翌日からもジェームズ・ティルベラーはクラスにいた。もちろん、転校してきたのだから当然のことだが。でも、ティルベラー侯爵家の息子と同じクラスなんていまだに信じられない。しかも初日に目が合ってしまったなんて。

 彼はまったく後ろを向かない。授業を集中して受けていて、普通の男子みたいにふざけたりしないし、女子が気を引こうとして何をしても反応しない。休み時間になっても移動がなければ読書をしているか、教室にいる必要がなければ残って話もしない。話しかけられると丁寧に答えるだけ。迷惑そうにもしないけど、自分から話しかけたことは一度もない。すぐにさっさとどこかに行ってしまう。あれだけの権力がある家の息子だというのにこんなに模範的な少年だなんて。いや、模範的じゃなくて人に興味がないだけかも。甘やかされている感じも傲慢な感じも少しあるというのに。本当に不思議だ。

 彼に対する興味はあったが、それはもう一度目が合ってあの時感じたことが本当なのか、思い込みなのかを確かめたかったからだろう。残念ながら彼は孤児には見向きもせず、わたしと目を合わせることはなかった。孤児なんて、存在を無視しているのだろう。模範少年に見えても、孤児を歓迎してないのかもしれない。それどころか、自分に合う身分の子はここにいないと思っているとか。

 彼が転校して最初の週が終わるころには、わたしも目が合ってほしいなんて望みは捨てることにした。寄宿生の子たちも彼の気を引くのは無理だとあきらめたようだ。男子もつまらないやつだと思うようになり、彼の周りには人がいなくなっていた。これだけの身分とルックスがある人に不可能なことはないように見える。彼が望んだことに違いない。

 次の週も彼は変わらず、クラスも彼が転校してくる前と同じ状態になっていた。ジェームズ・ティルベラーはいないも同然。授業を受けるだけで、クラスメートとしての彼は存在していなかった。

 金曜日になった。今週末は寄宿生の親が面会に来るか、寄宿生は家に帰ることができる。もしくは学園の外の街に出かけて買い物をすることも。孤児だって外出することは禁止されていない。ただ、買い物のためのお金がないため、出かける人はとてもすくないのだ。何も買えないのに、出かけて惨めな思いをしたくない。

 ところが、今週末は違った。

「エマ、あなたに届いたものです」授業が終わり教室から去ろうとすると、ミセス・ガルレッドが呼び止めた。「前の孤児院からのものでしょう」

「ありがとうございます」わたしはそう言って受け取ると、急ぎ足で部屋に戻った。なぜか、ミセス・ガルレッドはわたしに仕事を言いつけようとせず、部屋に返してくれた。包みを開けたいというわたしの好奇心を考慮してくれたのだろう。普段はきついのに、意外と優しいところもあるじゃないの。

 孤児の暮らす廊下に来ると、人はほとんどいなくなった。それもそのはず、みんなまだ仕事をしているのだ。今日は早く部屋に帰れて運がいい。包みを開けた後は図書室か、池のところに行けるかもしれない。

 部屋に入ってドアを閉めると、わたしはベッドの上に包みを置いた。包装を破って中身を引っ張り出す。

 中に入っていたのは手紙と封筒。わたしはまず、手紙を開いた。

  親愛なるエマ

 元気にしているかしら?わたしは孤児院で忙しく働いています。なかなか手紙を送れなくて申し訳なく思っているわ。でも、あなたが楽しくやっているとわたしは願っています。

 学園の勉強はおもしろいでしょうね。ベスやメロディ、ソフィは元気にしていますか?今年、うちの孤児院から行った子たちは?学園にはほかの孤児院からも生徒が来ているだろうけど、その子たちとは仲良くしている?

