「エマ、あんたはなんの服を買ったの?」ベスが先に店を出たわたしのところに追いついてきて聞いた。

「ブルーのワンピースよ。肩の部分がレースになってるの。着てみるのが楽しみだわ」

「よかったじゃん。ブルーはあんたに似合う色だものね」ベスが肩をポンとたたいた。

「ありがとう」わたしは彼女の方を向いてにっこりと笑った。

 いまはもうお昼過ぎだ。昼食はさっき、おしゃれなレストランで食べてきた。そういうところで食べるのは何年ぶりかしら。ミセス・アヴィエラが昔連れて行ってくれた時以来だ。

 本屋でも好きな本を見つけることができた。わたしが買ったのは《ジェーン・エア》。図書室で読んですごく気に入っていたから買おうと思っていたのだ。もう一つは、最近のロマンス小説。べつに有名なわけでも、評価がすごく高いわけでもないと思うけどおもしろそうだと思ったやつを一冊買っていた。

 メロディが買ったのは《レベッカ》だと思う。一度読んでみたいって言ってたけど図書館にはなぜかなかったから。

「これからどこに行く?」ベスが聞いてきた。後ろからはメロディとソフィが追い付こうと走ってくる。

「映画とかは?こんな機会、そうそうないわよ」メロディとソフィが追い付いてから、わたしは答えた。

「いいかも。好きなのを見るの。終わる時間が大体同じのをね。わたしたちみんな趣味が違うから、一緒に見てもおもしろいと思えるのは一人だけになるわ」ソフィが考えるように言った。

「それもいいかも。どう思う?エマ、メロディ?」ベスが答えた。

「わたしはいいわよ。その方がみんな映画を楽しめるし」メロディわたしの方を見た。ほかの二人も。まるで、わたしの答えでどうするのか決まるというように。多数決だとしたら、わたしの票があろうとなかろうとその意見で決定だと思うんだけど。

「いいわよ」わたしは短く返事をした。

「それじゃ、さっそく映画館に行くよ。早くしないと見たい映画がなくなるかも」ベスがはしゃいだ声で言った。

「そうね、行きましょう」メロディが相づちを打つとみんなで映画館に行く道を歩き出した。

 映画館は街のはずれにある。今いたのは中心部だから十数分歩く距離だ。映画館なんて人も入りそうだし街の中心に会っても良さそうなのに、ここでははずれにある。なぜだろう?建物はおしゃれだし、結構新しいのに。映画館のまわりは店も少ないし、飲食店もないから夜には不気味な感じになる。しかも、すぐ近くは怪しい人たちのたまり場だと噂されているから、夜はあまり人が入らない。来るとしても、迎えの人を用意してくるお金持ちの人くらいだ。

 わたしが選んだ映画はみんなの中では一番早くに始まって上映時間も短いから、次に早く出てくるソフィと三十分の時間差がある。その時間はどこか歩き回るか、映画館のカフェで過ごしていよう。

「じゃあ、あとでね」みんなが自分の見る映画の上映開始時間になるのを待っている中、わたしはシアタールームに入っていった。

 わたしが選んだ映画は歴史物だ。史実であった陰謀とか、愛憎とかの話。メロディの好きそうな《高慢と偏見》タイプの恋愛ものもあったし、ベスが好きそうなアクション系、ソフィが好きそうなホラーもあったけど、どれかを選ぶなら歴史物だ。三人の選んだ映画はどれも魅力的だったけど、中世のドレスに身を包んだ貴婦人や宮廷風の服装をした貴公子にはかなわない。陰謀や愛憎が好きってわけじゃないけど、そういうのは面白いし、歴史に本当にあったと思うとどんなフィクションよりも魅力的。残念ながら、ほかの三人はそれをわかってくれそうにないけど。わたしと一番趣味の会うメロディですらこの手の映画を面白いとは思わないらしい。

