プロローグ そのさん

 夜明けとともに盗賊仲間たちの捜索を再開した。

 誰よりも早く眠っていたほーちゃんは、朝早くから元気に馬車を引いている。反対に、御者のナギは欠伸をした。

「元気かね、ほーちゃん。朝早くからありがとうね」

「ぱぉー!」

 一行を乗せた馬車は、輓獣ばんじゅう(馬車をひく獣の事)の快足により、森をぐんぐん進んでいく。


 馬車の中ではレイドが寝息を立てている。夜間の見張りは彼だった。

 車窓から外を眺めているウォーリーは、必死に目を凝らしていた。そんな彼を見かねて、シダラは声をかける。

「落ち着けよ。とりあえず今は、アコが見てるから」

 彼の言う通り、アコは馬車の屋根に腰を下ろして周囲を見渡している。それでもウォーリーは安堵の表情を作ることは無い。

「ですが」

。知らないわけじゃないだろう」

「ええ。ですが、例外もありますし……」

 今から百年ほど前に突如出現した魔物は、森や山、海などに出現し、遭遇した人間を襲う習性がある。

 神出鬼没の魔物に対して、世界中の人間は多くの法則を見つけて対策を講じようとしている。だが、その多くは未だ根拠の足らない憶測にすぎなかった。

「そうかもな。けど、今はアコを信じてくれ。あいつの鋭さは並じゃないぜ」

 ウォーリーはアコの事を思う。ナギやシダラが特別に気にかけていた少女。特徴的な黒い髪と、灰褐色の肌。成人には程遠い幼い少女でありながら、大人を凌駕する運動能力に、五感の鋭さ。ウォーリーには、その出自に心当たりがあった。

「シダラ様。アコ様は、ひょっとして」

 真実を確かめようとしたその時、馬車が止まった。

「どうした!」

「アコちゃんが」

 ナギの言葉を遮って、アコが叫んだ。

「シダラ! 遠くで足音、多分、昨日の巨人。あと、悲鳴も」

「なんですって!?」

 ウォーリーは傍らの剣を掴んで、馬車のから飛び出していく。自分の部下の危機かもしれないと思うと、居てもたってもいられない。

「おわ、待てよ!」

「アコ様! 敵はどちらに!?」

 シダラの制止も無視して、馬車の上に居るアコに声をかける。必死な形相に圧倒され、アコは思わず指をさした。

「かたじけない」

 アコが指をさしたのは、馬車では入れない木々の中。ウォーリーは軽く頭を下げると、迷わず飛び込んでいった。

「おまえ、教えたら駄目だろうが」

 後を追って馬車から出てきたシダラが、アコに苦言を呈すると、彼女は目を逸らす。

「だって、必死そうだったから」

「ったく……」

 アコは俯きがちに、もごもごと言い訳をした。シダラはため息交じりに頭をかき、思考を巡らせる。

 ウォーリーの必死な横顔を思い出す。随分思い詰めていた様子だった。それから、予想される巨人との戦い。レイドの剣で斬っても再生する恐るべき魔物。一撃で殺せる攻撃が望ましい。

 となれば、か。あんまり使いたくは無かったが……。

 シダラは作戦を纏めると、再びアコを見た。アコは彼の言わんとしたことを悟る。

「追いかけるの?」

「ああ。頼めるか?」

 ニコッ!

