そのよん 「シダラの生まれた日」

 は、強い光だった。

 光を失ったあの日から、無限に続く闇があった。

 母はずっと泣いている。三人の子供達は、母を支えるために生きることを宿命づけられた。

 ――失くしたものを埋めるために、身体に傷を刻まれる。

 それが母を救うと自分に言い聞かせて、運命と受け入れるしかなかった。

 けど、本当は誰かに愛してほしかった。自分で納得できる生きる意味が欲しかった。傷ではなく自分を必要としてほしかった。

「俺を大切にして欲しい」

 もし、そう言えていたら。こんなことに、ならなかったのかな。

 

 ……眩しい。

 新しい光が、俺を連れていく。


 ☆☆☆☆☆


 額に触れた優しい感触を頼りに、アルベールは意識を取り戻した。

「ん……いってぇ」

 身体を起こした時、最初に痛みを主張したのは心臓だった。それから全身が痛みだす。

(……やっぱりこうなったか。生きていられただけでも幸運ラッキーだな)

「大丈夫?」

 ナギが声に反応して顔を覗き込んでいる。アルベールは頷きを返した。

「ここはナギの家か?」

「うん……あっ」

 ナギは頷いて、それから急に顔を逸らす。どういうわけか耳が赤くなっていた。

「……なんか顔赤くね?」

「そうかな。私、代謝いいのかも?」

 ナギはよくわからない事を言っていた。不審に思いながらも、未だ意識の重い頭を抱えた。少しずつ現状の把握に努める。自分の格好を見ると、黒い外套はなくなっていて、魔法学院のローブはボロボロになっていた。

「あれからどうなった?」

「大変だったよ。キミ、気絶しちゃうし」

 彼女は笑いながら、事の顛末を話した。


 紫電の魔法による爆発は、教会の一角を吹き飛ばした。

 呆気にとられたが、人が来る前に逃げなくてはと思い慌てて行動を開始する。

 モレーは跡形もなく消し飛んだが、輝石は無事に回収できた。超威力の魔法が直撃しても、輝石に傷一つないことにはで気づいて驚いた。それからアルベールを起こそうとしたが全然目覚める気配がなく、むしろ呼吸が弱まっていて心配だったので、背負って教会から逃げ出した。

「えっ、ここまで背負ってきたの!?」

 説明を横から切って、アルベールは驚く。

 ナギは女性にしてはやや背が高いが、それでもアルベールの方が少し背が高く、アルベールは魔導士の割にはかなり筋肉があった。女性が男性を担いで歩くのは至難の業だ。それに、教会からこの家まで結構な距離がある。

 ナギは苦笑いをした。急に弱々しい声色になって、震える手でピースを作る。

「がんばりました……」

「ご、ごめん。ありがとう……」

 申し訳ない気持ちになったアルベールが、たっぷりの冷や汗と共に礼を述べた。

「まあ、これでも個人経営の露天商なんで。重いもの運ぶのにはちょっと慣れてるから。自分より重いものを運ぶこともあるし。……大抵は台車使うけど」

 言いながら、深く椅子に腰かけて、ふぅーっ、と息を吐いて目を閉じる。両手を膝の上で組んで額に当てると動かなくなった。

 つ、疲れている。言葉と裏腹に疲労が隠せていない彼女の無言の圧を感じた。アルベールが慄いていると、彼女はすぐに笑って、「なんてね」と言って冗談めかしていた。

「結局キミも起きないから、私も仮眠しました。で、準備も万端」

 彼女は自慢げに胸を張る。気づけば、先ほどまで薄緑色のワンピースを着ていたが、今はたくさんのポケットが付いた上着とズボンに着替えている。そして、アルベールが眠っていたベッドの淵には、大きなリュックサックが用意されていた。