 映画は予想通り、すごく面白かった。べつにハッピーエンドってわけじゃないけど、ハッピーエンドの映画がいいものだというわけではない。重要なのはそこに向かうまでや、終わりに主人公か、その周りの人がそれをどう考えるかでしょ。今回とは違う話だけどアン・ブーリンの話があればハッピーエンドはおかしいし。それに、史実なんだからありのままに書かないと。勝手にハッピーエンドに書き換えるのは間違っている。

 それにしても、このあと、どうしよう。三十分も暇つぶしを一人でするなんて。カフェにいてもいいけど、三十分も待っていられない。買った本を読むのは帰ってからにしたいし。せいぜい十五分ってところだろう。

 そうだ、このまわりをふらふらするのはどうかしら?今まではそんなことをしようとは思わなかったけど、今日はまだ明るいし、反対する人もいない。ちょっとくらい表通りを歩いたところで困ったことになりはしないわよ。もしかしたら、いいお店が見つかるかも。

 わたしは映画館を出ると、街の中心部とは反対側に歩いていった。こっち側に来たことはほとんどない。こっち側は怪しい人が多いらしいから、ティーンエイジャーの女の子が一人で歩くのは反対されている。数人一緒にきてもいい顔はされないからほんの少しだけ、歩いたことはあるが、何も知らないようなものだ。

 映画館から五分歩けば道が整備されたのはだいぶ昔だとわかるし、建物もさびれてきていかにも危険なところって感じだ。怖い気持ちもあるけどわくわくもしている。ただ、危険な人に合わないといいんだけど。

 見たところ、いいお店はなさそうだ。店はあるけど合法のものが売ってるのか怪しいし、飲食店もセンス的にも衛生的にもおすすめできない。べつに期待してたわけじゃないけど。誰かに聞かれたときに知られていないけどいいお店があるか探していたと言い訳するために考えているんだから。

 十分歩くとお店どころか人も少なくなってきた。通り過ぎる人も貧困にあえいでいるのは明らかだし、ぼろぼろの服に危険な目つきをしている人も少なくない。よかった。今日買い物をした服や本を映画館に預けてきて。それにわたしは立派な服装じゃないから狙われる可能性は少ないし、実際もうあまりお金は持ってないからそれほど怖くない。学園の寄宿生はこんなところに来たら危険だけど。みんな自分の身分や金銭的ゆとりを見せびらかすために高価なシルクやベルベット、シフォンなんかの生地で凝ったデザインの服を着て、金や銀、宝石があしらわれていたり、そうでなくてもすごく高い装飾品をつけている。甘やかされた感じで脅したらすぐに何でも渡しそうで格好の獲物だ。

 十五分歩いたところで元の道を通って映画館に戻り始めた。さっきと同じペースで歩けばぴったりソフィが出てくる時間に映画館に戻れるはずだ。そのあとは一人じゃないからおしゃべりをしてほかの二人が戻ってくるのを待てばいい。

 三分の二ほど引き返したところで、数十メートル先で数人の若い男の人がわき道に入っていくのを見かけた。男の人たちはここら辺の人にしてはがたいもよくて服もそれほどぼろぼろじゃない。つまり、マフィアか犯罪で財を成している人やいかがわしい人物、そんなところだろう。好奇心で近づくのは正気の沙汰じゃないってことだ。

 でも、わたしはその道を通って映画館に戻るしかないし、横の道に入っていったんだからまずいことには巻き込まれないはず。運がよくて表通りを歩いているときにちらっとその道を覗ければどんな人たちなのか結構近い距離で見ることができるかもしれないし。

 べつに急ぐこともなく、わたしは道を歩いて行った。さっきの人たちはまだ、道から出てこない。誰かと会っているのだろうか?何か取引をしている?それにしても、こんな人通りが少ないとは言えないところで長居するなんて。もっと奥に行けば人のいない、そういうことにはおあつらえ向きの場所がありそうなのに。

