第125話 龍・虎・鳳(裏)

――徐庶


「元直、君はやがて君子に使え、一国の太守になるだろう」

「ふむ、俺は撃剣しか取り柄がないんだが、君が言うならばそうなんだろう」


「孔明、俺はどうだ? この龐士元ならどこまで昇れる?」

「君はまずは自制心を強く持つべきだ。さすれば仁君のもとで羽ばたけよう」

「やけにふんわりしてるな。まあいい、お前がそう言うならそうなんだろう」


 夢か――

 徐庶は泰山の麓に張った天幕で身を起こす。

 水鏡先生のもとにいたのは僅かではあったが、あの時はのびのびと過ごせたと思いをはせる。


「お頭ーっ! お頭はいやすかっ!?」

 割れるような声に、やれやれと徐庶は身づくろいしつつ回答する。


「本舎の中だ。入っていいぞ」

「お邪魔しますぜ。お頭、曹操軍の装いをした野郎が、こんなものを」


 言葉とともに差し出されたのは、一通の書状である。


『破邪の刻至れり。ゆめ怠りなく』


 ついに……来たかと、徐庶は身が引き締まる思いがした。

 乱世を憂う士は散り散りになり、才能ある多くの者が死んでいった。

 その無念、如何ほどであっただろうと歯噛みするほどに。


「これより行動を起こす。目指すは烏巣の貯蔵庫。総員生きて戻ることを期待するなよ」

「ッ! では、ようやく……」

「そうだ。俺たちが待ち望んだ復讐が始まる。臧覇に全軍を集結させるよう伝えてくれ。俺は少し気を整えてから行く」

「かしこまりやしたっ!」


 天幕に来た男はとある古傷を持っている。

 この場所に集まった者は、多かれ少なかれ『あの男』に恨みを抱いているのだ。


「昨日の敵は今日の友と言うが、それもままならぬのが乱世か。こんな世界が正しいはずがない」


 徐庶は愛用の撃剣を腰に佩くと、静かに正装を纏いて外へ歩み出た。


「全員集結しております。お頭、お下知を」

「ご苦労だ臧覇将軍。総員傾注せよ、これより作戦を説明する!」


 徐庶・臧覇を筆頭に四部隊、四路に渡って進軍を開始。目指すは物資集積地である烏巣であること。

 うち三つは支隊として、尹礼・呉敦・孫観が率いること。

 進軍開始に合わせて、曹操軍は北上。そのまま鄴を直撃すること。

 そして邯鄲から南下し、同じく鄴を目指すこと。


 諸葛亮・龐統・徐庶が三つの軍を指揮し、袁家の命運を絶やすこと。


 


「ついにやるんですね、お頭。壮大なあの作戦を」

「そうだ。今ならまだ間に合う。中原に巣くう魔竜が世を併呑する前に討てるだろう。そう、今しかないんだ」


 泰山から出撃したのは三万。

 呂布や陶謙の残党に含め、近隣の山賊たちも懐柔して動員した。

 

(烏巣は攻めるさ。攻めることだけはしよう)


 烏巣襲撃は行われるだろう。そして淳于瓊によって奇跡的に撃退される。

 敗北した軍勢は、救助を求めて鄴に向かうだろう。そこには味方であるはずの軍隊が勢ぞろいしているのだから。


「袁家を利用するようで悪いが、こちらも本気だ。大きな木を切り倒すには、相応の準備が必要だった。それだけだ」


 一抹の申し訳なさを感じつつ、徐庶は馬を進ませる。

 