 シダラに頼られて、アコは笑った。馬車から一息に飛び降りると、ウォーリーの後を追う。

「ナギ。馬車でこっちも追いかける。遠回りになるが、急いでくれ」

「わかった!」

「それから、ペンダントを貸してくれ」

「えっ」

 シダラが足を掛けて馬車を登った。一方、ナギはシダラの意図をくみ取って動揺する。

「あの魔法、使うの?」

「持久戦は不利だ。一撃で決めたい」

「……わかった」

 ナギは目を閉じて首の後ろに手を回すと、服の下に隠していたペンダントを外した。黄の紐の先には、紫色の輝石が括りつけられていた。

「いつも悪いな」

 輝石は陽の光を受けて輝いている。ナギは首を横に振った。

「ううん。でも……」

 “無理しないで”。そう言いたかったが、それはもう言っても仕方がないと思い、続く言葉は飲み込んだ。

 ペンダントをシダラに渡す。彼はナギの飲み込んだ言葉に頷いた。

「わかってる。そのために、お前の力を借りるんだ。……さあ、急ぐぞ!」

 馬車の中に潜り込むと、シダラは胡坐を組んで集中する。眠っていたはずのレイドは、その姿を片目を開けて見守って、また眠るために目を閉じる。それからまもなく、ナギは無言で馬車を動かした。

 

 ☆☆☆☆☆

 

 息せき切って森を走る。金属鎧の重さが枷となったが、そんなことは百も承知だ。


『ただいま』

 薄汚れた金貨を握ったまま、あの日も扉をくぐった。

 血に濡れた剣も、青痣の引かない身体も、家族には上手に隠してきた。奪った時に金貨にこべり付いた血だって、結構上手にふき取れたはずだ。

 さあ、今日は大目に手に入った。今度こそ、ちゃんとした医者に診てもらえるぞ。そう言って、ベッドへ向かう。

 言葉に対して返ってきた音は、自分が愛した妻の声でも、その間に生まれた愛しい娘の声でもない。

 きん、ころころころ。高い音を立てて金貨が掌から零れていく。

 何もかもが手遅れだったと認めるには、少し時間が必要だった。


 ……神よ。これは報いなのか。

 正道を外れ、誓いに背き、それでも愛した人を守ろうとしたことが、罪なのか。

 ならばなぜ、私をヒトにしなかった!?

 私がヒトだったなら、彼等の言う異種族でなかったなら。正しく生きて行けたのに。

 

 追い詰められた心が過去を呼び覚ます。ウォーリーは必死に頭を振って、悔恨を払いのける。浮かんだ涙は、風にさらわれていくのを待った。

 走れ、走れ! 最後に倒れてもいい。もう、

 ウォーリーの足を動かしたのは部下を持つ者の使命感であり、失う事への恐怖、忌避感情だった。

 

 ウォーリーがたどり着いた時、巨人の腕が部下を捕まえようとしているところだった。

「やめろ!」

 両手で持ったブロードソードを振り上げると、指の一本に鋭い切れ込みが入って、巨人が怯んだ。赤い体液が吹きあがるが、その傷は見る見るふさがっていく。巨人が手を払うとウォーリーを軽々吹き飛ばした。衝撃で留め具が千切れ、兜が外れて飛んでいく。

「隊長!」

 5人の部下はそれぞれ武器を持って対峙しているが、圧倒的な力の差を前に成すすべなく死を待つばかりであった。それでも抵抗の意思はあったらしく、武器が折れたり、当たらなかった矢が木に刺さったりしていた。

 ウォーリーは膝に力を入れて立ち上がる。角の生えた頭から、赤い血が垂れてきた。全力疾走の末、肩で息をしている上に、あれだけ強い力で頭を揺らされたのだ。はっきりしない視界の中で、巨人を見つけると、睨みつける。

「私の部下に手を出すな!」

 我らが隊長の頼もしき叫びに、部下たちは心を震わせる。絶望していた部下の中には、思わず涙汲んでしまう者もいた。ところが、そのうちの一人、狙撃手は巨人の異変に気が付く。

 巨人の瞳が充血するように赤くなっていく。やがて、一本の赤い線が瞳の中に浮かんだ。半笑いだった表情が強張っていき、下がった口角は悲しみ、又は怒りの表情を浮かべていた。

 そして、息を吸う。

『……ごばあああああ!!』

 信じられない声量の雄たけびが、音と衝撃をもって周囲を襲う!

