第二話 見て見ぬ振りができないあなたへ

そのいち 「夜の風に追われて」

 天に瞬く星が道先を照らしている。剣士は一人街道を歩いていた。

 腰に下げた剣の鞘とそこから覗く柄は華美な宝飾に彩られている。本人の旅装にも至る所に目を引く飾りが見られるが、その薄青い皮鎧は上物で、留め具などを除いて金属を使用していないにもかかわらず、生半可な剣撃など弾き返してしまう強度を誇っている。幅広の帽子は彼の切なげな瞳を月から隠し、代わりに白薔薇が月光を出迎えている。

 彼はふと足を止め、満月を見上げた。すると、偶然にも流れる雲が月を隠して影を落とす。彼は瞳を閉じ、やれやれと息を吐いた。

「フッ。僕の美しさには満月すら照れを隠せない、か……」

 ヒュゥウウーッ…… 夜の風が寂しく吹いて、彼の独り言をかき消してしまった。

 だが、風は言葉を攫うだけでなく、彼に敵の気配を悟らせる。普段なら気付くことができなかった足音、幸運と獲物の到来に彼は口元を歪ませた。

「やはり風は僕の味方だ」

 月光に刀身を晒す。薄い桃色の剣は鈍い光を放っていた。

 

 ☆☆☆☆☆


 魔導の街オーライムを出て、街道を歩いて二日目の夜。

 見上げると、頭上で星が燦然と輝いている。焚火がぱちっと弾ける音を聞いて、シダラは持ち上げていた首を戻した。

「魔法があれば、火起こしも簡単だね」

 焚火の向かい側に座っているナギが、しみじみと言う。木枝で組み立てた装置に水の入った鍋を火の上にぶら下げて、汲み上げてきた川の水を沸かしていた。

「髪、やっぱり赤いよね」

「ん?」

 ナギはこちらを見ながら自分の髪を触っている。シダラは、その仕草で自分の髪の話をされている事に気が付いた。

 彼の髪は焚火に照らされて、茶色よりも赤に近い色を見せている。

「ああ。光の影響を受けやすい色っていうか。夜や暗い所では茶色って言われるし、昼は赤とかオレンジって言われる。一応、ほそ色っていうんだってよ」

「聞いたことない。そんな色あるんだ」

「古い言葉、みたいなもんだからな。髪色だけじゃなくて名前まで古臭くなっちまったが」

 そう言ってシダラは苦笑している。古臭いと言いながらも、彼はどちらも気に入っている様子だった。

「いいじゃん、古い物を大切にするの、魔法使いっぽいし。……よっと」

「この格好じゃあどうかな。これじゃ魔法使いなんて名乗れねぇや」

 視線を自分の服に落とす。半袖の地味目の服は、目立つことを避ける意味では適切だが、シダラは不満げだ。

 その間に、ナギは沸いた水をすくって飲みほした。

「ふう、生き返る。……魔法使いってローブ着てること多いよね」

「そうだろうな。学院じゃ制服だけど、街の外の魔導士もそれに近い服着てると思うぜ」

「シダラも、やっぱりそっちの方がいいの?」

「そりゃな」

 肯定の深さを示すように、深く頷いた。結構大げさに首を動かしたが、多分自覚はない。

「魔法使い用のローブって、軽い割に、特に魔法の防御性能に優れるものが多いんだ。素材もそうだし、まじないが練りこまれてることもある。けどこれじゃ無防備もいい所だぜ」

 口調はやや早口でつらつらと述べる。それだけ魔導士にとってローブと言うものは大切らしいが、それはシダラにとってもそのようだ。以前、「魔法の価値に興味はない」という趣旨の発言をしていたが、本当に嘘ばっかりだ、と、ナギは思った。

 まじまじと彼の服装を見つめる。見るからに平民の服装の彼は、なんとも頼りない印象を受けた。

「確かに……。このままじゃ盗賊の方から寄ってきそう。だって弱そうだもん」

「はっきり言うなっての。ま、盗賊じゃなくても、街の外じゃ動物や魔物に襲われることもあるし。早いとこ装備を整えたいな」

「……とか言ってたら、ほんとに出たりして」

「おいおい、そう言うの辞めろって……」

 言いかけて、異変に気が付いて目を見開く。ナギの後方、彼女もそちらを見た。

 うっそうとした森の奥。光の届かない闇の中から、どどど……っと、連続した足音が聞こえてきた。

「な、何か来る」

 呆然としているナギの肩を叩いて、荷物を背負わせる。いつでも走り出せるように構えた。やがて、視界に飛び込んできたのは猪だった!

