そのに 「ナギの家」

 この街の一際高い丘の上には、私たちの自慢があります。

 オーライム新生魔法学院。広い世界でもっとも有名な魔法使いの学校は、この街のシンボルで、同じ街で暮らす私たちにとっても自慢です。

 もし、私に魔法の才能があったなら。私もたくさん魔法を勉強して、強い魔法使いになれたのに。

 もし、そうだったら……こんなことにはならなかったのに。


 オレンジ色の髪をした女性は男に押されて家の中に押し入れられる。3、4歩後退って、そのまま尻餅をついた。薄緑色のロングスカートの裾がしわを刻んでいる。

 開け放たれた玄関の扉をくぐって、三人の男性が入ってきた。

「ナギ・タタラさん。立ち退きを命じたはずです」

 一番最後に家に入ってきた神官が、尻餅をついた女性、ナギを見下した。あまり背の高くない男性だが、大きな紋様が記された白い帽子が過度に権力を誇張し、威圧感を与えていた。そして、司祭の前で構える屈強な男たち。身なりこそ露出の少ない上着や長ズボンを着用しているが、片方はバンダナ頭、もう片方はスキンヘッドという攻め過ぎた髪型や、浮かべている下品な笑い方から、真っ当な道を歩んできた人間でないことは明らかだった。

 ナギは立ち上がってきつく睨んだ。

「辞めてください。命令じゃなくて、要請だったはずです! 拒否権を行使して、正式な手続きだってしました」

 事実、教会からの要請を断る手続きは既に受理されている。ところが、神官は口元に手を当てて、わざとらしく笑って見せた。

「ほほほ。おバカさんですね。私たちにそんなものが通用すると思っているんですか? 私たちは、他ならぬ神の使いですよ」

 邪悪な微笑みは、自分たちの立場が揺るがないという確信から得られる自信の表れだった。

「だ、だからって、横暴です!」

 負けじと言葉を紡ぐが、分の悪さは変わらない。正しい道理で行動しているはずなのに、敵の後ろ盾は他ならぬ神なのだ。もし、これが本当に神の思し召しだとすれば、国や街の住民に成すすべはない。神の加護なくして、人々の生活は成り立たない。少なくとも、は……。

「横暴じゃありません、です。神のお告げは絶対。逆らうなら逆賊と見なしますよ」

「ひ、ひどい……」

 なんの理屈も通らない屁理屈でも、強い力を持てばだれも止められない道理になる。追い詰められていく女性を見るのが楽しくて仕方ないのか、神官はまた笑って、相手の言葉を拾って見せる。

ひどいとは、どういうことでしょうか。誰がこの世界を魔物から守っているとお思いで?」

 こうまで神官が傲慢、かつ横暴なのは、それなりの理由がある。

 今から百年前、突如出現した魔物。それを打ち払う力を持つのは、強い力を持つ戦士や魔法使いではなく、神に祈る神官達の信託魔法トラストアーツだった。魔物に生活を脅かされる人間たちは、神官に頼るしかない。そうすると、神官たちは当然、地位を高めていった。

 ナギはついに歯を食いしばって口をつぐむ。ここで叫んで誰かを呼んだところで、神官相手に助けに入ることは無いだろう。

 相手が押し黙ったことで神官は勝利を確信し、大口を開けて笑った。

「ほーっほっほ! ご自身の立場がご理解いただけたようですね。では、献上品を徴収させていただきましょう。即ちこの土地を、邪魔なあなたを排除することによって!」

 神官の号令を受けて、スキンヘッドの男がナギに向き直る。そして、じりじりと距離を詰め始めた。その間に、バンダナの男は近くにあるものを物色し始める。玄関から入ってすぐ右の、キッチン兼食事処へと向かって行った。

「勝手に人の家のもの触らないでよ、そっちも寄らないで!」

「そうもいかねえよ、仕事なんでね」

 仕事なら、そんなにニヤけるな! ナギは叫んでやりたかったが、それどころではない。退がるうち、追い詰められて壁にぶつかってしまう。そして、伸ばした腕がナギの細腕を……。


「……うぉわー!?」

 どっしゃぁあ……! その時、悲鳴と共に誰かが落ちてきて、屋根を突き破った!

「だ、誰です!?」

 驚いた神官が声を上げる。その隙に、ナギは男の手を逃れて僅かに距離を取った。そして、堕ちてきた男を見る。

「赤い髪の男の人!?」

「まさか、茶髪でしょう」

 神官が冷めた目でそちらを見ている。髪色に関して、ナギと神官で印象が割れていた。

 赤、もしくは茶の髪の男は、瓦礫と化した屋根の残骸の中から這い出て、身体を起こそうとしている。その髪の色は、赤と茶の間と言うべき色をしていた。

「いってて……ん?」

 顔を上げた男と目が合うと、ナギの頭脳に稲妻イナズマが走った。端正な顔立ち、切れ長の目。黒い外套の下に見える魔法学院生のローブ。そして、マイペースな空気感。殆んど直観だったが、彼は使える! ……と、確信した。

