そのご 「エルフの森のお|爺《じじ》様」

 エルフの村は静寂ラ・フェイルの森の一角を切り開いて作られた。

 崖上から見下ろすことで全貌を容易く見渡すことができ、だからこそ彼等は常にヒトによる侵攻を危惧している。

 村の中央にある祭壇は昨日の魔猪の攻撃で破壊されてしまったが、それ以外の建物はさほど被害を受けずに済んだ。燭台の灯が燃えた家も消化が早かったので、被害はその一軒で済んでいる。魔物はあくまで人間を狙うというが、今回もその例に漏れなかったようだ。

 立ち並ぶ木造建築の住処をいくつか通り過ぎて一際大きな家に着く。そこが、おじじと呼ばれる長老の住処だった。大きいだけでなく、家の玄関と思わしき扉がある。先ほどシダラが目を覚ました住処がのれん程度だったことも考えて、一段上の生活様式であることは間違いない。

「~~~ャ~~~~、ァ~~~~~~」

 扉の中から聞こえてくる奇声に、シダラは足を止めた。呪文のような不明瞭な言葉を、印象的な伸びる声で叫んでいる。

「なんか聞こえるんだけど」

 ここまでずっと、ナギとシダラについて質問攻めを続けていやハサキも、その声に気が付く。

「ああ、祈祷の最中なんだろう。待っていたら日が傾くぞ」

「けどよ。……入んなきゃダメ?」

「ダメ」

「グ……」

 観念して、シダラは扉に手をかける。其処で動きが止まったので、見かねたハサキが手を重ねて扉を押し開けてしまった。

「クルルァ~~、チャンタラ~~~~~」

 扉の隔たりを失った奇声が、一層大きく耳に響いた。シダラの目に飛び込んできたのは異常な光景だった。薄布の服に身を包み、手足首頭に木や宝石の呪具を身に着けた老エルフが、枝葉の付いた木の枝を振り回している。初見なら気絶してしまいそうな迫力だったが、幸か不幸かシダラには免疫があった。

(ナギの奴、あれ正解だったのかよ!?)

 老エルフの足元をみれば、敷布の上で身を屈めたエルフがその祈祷に対し祈りを捧げている。どうやら彼女のための祈祷らしい。時折木の枝が髪を触り、美しい銀の頭髪が右へ左へ動かされているのがシュールだった。

 ばしっばしっ。というか、頭を叩いているようにも見えるし、音もしている。心配になってきたので隣に立つハサキに耳打ちをした。

「なあ、痛そうなんだけどあれ大丈夫か」

「痛くないぞ。信仰心があれば」

「根性で耐えてるだけじゃねえか!」

 んばしっ! いい当たりがして良い音が鳴った。今まで不動だったエルフが、一瞬頭を下げた。

「……ぃたぁ~りがとうございます」

「いや、無理ある。無理あるぜ」

 すると、おじじは目を見開き、虚空に枝を突きつける。そして、唾を吐く勢いで裂帛の気合を放った!

「破~~~~~ッ!」

「うわっ!?」

 シダラは驚いて声を上げる。そこには、黒い靄のような、影の集合体ともいうべき存在が虚空にその姿を現した。

「消えよ、怨霊!」

 枝葉を風になびかせて一振りする。気合を当てられた影は、霧状の身体を霧散してしまった。シダラは呆気にとられたが、異変に気が付いて身を屈めているエルフに駆け寄る。彼女は全身の力が抜けて身を横倒しにしてしまいそうだった。そこをシダラが支える。

