そのろく 「いま、もう一度前へ」

 太陽が真上に立ち上り、雲一つない空から陽射しを浴びせている。しゃがんでいるシダラの髪を赤く照らした。

 川の水を汲んだエルフの青年が見える。肩にかけた木の棒を支点に、二つのバケツを運んでいた。村の中心では数人の男が祭壇の補修作業に当たっていた。

 シダラは暇つぶしにエルフの村を見渡している。初めて出会ったファリオとハサキは軽鎧を着ていたが、それ以外の住民は薄着を好むようだ。陽の光が白い肌を輝かせていて、中々に綺麗な光景だ。などと、考えていた。ふと、その少年の視線に気が付いた。彼はシダラのすぐ後ろ、物陰からこちらを覗いている。

「おう、こんにちは」

 振り向いて、薄く笑いながら声をかける。しゃがんだ姿勢のまま両ひざに腕を置いているシダラは、なかなか柄が悪い。

「おうっ」

 一方、少年は驚愕のあまり仰け反っている。シダラは首を傾げた。それから少年は背を向けてもじもじし始める。

雷の君いかづちのきみはなかなか粗暴わいるどなふるまいをされます。しかし、ビビっていてはいけません。ぼくよ、たちむかうのです」

 自分を鼓舞しているのが、大きな独り言によって筒抜けになっている。

「ヨシ!!」

 両手を握って鼻息を荒くし、再び振り向く。そこにシダラは居た。ただし、いつの間にか距離を詰めて、少年に影を落としている。

「よう」

「よーうっ!?」

 驚きのあまり跳び上がって、尻餅をついてしまった。あわあわと忙しなく動く口は言葉を紡がず、長い耳が生えた頭を激しく横に振っている。

「ご、ごめんなさい! べないで! ぼくはおいしくないとおもわれます」

「食わねえよ。俺をなんだと思ってるんだ」

雷の君いかづちのきみ、ですよね」

「あ?」

 心当たりの無い名詞にシダラは首を傾げる。しかし、無意識に漏れた声がまた粗暴で、少年は更にビビり倒している。

「あーんっ! 食べないで! 僕よりお母さんの方がおいしいのです」

「母親差し出すなよ。……で? 雷の君ってなんだ。怒らないから教えて見ろ」

魔物まものです!」

「誰が魔物だ!」

 チョップ! シダラの手刀が少年のつむじを割った! 子供は目玉が飛び出さん勢いで目を見開き、小さなおててで頭を庇う。

「あたぁ! おこらないって言ったのに」

「言ってねえ」

「がーん! うそだ」

 少年は涙目になりながらに卑劣を訴えるが、シダラは鼻を鳴らして見下している。少年はやがてぐずぐずと涙ぐんだ。

「やっぱり魔物まものなんだ。だからこんな、ずるい手段しゅだんもちいるんですね」

「ガキのくせに堅苦しい言葉が好きなんだな」

「ガキじゃあありません。ルースという、名前おなまえがあるのです」

 少年ルースは痛みを忘れ、誇らしげに胸を張った。

「そうかい。じゃあルース、なんで俺を見てたんだ」

「そ、それは。あなたが本当に雷の君いかずちのきみなのかたしかめたくて」

「見たことあんのか? 雷君いかづちくん

雷の君いかずちのきみ、です! ……みたことはないです。けど、きっとトサカは茶色ちゃのいろ……いや、あかで、めつきはするどくて、マントを羽織っててきて

「だから俺だろうが」

「うわーっ」

 右腕を上げると、ルースは両手で頭を庇った。

「ですが、予感よかんがしたのです。いかずち魔物まもの打ち払ううちはらう。けど、そんなことができるのは神様か魔物まものしかいないと思うのです」

「予感? 予知能力か?」

 予期せぬルースの告白に、シダラは首を傾げる。先の事を予知する魔法は無い事にはないが、かなり高位の魔法だ。エルフとは言え、このような子供に到達できる高みではない。

予知よち? よくわかりません。でも、貴方あなたはほんとうにきました。おそとの世界せかいからここにきて、たすけてくれました。だから、その」

 この子にも、その能力の正体がわかっていないらしい、と言うことはわかった。ルースはまたもじもじし始めて、シダラは何となく言いたいことを察した。