 ウォーリーは思わず膝をつき、倒れてしまいそうなところを剣を地面に刺して堪えた。しかし、部下たちはそうもいかず、大半の者が意識を手放してしまう。

「なんという声量。……はっ」

 影が自分を黒く塗りつぶしたので、慌てて見上げた。巨人はウォーリーを見ると、指先で身体をつまむ。さして力を入れてもいないが、手加減をするつもりもなく、ウォーリーの身体に甚大なダメージが及んだ。

「ぐふっ!」

 血が口から噴き出る。それをみて、巨人は邪悪に微笑んだ。それでもウォーリーは部下を案ずる。

「に、逃げろ」

 絞り出した声を漏らすのが精いっぱいだった。先ほど意識を手放さなかった唯一の部下、すなわち狙撃手は、隊長の命令を聞き入れられず腰にぶら下げた筒から矢を取り出そうとしている。しかし、全身の震えからか、取り出すことができない。

「馬鹿者、早く」

 ウォーリーはふと、巨人の目を見た。巨人は自分を見ていない。足元のちっぽけな生き物を見ている。身動きの取れない、ウォーリーの部下たちを。ウォーリーを悪寒が貫く。

「やめろっ、やめてくれぇ」

 ウォーリーは叫んだ。身体を押しつぶされながら、必死に叫ぶ絶望の声。それが、巨人にはたまらない!

 大きな足を持ち上げると、踏みつぶそうとした。狙われた狙撃手は、悲鳴を上げるのも忘れてただ見上げて……。


 ざざざっ!


 駆け付けたアコが狙撃手の身体を攫った! 巨人は空を踏みつけ、感触の無さに首を傾げる。

 アコは、狙撃手の身体を雑に投げ捨てると、自分もその場を離れる。そして、巨人の左足の後ろに回り込むと、迷うことなく踵に短剣を突き刺した!

 原因不明の痛みに巨人がうめき声をあげる。ゆっくりと振り返って確認するが、そこには何もいない。しかし、足跡のように短剣の刺し傷が残されていて、痛みとなって巨人を襲う。刺し傷は連続して、少しずつ上に上がりながら、左回りに身体の前へと続いている。

 巨人がようやく顔を前に戻したところで、アコは膝を足場に素早く跳躍し、巨人の右肩に短刀を突き刺す!

「あ、アコ様!」

 ウォーリーが叫ぶ。アコは躊躇うことなく右腕を駆け、ウォーリーを捉えている巨人の指目掛けて両の短刀を突き刺す。親指の爪の根本近くに刺さった短刀を逆手に持って上下に引き裂くと、激しい出血と共に巨人に激痛を与える! これにはたまらず、巨人は叫んだ!

 ぐあああおおおっ!

 痛みのあまり手放したウォーリーを空中で抱えて着地する。

 巨人は指を掲げて痛がっているが、その傷も瞬く間に治っていく。同様に、道中でアコが刺した傷もとっくに治っていた。

「おじさん、下がってて」

 尻餅をついていたウォーリーは、目の前で巨人と対峙する少女を見上げた。

「しかし、私は部下を守らなくては」

 当然の義務を口にするが、何故だか口の中は乾いていた。

 本当は怖い。本当はできない。それでも、もう逃げ出したくない。

 恐怖のせいで視野が狭くなっていることに、自分自身では気付けなかった。

「私は、シダラが死んだら悲しいと思う」

 アコが小さな声で呟いた。

「……え?」

「きっと、おじさんも同じ」

 彼女がそう言うと同時に、立ちふさがる複数の人影があった。

「隊長は死なせない!」

「応ッ」

 ボロボロの身体を引きずって壁を作ったのは、ウォーリーの仲間たちだった。

「馬鹿な、何をしているんだ」

「それは隊長も同じです」

「隊長はご家族を失っても、私たちのために戦い続けてくれた」

「人の道を外れることがどれだけ貴方の心を蝕んだか、知っています」

貴方は生きるべきだ!」

「私たちが、貴方に限り!」

 部下たちの言葉が、ウォーリーの心を強く打つ!