 読書好きの好奇心でついついそんなことを考えてしまっていた。

 さっき人が入っていった道に近づいても彼らが出てくる気配はない。どんな内容を話しているのだろう。いろいろな想像をしながら道に近づいて行った。

 その道の近くになると人の声が聞こえてきた。抜け道とかじゃなくて行き止まりのところらしい。しかも、そんなに長くなくて人と話しているってことだろう。何か取引かな?情報の受け渡し?ドラッグ関係?犯罪かもしれないし怖いと思うのが普通だけど、好奇心が勝ってそんなことはほとんど考えていなかった。理性は近づくな、早足で歩けって警告してたのに。

「なに言ってんだ?おれに逆らうっていうのか?」凄みのある男の声が聞こえてきた。

「約束は約束だ。おまえに逆らうんじゃなくて、約束だから渡せって言ってるんだよ」あきれたような声で答える男の声。

 あれ、この声なんか聞いたことがある気がする。でも、わたしは誰の声なのか思い出せないでいた。

「金持ちの息子だからっておれにそんな口きいていいと思ってんのか?」もう一人が言った。

「どんな口きこうと勝手だろ。さあ、約束を果たしてくれ」

「まったく、しょうのねえ坊ちゃんだな。おれの警告を無視するっていうのか?」

 わたしはそこでその道の前に差し掛かった。結構広い通りだ。わたしはわざと歩調を遅くして歩いた。ちらっと見てみると、体格のいい男三人に少年が囲まれていた。少年の顔は見ることができない。その子も背は低い方じゃなさそうだけど、男たちの背が高すぎるのだ。男の中で中央にいる一番偉そうにしている人とその少年が話しているらしい。

「渡さなければ後悔するのはそっちだ。だが、渡せばこれをやろう」少年が手を上げた。そこには大金といっていいほどの額が握られている。

「仕方ねえな。ほらよ」男がなにかを少年に手渡した。そして立ち去るような動きを見せた。

「待てよ。話はまだ終わっちゃいない。この間言っていた話を聞かせてもらわないと」少年が呼び止めた。

 男たちがざわついた。その話というのは何か重要なことらしい。教えていいものか協議しているようだ。同時に、少年を囲んでいた輪が解ける。

 少年が顔を上げた。わたしは思わず、息をのんで立ち止まってしまった。そこにいたのはジェームズ・ティルベラーだった。

 彼は貴族の息子らしくない服装をしている。どこかですれ違っても不良だとしか思われないような服装。それに、学園で見る時のような穏やかで何にも興味を示さない表情じゃなくて凄みがあって怖い顔。しゃべり方も育ちのいい人のそれじゃなかったし、立ち方も全然いい子らしくない。学園で見ている優雅な立ち振る舞いとは大違いだ。

 でも、第一に彼がここにいるわけが分からない。それに、どうしてこんな危険そうな人たちと取引をしているのかも。いままでどこからどう見ても模範少年のような立ち振る舞いをしていたのは演技だったの?学園で人を寄せ付けないのもいくら騒いでいても生徒はいい子でつまらないと思っているから?そんな考えが頭をかすめた。

 彼がこちらを向いた。怖い表情だったのが一瞬、驚愕の表情にとってかわった。わたしが誰なのか知っているの?たしかに同じクラスにいるけど、彼は後ろを向いたことがないし、わたしたちには興味も示さないじゃないの。目は合ったことあるけど、ずいぶん前のことだし、彼は忘れてるに決まっている。

 彼と目が合った。彼はわたしが考えていることが分かったらしい。気まずいというような顔になった。そして、なぜか、わたしにも彼の考えていることが分かった。

「どうしてこんなところにいるんだ?危険なところだぞ」彼はそう思っている。

 彼が三人組に視線を移した。彼らはまだ、話し合っている。わたしはそこで固まって動くことができずにいた。それから彼はわたしに視線を戻すと、声を出さずに口を動かしてこう言った。

「行け」

 呪縛が解けたようにわたしは動き出した。でもまだ、彼の方を見つめることをやめられない。彼はちらちらと三人の動きを確認しながら、わたしの方を見続けていた。彼はわたしがいたことをどう思っているのだろう?

 映画館への残りの道はジェームズ・ティルベラーがなにをしていたのか、どうしてあそこにいたのかを考えてろくに周りを見ていなかった。


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