9
次の週は二回だけ、ジェームズと会って話すことができた。それも、夜に、わたしが仕事をしているときと、わざわざ忍び出てきたときに。彼は前回よりも気を使って、わたしへの直接の接触は避けた。だから、あのレイチェルっていう一つ上の学年の子にも何も言われずに済んだわけだ。
でも、ベスやメロディたちに隠し事をするのはいい気持ちがしない。孤児はお互いに気にかけて、信頼しあっているはずなのに。だからと言って、簡単に言えることでもないのだけれど。彼がわたし以外の人とかかわりたがっていないことや、わたしと話すことでさえ、知られたくないと思っていることはわかっていたから。
「エマ?」ベスに声をかけられた。自分たちの部屋で、いるのはわたしと彼女の二人だけ。
「どうしたの?」わたしは宿題から顔を上げると、彼女を見た。
「来年度、わたしはどこに行くのかなって思って。もう近いでしょ。働く場所を決めないと」ベスはベッドの上で、膝を抱えてこっちを見ている。
「そうね。わたしたち、ずっと四人だったのに、二人とも学園を出ちゃうのね」わたしは急に寂しくなって彼女を見つめた。
「就職はしないといけないよ。どこかで秘書をしたいんだ。きっと、この学園を出てるなら、受け入れてくれるところは山ほどあるはずだよね。でも、二人と離れるのが寂しくて」
「わたし、あなたのところに遊びに行くわ。約束よ。ソフィとメロディと、四人でまた会えるわよ」
「そうだといいけど。それより、あんたはまた、来ないの?」ベスは思い出したように眉をひそめた。「わたしの最後の旅行くらい、来てくれればいいのに。思い出になるよ」
「ごめんね。でも、本当にあそこは好きになれないの」わたしは目を伏せた。ベスが言いたいことが分かったから。「でも、ベスが働き始めたら、そこにはいきたいと思ってるのよ」
「わかってるよ。気にしないから」ベスは気を取り直したように、体を伸ばすと、にやりとした。「あんたこそ、自分がどうするのか決めないといけないね。将来の話だよ。週末、学園に一人残ることじゃなくて」
「わたしにはまだ一年あるわ。だから、ゆっくり悩むことにしようと思ってるの」わたしは肩をすくめると、ベッドの彼女の横に飛び乗った。
「いいよ。なんでも応援する」ベスはわたしをぎゅっと抱きしめると、優しく言ってくれた。「ねえ、時々、両親がいたらいいのにって思わない?」
「べス?めずらしいじゃないの。何か嫌なことでもあった?」わたしは身を振りほどくと、彼女の顔をのぞきこんだ。
孤児同士で自分たちの境遇を話すことはとても少ない。わたしたちの間柄ですら。それに、ベスはいつも快活でそんなこと、気にしてないようにふるまっていたのに。
「ううん。ただ、もう、わたしも働くんだよ。勉強も終えて、立派になれるの。それなのに両親に見てもらうことができないなんて」ベスは少しだけ微笑んだ。
「わたしたちがいるじゃないの。ベスが立派になって、どこの人たちよりも喜ぶわ」
「エマは?両親や家族がいたらいいのにって思うことない?」ベスは聞きにくそうに言った。
「そりゃ、あるわ。でも、どうしようもないもの」わたしは肩をすくめると、ベスに抱き着いた。「ああ、あなたたちが家族みたいなものよ。愛してる」
「わたしもだよ。エマは妹みたいなものだからね」ベスはわたしをぎゅっと抱きしめると、顔をうずめて言った。「ごめんね。今みたいなこと言っちゃって。もう、言わないから」
「いいのよ。たまにはガス抜きも必要でしょ。わたしたちは信頼しあってるんだから、遠慮なんていらないわ」
本当に?心の声がちくりと胸を刺した。あんたは信頼してるのに、自分の友だちにジェームズのことを言ってないじゃないの。それなのに、よく平気でいられるね。そう言っている。
ベスは言葉を返さず、ただ、にっこりとしただけだった。
この学園には年に四回、生徒全員が自由に参加できる旅行がある。寄宿生も孤児も関係なく学園の所有する避暑地、もしくは暖かい気候の土地にある別荘に行けるのだ。自由参加。でも、こんないい機会、逃す生徒はどこにもいない。寄宿生もお泊り会を楽しんでいるし、学園には人がほとんどいなくなる。でも、わたしは二回、参加しただけでやめてしまっていた。ベスにも言ったし、みんな知ってるけれど、あそこはどうしても好きになれない。俗っぽくて、みんなが羽目を外しすぎて、見たくないことを見てしまう気がする。自然がそれほど魅力的でもないし、やれることも人間関係も変わらない。どうせなら、人気のない学園でのんびりする方が面白い。最初は理解されなかったけど、先生方も友だちもみんな、もう、何も言わなくなっていた。
