一人の時間をとるのが上手く、いてほしいと思う時にはいてくれて、一人になりたいときはそっとしておいてくれた。
三日目の午前中、わたしはジェームズを誘って散歩に行くことにした。その前の二日間で行っていない方向の庭園を案内してもらいたかったからだ。
「映画が見たいと思わない?」歩いている最中、ジェームズが聞いた。
「どうしたの、急に?」わたしは彼を見た。映画はいつでも見たい。だけど、そんな時間をとるのは大変だった。お金もかかる。たまに行くだけだ。
「映画が好きだって言っていたのを思い出して」彼が答える。「見たければ今度連れて行ってあげるよ」
「映画館があるの?」わたしは聞いた。
「ああ。でも、一緒に行ってくれる?」彼が言った。
「もちろんよ」
わたしたちはそのあともいくつかの会話をした。庭園はすごくきれいだ。手入れがされていて、趣味がいい。学園にも庭園はあるが、そこよりも広々としていて、庭園というものに対する扱いがいい。学園はほかにもいろいろ気にかけないことがたくさんあるんだろう。
「ここはだれが管理しているの?」バラの木の横道を歩きながら、わたしは聞いた。
「基本は庭師がいるよ」ジェームズが答える。「でも、母が好きなんだ。だから、時間があれば母もいろいろ決めたりしていると思う」
「すてきね。こっちは?」わたしはバラの小道の先にある開けた場所を見つけて、目を細めた。たぶん、奥に噴水か何かがある。
「行く?」ジェームズがわたしの手を取ってくれる。わたしたちは体を寄せ合って噴水の方へ歩いて行った。
「すてきな場所だわ」わたしは生垣と小道に囲まれた噴水とその周りのベンチを見て、ため息をもらした。噴水の中央にはキューピッドがいて、周りは座れるように石造りのベンチだ。噴水からは形よく水が噴き出していて、陽の光を受けてしぶきがキラキラと輝いている。
「あら、誰かいるわ。ご夫妻のお客さん?」わたしは噴水の裏側に人影を見つけた。ライトブラウンの髪でかがみこんだ姿勢の男性だ。本でも読んでいるのだろう。
「いや、お客があるとは聞いてないけど」ジェームズがわたしにささやき返す。わたしたちは噴水のそっち側に回るように歩いていた。
噴水の反対側には別の天使がいる。噴水のふちに腰かけるようにして男性は本を読んでいた。いや、男性ではない。わたしたちと同年代の男の子だ。たぶん。線の細い美しい顔立ちのこれまた線の細い体つきの子で、美しいが影がある。というより、何かが危なっかしいのだ。見ているこちらが守りたくなるような感情を掻き立てる。初めて見た少年なのにそう思わせられるということは、彼をよく知っている人はもっと心を揺さぶられるのではないだろうか?ほんの数秒の間にわたしはそんなことを考えていた。
「ハリー」ジェームズがほとんど声にならない声で言った。わたしは驚いて彼を見つめる。ジェームズの声には信じられないという響きと動揺が感じられる。顔を見ると、困惑、そして見る間に怒りへと表情が変わっていった。「なぜ、ここにいる?」
「ジェームズ」ハリーという少年が顔を上げる。表情は言葉にできない。困惑でも驚きでも、怒りでもない。彼は何を考えているというのだろう?「久しぶりだね」
「そんなのんきなこと言うな」ジェームズがぴしゃりという。「もう一度聞く。なぜ、ここにいる?答えなきゃ追い出すぞ」
「ご両親のお招きだよ」ハリーが本を閉じて立ち上がった。「さっきついて、荷物を置いてからここに直行したんだ。昔からのお気に入りだから」
「ぼくの両親が何だって?」ジェームズの声は荒くなっている。
「それより、こちらのお嬢さんは?」ハリーはのんびりとした態度を崩さない。まわりのことなんてどうでもいいとでもいうのか、傲慢というのか、とにかくジェームズの怒りとは対照的だ。
「エマです」わたしは慌ててあいさつをした。
「ハリーだ」それからハリーは彼をにらみつけているジェームズに顔を向けた。「ジェームズ、すてきなお嬢さんと知り合いじゃないか。新しい学校の子かな?」
「そうだ」ジェームズが答える。
「じゃあ、転校も悪いことだけじゃなかったみたいだ」ハリーがそう言うと、ジェームズの表情は険しくなった。