 嫌な予感がする。聞きたくないが、聞かないわけにいかないので尋ねてみる。

「な、何の準備?」

「勿論、旅の準備だよ。どっか行くんでしょ? 付いていくよ」

「言うと思った! なんでだよ、お前関係ねえだろ!?」

 瞬発力のあるツッコミがでた。しかし、ナギは首を横に振る。

「何言ってるの、私ももう立派な犯罪者だよ。教会っ飛ばした件の。もうこの街にはいられないよ。しなきゃ!」

「なんで楽しそうなんだよ……」

 物騒なワードに目を輝かせているナギに、アルベールはたじたじである。すると、今度は急にしおらしく、地面に膝をついて項垂れ始める。

「ああーっ、とても、不安だわ。魔物が蔓延る世界に一人で旅をしないといけないなんてー。神様に歯向かったバチなのかしらー。どこかの誰か、例えば教会を吹っ飛ばせるくらい強い魔法使いが、私の事を守ってくれないかしらーーー」

 ちらっ、ちらっ。演技の最中に、観客と何度も目配せをする大根役者。わざとらしい懇願に、アルベールは思わず憮然とした。ところが、結局彼は根負けする。自分も無関係ではないという負い目が、彼の冷静な決断力を奪っていた。

「わかったよ。けど、次の街までだからな」

 ところが、目敏い商人はこの前提条件に異を唱える。目を見開き、直立して真っすぐ手を挙げた。

「意義あり! 『次の街まで』ではなく、『当面の間』に言葉を差し替えてください」

「んなっ」

 怯む隙に、彼女は言葉を畳みかける。

「次の街で商売が可能か、または私の安全が保障できるとは限りません! そんな街で頼れる人もいないのは不安です! 私、これでも女の子!!」

(コイツ、何言ってんだ!?)

 アルベールは呆気に取られた。

 荒くれ含む三人の男を相手に、勝ち目もないまま食って掛かっていた癖に、今更になって女であることを武器にするしたたかさ。

 だが、言う事もわかる。魔物の出現で平穏が脅かされるにつれ、とある地域では婦女暴行が流行った時期もあった。とはいえ、世の強い女性戦士たちはそれに激しく怒り、犯人たちを縛り首にした結末もあったが。女性が犯罪の標的にされやすいのは確かだ。

 ……それに。

「?」

 目が合って、首を傾げる。アルベールは視線を誤魔化すように頭をかく。

 彼女は見てくれも悪くは無かった。上着の上下左右、四つあるポケットの内、上二つはなだらかな曲線を描いている。長いまつ毛の奥の瞳は、見ているだけで吸い込まれそうな美しさだ。オレンジの長い髪は外出の為に結ばれていて、笑う度によく揺れる。まるで何かを誘われているようでアルベールの視線を惹きつけた。きっとそれは他者が見ても同様だろう。

 アルベールは溜息を吐いた。

「わかったよ。当面の間、同行を許可……」

「許可?」

 決断を渋るアルベールを、ナギは追い立てる。やめろ、顔を覗き込むな! アルベールは頬を僅かに赤らめた。

「……します」

「やったー!」

 最後はがっくりと肩を落とすと、ナギは飛び跳ねて喜んだ。

 

 ☆☆☆☆☆

 

 魔導の街、オーライム。

 円形の敷地外周は外壁に囲まれて、北に行くほど土地は高くなる。

 北側の外周に触れる形で建てられたのは街の象徴シンボル、オーライム新生魔法学院。そのすぐ南は森になっていて、森を挟んで教会がある。教会はかなりの大きさを誇っていたが、数時間前に敷地の半分を吹き飛ばされた。

 森と教会の両側、西と東には住宅街がある。それぞれ南下すると商売街があり。南端に、この街の正門があった。

 陽が顔をだし、夜空が薄明るくなった頃。夜間に発生した爆発の音を聞きつけた人々が、続々と教会に集まっていくのを尻目に、二人は出立の時を迎えていた。

 その背にはそれぞれ大きなリュックサックを背負っている。アルベールはナギの商品の中にそれっぽい旅装があったので、それに着替えた。何の変哲もないズボンと服。ローブですらなく、マントも、杖もない。この格好では、誰がどう見ても魔導士には見えないだろう。