旅行に行ってしまうと、学園にいるのは臨時雇いの管理人と掃除係だけになる。誰もわたしに仕事を手伝うようには言わない。というより、その人たちは他人だし、図書室も厨房も使い放題。料理は自分でできるし、ミセス・ウェストヴァンはわたし用に食材を置いて行ってくれる。先生方も一人は自分たちが知っていて、一応、信頼もできる人が学園に残っているといいと思っているのかもしれない。心置きなく旅行に行けるのだろう。
「楽しんできてね」わたしは部屋で三人に言った。
「エマ、来ればいいのに。でも、あんたはそれがいいんだよね。一人で楽しいって気持ちも少しはわかるし。変わってるけど、みんな、だからエマのことが好きなんだよ」ベスはわたしを抱きしめると、肩に手を置いて言った。
「そうよ。一人で少しは寂しいかもしれないけど、四日後には帰ってくるわ。エマ、大好きよ」メロディもほほ笑んで言う。
「エマ、楽しんでくるわ。そっちも楽しんでね」ソフィはわたしを軽くたたくと、足取りも軽く、ドアまで言った。「二人とも、遅れちゃうわ。行こう」
「そうよ。一生の別れじゃないわ。わたしはこうしたいのよ」
「じゃあ、行ってくるね」ベスは楽しそうにウィンクすると、部屋を出て行った。二人もそれぞれ後に続いていく。
一人になるとやれることはぐんと増える。人の目を気にしないでどこにでも行けるし、何をするかも決められる。ミセス・アヴィエラがちょっと前にくれたお小遣いもまだ残ってるから、街に行って外食やちょっとしたショッピングもできるはず。
みんなが行ってしまってしばらくたったころ、わたしは私服に着がえて足取りも軽く部屋を出た。学園の中はひっそりとしていて、ほんの少し、心細くなる。でも、そんな一部の感情よりも、興奮のほうが大きかった。
図書室にちょっと寄って、そこから厨房に通じる長い廊下を歩いているとき、足音が聞こえた。管理に来ている人の足音だと思った。でも、見えた人影はもっと若々しくて、すらりとしていて、見覚えがある。
「ジェームズ?」考えるよりも先に、驚きで声が出てしまった。相手がすぐに振り返る。
「エマ?どうしてここに?」彼は立ち止まると、大きく目を見開いて、こっちに寄ってきた。
「それを聞きたいのはわたしの方よ。みんなはもう、行っちゃったわ。どうして残っているの?」わたしは腕を組んだ。彼のほうが怪しい。わたしは毎年、残っているし、先生方とも話をしたけれど、彼が残っているなんて、聞いていない。
「そんなこと、きみにだって言えるだろう?まさか、きみだけ行く許可が下りなかったとかじゃないよね?」
「ありえないわ。ただ、この旅行が嫌いなの。残って一人でいる方がいいわ。あなたがいるとは聞いていなかったけれど」わたしは肩をすくめた。
「ぼくは実家に帰ると言ってあったからね。みんなと一緒に旅行なんていやだったんだ。ぼくがここに来ているのは学業を修めるためだけなんだから」彼はわたしに負けないくらい平然と、肩をすくめて言った。「先生方は生徒全員が行ってしまうと言った。だから、ぼくがここにいても誰も気がつかないと思ったのさ。きみが残るとは言っていなかったよ」
「わたし以外、みんな行くもの。あなたが家に帰ってしまうなら、そんな話、する必要ないと思ったのよ。先生方にとって、わたしが残るのは当然のことだから」
「旅行先で何かあったのかい?」彼は眉をひそめた。
「いいえ。なんでそんなこと聞くの?ただ、あそこの土地もわたしにとっては気持ちのいいものじゃないし、それほど楽しめないってだけよ」わたしはため息をつくと、彼を見た。「ねえ、こんなところで話しているのもばからしいわ。どこか行かない?」
「どこに?」彼がちょっとだけ眉をひそめる。
「本当は厨房で何か食べようと思ってたんだけど、来る?」わたしは自分の進んでいる方向をちらっと見た。
「じゃあ、行くよ。でも、何かあるの?」一緒に歩きながら、彼が言った。
「わたしのためにミセス・ウェストヴァンが用意してくれたお菓子と食材がね。でも、あなたの分がないわ。二人で夕食にしたりしたら、足りなくなるわよ。もともと、あなたはどうするつもりだったの?」
「街に出て食事はしようかなって。きみも一緒においでよ。代わりに、ここでも食べさせてくれるかな?」彼は自分の思いついたことに顔を輝かせて言った。
「いいけど、わたし、そんなに払えないわ。お小遣いもあまりないから」わたしは少し、うつむいた。
「誰がきみに払ってほしいなんて言った?ぼくのおごりだよ。付き合ってもらうんだし」彼はそんなことを考えるなんて驚いたといった風に顔を上げて立ち止まった。「ねえ」
「どうしたの?」わたしも立ち止まる。
