第一話 シダラの生まれた日
そのいち 「アルベール」
長い長い石畳みの廊下は話声で溢れている。人々は隣人と思い々いに語らい、目的に向けて足を動かしていた。
彼等は知識を、より強い力を欲している。自らの研鑽が己を、ひいては人間そのものの価値を向上させ、直面している脅威を打ち払う鍵になると信じている。
そのために、彼等はこの学び舎に集う。知識を競い、魔法を体得するために。
「我がオーライム新生魔法学院の受験生は年々減少しております」
背を丸めた、頭の丸い高齢の魔導士が愚痴のように声を漏らす。隣を歩く同じく高齢の、しかし背筋が伸びた賢者は、長く伸びた髭を撫でながらどうしたものか、と零した。
「ケイティ、君の学科試験の結果は?」
幼馴染に付きまとわれながら、金髪の女性は溜息をもらす。彼の結果を先に知った彼女は、得意の炎魔法の成績で後れを取った事実をまだ飲み込みかねていた。
「
色白の男性魔導士は、隣を歩く魔導士に相談を持ち掛けている。世間の事情に敏感な彼は、自らが専攻している魔法の価値すら信じることができない。
「今期の卒業予定は31名、内1人は……」
三人で並んで歩く学生グループは、ひそひそ声で噂話をしている。もうじき卒業する上級生の中に、大声では言えない事情を抱えた人物が混じっている、その名は……。と、言わずもがな。彼等は意地の悪い笑みを浮かべていた。
無数の足音を響かせながら、あちらこちらで思い思いの会話が繰り広げられている。歓談の声は鎮まりを知らない。隣人との議論に熱くなるうち、前すら見ずに歩き続ける者も居た。
そんな人の波を押し分けて手押し車は進んでいた。手押し車を押している人物を見て、皆一様にギョッとする。彼は人間ですらない、小鬼だった。人の子供程の大きさ、でっぷりとした腹部と小さな角が目立つ醜悪な使い魔だ。主が必要だと申された魔法の実験器具を積み、自分より大きな手押し車を懸命に押している。実験器具たちは木の箱やガラス瓶に入った薬剤など多様な形をしている。
小さな歩幅故に進みが悪くその重さも相まってかなりの重労働だ。小鬼は思わず、と言った体で愚痴をこぼす。
「ひーっ、ひーっ、こりゃたまらん。誰か代わってくれんませんかね」
そう言って周囲を見た。使い魔の癖に怠慢な台詞に誰もが目を合わせない。親切心が無いわけではない。だが、この小鬼の主人と関わり合いになりたくないというのが本音だった。小鬼が助けを求める程、蜘蛛の巣を散らすように人が掃けていく。そのうち、無駄を悟った小鬼は舌打ちをした。
「チッ、使えんな。人助けが魔法の神髄なんじゃなかったのか」
今までの同情を引くための哀愁漂う哀れな泣き顔から、不満を隠さない不機嫌な表情へと豹変する。無論、この小鬼の本性を周囲の魔導士たちは知っていた。
助けも得られず、致し方なく運搬を再開する。しばらく歩いて小鬼はまた息を切らし始めた。人を騙して楽をしようとする性質は紛れもない彼自身の本性であったが、手押し車の運搬に体格が足りず辛い労働になっているのもまた事実であった。
「ひーっ、ひーっ、くっそー……」
乱れた息遣いは人の声の波に埋もれている。体格に見合わなかろうと小間使いがなんだってするのは当たり前だ。それに、ご主人が
鬱屈した思いが叶わぬ願いとなった時。遠くで叫ぶ声が聞こえた。
「――そいつを捕まえろ!」
小鬼が声に振り向くと、誰かが人込みをかき分けて走っていた。緑色の学院のローブで身を包んだ人物は、教員級の魔導士と警備の兵士10数名に追われ、全力で走っていた。フードに隠れた顔が少し上がって、小鬼を見た。
「
小鬼の名を呼ぶと、彼は笑った。活路を見出したとでも言いたげで、グラムは戸惑う。
「アルベール、今度は一体何をしたんだ」
彼の名を呼び返す。彼は言葉で答える気はなく、その代わり真っすぐこちらに走ってくる。ブレーキをかける様子がない。
(ぶ、ぶつかるー!)そう思ってグラムは身を庇った。
「悪い、これ借りる!」
しかし、衝撃がグラムを襲うことはなった。彼は跳躍するとグラムを飛び越えて、実験器具が積まれた荷台に飛び乗った! その勢いで車輪は激しく回り出し、彼の身体を遠くへ運んでいく。
「あっ、ちょっ、おーい!」
グラムは焦って追いかけるが、その後ろから迫っていた、アルベールを追う一味の足の中に取り込まれて、やがて蹴り出されてしまった。ボロボロになって壁にもたれかかる。どうしようもなく、集団を見送った。
「ひーっ、助けてくれとは言ったけど、こんなの無いって……」
息切れしながら不幸を嘆く。アルベールのフードが外れて、その顔が見えた。赤と茶の間、本人曰く