「ありがとうってか?」

「そう、ありがとう……はっ!? どうしてわかったのです? まさか、たにんのかんがえがわかるのですか」

 驚きのあまり目と口を大きく開けて、慄いている。シダラは意地の悪い笑みを浮かべた。

「くっくっく。雷の君ともあれば、楽勝よ」

「ああっ、やっぱり。おそろしい魔物顔まものがお

(もう一発やったろか)

 右腕を伸ばすと、ルースは怯えて頭を庇う。そこへ、ぽんっと手を乗せて頭をなでてやると、少しずつ警戒を解いた。

「な、なぜぼくのあたまを」

「偉い、と思ってさ。ちゃんとお礼が言えるなんて」

 小さな頭は俯きがちで、撫でられることに抵抗が無い。そのうち、小さな口が動いて何かしゃべり始めた。

「そうなのですか。ぼくは、物覚ものおぼえがあまり良くなく、母様ははさまにいつもしかられていますが、それでもえらいのですか?」

「叱ってもらえるだけいいじゃねえか。俺は見てもらえなかったぜ」

 言いながら昔を懐かしむ。ああ、そういえば。褒めてもらった事も、叱られたことも無かったな。

「……雷の君いかずちのきみ。さみしいのですか」

「え?」

 ルースはこちらを見上げている。丸い大きな瞳がちょっとだけうるんで、その水晶のような瞳の中に戸惑う自分の姿が映っていた。

「そんなんじゃねえよ。ったく、お礼は受け取ったから、もう行きな」

 乱暴に背中を押してやると、ルースは転びそうになりながらもしっかりと堪えた。それから一度こちらを振り向いたが、「母様ははさま~!」と叫びながら走っていった。

 

 シダラはしゃがんだままその小さな背中を見送った。膝の上で肘をついて、小さく微笑む。

「へっ。子供、か」

「かっわいいね~」

「いっ!?」

 いつの間にか後ろに立っていたナギが相槌をうつと、シダラはひどく動揺した。

「居たのかよ!?」

「子供好きなんだ」

「ちっ。そんなんじゃねえよ。ただ、思えば子供と話す機会なんて今まで全然なかったからな。新鮮だっただけだ」

 何かと言い訳しながら立ち上がる。好きとも嫌いとも言いたく無いらしい。

「で、用意は良いのか?」

「うん。待たせてごめんね。おじじ様はなんて?」

「色々警告されたよ。あと、ちゃんとした装備ももらった」

 両手を広げたり、背中を見せたりして装備を見せた。

「おおーっ。魔導士っぽいね」

「ま、こうでなくちゃ、な」

 シダラにしては珍しくはしゃいでいるように見える。ナギが思った以上に、魔導士としての身なりにこだわりがあったらしい。

 しばらく見守っていたが、ふと目が合うとシダラは落ち着きを取り戻す。それから、少しずつ神妙な表情になっていった。

「……なぁ、ナギ。その」

「ん?」

 声色まで改まっている。恥ずかしがっているというか、自身が無いという素振りだ。

「おじじと話してみて思ったんだけど。もしかして、俺って生きるのが下手って言うか……」

「うん」

 頷くことで肯定の意を示した。

「難しい生き方をしようとしてるって言うか……」

「うん」

 再び頷く。

「……だよな」

 がっくり。肩を落として項垂れてしまった。

「もう懲りた? 辞める?」

「いや、辞めねえ。ていうか、辞められないと思う」

「そうだね。私もそう思うよ。不憫だねえ」

 両手を腰に当てて、ケタケタ笑っている。そんな彼女がこ憎たらしく、シダラは歯噛みした。

「ま、当分は私がついてますので。頼りにしちゃってくださいよ、シダラ君」

「いつでもどっか行っていいからな」

「そういうこと言うなーっ!」

 そんな会話をしながら、二人は荷物を背負って村の端へ歩いていく。そこには、二人のエルフが待っていた。ハサキとファリオである。ハサキの方は出会った頃と同じように、軽鎧に弓を背負って戦いの装備を整えていた。その上で布で包まれた長い棒状の物を持っている。先端が膨らんでいる形状から見て、中身は魔法の杖だろうか? こちらを見つけるや、ハサキは鼻息を荒くして近づいてくる。