 ……

 私と同じ願いが、彼等の胸にもあるというのか。

 守るべきだと思っていた部下たちは、とっくにウォーリーを愛し、守ろうとしていた。

「そうだ」

 ウォーリーは気づく。守っていたのは私だけではない。部下たちも、家族も。私の心を守ってくれていた。

 騎士の道を踏み外しても、愛する人のために生きるという、私の心を。

「私はずっと、守られていたのか」

 呟いた、その時。視界は影に覆われて、脅威が迫っている事に気が付いた。振り上げられた木は棍棒として扱われ、ウォーリーたち目掛けて振るわれる。このままではまとめて全滅してしまう。

 そうなる前に、アコは飛び出した。力を溜めて大ジャンプをすると、一気に巨人の眼前に躍り出る。驚いた巨人は木を持っていない手でアコを払いのけた。

「……ウゥッ!」

 地面を転がりながら苦痛に耐える。うめき声が漏れた。それでも素早く身体を起こして、ウォーリーたちを睨みつける。

「いいかげん、邪魔!」

 その恐ろしい形相に盗賊たちは背筋を凍らせた。

「そ、総員、退避ー!」

 ウォーリーを筆頭に、盗賊たちは巨人に背を向けて離れていく。アコは素早く走り出すことで、巨人の気を引いた。

 巨人は木を力任せに叩きつける。しかし、他人を気にする必要のないアコに、この攻撃は遅すぎる。残像が残るほどの素早いステップで攻撃をかわすと、そのまま木に飛び乗り、腕を駆け抜けて大きな目を目指した!

 右手を伸ばし、大きな眼球に迫る! ところが、攻撃の直前、そこに大きな壁が現れる。一つ目巨人の、まぶただった。

「ま、まばたき」

 本能で異常を警戒してしまい、行動が一手遅れた。その隙に振るわれた平手が、アコを弾き飛ばしてしまう。

 木に体を打ち付けられて、口から血が漏れる。身体が丈夫なアコでも、二度も強く打ち付けられて平気な訳ではなかった。

 アコは苛立ち始めていた。狙いがあっての事とはいえ。あのでかぶつ、少し調子に乗っていないか。

 口から零れた血が服にかかっている。自分の血を見ていると、何かが燃えるように熱く、際限なく膨らんで自分を抑えられなくなってくる。

「むかつく」

 呟きの後、大きく目を見開くと、目が充血して赤くなっていく。やがて、黒い瞳に赤い線が一本通った。その症状は、怒りに満ちた巨人の目と似ていた。

 少女の瞳が魔物と化していく。巨人もそれに気づいて、再び怒りの表情を浮かべた。

 ここから先は、魔物同士の殺し合いになるだろう。どちらかが死ぬまで、凄惨な戦いが繰り広げられる……。

「お待たせしましたー! シダラ運輸でーすー!」

 そこへ、けたたましい音を立てて突っ込んでくるのは、ホースラディッシュが引く馬車だった。アコの瞳からが消えていく。

 レイドが幕を開けると、シダラの瞳が巨人の目を捉えた。彼に宿る強い魔力と意思を感じ取り、巨人は僅かに怯んだ。

 馬車が止まり、シダラとレイドは外に飛び出す。馬車の中からこの魔法を使ったら、反動で馬車が吹き飛びかねないからだ。

 レイドはシダラの一歩前に出て剣を構えた。

 杖を握ったシダラの右腕に力が籠る。そして、術の詠唱を開始する!