「だ、大丈夫か?」

「貴方は……」

 玉のように美しい白い肌に大粒の汗が滴っている。誰もが魅了されてもおかしくない艶やかな光景だったが、シダラにそれを気にする余裕はなかった。

「お主がシダラか」

 しゃがれた聞き取りにくい年寄りの声に振り向くと、声の主はおじじだった。先ほどの奇声は腹にたまる迫力のある声だっただけに、同一人物とは思えなかった。

「その娘なら心配はない。付き物を払うのにを散らしただけだ。そこに寝かせてやりなさい」

「そうなんだ。よかったな、アンタ」

「はい。……ありがとう」

 消え入るような小声で礼を述べながらエルフの女性は深い眠りに落ちた。シダラは彼女をそっと寝かせると、立ち上がった。

「そちらの要件の前に、礼を言わせてくれ。俺の事を助けてくれてありがとう」

 言いながら頭を下げる。

「うむ。こちらこそ、村を救ってくれたことに代表者として感謝を申し上げる」

 おじじもまた、ゆっくりと頭を下げた。素直な感謝だったが、後ろめたい事情があるだけにシダラはそれを真っすぐに受け止められなかった。

「いや、元はと言えば俺が」

 事情を自ら明かそうとしたが、おじじはそれを笑顔で遮った。

「話はナギから聞いている。その上で村は貴方に感謝することにした。ハサキが熱心に訴えるので情が転んでしまったのだ」

「お、おじじ! 余計なことを言うな」

 ハサキは顔を上気させあたふたしている。シダラと目が合うとはっとして、目を逸らした。

「か、勘違いするなよ。村の近くでヒトが死んだりしたら、オーライムが侵攻する口実になると思っただけだ。お前の為じゃないんだからな」

「そうかよ」

「だ、大体、本当に魔法学院の者じゃないんだろうな。もしスパイだったら最悪だぞ」

「そうだな」

「そうか、なら良い……って、なんだと!?」

 ハサキの反応が面白くて、ついにシダラは噴き出してしまった。揶揄われている事に気が付いてハサキはますます顔を赤くする。

「くっ、もういい! 要件があるのはおじじなんだ、僕はこんな男に用なんかない。シダラ、森に嫌われてしまえ!」

 謎の捨て台詞を吐き捨てて、ハサキは扉の外へ出て行ってしまった。

「面白い奴だったんだな」

 出会った時の事を思い出す。二人は激しく言い合いになり、殺気を向けあっていたのが噓のようだ。

「かわいい孫なんじゃ。だが、身内の甘さを抜きにしても人を見る眼はある。……まあ、座れ」

 おじじは先に椅子に腰かけ、シダラにも座る様に促した。シダラも式布の上に胡坐を組む。

「ファリオが言っていた。ハサキが随分熱心にお前に助力を申し出る事を進言していたと。ヒト嫌いのハサキがそんなことを言い出すなんて、と驚いていたがな。儂にしてみれば、ハサキ以上にヒトを憎むファリオがそれを許したことが驚きじゃよ」

「……随分、憎んでそうだったよな。ファリオって奴」

 シダラは彼の事情を知らない。だが、相対した時の眼が深い絶望とそれを起因とする怒りを向けられていた事を覚えている。

「そうだな。それだけに驚かされた。お前には何か、惹かれるものがあったのだろう。ハサキやナギが必死になって助けたくなるような、何かが」

「……そんなんじゃないさ」

 自信の無さ故に称賛を受け取ることはできない。だが、本当にそうだったらどれだけ良いだろう。

古代魔法オリジンアーツを使ったそうだな」

 鋭い指摘にどきりとした。浮足立ちそうだった心が引き締まる。老エルフの目もとは彫が深く、分厚い眉毛が光る瞳を奥に隠している。

「紫の雷撃、即ち紫電。どこで習得した?」

 数百年の時を優に超えて生きる賢者の問いにシダラは唾を飲んだ。静かな迫力はただの問いかけを拒否権の無い尋問に変えてしまっている。

「魔法学院で。けど、望んでしたことじゃない」

 罪悪感に耐え切れず、言い訳のような言葉を連ねてしまった事に、自分で気づいて後悔する。賢者は僅かに間を置いたが、質問を続けた。

「誰の望みで紫電を手に入れた?」

「……それは……」

 一人の女性の泣き姿が浮かぶ。彼女に望まれるがままこの力を手に入れた。手に入れてしまった……。だが、彼女のせいにするのは、どうしても気が引けた。

「……っ」

 決別すると決めたはずだ。だが、言葉にならない。こんな所に来てもまだあの人が怖いのか!? 情けない、自分が許せない。だが、それ以上に自分に絶望してしまう。

 ぎりぎりっ。歯を食いしばる音がする。それにシダラ自信が気付いていない。彼の心の葛藤を察したのか、老エルフは光る眼光を瞼で遮った。

「最後に。君はこれからどうする。紫電の力をなんに使う?」

 その問いかけは、目を背け続けてきた課題そのものであった。

 紫電は他の魔法と一線を画す強大な力だ。一度術を唱えれば山を貫き、どんな魔力障害も意味をなさない。そんな力に運命を翻弄されている。

 魔法学院を抜け出した今、この力を自由に使うことができる。既に二回、立ちふさがる敵をこの力で排除してきた。これからもそうするのだろうか。一体何のために?

 紫電をどう使うのかという問いは、この旅の目的、ひいてはシダラの生きる目的に直結する。

 魔法学院やに復讐する? ……いや、そんなことは望んでいない。

 傭兵となり、金を稼ぐか? ……いいや。戦いを望んでいるわけではない。

 富や名声が欲しいのか。何か、何かしっくりこない。俺は、ただ……。

「俺になりたいんだ」

「なに?」

 予想していなかった返答に老エルフは目を見開いた。細かった目が丸々と大きくなっている。

「まだ、俺は俺が何なのかわからない。だから冒険をする。遠い場所に行って、見た事のない景色を見たり、知らない人に出会って話がしたい。そう言う事を繰り返して、きっと俺は俺になっていくんだ」

 自分の思いに気付くと、とたんに心が晴れやかになった。唖然としている老エルフを置き去りにして、シダラは語り続ける。

「質問の答えがまだだったよな。俺は生きるためにこの魔法を使うよ」

「今回の戦いはどう説明する? お前はこの戦いに参加する義務はなかった。死のリスクに近づくことは、生きるためにこの魔法を使うという主張と異なるが」

「同じなんだ。自分のしたい事ができないなら、きっと死ぬことと同じ。あの時、俺はから戦った。自分の思いに素直になることが、俺にとっては生きるってことなんだと思う。……たぶん」

