第123話 凄い……正解者が誰もいない……

――郭図


 ふむ。さっぱりわからぬ。

 臣が見るところ、この場で鳳雛なる醜悪な男を斬ればよいのではなかろうか。


 しかし我が殿の心は黄河よりも深くある。そのような無体は容認されぬか……。

 ならばここは臣めが剣を執り、悪を誅するべきであろう。

 

 恨みは少ししかないが、これも殿の御為。ここで屍を晒してもらおうぞ。


「公則様、御控えくださいませ!」

「何奴!?」


 そこまで口にしたことは覚えておる。

 気が付けば臣は、御座所とは別の部屋に隔離されておったわい。


「そこまでです。猫の目が光ってるうちは、顕奕様のお邪魔はさせません!」

「本当に不愉快な男ですね。ねえ鈴猫、いっそ一思いに」

「いけませんよ明兎ちゃん。これでも顕奕様の幕僚なのです!」

「ならば再起不能にまで追い込んで、黙らせてあげた方がよくない?」


 うら若き侍女めらが臣を断罪するというのか。


「これ、そこな童ども。臣を誰と心得るか。畏れ多くも袁顕奕様の正規軍師であり――」


 空中で何かが破裂するような音が聞こえ、ついぞ黙ってしまったわい。

 なんじゃ、何が起こったのだ?


「明兎ちゃん、それ……」

「馬の革で作った鞭です。以前姫様が輿入れなさりし折、夫たる袁顕奕様が不甲斐なければ、これで喝を入れるおつもりでした」

「猫に見つからなかったことを幸運に思ってください。流石にそれはお庇いできませんよ!」

「ええ、結果的に使用せずお蔵入りされてたの。良かったわね」


 何をごちゃごちゃ抜かしておるか。

 臣は一刻も早く会議に戻り、殿に最適解を助言する身であるのだぞよ。

 このような拷問に割く時間はないのじゃ。


「二軍師様からの指示ですよ! 郭公則様、これまでの悪行の数々、反省してくださいませ!」

「……鈴猫の言は恨みが籠っているようですが、実際は別です。考え違いをなさらぬよう」


 二人で別の意志を伝えられると、臣めの頭脳が労働を拒否するぞよ。

 もっと簡潔に、童でも分かるよう言ってくれんかの。


「コホン。此度の舌戦において、文和先生と奉孝先生が『仕込み』をされているのですよ! 公則様に盤上を引っ掻き回されると、折角の策が崩れると仰せでしたよ!」

「……つまり?」


「策に公則様は必要ないとのご判断ですよ! 余計な発言をされぬよう、身柄を猫たちがお預かりした次第です」

「おのれ小童! 殿の側には臣が。臣の側には殿がいらっしゃるべきじゃ。貴様らのような侍女風情が乱して良い序列ではないぞ!」


 ピシャン、と空気を破裂させて明兎の鞭がしなる。


「おだまりなさい! 邯鄲には袁家及び甄家の血縁も多くおりました。ですが張燕なる賊徒の狼藉で、その多くが命を散らしたことでしょう。両先生の策を成功させ、悪逆なる者たちを駆逐せねばならないのです」


「なればこそ、臣めの策が――」

「だまらっしゃい!」


 ピシンッ!


「それに私は邯鄲の出身です。荒くれものどもが闊歩している現状を、黙って看過出来るはずもありません!」

「ふむ、明兎と申したか。それは不幸なことじゃな。なればこそ我が知略で――」


 バシンッ!