「チッ、楽しそうにしやがって」
小鬼の口から不満が零れる。奴が騒ぎを起こすのは初めてではない。何度か自分も巻き込まれたことがあるし、紛れもない疫病神だ。
だが、奴は小鬼を
変な奴だ。友達だなんて認めてやるつもりは無いが、今日の所はあのガチガチの笑顔に免じて許してやるか。
小鬼の醜悪な不機嫌面は、やはり同じく醜悪な、それでも小さな微笑みに変わっていた。
一方アルベールは、移動を車輪に任せて荷台の上で後ろを向く。遠くでグラムがぐったりしているのを視界の端で確認しつつ、尚も自分を追う連中に目を向ける。
「止まりなさい、アルベール! 卒業を目前に何を考えているんです!」
先頭の中年魔導士が声を上げた。逃げるアルベールを追うのに焦ってはいるが、息は乱れていない。デスクワークや座学講義が中心の魔導士にしてはなかなか見上げた体力の持ち主だ。
決して侮ってはいけない。なんにしても先手必勝だ。口の中で呪文を詠唱する。狙うは後続連中、の、前。
「“隆起せよ、大地の精霊。”ウォール!」
アルベールは両手を脇の下から上に、術の軌道をイメージして動かす。
ずももっ! 廊下中央の床、その土材が変形し、隆起すると魔導士たちの道を塞いでいく。魔導士たちは驚いて足を止めるが、まだ側面は通れそうなので、そちらから迂回しようとした。
「もいっちょ、ウォール!」
続いて、今度は上から下に降ろす。すると、それと連動するように、天井から壁が下りて、開いていた両側を塞いでしまった。追走していた魔導士たちは壁の前でたたらを踏む。
「なんと、連続でウォールを。呪文の詠唱がとても早い」
魔道の理を学ぶ者として、若き魔導士の実力に感嘆の声を漏らす。隣の高齢の魔導士は、ため息とともに首を横に振った。
「見くびってはいけませんよ。彼はただの首席卒業生ではありません。彼がその気になれば……」
含みのある言い方をすると、中年の魔導士は青ざめる。
「わ、わかっています。なんとしても、捕らえなくては」
彼等が話を終える頃には、後ろをついてきていた魔導士が三人がかりで
壁の妨害と手押し車の推力により、随分距離を稼いだ。
がしゃんっ!
「のわっ!?」
その時、車輪が段差に引っかかり、つんのめってアルベールと実験器具たちを放り出す。
「やばっ、“フロート”!」
自分と、周囲のモノを浮かせる魔法を唱えると、淡い光に包まれて自分たちが宙にぷかぷかと浮く。その間に実験器具たちを回収すると、術を解除して降り立った。手押し車に器具を適当に詰め直して、その場を後にする。
いつしか寮の区画に入っていたらしく、廊下の人通りは殆んど無いに等しい。それでも、遠くから複数の走る足音が聞こえてくるあたり、やはり追撃は終わっていないようだった。
すると、優しい声が彼を呼ぶ。
「アルベール」
声のした方を振り向くと、小さく開いた扉から、こちらへと手招きされていた。アルベールはその部屋へと滑り込む。
その人物はゆっくりと部屋の奥へと歩いていた。アルベールは乱れた息を整えて、背を負う。
「本当に行くんだね」
おっとりとした、中世的な声。目の前の人物はその声に違わぬ美しい顔をしていた。男性にしては背が低く、女性にしては凛々しい目をしている。しかし、その表情はどこか寂し気で、儚く俯いていた。
「危ない所だった、マジで感謝してるよ。ブルック」
大切な友達に礼を言われて、ブルックは頬を朱に染める。しかし、直ぐに首を横に振った。
「ううん。それより、早く」
ブルックはクローゼットにしまわれていた黒い外套を手に取った。
「ああ」
アルベールはブルックに近寄ってそれを受け取る。二人は並ぶと背の高さの違いがはっきりとわかり、ブルックはアルベールの胸のあたりまでしか背丈が無かった。
部屋の窓に近寄ると、アルベールはソレを開け放つ。眼下を見下ろした。
風が強く吹いている。夜の闇の中で、遠くで住宅街の明かりがちらほらと見える。しかし、自分の直ぐ真下は闇に染まっていた。月光に照らされてわかるのは、高く生えた木々が闇の中で風に揺らされて踊っているという事。それが、遥か下にある。
「気を付けて」
声をかけられて意識を戻す。ブルックの声は別れを惜しんで震えているように思えた。そんな友達を元気づけてやりたくて、アルベールは一度振り返って笑顔でピースサインをした。うまく言葉は纏まらなくて結局何も言えなかったが、それでもブルックは驚いて目を見開いていた。
見送ってくれる友達の為にも、こんなところで臆している場合じゃない。アルベールは決意を固めると、窓辺に足を掛けて、一息に飛び立った!
