プロローグ そのに

 組まれた木に火が燃えている。

 アコが捕まえてきたウサギをナギに渡すと、ナギは驚いたが礼を述べていた。レイドはさっきからずっと剣の手入れをしている。その横で、ホースラディッシュが寝息を立てていた。

 陽はとうに沈んでいた。盗賊頭は、火にかけられている鍋をぼうっと見つめている。そんな彼に声をかけたのは、シダラだった。

「腹は減ったか?」

 彼は呪文を唱えると、持っていた杖の先端の宝玉を光らせる。眩しすぎない程度に明るさを調節すると、杖を地面に突き刺して照明にした。

「すみません。命を助けていただいた上に、お食事まで」

「気にすんな。どのみち、殺すつもりは無かったよ。適当に追っ払っちまうつもりだったからな」

 日中の遭遇戦を思い出す。結果を考えれば、この人たちを一瞬でも獲物だと考えた浅はかさが恥ずかしい。

「皆様はとてもお強いですね」

「まあ、な。この時勢じゃ、ある程度力が無いと町の外なんか出歩けないし。神出鬼没の魔物に加え、盗賊まで出くわすんだからな」

 皮肉を言うので彼を見ると、悪戯っぽく笑っていた。

「おっしゃる通りで」

 肯定と共に、苦笑いを浮かべた。

「アンタ、元は騎士だろ」

 唐突な指摘にどきりとした。盗賊頭は彼を見返すと、少し真剣な目をした。

「よくわかりましたな」

「口の聞き方と、装備。金属鎧なんて、今どき自腹で買う奴は限られてる」

 思わず自分の鎧を見る。使い古された黒い鎧は、機動力を重視する盗賊の装備では無かった。それに、それなりの値打がある代物だという指摘も正しい。

「貴方の言う通りです。私の名前はウォーリー・エルゴ。一年前まで、騎士として領主をお守りしておりました。しかし、ある時我々の解雇が決まって、路頭に迷うことになったのです。領主様曰く、、と」

 ウォーリーの小さな角は、ヒト以外の種族であることを示している。因みに、ヒト以外の種族の事を、ヒト異種族と呼ぶことがある。

 シダラは黙って彼の話に耳を傾けている。焚火を見つめる彼の瞳に、炎が映っていた。

「盗賊の仲間たちは騎士時代の私の部下です。彼等もまた、ヒトではないという理由で職を失った。私は彼等を纏め上げ、日々を生きていくために盗賊団を結成しました」

「ありそうな話だ。だが、こんな所にいたら自分達も危ないだろ。近年の魔物は活動的だって話だぜ」

「承知の上です。元より人の道を外れた身ですから、そうなるのも報いだと思います。それでも稼ぎが必要でした。守りたいものがありましたから」

「死んだら元も子もないぜ」

 シダラがぶっきらぼうに言うと、ウォーリーはどこか遠い目をしていた。

「その通りです。先立たれてしまいました。妻と子が流行病にかかってしまって。金が必要でした。手段を選んでいる場合ではなかった」

 シダラは驚く。想定以上に嫌な言葉になってしまった事を悔やんだ。

「……悪かった。そんなつもりじゃなかったんだ」

「はは。過ぎた事ですので」

ヒトの俺が言うのも変だけど。気の毒だったな」

「貴方様のせいではありませんから」

 通り過ぎた過去を冷静に受け止める。それを理由に偏見を助長したり、誰かに憎しみをぶつける事はしない。

 そうあるべきだと、ウォーリーは信じていた。


 夜の闇の中、レイドは剣を振っている。同時に細かく足を動かして舞うように動き、瞬発力を鍛えていた。アコはナギの後をついて回り、夕食の支度を見学している。シダラは魔導書を読んでいたが、匂いにつられて顔を上げた。