 今まで自分の心境を語る機会に恵まれてこなかった分、自分の事なのに自信が持てない。けど、それも含めて偽りのない本心だった。

「そうか、そうか。それが答え。なるほどなぁ」

 おじじはそんな彼に微笑みを返し、ゆっくりと深く頷いた。

「ゴメンな、じじさん。ちゃんと答えられなくて……。俺自身、正解とかまだわかんないんだ。ただ、誰かに使われることに苛立ちがあって、そこから逃げ出したくて……」

 抽象的な言葉を並べている自覚があって、彼自身モヤモヤが拭いきれない。そんな若者を老エルフは許した。

「よいよい。何と答えても、それを咎めるつもりは無かった。だが、知っておいてほしいだけだ。古代魔法オリジンアーツは極めて危険な過去の遺物。破壊の力は災いを呼ぶ。その先にあるのは破滅だ。ゆめゆめ忘れることなかれ。お前は力の器である。それは何があっても変わらない事実。だが、同時にシダラでもある。切り離すことはできないが、両立もできよう」

「……うん。ありがとう、じじさん」

 微笑みと共にかけられた言葉は、優しい光だった。何もかも迷う暗闇の中で薄く輝き、少しだけ先が見えるようになった気がする。それで十分だ。シダラは、心の底から感謝した。

「それと。お前に刻まれた傷の話じゃ」

「ん? ああ……」

 老エルフが言う、シダラの背に見える紋様。話題に触れられることを嫌がり、シダラは元気のない合図血をするに留まった。

「お前はこの傷を魔法の発動体にしておるな。だが、辞めた方がいい」

 魔法の発動には、呪文と魔力、それに発動体と呼ばれる媒介が必要だ。発動したい術にもよるが、一般的には魔力を帯びた宝石や祈りを受けた樹木、それらを加工した杖や指輪がそれに該当する。

 シダラは自らに刻まれた傷を発動体として代用していた。だが、発動体は魔力の操作を助けるだけでなく、その負担を受ける役割もある。その反動を我が身で受ける事のリスクは薄々感じていた。

「紫電の魔力に耐えられる発動体など限られるが、自然躁術マニュピレイトアーツまでそれに頼る必要はない。後で杖を用意してやる、持っていくがよい」

「良いのか?」

「その傷は外法によるものじゃ。そんなものに頼っていては、いずれ身を亡ぼす。見て見ぬふりは嫌じゃからの!」

 老エルフは歯を見せて笑った。前歯が何本か欠けていて、逆にそれが親しみを感じさせる不思議な陽気さがあった。

「じゃあ、お言葉に甘えてやるよ」

 シダラもまた笑い返した。今まで自分から傷の話などしたことが無かったというのに、誰かが案じてくれるだけでこんなに心が温まるなんて。彼はこの時まで知る由もなかった。


 それからしばらく、シダラは此処に至るまでの経緯をおじじに話した。魔道を知る者として、ナギにはまだ話していない魔法の事も語った。おじじはそれをよく聞き、時に頷きと共に考えを話す。ファリオの娘、ハサキの従姉が魔法学院の関係者に殺されたことも聞かされた。思わず謝罪したシダラを、おじじは制止した。

「お前と話していると、賢者と呼ばれた兄を思い出す」

 会話の合間に、おじじは言った。伸びた白髭をさすりながら、遠い昔に思いを馳せている。

「まだ、魔法学院と接点があった頃は彼がよく魔導士に魔法を教えていた。あんな事が起こるまで、彼はヒトを信じていた。不和は解消されぬまま息を引き取ってしまったが、晩年までそれは悔しそうにしていた。彼にとって蓄えた知識を後進に伝え、それが広まっていくことに何よりの生甲斐だった。不変を是と捉えるエルフにおいて、随分異端であったが、我らはみな、彼の事が大好きだったよ」

 優しい口調は、おじじから彼に対する親愛の感情を感じられた。しかし、シダラは居心地の悪そうな佇まいとなる。それに気づくと、おじじは笑った。

「お前が責任を感じることは無い。お前が生まれる前の話じゃ。私はただ、神官として使者を弔っているにすぎんよ」

 心を見透かされて、シダラは顔を上気させる。彼は、魔法学院の関係者として遺族に責任を感じてしまっていた。客観的に見て自分とは無関係だと思っていても、なんだか自分が責められているような気がしてしまったのだ。

「恐らく君は、人一倍感受性が強いのだな。私の話を聞いて、親愛の情を読み取り、自分の立場に置き換えて、魔法学院を、己を責める。面白い発想の仕方じゃ」

「そ、そうしたくてそうしてるわけじゃないんだ。ただ……無意識に」

「よい、君の長所でもある。優しさだよ」

「……そんなんじゃないさ」

 照れが混じり、上手に返事ができないことが余計にもどかしい気分にさせた。おじじはそんな彼を見て、朗らかに笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る