 そんなナリでアルベールは教会を遠く見上げている。近くで伸びをしているナギに声をかけた。

「あのさ、ナギ。モレーは、やっぱ……」

 薄明の光に寂しげな横顔が照らされている。その声色は暗い。ナギは俯きがちに頷く。

「うん。多分、もういないと思う」

 もういない、というのはおそらく死んだという事。そして、殺したのは……。

「そうだよな」

 別に初めての事ではない。だが、何も思っていないわけではなかった。これも一つの選択とその結果だ。

「キミが悪いんじゃないよ。あの時、アイツは仲間の人も殺してたし、正気じゃなかった。それに、巻き込んだのは私」

「……うん」

 ナギのフォローを受けても、彼の寂しげな背中は歯切れの悪い相槌を返すのみだった。

 

「ナギちゃんじゃないか」

 正門ですれ違う時、ナギは街の門兵に声をかけられた。笑顔で手を振り返す。

「こんな朝早くに、どこに行くんだい」

「ちょっとそこまで、冒険に」

 ナギは得意げに言うと、腕を大きく振ってずんずん歩いて行った。不思議な答えに兵士は首を傾げる。

 それから歩き続けると、彼女の住み馴れた町はすぐに見えなくなった。

「長かったのか?」

 はっとして振り返る。ナギは、声をかけられて初めて、自分が足を止めていたことに気が付いた。

「うん。多分、10年は居た。自慢の魔法学院があって、活気のある人が居て。いい町だったよ」

 アルベールに微笑みを返して、歩みを進める。一応、追われる身だ。急ぐに越したことはない。

 しかし、あることに気が付いてまたすぐに足を止めた。

「名前! キミの名前、決めなくちゃ」

「ああ、名前。……ん? 決める?」

 そろそろ名乗ろうかと身構えていたところに、思わぬ提案を受けて首を傾げた。

「追われる身なんだから。魔法学院の脱走者さん」

 彼女は悪戯っぽく笑っている。アルベールは急な無茶ぶりに思案して頭をかく。しかし、反撃を思いついた。

「じゃあ、ナギがつけてくれ」

「ええっ、私?」

 素っ頓狂な声を上げて驚くナギ。アルベールはくくっ、と意地悪な笑いと共に頷く。

「自分でつけるのも恥ずかしいし。あ、変なのはゴメンだぜ」

「うぬ……」

 唸り声をあげながら考え込む。それからしばらく、歩きながら考えて。

「よし、決めた! 今日からキミは、『・レア』!」

 指さしと共に命名した。アルベールシダラは聞きなれない単語に首を傾げている。

「『』? どういう意味なんだ?」

「古い言葉で、雷のことだよ」

 ナギは得意げに言った。シダラは少し思案した後、頷いた。

「ま、それでいいか。呼びにくそうだけど」

「何よ、文句?」

「別に」

 頬を膨らませているナギを横目で見ながら、シダラは笑った。つられてナギも笑いだす。

「そろそろ先を急ごうぜ」

 シダラが声をかけると、ナギは「じゃあ」と改まった。懐から、輝石を取り出す。

 話には聞いていたが、括られていた黒い紐は消失してしまったものの、輝石には本当に傷一つなく、朝の陽ざしを受けて薄紫色の光を放っている。

「シダラ。改めて言わせて。大切な物を取り返してくれてありがとう」

 彼女は深く頭を下げた。シダラは驚いたが、彼女は頭を上げない。いいと言うまで顔を上げないだろう。

「こちらこそ。食事とかおんぶとか、お世話になりました」

 すると、今度はシダラも頭を下げた。上目遣いに相手を見ると、互いの目が合って二人は笑いだす。

「「これからよろしく!」」

 声を揃えて、お互いの腕をぶつけ合った!