「そろそろかなぁ」

 ナギが鍋の蓋を開けた。肉と野菜を香辛料と赤ワインと共に煮込んだスープ。即ち、シチューだった。

「……!」

 アコが目を輝かせている。目の前の料理に意識を奪われて、自分のお腹が鳴っていることを気にしてすらいなかった。

「レイドぉー、ご飯だよ」

「フッ。待ちたまえ、もうすぐ終わる」

 レイドは返事こそ寄越すものの、動きを止めようとしない。区切りがつくところまでやり切らないと、妥協できないようだ。

「もー、先に食べちゃうからね」

 ナギは口では怒った風を装うが、さほど気にしていないようだった。食器を用意しながら、「あ」と呟いて手が止まった。

「ウォーリーさんの分。器あったかな」

「こないだの緑色の奴は?」

「緑色?」

 様子を見ていたシダラが口を挟む。ナギは上を向いて考える仕草をして、声を上げた。

「アレは! 傷がついたり汚れたら売れなくなっちゃうでしょ」

「ちぇ。食い物を入れられない皿に、価値なんてあんのかよ」

「あーるーのー!」

「ナギ、ナギ。それより、早く。お腹がすいた」

 叫ぶナギの服の裾をアコがひいている。ナギは彼女に微笑みを返した。

「アコちゃん、今日はいっぱい食べられるといいねえ」

 和やかな会話が続く。ふと、ナギは取り残されているウォーリーに気が付く。

「あ、ごめんね、ウォーリーさん。先、どうぞ」

 言いながら、木の器にシチューを注いでいく。ウォーリーは両手でソレを受け取った。

「お気遣いありがとうございます。しかし、よろしいのですか。食器が足りないようですが」

「ま、なんとかします」

 へら、と笑って見せるので、ウォーリーもつられて笑ってしまった。

 改めてシチューを見る。深い赤に近い色のスープの中、玉ねぎ、にんじん、先ほどアコが獲ってきた兎の肉が具として入っていた。

「ナギ、なんていうの」

 アコが料理の名前を尋ねた。ナギは微笑む。

「ホントは牛肉で作るのがメジャーなんだけど。この場合は“ウサギシチュー”かな」

「おおお」

「熱いからね」

 まるで親子のようだ。ウォーリーは微笑みながら妻と娘の事を思い出す。

 騎士の仕事を誇りに思い、名乗るに相応しい高潔さを妻は好きだと言ってくれた。騎士の何たるかも知らない幼い娘を守ることが、自分が騎士であり続ける意味だとさえ思った。

 今の自分を見て彼女たちは何と言うだろうか。例え生きていても振り向いてさえもらえなかっただろう。

(……それでも、生きていてほしかったなぁ)