「遅いぞ」

「ハサキ、それ杖か?」

 おじじが話していた事を思い出す。後で杖を用意してやると言ってくれていた。

「そうだ。見よっ」

 バサッ! 布が風に煽られて飛んでいく。現れたのは、深い茶色の木で出来た両手持ちの大きな杖だ。先端に埋め込まれた緑の宝玉が日の光を吸収して美しく輝いている。

「おいおい、こんなもん貰っていいのか?」

「わ、私にもわかるよ。これ、相当な品じゃない?」

 魔法の知識のないナギさえ狼狽えた。品と呼んでしまうあたり、商人の性質が出ている。

「ヒトの市場など知らん。だが、礼と親愛を込めて、だそうだ。随分気に入られたな、シダラ。それに、ナギ」

「ん? ナギ、おじじに気に入られることしたのか?」

「シダラ! 様をつけろ」

 ハサキの吠えたては当然のように無視する。

「もともと知り合いだったし、祈祷教えてもらった時に仲良くなったよ」

 クルルァー。ナギの奇声と奇行が脳裏をかすめる。深く思い出すと致命傷になりそうだったので、思考を辞めた。

「あ、あー……聞かなきゃよかった」

「受け取ってくれ。我らの恩人に、遠慮は相応しくない」

 がっくしと項垂れるシダラ。そんな彼等に口を挟んだのはファリオだった。その手には、ハサキが投げ飛ばした布を持っている。見つめ返すと黙ってうなずくので、シダラはその意に従って杖を受け取る。思ったほど重くなく、それでいて手によく馴染む。見た目以上に質の良い杖だった。

「良い杖だろう?」

「ああ。これなら、思う存分魔法も使えそうだ」

「そうか」

 ファリオの細い目が柔和な笑みを浮かべる。二人は、彼が笑う所を二人は初めて見た。厳格な態度からは想像できない、かつては娘に向けられた優しさに満ちた笑顔だった。

「これからどこに向かうんだ?」

「南西のテムスレグナムに行こうと思ってる」

「ふうん。だが、南西と言うより殆んど南だな。道はわかるのか?」

 二人は顔を見合わせる。この村に立ち寄るつもりもなかったので、コースが逸れてしまったのは明白だった。

「まあ、南に歩けばそのうち街道にも当たるだろうし……」

「あー、こほんこほん。道案内がいた方が確実ではないか」

 不自然に咳込みながらハサキはそう提案すると、二人は小首をかしげる。察しが悪い二人に、ハサキは痺れを切らして言った。

「僕が案内してやると言っているんだ。感謝しろ」

「マジ? 良いのか? こっちとしてはありがたいけど」

 シダラが喜んで聞き返すと、ハサキは急にそっぽを向いてしまった。

「か、勘違いするなよ。森は深いし、遭難して死なれても目覚めが悪いからそうするだけだ。別に、お前たちの事が気に入ったり、外の世界に興味があるわけじゃないんだからな」

((わ、わかりやすっ))

 二人の心の声がシンクロしている。が、ここは口には出さずに適当に頷いておく。そんな二人の心情を察したファリオがふっ、と笑った。

「ハサキはまだエルフの中では若者だが、森に愛されている。コイツがいれば静寂の森ラ・フェイルの中で迷うことはあるまい」

「わかった。ありがたく借りていくぜ」

「シダラ! 僕を物のように扱うな!」

「目覚ましには都合がよさそうだな」

「煩いと言いたいのか!?」

 怒るハサキとそれをかわすシダラ。そんな二人は、つい昨日に殺意を向けていたことなど忘れた友人の様でもあった。ファリオはそれを感慨深く見つめている。それに気づいて、ナギはそっと近寄る。