「いっつ……ぁ……な、何をするか小娘!」

「私は首を賭けてでも、今回の作戦を成功させねばならないと覚悟しております。邪魔はさせません」


 鞭をしならせておる小娘――明兎と申したか。

 臣がそのような小手先の拷問に屈するとでも思うておるとは。あな情けなや。


「臣は心に決めたぞよ。必ずこの縛を脱し、殿のもとへと向かうと」

「それだけは絶対にさせません。公則様にはここで強制待機していただきます!」


 縛られておるが、なんのこの程度。椅子ごと破壊してしまえばわけがあるまい。

 ふふふ、所詮は女子供の浅知恵よの。我が謀略の前に平伏すがよい。


――五分後


「あおぉんっ! おぉぉんっ! はぁ……はぁ……どうした、臣はまだ諦めて……はぁ……おらぬぞよ」

「何で顔を赤らめてるのよ、この変態変態、へんったい!」


 走る鞭。

 鋭い痛み。


 そして恍惚。


 臣は会得した。ついに痛みを克服し、忘我の境地に至ることで、快楽を得る手段と化したのだ。

 くくく、この朗報は是非とも殿にお教えしなくては――


「おひょっ! おふぅっ! はぁ……まだまだよ。これだから……あぉんっ……小娘の非力な腕は……あびゅっ」

「それ以上喋るな、この腐れ儒者がっ! このっ! このっ! このぉっ!!」


 あまりにも多くの享楽に、臣は夢心地に到達した。

 なんということだ。痛みを越えると、そこには花園が広がっておるとは。


「うむ、お、お主は……!」

『公則先生……ようやく我らの高みに来られましたね』


 戦死した袁春卿殿が見えるわい。

 満面の笑顔で、臣に手招きをしておる。ふむ、そうか。春卿殿は自己処理の達人であったな……。ならばもっと高みに、さらなる高山に昇れるというのか。


「……ちゃん! 明兎ちゃん! だめです、これ以上は流石に……!」

「はぁはぁはぁ……そんなことないっ! 見なさい、鈴猫。この涎まみれの好色そうな顔を。こいつ、鞭で興奮してるんだよ!」

「……うん、まあ、最初の方から猫は分かってたですよ?」


「だからっ! こうして! 罰をっ!」


 臣の身体は無意識に跳ねる。これ以上はマズイのぅ。この身が押し寄せる快楽の鯨波に負けそうじゃわい。


「明兎ちゃん、その、言いにくいんだけど……」

「何!? 今忙しいのっ!」


「明兎ちゃんの顔ね、すごく、その……いやらしいです」

 

 ふむ。慧眼であるな。

 彼の小娘は人を嗜虐することによって、自己の愉悦を感じるようになったのじゃろう。息づいていた才能は開花し、新たな実を結ぶというもの。

 

 成長したの、小娘―—明兎よ。


「わ、わたわたわた……し、違う、違うの。こんなので、良くなってない! これは違うんだよ、鈴猫!」

「うん、分かってる。大丈夫だから。ね、一旦鞭を置くですよ?」

「そんな目で……はぁ……はぁ……私を見ないで。そんな顔で蔑まないで……んうぅっ」


 鞭を置き、床に座り込んだようじゃが、もはや手遅れよ。

 一度書き換えられた性癖というものは、一生付きまとうモノじゃ。


「体が……熱い。違う、私は喜んでない! 何も思ってない! ただこの中年を戒めるためだけにっ!」

「落ち着きますですよ。猫はいつでも明兎ちゃんの味方です。だから、ね?」


 ふむ、小娘共の力量もこの程度か。

 もっと臣の才能を磨いてくれるかと期待したのじゃが……人生経験の差か。


「せいっ!」

 

 臣は満身の力を込め、椅子ごと床に倒れましたぞ。

 所詮は安物の椅子。無理やり暴れて壊してしまえばよいのじゃ。

 

「か、郭公則……様。あの、わ、わたし……」

 臣に折檻でもされると怯えておるのか? ふむ、なんとも肝の小さい娘よ。


「フンハッ!」

 縄で縛られた経験は袁家随一よ。素人の手慰みで組まれた結び目など、こうしてこうして……と。


「中々に興味深い試みであったぞよ。侍女ども、貴様らのお遊戯に付き合ってやったのじゃが……この浪費した時間、どう償ってもらえるのかの?」


「あ、あ、あ……お願いします、鞭は、鞭だけはお許しを……!」

「明兎ちゃん、少しお口を閉じますですよ」

「でも、でも、今私、鞭で打たれたら……きっと、戻ってこれなくなるの」


 ドスッ、と鈍い音が鳴ったぞい。

 ふむ、殿の侍女めが腹を殴って黙らせたか。中々に手練れのようじゃ。


「して、この不始末はどうするつもりじゃ? 兵は神速を貴ぶのが定石、失った時間は首では贖えぬぞ」

「その必要はないですよ! 猫たちはもう目的を達成しましたので」

「なぬ? うおっ!」


 現れたのは、まごうことなき我が主。

 なるほど、臣の窮地をお耳に入れ、赴いてくださったのか……。


「マオ、状況は文和殿から聞いた。足止めご苦労様」

「はい、頑張りましたです……よ。主に、その、明兎ちゃんが……」

「何だ、歯切れが悪いね。明兎もお疲れ……って、おいぃ!」


 明兎という小娘は、白目を剥いて失禁しておる。

 何やら『至った』ようじゃの。


 若気の至りに触れ、この身も若返った気分じゃ。殿も今回の沙汰を黙認なされておるようじゃし、これ以上臣が陳情すると藪を突きそうじゃ。


「マオ。一体ここで何があったんだ」

「顕奕様の問いでも、その、名誉のために答えられないですよ……マオの不忠をお許し下さいませ」

「とりあえず、上党に急ぐことが決まった。身の回りの準備や、明兎の救護を頼む」

「お任せください……ですよ……」


 ふぉっふぉっふぉっ。

 上党へ参られますか、殿。臣に新たな活躍の場をお与えくださるとは、なんという名君か。身を粉にして働きましょうぞ。



『後漢末期 草王郭図伝 拷問編より抜粋』


 郭公則はあえてその身を鞭刑に晒し、明鏡止水の境地にてこれを退けた。

 その高潔な魂に絆され、やがて彼の伴侶となる女性に出会うことになったという。


『明兎の親愛武将に郭図が追加されました!』

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