 

『地上統べし我等が祖

 我、汝ら遠き子孫の身なりて

 力を借るべく願い奉る

 我、我が身、魂を持って誓わん

 紫電の槍持ちて 

 地上を汚す邪なる者

 尽くを貫く射手たることを

 破壊の力、今こそ右手に』


 詠唱を進めると、魔力を転換するための魔法陣が展開されていく。紫色の光で描かれた文字、紋様はシダラを中心に足元から空中まで、発動に必要な術式を記していく。次に、魔法陣が輝くと、術者を守護するための障壁を張った。

 直後、振り下ろされた巨人の拳が障壁に触れる。大木を軽く持ち上げる腕力を持ってしても、魔術で出来た障壁にヒビの一つも入れられない。それでも、巨人は拳を押し付け続ける。力ずくで突破するつもりのようだ。

 ナギから借りたペンダントが、彼の胸元で輝いている。魔力は紫の電流となってシダラの身体を蠢くと、少しずつ右手に向かって移動し始めた。

「うぐっ」

 痺れと痛みで声が漏れる。右手の杖を傍らの地面に突き刺した。電流はやがて右腕に帯電する。突き出した掌は発動体、後は術の名前を叫ぶだけ!

 魔物の本能で危機を察知した巨人は、引き抜いた木を盾にして、射線を塞いだ!

「シダラ!」

 遠くでアコが叫んだ。彼女はシダラを案じている。ただ、魔法の反動によるダメージを心配しているのであって、魔法の失敗を不安視しているわけではない。巨人は木で射線を塞いだが、そんなものは防御にすらならないと知っていた。

「“貫け”、紫電の槍ヴィオ・スピアー!」

 ピカッ!

 瞬間、雷光が全員の顔を照らした。そして!

 ばっごぉおおん!!

 シダラの右腕から放たれた紫の雷が、轟音と共に巨人の瞳を撃ちぬいた!

 紫雷の槍は対象目掛けて飛来し、その過程にあるもの全てを撃ち貫く。大木も、巨人の目、すなわち頭も貫通し、空洞を作っている。そして、その周囲だけを焦がしていた。因みに、大木と比べて巨人の頭の方が、貫通の跡が大きい。

 急所を一撃で撃ちぬかれた巨人は、生命活動を停止して、その衝撃のまま仰向けに倒れた。

 ずずぅ……ん

 地震と錯覚する衝撃は地面を大きく揺らす。体力を激しく消耗したシダラは体勢を崩しそうになるが、傍らにいたレイドがその腕を取った。

「お疲れ」

「へっ」

 シンプルなねぎらいの言葉が何故か面白くて、シダラは不覚にも噴き出してしまった。


 ☆☆☆☆☆

 

「急いで剝ぎ取るよ!」

「了解」

「盗賊さんたちも一緒に!」

「YES、姉さん」

「そのノリ何!?」

 ナギの指示の元、アコと盗賊の部下たちは巨人に『剥ぎ取り』を試みる。

 人間を襲う魔物の存在は脅威であるが、その丈夫な体は武具や日用品の材料として高価な値打が付く。商人である一行の重要な資金源であった。当然、この剥ぎ取り行為にも気合が入る。

 ところが、唐突にアコが嗚咽した。

「オエ」

 涙目でナギを見ている。

「どうしたの、アコちゃん」

「くさい」

 強烈な体臭がアコの敏感な鼻奥を突き刺す。戦闘中にも感じていた臭いは、死後さらに強まっていた。

「が、がんばれない? 早くしないと消えちゃうかも」

 ナギが説得するも、アコは首を横に振っている。

 魔物の身体は時間の経過により自然消滅する。大型の個体ほど長く留まる傾向にあるが、これもまた根拠に欠ける説である。

 この場合、剥ぎ取った部位も例外ではないのだが、例えば食べて栄養にしたり、加工して別の存在に変えてしまったものは消滅せず残る。また、縄で縛る、袋に入れる等して自身の所有物として扱うと、これもまた消滅を免れやすくなる。

 妖精が盗めなくなる、邪悪な魔物を浄化する神が人間の生活のために見逃してくれている、等の説があるが、どれも与太話の域を出ない。

 とにかく、生活がかかっている以上、急ぐ必要はあった。結局、アコは根負けして片手で鼻を抑えながら器用にナイフを突き立てていく。

 