「ありがとう、ファリオさん」

「なんのことだ」

「いろいろあるけど、やっぱりシダラを助けてくれたことかな」

「礼を言うのはこちらのほうだ。大したものだ、お前たちは。……憎み続けるのにも、飽きてきたところだった。ヒトそのものを許すつもりもないが、楽しい方が良いに決まっている」

「でしょ? だから、ついていくんだ」

 陽の光に赤く照らされた彼の髪が、エルフの若者と戯れて揺れている。それを見つめるナギが心底楽しそうで、ファリオはため息交じりに苦笑した。


 ……ててててて。砂を蹴る軽い足音がしたのでファリオは振り返った。村で一番幼い子のルーンだ。少年は両手で何かを大切に抱え、走っている。

「どうした、ルーン。母様と一緒じゃないのか」

 きききーっ。近くで急ブレーキをかけると、息を乱しながら周囲を見渡した。小さく長い耳がぴょこぴょこ動いている。

母様ははさまはおひるねちゅうです。それより、雷の君いかずちのきみは?」

「誰のことだ」

「このむらをすくってくれた、あかいトサカのものです」

「トサ……ふふっ」

 独特な呼称にファリオは思わず吹き出してしまった。どうも、奴等と出会ってから陽気になってしまっていけない。

「もう村を出たぞ。ついさっきな」

「なんですって。

 しまった、と言いたいのだろうか。不思議な言葉使いが微笑ましいが、彼の母親が頭を抱えているのもわかる気がする。

「せっかく僕の宝物おたからをみせてあげようとおもったのに」

 ごとり、と地に置く。それは赤褐色の粘土で作った置物だった。丸い筒状の身体にくねくねした手が生えたなんとも奇妙な、しかし愛嬌のあるルーンの傑作である。

 粘土で形を作り、焼いて硬くした置物を飾るのはこの村の伝統で、ルーンは幼いながらもその造形に才を見出そうとしている。……と言うのが、彼の母親の弁。彼女は息子が勉強が苦手な分、なにか得意なことを探してやろうと必死になっていた。

 実のところ、ルーンには不思議な予知能力が備わっているのだが、不思議な言葉使いも相まって虚言壁としかとらえられていない。この才能が見いだされるのはまだ先の話だ。

雷の君いかずちのきみはなかなかみどころがあるものでした。ですが、なんだかさみしそうだったので、貢物ぷれぜんとをしてあげようかとおもったのです」

 俯いて宝物を見つめる。ルーンにはその宝物を通して、雷の君シダラの寂しそうな表情が浮かんだ。同情し、泣きだしそうになっている。

「生きてさえいればまた会える」

 ぽんっ。彼の頭に置かれた手はごつごつしていて、重くて、優しい、父親の手だった。

「それにアイツは独りじゃない。仲間が一緒だから寂しくなんかないさ」

「ほんとうですか!? よかった~」

 雷の君かれが寂しくないと知ると、自分の事のようにルーンは喜んだ。宝物を持ち上げると、彼等が去っていった森に向かって掲げた。それが重くなると、彼は「母様~!」と叫びながら村に帰って行った。

 忙しなく走り回る子の背中に、我が子を想起する。これでよかったんだろう? 思い出に問いかけても、彼女は何時ものように笑うだけだ。

 陽は高く昇り、ファリオの影は風に揺れている。影はその表情を知ることは無いが、彼の口元が緩んでいることを太陽は知っている。

 森は今日も陽の光を遮り、薄暗いだろう。だが、彼等はそれでも進むのだ。過去の傷を身体に残しても、力強く歩みを進める彼が眩しい。しかし、立ち止まっていても仕方がない。

 遠くでルースの母がこちらに頭を下げている。なんてことは無い、と事情を伝えて、少しでも彼女の心の負担を減らしてやろう、と思い立つ。

 ファリオは一歩を踏み出した。


 

 ……続く。

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