 わたしがベス達でなくあなたに手紙を送ったのは、あなたには将来、話さなければならないことがあるからです。それは前にも言ったように、まだ話せません。しかし、話せるようになった時のために、わたしはあなたと連絡をとれるようにしたいのです。

 お返事を下さい。その時には学園の様子を細かく教えてね。

 あなたのことをいつも気にしています。

                        キャサリン・アヴィエラ


 追伸  一緒に入っている封筒の中身はあなたとルームメイトで使ってください。わたしからの遅れた進級祝いよ。

手紙はミセス・アヴィエラからのものだ。この学園に入学してから初めての手紙に少し感動してしまった。できるだけ早く、返事を書かなければ。話したいことはいくらでもある。授業のこと、設備の整った図書室のこと、ほかの孤児院から来た子たちのこと。仕事をしなければならないことをミセス・アヴィエラは知っているのかしら?知らないのに言ってしまったら心配するかもしれない。これを書くのはやめておこう。

 そこまできて、わたしは封筒のことを思い出した。ミセス・アヴィエラは経済力もある。孤児院を経営しているし、上流社会にも顔を知られた人物だ。その彼女が送ってきてくれたものなら、何かいいものに違いない。

 わたしは封筒をそーっと開いた。雑に開けるのは気が引ける。大事なもののように思えてしまうからだ。

 中身はいくらかのお金だ。学園の寄宿生にはたいしたことのない額かもしれないけど、孤児が持つことあまりないほどの額。進級祝いにはちょうどいいのだろう。しかも、タイミングも最高だ。明日は町に出かけられる週末なのだから。ミセス・アヴィエラはこの日のことを知っていたのかしら?どっちにしても、素晴らしい贈り物だ。

 わたしは封筒と手紙を自分の唯一鍵のついている引き出しに入れた。

もうすることがない。こんな時間から自由だなんてめったにないことだ。池に行くのもいいが、図書室に行くのが一番いい。最近行ってなかったし、新しい本を探しに行きたかったところだから。

廊下を出ると、さっきとは反対の方へ曲がった。この廊下は普段使われることがない。孤児の部屋と図書室をつないでいるような廊下だ。なぜこんな廊下があるのかは不明だが、これのおかげで先生たちに見つからずに図書室に行くことができる。便利なものだ。だけど、この廊下を使う人はとても少ない。わたしとメロディ以外の人が使っているのかも分からないところだ。なにしろ、孤児は忙しくて本を読む余裕がある人は少ないし、本を読むことが優先順位の上位に来る人も少ない。この廊下はわたしとメロディの専用通路になっていた。

図書室に入ると、いつも通り、人はまったくいなかった。寄宿生で本を読む人もそうそういない。寄宿生は男子はふざけて遊んでいるし、女子はおしゃべりして何もしない。親に言われて入った学園だ。勉強も最低限、読書なんてしない。好きなのは遊ぶこと、噂話ってところだ。こんなにいい図書室があるのにもったいない。

わたしは長いこと本の棚を眺めて何を読もうか考えていた。いろいろな本を手にとった後で、目に入ってきたのは《三銃士》。この本は何度も読んだことがある。アレクサンドル・デュマの大作。ダルタニヤンとアトス、ポルトス、アラミスの4人の近衛銃士の冒険。ルイ十三世の時代のフランスだ。

新しい本を探そうと思っていたが、これがいい。いつ読んでも飽きない作品だ。わたしは本を手に取ると図書室をあとにした。もうだいぶ時間がたっている。部屋に戻ってベス達を待っていたらすぐに帰ってくるだろう。