 ウォーリーは、木陰で横たわってそれを眺めていた。傍らで膝をついたレイドは彼に手をかざしている。シダラは木に体を預けて、それを眺めていた。

 レイドがかざしている左手は、いくつもの石でできたブレスレットをしていた。手から発する暖かな光は、治療魔法の一種である。

「こんなところかな」

「あ、ありがとうございます。いてて」

 魔法を辞めたレイドだが、ウォーリーはすぐに顔をしかめる。

「おいおい、全然治って無さそうだぞ」

「仕方ないじゃないか。僕は剣士だ、神官じゃあるまいし」

 苦言を呈すシダラに、レイドは悪びれもなく言った。この回復魔法は信託魔法トラストアーツと呼ばれる神官が得意とする魔法だが、レイドは昔それをことがある程度でしかない。

「いえ、これでも幾分楽になりました。実を言うと、先ほどまで呼吸の度にヒューヒューと音が鳴っていたのですが、それも無くなりましたので」

「結構重傷だったんだな」

「感謝してくれても、いいんだよ?」

「ハハ……もちろんです」

 感謝されて当然ではあるが、レイドがそれをせびると何故か苦笑いになってしまう。


 ささやかな風が吹く。油断ならない状況に火照った身体は、随分落ち着きを取り戻していた。しばらく三人は休んでいると、シダラが唐突に口を開いた。

「なんで逃げなかったんだ」

 ウォーリーは目を丸くして振り向いた。

「何の話です?」

「昨日、巨人が出た時。今回もそうだ」

「ああ……。なんといいますか」

 彼にとって当然のことだったので、あえて言葉にするのが難しい。少し考えて、言葉を選んだ。

「これでも隊長だったので。部下たちの未来を守れなかった責任があります」

 騎士のまま生きていくことができたなら、こんな外道に走ることもなかった。彼はソレを自分の責任だと感じている。

「そりゃ、部下にとっても同じだろう」

「そのようです。アコ様にも、似た事を言われましたよ」

「アコに?」

 頷きを返す。シダラは遠くにいるアコを見た。結局剥ぎ取りの戦力から外されたらしく、膝を丸めて見学していた。

「へえ。あいつがそんなことを言うなんて、珍しいな」

「そうだね」

 頷きと共にレイドが相槌を打った。

「ま、なんにせよ。その責任感があればなんだってできるさ。この後は街まで送ってやるから、そこでなんか始めて見ろよ」

 シダラの励ましに、それでもウォーリーの表情は暗い。

「できるでしょうか。道を踏み外した私に」

「やるんだよ、死ぬまでな」

 言うのは容易いが、道行は難航するだろう。それでも、シダラはあくまで気軽に言った。アドバイスというより、これは応援だった。具体的な案は無い。だが、信頼だけがそこにあった。

 ここで何かを言い返せば、それはきっと言い訳だ。何も出来ぬ、生まれ故に。それが嫌だと感じるならば。死ぬまであがくしかない。

「……参りました」

「へへっ」

 ウォーリーが弱った笑顔を見せると、シダラは悪戯っぽく笑っていた。

 

 半日ほど歩いて、街道を下る。

 覚えのある看板に近づくと、ナギは馬車を止めて仲間たちを呼んだ。


「後は、まっすぐ行けば街に出られるはずだ」

 馬車を背にしたシダラが言う。

「親切にしていただき、ありがとうございます」

 ウォーリーが深々と頭を下げると、部下たちもそれに続いた。

「おじさん」

 小さな声がした。シダラ、ナギ、盗賊たち全員が声のした馬車を見るが、続く言葉が出てこない。沈黙の中、ホースラディッシュは大きな欠伸をした。

 馬車の中で、大きな声を出すのを恥ずかしがったアコがまごついている。

「代わりに言ってあげようか?」

 レイドの冷やかしが背中で聞こえた。アコはムッとして、即座に姿を消す。

 びゅんっ! 黒い影が風を巻き起こし、シダラのすぐ後ろに、張り付くようにアコが現れた。

「あの時、思いきりってごめん」

「えっ」

 思いがけない謝罪の言葉に、ウォーリーは驚いた。

 昨日、この子がずっと素っ気無かったのは、負い目があったからなのか。無礼を働いたのはこちらなのに。なんて素直な少女なんだろう。そう思うと、この少女がとても愛おしく感じられた。

