そのよん 「変な奴」

 ナギは躊躇いなく穴に飛び込むと、魔猪の死骸の上でシダラを抱き抱えた。血色の悪い顔を覗きながら、目を覚まさない彼の名を必死に叫ぶ。

「シダラ、シダラ!」

 はっ、として言葉を失う。彼の口から赤い血が漏れていた。ナギはぎゅっと唇を噛んだ。紫電の魔法を使う前に、彼女はこうなることを案じたのだ。

「誰か手を貸してください! 信託魔法トラストアーツの使い手はいませんか?」

 懸命な呼びかけも虚しく、エルフ達の反応は鈍い。お互いに目を合わせて対応に困っている様子だった。

「ど、どうしたんですか? 信託魔法使いがいないなら、せめてここから出すのを手伝って……」

「その男が使ったのは古代魔法オリジンアーツだ」

 低い声に振り返る。ファリオは穴の淵に立って二人を見下ろしていた。冷たく威圧するような眼光にナギは怯んだ。

「古代魔法はヒトの欲深さの象徴だ。ただの魔導士ならまだしも、古代魔法の使い手とあれば決して村に入れる事はできん」

「そんな事を言ってる場合じゃないんです、この魔法は彼の心臓に負担がかかるみたいで」

 心臓に負担がかかると言うのは、ナギの想像だ。出逢って日の浅いこともあって、シダラからその魔法の正体を詳しく聞かされていない。だが、どちらにせよ心臓への負担というのは危機的状況の説明には有効な筈だ。事実、周囲のエルフ達のざわめきが大きくなっている。だが、ファリオの態度は冷たい壁のように付け入る隙を見せない。

「村を救ったからお前達を救えと? 俺は立ち去るように助言した筈だ。危険な魔導の使い手を救う道理にはならない。その者はいずれ多くの生命を滅ぼす。いや、既に誰か殺しているのでは無いか。己の目的のために」

 意地の悪い推論ではあったが、ファリオには確信があった。先程の衝突の際、彼はハサキを魔法で攻撃する事を躊躇わなかった。あのからはとても危険な、死の匂いがした。既にその経験があると見込むほうが自然だ。

 指摘は正しく、ナギは獣の神官モレーとの戦いを思い浮かべる。彼は、自分ナギを助けるためにその手を汚してしまった。その必要性があったとしても、彼はそれを正当化することができない。

「図星の様だな」

 冷たい声が降り注いで、ナギは我に返った。

「長老は言った。世界は歪み始めている。それを増長させるのがヒトだ。奢り昂り、数だけが取り柄の野蛮な種族。それに加えて危険な古代魔法の使い手であるならば、尚の事だ。我々はお前たちを救わない」

 ナギは眼を見開いて、顔を上げた。彼の言っていることは殆んどわからない。長老とやらが何を根拠にそう言ったのかも、古代魔法をそこまで危険視、憎悪する理由も。だが、明確に間違っている前提に気付いていた。

「この魔猪をここに飛ばしたのは私達です」

「……何?」

 予想していなかった事実にファリオは目を細める。

「ここに来る前にこの魔物に襲われて、逃げ惑っているうちに貴方達と出会った場所に居たの。でも、あの時はこんなに大きな魔物ではなかったし、崖から落ちて生きているなんて予想できなかった」

「言い訳だな。原因を作ったのがお前達なら、それに恩を感じる必要もない」

「じゃあ、どうしてシダラはここに来たの? 私の首に傷をつけられてあんなに怒っていたシダラが、貴方達の恩を欲しがると思う?」

「……」

 今度はファリオが黙った。大切な者を傷つけた憎むべき敵からの恩など欲しく無い。誰よりも自分が一番その心がわかった。

 ……その隙をナギは見逃さない。ここぞとばかりに言葉を畳みかける!

「それでも彼はここに来た。先を急ぎたい事情を抱えても、魔物を飛ばしたことに悪気がなかったとしても、感謝されなくてもここに来た。見返りが欲しいんじゃ無い、ただ、見て見ぬ振りが出来ないからここに来た! 貴方達を救ったのは、古代魔法でもヒトの驕りでもない! ただの優しさと正義感なんだ!」

 彼女が叫び終えると、静寂が場を支配した。腕の中でシダラは浅い呼吸を繰り返している。ナギは焦る気持ちを抑え、エルフたちの反応を待った。事情や過程がどうあれ助けを求める立場であることは変わらない。強引に押しても状況が好転しないことはわかっていた。

 エルフたちは完全に呆気に取られていたが、その視線は徐々にファリオに向けられる。森の戦士として経験と能力を頼りにされ、この場の誰よりも憎しみを募らせる彼がどう動くのか、それが自分たちの指標になると無意識に感じていた。彼の開きかけた口が震え、歯を食いしばる。あの冷徹な男が迷っている。エルフたちは何よりそれに驚いた。

 彼は彫像の様に動かなくなった。歯の浮くような台詞だと、心の中で唾を吐いてやりたかった。優しさと正義感、随分耳障りの良い言葉だ。魔物の凶暴化など予想ができなかったとはいえ、災いを運んだのはこいつらに間違いない。だが……。『見て見ぬ振りができない』という表現が、彼の心に刺さっていた。脳裏に浮かぶのは、花畑に咲く穢れの無い笑顔。70年の時を経ても何一つ色褪せない記憶の中の娘。聞く者を幸せにする優しい言葉と朗らかな声。