部屋に戻って30分後、ベスが帰ってきた。

「エマ、今日は早いのね。わたしも相当早く帰れたと思ってたのに」荷物を片づけながらベスが言った。

「先生に何も言われなかったのよ。だから図書室にいたの」本を閉じるとわたしは答えた。

「いいな。わたしは厨房の手伝い。ミセス・ウェストヴァンがお菓子をくれたからいいけど」

「よかったじゃないの。わたしの分もある?」ベスの方に身を乗り出した。お菓子を探すそぶりを見せる。

「もちろんあるわよ。ないと思ったの?」ベスはカバンから焼き菓子を出した。

「まさか。ミセス・ウェストヴァンはそんな意地悪じゃないもの」

「その通り。ほんと、優しいよね」ベスは相槌を打つと、課題を始めてしまった。

 わたしよりもベスの方が課題の量が多い。1つ年が違うとこんなに変わるのかってくらい。話したい気もするけど、話しかけるのは悪い気もする。だから何も言わないでおいた。

 15分後、メロディとソフィが一緒に帰ってきた。

「ただいま」ソフィがベッドに身を投げ出しながらうなった。

「疲れてるようね。なにをしてきたの?」わたしはベスが課題を始めてからまた読んでいた《三銃士》を閉じると、質問した。

「教材室の棚の整理」メロディもぐったりした口調で答える。「棚が散らかってるし、重い物ばかりだし、いつまでたっても終わらなかったわ」

「それはお気の毒」気がつくとベスは課題を片づけてベッドに座っていた。

「ほんとに疲れた」ソフィがまたうなる。

「それはそうなんだけど、みんな明日って何か予定ある?」わたしは帰ってきてからいつ言うか考えていたことを口にした。

「ない」3人の口が同じ答えを言う。「なに考えてるの?どこか行ける場所なんてないんだし」っていうみたいに。

「それじゃあ、街に出かけない?」どんな答えが返ってくるんだろう?そう考えながら聞いてみた。

「いいけど何も買えないし、どこにも寄れないよ」ベスが答えた。

「それがね、ミセス・アヴィエラから手紙が届いたの。それと一緒にお金も入ってたのよ」

「なんですって?」ソフィが叫んだ。「冗談言ってるの?ミセス・アヴィエラは1年以上、連絡をくれなかったじゃないの」

「そうなんだけど、今日、ミセス・ガルレッドが小包をくれたの。中には手紙とお金の入った封筒が入ってたのよ」わたしは引き出しの方に行きながら答えた。

「うそでしょ。その手紙はどこ?読ませてよ」ベスが言う。

「ごめんね。手紙はわたし宛だったの。だから見せられないわ。でも、みんなのことも気にしてて、お金はみんなで使うようにって」わたしは後ろめたさを隠そうと、引き出しをあける手元に集中した。手紙は見せたくてたまらない。でも、見せるとわたしの両親をミセス・アヴィエラが知っていると気づかれてしまう。孤児に伝えることって両親について意外何がある?

 みんなはそれを知っても何も言わないだろうが、内心傷つくはずだ。わたしだけそういうことを教えてもらえるかもしれないなんて。いままでみんなで慰め合ってきたはずなのに。それだけじゃなく、わたしのことをうっとうしく思うかも。そんなことはないと思うけど、絶対とは言い切れない。そんなことになるなら、手紙を見せない方がいい。見せないでいらつかれる方がまだましだ。

「なーんだ。教えてほしいのに。残念だけど、気にしてくれてたならそれでいいや」ベスが不満そうに言った。

「ごめんね。それから、お金ならここにあるわ。ふつうに買い物すれば、4人で使うにも多すぎる額よ。明日は楽しくなるわね」

「それはよかったわ。ランチをして買い物しましょう。本屋も行きたいわ」メロディがうれしそうに言った。

「本屋はエマと二人で行ってよ。その間だけ違うところにいるから」ソフィが顔をしかめた。ベスもそうだというふうにうなずく。

「たまになんだからいいでしょ。みんなで本屋にも行きましょうよ。ほかのところにもね」わたしはそう頼んだ。せっかくなのに、別行動なんてつまらない。

「エマが言うならいいよ。でも、今回だけだからね」ベスが念をおす。

「今回以外にいつ出かけられるっていうの?」ソフィがため息をついた。

「そう悲観しないで。今回、出かけられるんだからそれでいいじゃないの」わたしは言った。

「そうね。今回出かけられるので十分だわ」ソフィが納得したように答えた。

「明日は出かけられる一番早い時間から一番遅い時間まで街にいようよ」ベスが提案した。

「もちろんよ」わたしはにっこりと答えた。

 明日は久しぶりに楽しくなりそうだ。


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