「なぜ、来た?」ジェームズがまた聞く。「反省もしていない、様子も変わらない。これじゃあ意味がない。最後に言った言葉は数か月で取り消せるものじゃない。頼むからこれ以上事態を悪化させないでくれないか?」
「していないとは言っていない」ハリーの声と表情が急に鋭くなった。「だが、今、ここでやるか?このお嬢さんの前で?」
「ああ、そうだな」ジェームズは冷たく言った。それからわたしに向きなおる。「エマ、本当に申し訳ないんだけど、先に屋敷に戻ってくれるかな?ぼくは用事ができたみたいだ」
「いいわよ」わたしは感じよく言おうと努めた。べつに気分を害しているわけではない。頭の中が疑問で破裂しそうだっただけだ。
「ハリー、おまえはおれの前に姿を現すな。頼むから」ジェームズはそう言うと、噴水の先の道へ足早に去って行った。
わたしはどうしたものかと噴水の前に立ち尽くしていた。ハリーはというと、やはり立って動かない。
「ジェームズと同じ学校にいたんですか?」わたしは勇気を振り絞って行った。ジェームズの昔からの友だちでここに侯爵夫妻から招待されるということは、このハリーという少年も名家のご子息に違いない。普段なら自分から話しかける勇気はないが、侯爵家の客人で見た目も立派に見えるであろう今なら勇気を持つことはできた。
「うん?そうだよ」ハリーはこちらを向いて、感じよく微笑んだ。「これでも昔は仲良かったんだ」
「そうらしいですね。今はずいぶんと険悪に見えますけど」言ったそばから自分で息をのんでしまった。こんな大胆な物言い、普段ならしないのに。
「ああ、ぼくが悪いんだよ」ハリーが言う。平然と、事実として言っているようだった。「あいつは悪くない。転校する理由も、絶交される理由もぼくが作ったんだから」
「それで仲直りに来たんですか?」
「うーん、そんな簡単に許してもらえるとは思えないけどね」彼の表情が曇った。美しい目元に影が差す。それを見ると、この少年が一層痛ましく見えた。
「何があったか聞いてもいいですか」わたしは思い切って聞いた。
「ぼくが話すことはできるけど、やめたほうがいいと思うな」ハリーが言う。
「なぜ?」
「ジェームズが話していないからだよ」彼は言った。「彼は自分が悪くないのは知っているけど、まだ心の整理がついてない。だから、ぼくにも会いたくないし、その話に触れたくないんだ。それに、たぶん、自分のことも責めている。そんな必要はないのに」
「あなたは話せるって」わたしは首をかしげた。「自分が悪いと思っているのに、どうして冷静でいられるんですか?」
「冷静じゃあないね」彼が言った。「顔に出さないすべを知ってるだけだよ。自分の罪悪感につぶされそうになるし、だからもっとよくない方向に行動してしまうこともある。そういうのを止めてくれるのがジェームズなんだよ。今はまともだけど、まともじゃないぼくには近づかない方がいい」
「わたしにはあなたはいい人に見えます。冷静にすべてを達観しているような人に」
「今だけだよ。昔はもっとひどかったんだ。今もほんの今だけ。すぐにひどくなる」彼はそういうと、悲しそうな笑みを浮かべた。「ジェームズはきみと話していることを快く思わないだろうな。だから、早く屋敷に戻るといいよ。ぼくも後で戻る。まあ、ジェームズの前に行くことはないかもしれないけど、どこかで会えると思うから、またあとで」
ハリーが噴水のふちにまた腰かけると、わたしはもとの道を通って屋敷に戻った。あの少年は目を離すと消えてしまいそうにはかない。ジェームズがあの探偵か何かの男性と話していた人物はこの少年なのだろうと、わたしはすでに気がついていた。
その日はもう、どこかに行かずにお屋敷内で過ごすことにした。たくさんの本が並ぶ図書館があるから、退屈するということはない。夕方になってもどこにもジェームズの姿は見えなかった。とはいえ、屋敷は広いからたとえどこかにいても気がつかない可能性もあるが。
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