『世界の果てに、何があるのかな』

「止めろ……」

 呟く声がナギの耳にも届く。成り行きをじっと見守る。

『駄目だよお父さん。なんにでも興味を持たなくちゃ。小さな発見が大きな一歩に繋がるかもしれないんだから』

「違う、だからお前はあの魔導士に」

 記憶の中の幻聴に苛まれて、足が一歩下がる。

。ちゃーんと事実を見つめなくちゃ。自分の足を前に進めるために』

「自分の……足を」

 そこで幻聴は終わった。それでも動かない自らの足を見た。震えていて、とても前には進めない。

「俺には無理だ、お前のいない明日なんて」

「それでも進むんだ」

 自分の背を追い抜いていく若いエルフがいた。ハサキは軽やかな踏み込みと共に跳躍すると、一息にシダラの元へと降り立った。

 ハサキはナギと共にシダラに肩を貸し、その身体を立ち上げる。だが、意識を失った彼は重く、身軽なエルフでも抱えて跳ぶことは難しい。助けが必要だ。

「ファリオ、早くこい! おじじの元へ連れていく」

 じゃりっ……。 砂を踏みしめる音がした。気付いた時には、ファリオは自らの足で跳んでいた。

「ファリオさんっ」

 目を合わせようとしない彼に、それでもナギは礼を述べた。

「勘違いするな、俺は俺の為に肩を貸すんだ」

 ナギからシダラを預かると、ファリオが呟いた。

「僕もだ」

 ハサキも鼻を鳴らして同意する。ナギはそんな二人に微笑んだ。

「うん。シダラもそうだよ。自分の為に、誰かを助けたいんだって」

 二人はシダラを見る。暗い茶の髪に目元を隠されているが、その口元は僅かに笑っている。ファリオは目を細め、ハサキは首を引く。心底信じられない物を見る表情を浮かべると、二人は声が揃った。

「「変な奴」」

 

 ☆☆☆☆☆

 

 差し込んだ陽射しが髪を赤く照らしている。微睡の中から意識が帰ってくると、胸が痛みを主張してうめき声が漏れた。

「うっ……」

 ばさっばさっ。何かが頭上で動いている。シダラはゆっくりと瞳を開けた。

「は~んにゃ~ポルルロァ~」

「うわっ、な、なんだ!?」

 ばさっばさっ。眼前で何かが激しく動き、薄い何かが鼻先をかすめていて、シダラはそれに驚いて声を上げた。

「あっ! シダラ起きた」

 払いのけるようにして身をかわすと、そこには見慣れぬ格好をしたナギがいた。彼女の手には枝葉の付いた木の枝が握られ、おそらくこれを振り回していたのだろう。衣装も薄布や数珠、木を編んで出来た冠を身に纏い、さながら森の呪術師シャーマンの様だ。また、自分が身体を動かす度、寝台が揺れていることがわかる。どうやら、ドーム状の木製の建物の中に居て、自分はハンモックの上で眠っていたことがわかる。恐らくはエルフの住処なのだろう。

 奇行に走った旅の相棒に、恐る恐る尋ねる。

「なにしてんの?」

「……祈祷?」

 首を傾げて見返している。尋ねてるのはこっちだっつーの! シダラは内心叫び、食いしばった歯の隙間から漏れてしまいそうなのを抑えていた。

「エルフの人達が、中止になってた儀式を再開したんだ。その間私一人でキミのこと見てたんだけど、飽きちゃって。衣装だけ借りて、見よう見まねでやってみました」

「あのね。俺、死んでねえから」

「そうだね。御神体みたいで面白かったよ」

「祈り捧げられても困るっての!」

「ア~シダラ様~。旅の行く先に金銀財宝、たもれ~~~~」

「雑な祈祷! しかも金かよ」

 などと、シダラは延々とナギにからかわれている。そこへ、扉代わりの垂れ幕を通って二人のエルフが現れた。

「目が覚めたか。シダラ・レア」

 現れたのはファリオとハサキだ。先ほどと違いそれぞれの武器を携帯していない。

「ファリオ、それにハサキ、だっけ。どうやら世話になったみたいだな。ありがとう」

 村を救った相手に先に礼を言われ、二人は思わず怯んでしまう。シダラはそれに気付いたが、理由がわからず困惑した。

「どうした? 俺、なにか不味いことしたか」

「……ふっ。いや」

 素朴な態度にファリオは思わず笑ってしまった。ハサキはそれを驚愕して見つめる。

(ファリオが笑った……!? やるな、シダラ・レア……!)

 嫉妬による対抗心を剥き出しにした視線をシダラにぶつける。すると、シダラもそれに乗って睨み返した。

「なんだよ。喧嘩か?」

「なにをっ」

「よせ、ハサキ。何をしに来たと思っている」

「む」

「シダラも! もーっ、私たち客なんだよ、大人しくして」

「へっ」

 それぞれが保護者に窘められてそっぽを向いた。ナギとファリオは目を合わせ、お互いの苦労を察して苦笑する。

「どうしたんですか、ファリオさん」

「ああ。おじじ様がシダラをお呼びだ」

「おじじ?」

 シダラが問い返す。すると、ハサキが顔を上気して吠えた。

「様をつけろ、長だぞ!」

「シダラを助けてくれた人だよ」

「マジか。……じゃ、行ってくる」

 怒っているハサキを無視して、シダラはハンモックを降りる。少しよろけたがナギがすぐに支えた。

「私、行かなくていい?」

「ああ。どうせ寝てないんだろ。ちょっと休んでろよ」

「うん」

 ナギはシダラに変わる様にしてハンモックに潜り込むと、間もなく寝息を立て始めた。出立の前に、シダラは適当な布を羽織る。そうでなくては、背中ががら空きなのだ。

「な、なあ」

「ん?」

 歩き出すシダラに、ハサキが声をかける。

「お前たち、どういう関係なんだ」

「……家壊された奴と、巻き込まれた奴」

「な、なんだそれは。どっちがどっちなんだ?」

 おじじ様の元へたどり着くまでハサキはずっと質問攻めをしたが、シダラは殆んど答えなかった。

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