「はは、ひゃひゃひゃ!」

 思わず大きな声で、思いっきり笑った。晴れやかな空にこだまする笑い声は、周囲の人間の笑顔を誘う。

「ははは!」

「ふっ……あはは!」

 気づけばシダラも、ナギも、部下たちも笑っている。ホースラディッシュも「ぱぉ」と鳴いた。

「わらうな」

 拗ねた小さな声が、笑い声の下から聞こえた。シダラはアコの頭をなでてやると、アコはその背中に赤くなった顔を隠す。ウォーリーは首を横に振って謝る。

「すみません、アコ様。悪いのは私ですし、何より、貴方達と一緒に居られた時間はとても楽しかった。アコ様、シダラ様、皆様方。このご恩は一生忘れません」

「いいよ、そんなの。つーか、忘れてくれ。特に、魔法の事はな」

 シダラの言う魔法とは、巨人を一撃で葬った『紫電』の魔法の事を指している。ウォーリーは深く頷いた。

 強い力には、相応の理由がある。魔法に詳しくないウォーリーから見てもあの威力は尋常ではない。ただの商人一味が抱えるには、あまりにも大きすぎる秘密があるように思えた。

「わかっています。あの魔法の事は他言しません」

 ウォーリーが力強く頷くと、シダラは最後に照れを隠すように笑った。

「じゃ、尚更だ。恩とか柄じゃねぇ、楽にいこうぜ」

 マントを翻して振り返ると、アコと一緒に馬車に乗り込んでいく。アコも、最後にちらりとこちらを見たきり、振り返らなかった。


『ぬおっ、私の剣が木剣にすり替えられている』

『お父さん、悪戯してごめんなさい』

『馬鹿者、怪我でもしたらどうする』

『まぁまぁ。今日はその辺にして、明日に備えて早く寝たら?』

『それもそうだな』

『お父さん、騎士の話また聞かせてね』

『もちろんだ。はは、ひゃひゃひゃ』

『お父さんの笑い方、気持ち悪い』

『がーん!』


 遠ざかっていく馬車を見送るうち、自然と涙があふれてきた。

「ご家族を思い出されますか」

 部下の一人、狙撃手が声をかける。ウォーリーは涙を拭った。

「どうしてだろうな」

「さあ。しかし、彼等を結ぶ絆は、家族のように強い。火をかけようとした私が言うのも気が引けますが、私は彼等がとても好きです」

 彼女の表情は狙撃用のゴーグルによって分かりづらいが、その口元には温かい微笑みを浮かべていた。

「そうだな。私もだよ」

 些細な幸せが、ずっと続いてほしかった。失い、取り残された自分の運命をずっと呪ってきた。

 彼等の姿は、かつて自分が思い描いていた幸せの続きだったように感じられた。その温かさを思い出した時、かけがえのない家族と過ごした大切な時間を、自ら凍り付かせていたことに気が付く。

 別れは辛い。残された世界を一人で生きていく、生とは地獄だと思った。だが、それは違う。

 出会いはきっと幸せであり、死は人を絶望させてしまう。だから。

「生きなくては」

 顔を上げた彼の言葉は、独り言ではない。それは、恩人に対する力強い宣誓だった。

 力強い言葉を聞いた部下たちは、恩人である隊長がかつての気概を蘇らせたことを悟り、胸がいっぱいになる。中には、涙ぐんだものもいた。


 元盗賊の騎士たちは、人の住む街へと歩み出す。人の道を外れた者たちが、次は何を護るのか。その資格を、再び手にすることができるのだろうか……。

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