「ここには管理の人をのぞいて、ぼくたちしかいないんだよ。それに、ぼくはきみが寄宿生じゃないとは知ってるけど、それを何とも思ってない。だから、あんまり気を使わないでくれるかな?きみに気を使わせてしまうと、こっちが息苦しくなるよ」
「そんなに気を使ってないと思うわ」わたしはくすりと笑って言った。「もし気を使ってたら、貴族のご子息とこんな風に会話してないもの。でも、おごってもらうのが申し訳なく思うのは、わたしにはできることが何もないからよ」
「何もないなんて、おかしいな。人にはできることが何かしらあるんだ。それに、きみが何もできないなら、ぼくだって同じさ」
「わかったわ。じゃあ、行きましょ」わたしはうまくはぐらかされたような気がしながらも、気にしないことにして歩き出した。
厨房は光が差し込んで、広い空間を開放的に照らし出している。普段は人がたくさんいるのに今日は空っぽだから、変な感じだ。だけど、わたしはその特別感のある空間が好きだった。料理器具はすべて、ピカピカに磨かれて片づけられているけど、調理台の上にメモがあった。ミセス・アヴィエラがわたし宛に書いたものだ。内容は冷蔵庫にある食材と、それでできる料理のレシピとか。
「おいしそうなお菓子があるよ」ジェームズが戸棚を開けて、感嘆の声を漏らした。「食べていいの?」
「ミセス・アヴィエラが作ってくれたのね。開けていいわよ。ナイフを持ってくるから切り分けて食べましょ」わたしは引き出しを開けて、ナイフを取り出した。ジェームズの方に歩いて行って、横に立った。彼はパウンドケーキの包みを開けている。
「貸して。ぼくがやるよ」彼は手を差し出した。
「じゃあ、任せるわ」
わたしはナイフの柄を彼の手に置くように気をつけて、そっと手渡した。その時に手と手が触れ合う。前に感じた電流の流れるような感覚が走って、びくっとなってしまった。ナイフが揺れたのを感じたのか、彼は反射的にナイフの柄と一緒にわたしの手を握った。
「大丈夫?」ジェームズが聞いた。近づきすぎていて、彼の息がわたしの髪を動かす。体がぞくりとした。
「ええ」わたしは小さな声で答えた。
彼がわたしを見つめた。わたしも顔を上げて見つめ返す。深緑の瞳は優しさと怪しい情熱に輝いていた。わたしも説明のできない情熱的な感情を持って、彼を見つめているんだろう。だけど、やめることは出来なかった。
わたしたちは見つめあったまま、そのまま数秒じっとしていた。こういう時にキスするのかもしれない。願望に近い考えが頭をよぎった。ほかの子たちの恋愛話は聞いたことがない。そんな余裕がないからか、プライベートを友だちに話すのをためらうからか。でも、寄宿生同士で付き合ってるって噂はよく聞く。共学だから当然。でも、どれも出かけたりする話ばかりで、恋愛小説のようなロマンティックなものではない。こんな風に見つめ合ってそっとキスするのは、恋愛小説や映画の中だけだ。
ジェームズが何を考えていたのかはわからない。彼はしばらくわたしを見つめていると、そっと顔を近づけてきた。わたしもそっと目を閉じる。けれど、唇が触れ合う寸前で、彼は動きを止めた。空気が変わったのに気づいて、目を開く。彼は何とも表現できない、苦悩と情熱を秘めた瞳でわたしを見つめている。キスしたいのに、何かの理由でできないというように。瞳が暗い。彼がふと見せる表情の時と同じだ。彼はそっと、顔を遠ざけた。握っていたわたしの手を離し、ナイフだけを持つ。わたしは茫然とその場に立ち尽くしていた。
「なんのパウンドケーキかわかる?」沈黙に耐えられなくなった時、ジェームズが聞いた。切り分けたパウンドケーキをお皿に載せている。
「きっと、ラムレーズンとオレンジピールね。わたしのお気に入りだから」わたしは平静を保って答えようとした。できたかどうかは疑問だが。「クルミとアーモンドも入ってるわよ」
「おいしそうだ」彼が言う。いかにも平然としていて、さっきのことなんてなかったかのようだ。
そのあともずっと、彼は親しい友人の姿勢を崩さなかった。わたしは混乱してるって言うのに。彼だって、少なからずわたしに恋愛感情を抱いているはずだ。さっきの状況はそうに違いない。だけど、わざと、その事実から目を背けているようにも見える。
その日は疲れていると言って、すぐに自分の部屋に戻ることにした。気持ちに整理をつける必要があるし、一日時間を置けば、普通にふるまうのは簡単になる。親切なことにミセス・アヴィエラは今晩の夕食を作っておいてくれたから、それを持って部屋にこもれば問題はない。
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