 袁紹軍が迫りくる部隊に気づいたのは、それから日が浅いときであったという。



――龐統

「ふむ、伏龍が動くか。分かった、こちらも行動を開始する」


 龐統子飼いの細作により、河北大捕り物が起こると把握した。

 袁家の目を全て集めておく役目は終わり、これからは鄴攻めの搦め手として動く必要があるだろう。


「さて、だ。こういう汚れ役は俺の得意とするところだ。悪いな、張燕」

 龐統は戎狄兵に、張燕の捕縛を命じて自室を出る。

 酒など飲んでいる場合ではないが、こうも胸糞悪いことばかりやっていると、飲まずにはいられない。


 やがて猿轡をかまされた張燕が、邯鄲の御座所に運び込まれてきた。

 何事かを吼えているようだが、龐統はハナから聞く耳をもっていない。


「お頭――いや、張燕。済まないが俺はお前を裏切る。そんな顔するなよ、最初からそういう予定だったんだ」

「んー! んんーっ!!」


「お前さんは反乱を起こした奴に討ち取られたことにする。こんだけ邯鄲で好き放題やったんだ、生きていられる道理はない。お前も、俺もな」


 張燕の叫びを無視し、龐統は剣を抜き放つ。


「俺たちの血で乱世が終わるのであれば、俺は悪鬼と罵られようとも構いやしない。悪名を残すこと大いに結構」


 ゴトリ、と重い音がした。

 つい昨晩までは、肩を叩き合い、飢えも寒さも凌いで苦労してきた友だった。

 いずれ行きつく先が地獄であろうとも、龐統にはやり遂げなくてはならないことがある。


「士元様、お下知を」

「予定通り、張燕には病気になってもらう。手はずを知っている者を邯鄲に残し、他の全軍は出撃だ」

「承知しました。では我ら『獏族』が守りを引き受けましょう」

「頼まぁ」


 ちぃと独りにしてくれや。龐統はそう告げると、張燕の首と向かい合った。


「よう兄弟。悪かったな。お前さんは賊徒、俺は裏切者、つり合いは取れてただろう?」


 当然のことながら、虚ろな目は何も龐統に意思を与えてはくれない。


「お前さんと飲んだ酒、薄くてまずかったが、嫌いじゃなかったぜ。でもな、兄弟。きっと誰かがやらなくちゃいけないことだったんだ」


 乱世は終わらせる。龐統士元はそのために手を汚したのだから。

 友も、町も、思いも投げ捨て、ただひたすらに。


「言えた義理じゃねえんだけどな。やっぱ、裏切るって……辛いわな」


 もう張燕の底抜けに明るい笑い声は聞こえることはない。

 龐統は人知れず涙を殺し、声を殺し、己を殺して泣いた。


 翌日、張燕の重病が発表され、養生のために邯鄲に臥せっていることが発表された。

 そして予てからの作戦通り、鄴への攻撃が命令されたという体にした。


「張燕のお頭は、お前らの勇猛さを誇りに思っている! 鼻もちならない袁家の奴らを薙ぎ倒し、俺たちは国を造るぞ!」

「うおおおおっ!!」

「士元殿! 士元殿!」


 満面の笑顔で、応える。

 その快活な仮面が、決して剥がれないようにと。



――諸葛亮

 

 流星が落ちた。

 空は素晴らしい。特に夜空は心に大きな刺激を与えてくれる。

 諸葛亮、字を孔明。

 徐州の難を逃れ、荊州に身を寄せた、天下の鬼才である。


 水鏡先生のもとで頭角を現し、本来であれば晴耕雨読の日々を送ろうと思っていたときであった。

 彼のもとに一つの訃報が届いたのである。


「弟が……均が……死んだ、だと?」

「孔明、こんなことしか伝えられなかった俺を恨んでくれ。徐元直、一生の不覚」

「言うな元直。そもそも俺が陳留に行こうとしなければよかったんだ」


 莫逆の友である、徐庶、そして龐統。

 病で臥せっていた孔明に代わり、弟の諸葛均が薬を買い求めに行ったのである。


 近くである襄陽、そして許昌ではよいものが見つからず、足を陳留まで伸ばした。

 当時の名医である吉本きっぽんが彼の地にいるとの情報を受け、遠出することになったのだ。


「なぜ……均は……いったい誰に」

「曹操……あの奸雄とやらの馬車列を遮っちまったんだ。わざとじゃない。住民がごった返していてな、身体の安定を崩したのだろう」

「問答無用でコレだ。あいつは、あいつだけは生かしておいちゃいけねえ」


 曹操……諸葛亮の脳裏には燃え落ちる徐州が浮かぶ。

 断末魔の悲鳴と赤子の泣く声、女性のうめき声。

 そして、弟・諸葛均の声が重なる。


「この……恨み……必ずやッ!」

 歯頚から血がにじむほどに噛み締め、爪がはがれるほどに手を握りしめる。


「よせ、孔明。君の責任ではない」

「元直、俺が診ておくから、薬と布を持ってきてくれ」

「任せろ」


 二人の賢者が次に聞いたのは、底冷えするほど恐ろしい友の声であった。


「元直、士元。取り乱して済まない。実は私に一つ考えがあるのだが」

 

 触れれば壊れてしまいそうで、それでいて灼熱の業火のように燃える声だ。

 否、最も温度が低い、青……いや黒い火だった。


「曹孟徳……かの魔竜を討ちます。ですが、まだ私には力も知識も、組織もありません。元直、士元、どうか私に力を貸してくれませんか」


 包帯を巻いていた龐統は、二つ返事で返す。

「いいぜ、やろう」


 腰の剣を撫でていた徐庶も、無言でうなずいた。


「己が行いし悪行は、やがてその身に還る。そう、光を跳ね返す水面のように」


 龐統は北に、徐庶は東に。

 そして孔明は懐に。

 狩場は河北。袁家の軍事力を借り、曹操を討ち取る。


「ただ討ち取るだけではいけません。彼の意志を継いだものが必ず現れるでしょう。草を枯らすには根を抜かねばなりません」


 そう、悪行は巡り巡って必ずその身に降りかかる。


 三竜水鏡の計。


 味方と見せて、三方より包み込んで根絶やしするべく、各地に埋伏するところから始まった。

 かれこれ何年経っただろうか。

 それぞれが配置につき、今、幕が上がる。

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