 感傷に浸っていると、自分の肩に手を置かれて驚く。ウォーリーが振り返ると、シダラがナギに声をかけようとしていた。

「ナギ」

「ん?」

「いつもの、やるんだろ」

 ナギは「そうだった」と言いながら頷いた。

「では、手を合わせて」

 彼女の号令にしたがい、シダラとアコが両手を胸の前に合わせる。

「ほら、アンタも」

「ああ、はい」

 ウォーリーもシダラに促されるまま、真似をする。それを確認すると、ナギは満足気に微笑んだ。

「いただきます!」

「「いただきます」」

「い、いただきます?」

 三人が軽く頭を下げるので、ウォーリーもそれに習った。

「この方が美味しくなるんだと」

 隣に座ったシダラが説明を加えた。どうやら、ナギが言い出した決まり事らしい。

 まっさきにシチューに口をつけたのはシダラだった。彼は驚いて目を見開く。

「うまっ」

 シダラが声を漏らす。スプーンを持ち上げたまま固まっていた。彼に続いてウォーリーもシチューを口に運ぶ。

「うまっ」

 意図せず同じリアクションを取ってしまう。ウォーリーもスプーンを持ち上げたまま固まっていた。

「そんなにぃ? ……うまっ」

 大げさなリアクションを見て照れ臭そうに笑いながらも、自分で食べてみたナギも固まった。三人の様子を伺いながら、アコはすくったスプーンに息をかけて冷ましている。

 彼女はいわゆる猫舌だった。そろそろ頃合いかと思いつつも、警戒して半目でスプーンを見ている。それから、匂いを嗅いだ。

「変なもの入って無いって」

「ん」

 ナギに諭されて意を決する。ぱくりと、小さな口に含んだ。口の中で味わって喉を通る。そして、目を見開いた。

「うまっ」

「やったー!」

 固まったアコの隣でナギが歓声を上げた。様子を見守っていたシダラもほっとして食事を再開する。

 シダラとナギは、随分とあの少女の食欲を気にしている。何か問題があるんだろうか。踏み込んだ疑問を呈するのは気が引けて、口には出さなかった。


 軽い会話を何度か繰り返した後、シダラが言った。

「そういや、紹介して無かったな」

 言葉に反応してアコがシダラを見る。次に言いたいことを感じ取ったのか少々緊張感を纏った。

「こっちの素早いのがアコ。近接戦闘と斥候を兼ねてる」

 ウォーリーがアコを見ると、アコは明らかに視線を外した。そのまま背中を向けて、シチューをちびちびと食べ進めている。

「あんまり会話が得意じゃないんだ」

「違う。好きじゃない。……だけ」

 小さな声が背中越しに帰ってくる。殆んど同じではないのだろうか。ウォーリーはそう思ったが、やはり口には出さず、苦笑を浮かべるのみに至った。

「次、私かな。私はナギ。ナギ・タタラです」

 アコの隣にいたナギは自ら手を挙げた。そこへシダラが解説を付け加える。

「弱っちいけど、戦う以外のことは大体何でもできる」

「いや~、そんなに褒められても」

 ナギは照れ臭そうに笑うが、シダラは眉をひそめている。半分は皮肉のつもりだったようだ。

「ウォーリーさん、元は騎士なんですよね。騎士って……儲かるんですか!?」

 彼女は急に高揚して目を輝かせている。

「ど、どうでしょうね。当時はそれなりに」

「そうだよね~。伝手も広そうだし、何より懐が温かい方が顧客としては良きかな。ああ、お仕えしているときに出会いたかった!」

「ナギ、よせよ」

「あっ。ご、ごめんなさい」

 シダラにたしなめられて、ナギは顔を赤くして俯く。

「俺達、一応商人の一味で、金勘定はナギに任せてる。ナギは俺と組む前から商人なんだが、そのせいかちょっととこあってな」

「し、失礼な。みんながお金に無頓着すぎるだけなんですけど!」

「へっ」

 怒って反論するナギを、受け流すようにシダラは笑った。

「仲がよろしいのですね」

 冗談を言い合う二人を見て、素直な感想が漏れた。

 深い意味は無いのだが。二人に異変が起きる。シダラが唐突に咽て、ナギは動きを止めた。

「やだなあ、ウォーリーさん。ちょっと付き合いが長いだけだって。ね、アコちゃん」

 ナギは脈絡なくアコに話を振った。アコはジトっとした半目で彼女を見つめ返すと、ナギは苦笑いした。

「はひゃひゃ」

 何かを察したウォーリーが笑いだしたので、二人は我に返る。

「あと、俺だな。もう聞いてると思うけど、名前はシダラ。魔導士だ」

「先ほどから感じていたことですが、聞き馴染みのない名前ですな。ですが、不思議と耳に残る」

「そうかい。ありがとな」

 満更でもなさそうな表情で、照れを隠すようにシダラは食事を続けている。ふと、ナギも嬉しそうにしている事に気が付く。相手の名前を褒められて喜ぶとは、二人はよほど仲がいいのだろうか。

「こんなもんか」

「僕を忘れていないかい」

 歩み寄ってきたのは訓練を終えて帰ってきた剣士、レイド。シダラは淡々と言い放つ。

「覚えてたぜ」

「覚えてたのに教えなかったの?」

「ああ」

「ヒドイ……」

 悲しみを覚えたレイドは、衝撃的な言葉に怯んだ素振りをして、くるくると回り、倒れそうになる。が、倒れず、素早い足捌きで体勢を立て直すと、ポーズをとる。動きの所作一つ一つは優雅さを含んでいて、思わず見ていられるものだったが、仲間たちはうんざりした様子であった。

「こいつはレイド。見てわかると思うが、ナルシストだ。うぜェから、無理して口効かなくていいぜ」

「なんとも。お元気な様子ですな」

「元気の秘訣が知りたいかい? それはもちろん、僕の剣の美しさ」

「レイド、うるさい。早く座って」

 アコが苦言を呈する。言葉を遮られたレイドは、左手で後髪をかき上げた。帽子の下で青い長髪が揺れる。鍋を挟んで男女に分かれている、四人の間に座った。

「僕の名前は、レイモンド・ヴァン・オクトソース。華麗なる剣の使い手……」

 語尾に謎の余白をつけながら、流し目でウォーリーを見つめる。彼は何かしらのリアクションを求めているようだ。かつての騎士は、出会った事のない人種との会話を前に、道に迷ってしまった。

「私は、どうすれば」

「やめろレイド。困ってるだろ」

「美しいって、†罪†つ・み

「この野郎は!」

「ま、ま、シダラ。落ち着いて」

 カッとなって立ち上がる勢いのシダラを、ナギがなだめた。その間も、レイドはマイペースに何かを探していた。

「ところでナギ。僕の分は?」

「あ」

 ナギは少し思案した後、席を立つ。味見用の小皿と、おたまを持ってきた。

「これしかなくって」

 レイドは小皿を受け取ると、鍋の近くを陣取って、ちびちびとシチューを飲み始める。随分飲みにくそうな様子だが……

「うまっ」

 お決まりのリアクションは欠かさなかった。

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