 一方、堕ちてきた男は何かを企むナギを見て疑問符を立てていた。

 そして、ナギは驚くべきことを言う。

「助けて、!」

「「ハァ!?」」

 赤茶の髪の男と神官の声が重なった。

「な、なな?」

 動揺のあまり、口がうまく回らない。赤茶の髪の男――即ち、アルベールは堕ちてきた先でとんでもない騒動に巻き込まれようとしていた。

 神官は堕ちてきた不審な男を観察していたが、ふんっ、と鼻を鳴らす。そして、ナギに向き直った。

「家族、ですか? 貴方は一人暮らしだと聞いていますが」

「魔法学院の寮で生活していた弟です! 帰ってきてくれたんだわ!」

 言われて、再びアルベールを見る。乱れた黒い外套の下に、魔法学院のローブを着込んでいるのを見逃さなかった。

「いや、俺はもうあの学院とは……いっ!?」

 何か言いかけたアルベールの口を、猛スピードで駆け寄ってきたナギの手が塞ぐ。目で抗議を訴えると、ナギは急に彼の口を開放し、何かしゃべる前に言葉を畳みかける。

! 私たちのお父さん、お母さんの思い出が詰まったこの家が、意地悪な神官たちに取り押さえられそうなの! お願い、何とかして!」

 意地悪と言われて神官は片眉を上げる。アルベールは、首を横に振った。

「いや、なんで俺が。あの、こう見えて急いでるんですよ」

 場を逃れたい一心で関与を拒否するが、ナギは笑顔壊された家の屋根を指さした。アルベールは言葉を詰まらせる。

 ナギはこの反応を見て、アルベールが『したことを踏み倒せない性格』であることを見抜き、更に畳みかける。

「魔法学院の関係者の言う事なら、ちょっとくらい聞いてくれるかも……」

 ところが、神官はアルベールに対して軽蔑の眼差しを送っている。敵愾心を剥き出しに、鼻を鳴らす。

「ふん、魔導士風情がなにを。この世には信託魔法トラストアーツさえあればいいんだ! 今更、自然魔術マニュピレイトアーツが何の役に立つものか」

 ナギの期待空しく、神官は魔導士の言う事に耳を傾けるどころかその存在が神経を逆なでしてしまっている。

「だってさ」

 アルベールは事もなさげにさらりと言う。ナギは驚いて、僅かに憤って言い返す。

「ちょっと、悔しくないの?」

「魔法の価値に興味なんかねえ」

「そんなぁ」

 相変わらず冷めた態度に、ナギは落胆した。アルベールの関心は、ナギからこの家の惨状に移る。

「けど。ちょっと気になることがあるぜ」

 彼の視線は、自然と最も権威のある者……即ち、神官に向けられていた。

「ほう?」

 彼の視線に、わずかに含まれる挑戦的な意思をくみ取り、神官は余裕の笑みを浮かべた。自らが格上であることを何ら疑っていない。

「神官様にご教授願う。神は略奪をお許しくださったのか?」

 言いながら、彼はゆっくりと立ち上がった。

 神官は口元を抑えて笑っている。

「ほほ! 下賤な魔導士は言葉を知りませんね。この家、土地は献上品。この家だけじゃない、街そのもの、大地さえも神の所有物。この地上に生きとし生ける全ての者は、神の信託に従い、その全てを差し出す義務があるのです!」

 光悦とした表情で言い切ると、神官は自らの背後に後光が差すような心地よさを感じていた。この世の摂理を代弁する使者であるという典型的な自己陶酔である。

 アルベールは表情を硬くして問う。

何故なにゆえ?」

 問答をするうえで、アルベールはあえて硬い口調を選んでいた。

「人間は神から生まれ、神に守られる存在だから。生みの親、保護者に従うのは子の義務です。そのためなら、何もかも差し出すのは当然。例え、どれだけ大切な物であろうと!」

 ばちっ! 何か、電気が弾ける音がして、ナギは振り返った。その視線の先、アルベールの表情が怒りに染まり、口が大きく開いたのはその時だった。

「馬鹿言ってんじゃねえッ」

「!?」

 質問は終わりだ、そういわんばかりに口調は硬さを失い、その代わり感情に任せた荒々しさを纏っていた。神官はアルベールの豹変ぶりと迫力に押され、今語った神の真理が馬鹿呼ばわりされた事に気が付いていない。

「親に従って生きるのが義務? 冗談じゃねえ、に与えられた義務は生き抜く事だけだ。それに、本当に神の意思とやらが聞こえたのかそもそも疑問だ。全部、アンタの妄想だろうぜ」

 自らの考えを否定された神官は、湧き上がる怒りによって気概を取り戻す。

「貴様、神の意志を愚弄するか! 信託に背くことは許されない」

 自分の言葉は神の御心、即ち自分の言葉を否定するものは神を愚弄する事に他ならない。神官の胸に宿るのは、質の悪い事に義憤であった。

 アルベールは肩をすくめて言う。

「魔法の価値に興味はねえと言ったはずだぜ」

 この返しに、神官はカッとなって顔を赤くした。

「信託を魔法の一括りにするな!」

 挑発が効いたらしく、神官は呪文の詠唱に入った! 