「うわっ!?」

 二人は飛び退いて道を譲る。猪は一匹ではなく、何匹も連続してその場を駆け抜けていった。焚火は群れに踏み荒らされて消えてしまい、月と星の光が薄く二人を照らしている。

「びっくりした~」

 猪たちの行進が過ぎ去ってもナギは興奮が収まらず、胸に手を当てて息を整えている。一方、疑問を覚えたシダラは首を傾げた。

「猪って群れで動くもんか? 俺たちに興味も無さそうだったけど。もしかして、何かから逃げていたんじゃ」

「ぶもふ」

「そう思うか、って、なんだよぶもふって」

 妙な返事をしたナギに振り返ると、彼女は何かを見上げて固まっている。顔を引きつらせて口をあんぐりと開けているその表情は恐怖に染まっている。

「で……で!」

「で?」

 シダラもそちらを見る。そこには、黒い壁があった。しかし、頭上で鼻息の音がして、生暖かい風が茶の髪を撫でた。全身を黒い体毛に包んだ、高さ3メートルはありそうな巨大な猪。体毛の中にうねる赤い線が模様となって刻まれて、禍々しさを増している。これは壁ではない。……魔物だ!

「「出たー!!」」

「BUMOOOO!!」

 二人は声を揃えて叫ぶと、それを上回る声量で魔物は咆哮を上げた!

 その時、シダラは魔物の右側面にはしっている赤い模様に、左側面と異なる異常に気が付く。ところが、それに構っている暇はなかった。

「逃げろーっ!」

 シダラの号令にナギが頷く間もなく、二人は一目散に走り出す! 魔物が牙を振り上げると焚き火跡ごと地をえぐり、二人に砂利を飛ばす!

「いたたっ!」

 砂利が当たったナギが頭を庇いながら悲鳴を上げているのを横目で見ながらも、シダラは必死に走る。南西への道を逸れ、二人は北の森の中へ逃げる。荒れ狂う魔猪は道中の木々をものともせず、突進しては空振りし、大きく地形を歪ませていく。

「森が壊れちゃう!!」

「そんな心配してる場合か、生き残ることだけ考えろ!」

 がむしゃらに走る二人。背後では変わらず大きな足音が地響きと共に響いているが、シダラは僅かにその音が小さくなったことに気が付く。音の主は、狙いをナギに絞っていた!

「ナギ、横に飛べ!」

「うん!!」

 彼女は指示を疑わず、迷いなく横っ飛びをした。その甲斐あって魔猪の突進を間一髪回避する。受け身を取るがそれでも姿勢を崩したナギの元へ、Uターンした巨体が駆けつける! ……避けられない!? ナギは悲鳴を上げる事しかできなかった!

「きゃーっ!?」

「“隆起せよ、大地の精霊!”ウォール!」

 シダラが魔法を唱える! 大地に精霊の働きによって硬い土の壁が隆起し、その道を阻む。しかし、高さは一メートルしかなく、その突進を止めるには至らない。代わりに、足を掛けて転ばせ、その巨体を宙に浮かす! その巨体目掛けて右手を伸ばして握ると、遠隔で

「捕まえたっ、“浮遊せよ”、フロート!」

 続いて身体を宙に浮かせる魔法をかける。本来魔法の発動には口の中で唱える言葉にしない詠唱があるが、シダラはその部分を短縮することで発動までのラグを短くした。きわめて繊細な魔力のコントロールが要求される上に効力も落ちるが、なるべく遠くに飛ばすことの手助けにはなるはずだ。目論見通り、巨体は転んだ勢いそのまま、さらに宙を舞って遠くへと身を運んでいく。距離が離れる事でフロートの魔法圏内から外れ、シダラは魔法を強制的に中断されたことによるダメージを受け、苦痛に顔を歪ませる。しかし、まだ怯んではいられない!

「ダメ押しだ、ワールウインド!」

 直ぐに魔力を切り替え、風の魔法を唱える。またしても詠唱を省略することで、とにかくスピード勝負に出た。殴りつけるような風が敵を吹き飛ばす呪文を、直線距離に絞ってより遠くに発生させる。その結果威力は殆んど無く、追い風程度にしかならない。だが、いまはそれでも有用なはずだ。遠く遠く、巨体が運ばれていくと、ついには崖を越えて魔猪は遥か下の地層へと堕ちて行った。

 どぉ……ん。遅れて響いた衝撃音が、決着を知らせる。

「はぁっ、はぁっ」

「……くっ、は……」

 ナギはへたり込んで肩で息をし、シダラは緊張のあまり途切れていた呼吸を再開した。そのまま地べたに腰を下ろして足を伸ばし、後ろ手で地面に手をついて夜空を見上げる。深い青の闇の中で、変わらず星が燦然と煌いていた。