 ……これが、シダラ・レアの冒険譚のはじまり。即ち、『シダラの生まれた日』。

 傷を刻まれたアルベールは忌まわしき運命から逃れるため、商人ナギと共に「シダラ」となって旅立つ。

 力の呪縛、心の闇、身体に刻まれた傷。闇の中で自由を求めたその手は、新しい光に連れられて旅をする。

 旅の先で出会うのは、新たな仲間と、過酷な試練。何があっても、譲ることはできない。

 そう。これは彼が望んだ旅路なのだ。


 ☆☆☆☆☆

 

 陽の差し込む執務室。ここは、朝のオーライム新生魔法学院の学長室だ。

 白髪、白髭の老人は目を細めて書類に目を通している。しかし、その心は此処に在らず、部下の報告を待っていた。

 ノックと共に、声がする。

「学長」

「入りなさい」

 すぐに招き入れる。部屋に入ってきたのは、中年の魔導士の「ホッソ」。アルベールを追っていた教師であった。

 彼は汗ばんだ額をハンカチで拭きながら、焦りを隠せない様子で報告を始める。あまりいい結果の報告は聞け無さそうだと思い、学長は話を聞く前から少し落胆した。

「夜通し捜索しましたが、アルベールの死体は見つかりません。ただ、妙な噂を聞きました」

「話してください」

 話の流れが、思わぬ方向に向きそうだ。学長は少し期待を込め直し、身を乗り出す。

「昨夜、教会で爆発騒ぎが起こったのをご存じでしょうか。恐らく魔法による攻撃で、教会の一部、敷地面積にして半分が吹き飛んだとか」

 この街に居れば、昨日の深夜の出来事は誰でも耳に届く。噂話でなくとも、あの爆発音はすさまじかった。

「アルベールの仕業だと言いたいのですね」

 学長が促すと、ホッソは頷いた。学長は溜息をつく。

「聖教会との対立を危惧して、教会の捜索を後回しにしたのが裏目に出ましたか」

 もちろん、学院としても教会に逃げ込まれた可能性を危惧して捜査員を派遣していた。しかし、神官に露骨な門前払いをくらい、取り合ってもらえなかった。

「しかし、結果としてアルベールは教会と対立、また神官一名が行方不明となったそうです。……あの、モレーとかいう」

「モレー。学院になんどか苦情を申し立てていた者ですね」

 ありありと顔が浮かぶ、見知った人物だった。

「何故、教会とアルベールが揉めたのかは不明ですが。どちらにせよ、教会とも対立したアルベールは、この街を抜けてしまっているかもしれません。そちらの調査と並行して、追手を出そうと思います」

 ホッソが提案すると、学長は頷いた。

「……では、滞在中のの力を借りましょう」

「彼、とは。……まさか、あののことですか?」

 学長の意図をくみ取ったホッソが狼狽える。思わず首を横に振った。

「そんな、彼はあくまで教会の人間です。何も、彼に頼まなくても」

「捉え方によっては教会との伝手、とも取れます。共同戦線の体を成せば、教会とアルベールが諍いを起こした理由も調べやすい。本当にモレーが居なくなったのであれば、我々との対立派も勢いを失うはず」

「な、なるほど。いや、しかしですね。あの剣士には、些か問題が。そもそも信頼できるのか、という点から」

 その時、窓から一陣の風が吹いた。風は、に向かって吹いている。学長は、扉を背に立っているその人物に気が付いた。


「僕を呼んだかい」


 ホッソは気取った声を聞いてぎょっとする。振り返れば、開け放たれた扉の前に剣士が立っていた。彼は手を振り頭を下げ、大げさに挨拶をする。

 幅広の帽子には白薔薇が飾られている。貴族の様に優雅な装飾を施した、しかし上物の皮鎧と腰に下げた剣がただの道楽貴族でないことを物語っている。長く伸びた青の後ろ髪を手でかきあげると、鮮やかに棚引いた。

「いつの間に」

 気配を感じ取れなかったホッソが驚愕する。こんなに存在感があるのに、部屋に侵入したことを全く察知できなかった。彼の技量の高さを物語っている。

「話は聞かせてもらったよ。逃げた子ネズミを、連れてこればいいんだね」

 困惑する者を無視して、剣士は自分のペースで話を続ける。

「退屈しのぎには持って来いだ」

 ホッソは息を呑み、学長は黙して剣士を見極める。

 今、マイペースにして最強の刺客が放たれようとしていた……!


 ……続く!

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