 アルベールは油断なく魔法障壁を展開する。自分たちを中心に球状の薄い光を纏った。

「“聖なる力よ、我が主に仇名す敵に制裁を!”ホーリー・レイ!」

 神官の頭上で光の球が輝くと、威力を纏った白い光が伸びて周囲を攻撃した! 家中の家具や壁に当たって滅茶苦茶に破壊活動を行いつつ、そのうちの一発がアルベール達に当たった。

「きゃあああっ!」

 事前に張った障壁が攻撃を防ぎきる。アルベールは悲鳴を上げて蹲っているナギの肩を叩いてから言った。

「姉ちゃん、隠れてろ!」

「う、うん!」

 衝撃で発生した風が外套とその下のローブを揺らす。アルベールに言われるがまま、ナギはテーブルの影に身を隠した。神官はソレを見て邪悪に微笑む。

「距離を離して守り切れるとでも!? もう一発撃ち込ん差し上げます」

 神官は再び詠唱に入った。ところが、今度は声が重なって聞こえる。アルベールもまた、詠唱を開始していた!

「“聖なる力よ、我が主に……”」

「“指先示すは一筋の電光!”」

 あっという間に詠唱を終えたのはアルベール。

(は、はやい!)神官は驚いて目を見開く! アルベールは右の人差し指を神官に向けた!

「ライトニング!」

 指先に充填された魔力を電撃として放つ! 電撃は神官に線を伸ばし、呪文詠唱の際に発生する障壁に阻まれ、バチッ! と、激しい音を立てた!

「ぐわっ!」

 神官は致命傷を避けたものの、僅かな痺れと衝撃を受けて転倒する。歯を食いしばってアルベールを睨みつけて、仲間に指示を飛ばす。

「何してる、お前たちも早く戦え!」

 荒くれたちが、二人で挟み込むように近づく。アルベールは目を瞑って俯いていた。口元が小さく動いているが、二人にはそれが何を意味するか分からない。じりじりと距離を詰める二人を見かねて神官が声を荒げた。

「馬鹿者、小声で呪文を唱えています! はやく殴り倒しなさい!」

 本来の性根の悪さが口調に現れ始めていた。部下二人は改めてアルベールを見ると、僅かに声が聞こえてくる。

「“疾風よ、集いて敵を薙ぎ払え。”ワールウインド」

 いかん! 敵が気付いた時には、もう遅い。アルベールが右手を高く掲げると、彼の両側に突風が発生する。緑色の魔力を帯びた風に身体を攫われ、彼を挟もうとしていた荒くれ達はまとめて神官の元へと吹き飛ばされた!

「ダメ押しだ!」

 アルベールが右腕を突き出すと、その腕の動きに導かれるように風が吹いて、神官たち三人は強引に家の外に追い出されてしまった。

「うぎゃぁっ」

「だばーっ」

「馬鹿者、私を巻き込むな」

 悲鳴と罵声が混ざり合う。見苦しくも男三人は揉みくちゃになっていた。直ぐに体勢を立て直して、家に再突入しようと試みるが……。

「“隆起せよ、大地の精霊。”ウォール!」

 玄関を塞ぐように現れた、土の壁が行く手を阻んでしまう。

「窓からだ!」

 神官の号令で、通り沿いにある窓から侵入を試みる。だが、自ら窓を開けたアルベールと目が合った。彼はにやっと意地悪な笑みを浮かべて、右腕をにゅっと出す。

「“指先示すは一筋の電光ォ!”」

「「「ゲッ」」」

 必要以上に大きな声の詠唱。唱えようとしている魔法に気付き、三人の背筋に悪寒が走る!

「ライトニングッ!」

 指先から放たれた電撃がスキンヘッドに直撃、吹き飛ばされる。身体は焦げて黒くなり、口から煙を吐いている。

 アルベールの攻撃は止まらない。

「“指先”! “指先”!」

 ビリィッ、ビリィッ! 詠唱を短縮したことで、連射速度を増した電撃が連続で放たれる。その分威力は落ちているが、牽制には十分だ。直接当たらずとも、近くの地面に衝撃と共に土埃が舞う。

「アイツ“指先ゆびさき”連打してくる!」

「ち、近づけねえ」

 荒くれ二人が電撃を避けて跳ね回っている。その様はダンスのようにも見えて、滑稽だ。

「くっ、撤退しますよ!」

「覚えてやがれ!」

「後悔させてやる」

 神官が意を決して、ナギの家に背を向ける。彼に連れられて、部下二人もその後を追って行った。それぞれ負け惜しみを欠かさずに言い捨てていく。

 威嚇も込めて意地悪な笑みを作っていたアルベールは、敵を見送って困った表情を浮かべた。

 妙なことに巻き込まれちまったなぁ。振り返ると、ナギがこちらを見ていた。

「私、ナギです。……キミは?」

 彼女は目を輝かせていた。……まだ、開放する気は無さそうだ。

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