残されたブルックは、駆け寄って彼の姿を探す。黒い外套は闇の中で迷彩の役目を発揮しているらしく、姿を見つけることはできなかった。
こん、こん。ノックの音を聞きつける。誰かがこの部屋へと尋ねてきた。
ブルックが扉を開くと、其処に居たのはアルベールを追っていた魔導士たちだ。先頭の中年の魔導士が息を切らして言う。
「ここへ、アルベール君が来ませんでしたか」
ブルックが静かに頷くと、彼等はどよめいた。そして、ブルックは開け放たれた窓を指さす。
「何があったんですか?」
訪ねる中年の魔導士は困惑と焦りの表情を浮かべている。ブルックは目を伏せてかぶりを振る。
「来ました。そして、僕に口止めをしてそのまま……」
ブルックの言わんとしていることを察すると、中年の魔導士は思わず声を上げる。
「身投げを!? 馬鹿なことを……」
慌てた魔導士たちは断りもなく部屋に押し入り、窓へと身を乗り出した。眼下には闇に包まれた森が広がっている。ブルックは悲壮感溢れる表情を作り、声色を今にも泣きだしそうな震えた声にして言った。
「そうです。アルベールはここで死にました。だから……」
「死体を探しなさい!」
扉の向こうから、厳しい声がして全員がそちらを見た。高齢の魔導士は一人部屋に入らず、状況を見守っていた。その表情は険しく、僅かに怒りが滲んでいる。
「学長、彼はもう」
ブルックは食い下がるが、学長と呼ばれた高齢の魔導士は視線を寄越さない。ちっぽけな感傷に浸る間もなく、部下に指示を出す。
「彼は魔法学の、世界の希望です! たとえ死んでしまっても、その身体に利用価値があるのです」
魔導士たちは戸惑いながらも頷き、部屋を出て行く。学長もその場を後にすると、最後に中年の魔導士が扉を閉めて行った。
ブルックは独り残される。不安そうに彼等を見送ると、アルベールの身を案じて自らの身体を抱きしめる。
「アルベール、どうか君の新しい人生が、自由に溢れたものでありますように」
神に祈ることは、彼は望まないかもしれない。それでも、彼の幸せを祈りたかった。せめて、大切な友人として……。
……堕ちていく。
「やべっ、風、つンよぉっ!?」
身体を大の字に広げて、アルベールは落下している。物体に浮力を持たせるフロートの魔法をかけて、落下速度を抑えている。しかし、フロートの魔法は魔力を光として帯びてしまう性質があり、隠密には向かない。夜の闇が自分の味方をしている以上、それを台無しにしてはいけない。そう思い、出力を抑えていた。
しかし、ぶっつけ本番で試すには少々イメージトレーニングが不完全だったようだ。落下速度もそこそこに、それ以上に風に煽られて予想していなかったほど大きく横に移動している。
堕ちていく。魔力の量も、詠唱の早さも、知識量さえ学内一と謡われた天才が、些細な計算ミスのせいで。どんどん、どん底へ向かっている。
「死んでたまるか……っ!?」
また一際強い風が吹いて、姿勢を維持できない。やがて体は回り始める。この状態を、確かきりもみ回転とかいうのを、アルベールは何かのはずみで知っていた。そんな事を考える余裕もなく、振り回される視界の中、すこしずつ闇が遠ざかっていくのを感じる。そして、民家の屋根が眼前に迫っている事に気が付いた!
「ぶ、ぶつかる! うぉわー!?」
どっしゃぁあ……! アルベールは森の向こうへと堕ちてしまった。柔らかい土ではなく、硬い屋根の家に……。
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