「ぜ……前途多難……」

 たまらず呟いたナギの言葉に、シダラは無言で同意していた。


 ☆☆☆☆☆

 

 魔導の街オーライムから南西に3日ほど歩くと、武闘の街テムスレグラムがある。ひとまず目的地をそこに設定して、二人は街道を真っすぐ歩いていた。ところが……。

「見事に逸れましたね~」

 ナギはしゃがんでため息を漏らす。地図を広げて進路を確認するナギは、予期せぬトラブルに思わず苦笑してしまった。だが、その表情さえも少しずつ強張っていく。

「ちょっと方角不味いかも。あの時街道に対して右に逸れたから、南西の右は北西でしょ。だとすると……」

 彼女の独り言が気になって、シダラも地図を覗き込んだ。地図には、近隣の地理が描かれている。

 オーライムは大陸の東に位置する街で、ここから東には漁村が一つある。北には大きくない町や村がいくつかあり、その向こうには高くそびえるアルフ山脈がある。西と南には広く森が広がっており、その間、南西に緩やかに弧を描く形で街道があった。シダラ達が歩いていた道である。ナギの予想では、その街道の中心から僅かに南西の地点から、北西に向かって逃げ延びてしまい、オーライムから西の森に入り込んでしまったというのだ。

「北西の崖の下に地名があるな。静寂ラ・フェイルの森? えっ、待てよここって……」

 地層の違いを示す波線の向こう、地図の北西には変わらず森があるが、そこにある地名に気付いてシダラが怯む。ナギは神妙に頷く。

静寂ラ・フェイルの森。即ちの住処。ここは、ヒトが立ち入ってはいけない場所だよ」

 シダラは彼女の迫力とその恐ろしさに唾を飲む。

 エルフとは、長い耳が特徴的な人間の一族だ。長命、排他的で有名で、縄張りに入った者はどんな種族でも容赦せず殺害する、と言われている。

「とはいえ、ここはまだ彼等の住処ではないから大丈夫だと思うけど。私、一応彼等とは顔見知りだし」

「そうなのか? 顔広いんだな」

「へへ。昔、ちょっとね」

「なら……いや、顔の確認せずに狙撃されたりしないか?」

「そんなことは……」

 無い、と言い切れない。あのエルフたちなら、あり得る……! ナギが黙ると、気まずい沈黙が訪れた。

「戦闘は避けたいな。早く街道に戻ろう」

 シダラは立ち上がって周囲を見渡した。随分走り回ってしまったが、魔猪が走った後は木々がなぎ倒されている。時間はかかるが元の道に戻ることは可能だろう。

「今は武器もない。なるべく魔法の使用は控えたい」

「武器? シダラは魔法使いでしょ、必要なの?」

「本来、魔法には発動体がいるんだ。杖が一般的だけど、宝石とか、魔力を帯びた剣でもいい」

「だから魔法使いって杖持ってるんだ。へえ~」

 納得しかけたナギだが、ふと疑問が浮かぶ。

「シダラ、何にも持ってないよね」

 此処までの戦いを思い出す。出会った頃から魔法の杖や宝石など所持している様子はない。衣服も彼女が用意したものだ。何かを隠している素振りも無さそうだが……。

「あー、俺は……事情があって、発動することはできる。でも、それでも他に発動体があった方がいいんだ」

 シダラはを言い淀んだ。ナギは疑問を挟むこともできたが、彼の心情に配慮してうなずく。

「そうなんだ。じゃ、次の街で買っちゃおっか。防具も含めてね。オーライムから持ち出した交易品だけでなんとかなるといいけど。いくらで売れるか――」

 頬に指をあてて思案するナギだったが、その思考は唐突に遮られる。悠長に会話をしている余裕など、本当になかったのだ。

「ナギ!」

 シダラが急に立ち上がってナギの元へ走った! 動揺するナギとすれ違って間もなく、飛びかかってきた何者かに地面に組み伏せられてしまう。

「ぐあっ!?」

「シダラ!? うっ」

 ナギもまた、別の男に腕を取られ、首元に刃を突きつけられている。鮮やかな奇襲だった。

「抵抗するな! ヒトよ、この森に何の用だ。薄汚い手で我らの住処を汚そうと言うのでは無いだろうな!?」

 シダラを抑え込んだ襲撃者が怒りの形相を浮かべ、身動きできない頭に罵声を浴びせた。ナギは暗闇の中、目を凝らして敵を見た。月光を木々が遮る森の中、視界は殆んど無いにもかかわらず彼等の動きは正確だ。そして僅か見えたのシルエット。発言内容から考えても、恐らくエルフに間違いない。

「待ってください、私です、タタラ商会のナギです!」

「誰だ、そんなの知らない」

 ナギの叫びも空しく、シダラを押さえつけたエルフの男が高い声を上げる。若い声色だった。すると、ナギの拘束の手が緩んだ。

「待てハサキ。……ナギだったのか」

 ナギを拘束した男は彼女と顔見知りだった。首元からナイフを下ろして拘束を解く。しかし、ハサキと呼ばれた若いエルフはシダラを押さえつけたまま動こうとしない。

「ではこの男は顔見知りではないな! 怪しい奴。ナワバリに踏み込んだことを後悔させてやる!」

 がんっ! 後頭部に一発、エルフが拳を叩き込む。シダラの茶の髪が揺れた。

「よせ、ハサキ!」

「やめてください、彼は私の連れで、荷物持ちと護衛を兼ねているんです」

 ハサキの苛烈な態度に、ファリオと呼ばれた仲間のエルフでさえ制止に入った。ナギも必死に説明を行うが、手を止めようとしない。すると、シダラの口からぼそぼそと言葉が漏れた。

「……“触ること禁ず”……“さもなくば”」

 馬乗りになっているハサキはソレを鼻で笑った。

「ふん、この期に及んで命令か? どこまでも傲慢だな、ヒトよ! 態度を改めるか、でなければ森に還してやる」

 立場をわからせてやる! そう意気込み、もう一発拳を振り上げる。

「“無数の針が戒めを刻むだろう”!」

「いかん、離れろハサキ!」

 ハサキは慌てて敵の背から飛び退く。すると、シダラの背中から服を突き破って無数の棘が伸び、ハサキへと襲い掛かった!

「うああっ!?」

 ハサキは悲鳴を上げながら顔を庇う。棘は幸運にも体に突き刺さることは無かったが、腕や腹を掠らせて傷を作る。

「こ、コイツ」

 二、三歩下がった所でハサキは背負った弓を構えた。棘はシダラの身体を変形させて発生したが、それは瞬きする間に元に戻り、穴だらけになった背中が残る。そこには、モレーとの戦いで身体に覗いた、紋様が刻まれているのが見える。ただし、あの時と比較してもその線は細く色も薄い。それを気にせず彼はふらふらと立ち上がり、ハサキに対して指先を向けている。ナギは、これが“指先からの電撃ライトニング”の合図であることに気が付いた。

「やめて、シダラ! 本当に戦う必要はないんだよ」

 ナギはシダラの前に立ちふさがり両手を広げた。木々の隙間から差し込んだ月光が彼女の顔を照らす。シダラは、それに気が付いた。

「ナギ、お前血が……!」

「え?」

 視線の先は彼女の首だった。短刀を突きつけられた時に肌を切ったのだろう。血の滴が真っ直ぐ下に伸びている。それを見て一気に頭に血が昇り、怒りが口から飛び出した!

「やりやがったな、この野郎ッ! 後悔させてやる!」

 指先に力を籠め、呪文を唱え始める。ナギは血の気が引く思いをしながらもほとんど反射的にその腕にしがみつき、矛先となる指をエルフたちから逸らした。

「やる気か、野蛮なヒトの分際で!」

「いい加減にしろ!」

 尚も突っかかるハサキだが、その気勢は仲間の平手打ちによって削がれる事になる。対するシダラも、ナギを振りほどこうとする動きを一瞬止めた。

「うっ……!?」

 目を見開き、信じられないといった表情を向ける。背の高いファリオは彼を冷たい目で見下ろしていた。

「敵ではないと言っている。無駄な争いを森は望まないだろう」

「ぐっ……」

 反論できず、頬を抑えて俯いた。それでも、もう片方の手は弓を握りしめた手にぐっと力が籠っている。

「シダラも。私はなんともないよ、冷静になって」

「けどよ!」

「シダラ!! いい加減にしなさい!!」

 怒声がナギの口から飛び出した! シダラと、エルフ二人も驚いて目を丸くする。特にシダラは呆気に取られて、一歩後ろに下がった。

「八つ当たりみたいな魔法の使い方して、悪い見本モレーみたいになるつもり!?」

「あ、いや……」

「無駄に敵作ってる場合じゃないでしょ。ちょっとは考えて行動しなよ、頭良いんだから!」

「……は、はい」

 叱られて気勢を削がれると、風船がしぼむように彼の声も小さくなっていった。

「……お前も叱られておくか」

「う、ううん」

 若いエルフは怯えて首を横に振った。

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