第122話 三匹の狸、化かし合い合戦
――袁煕
「本題に入りましょう。各々方、それでいいですかね」
「ッス。すいやせん、殿」
郭嘉は一度反抗の牙を引っ込め、居住まいを正して床に腰を下ろす。
妙に龐統に突っかかっていたが、俺は止めてしまってよかったのだろうか。
「躾のなってない軍師は足を引っ張るぞ、袁顕奕殿。まあそれはそれで、こちらは美味しい思いをするんだがねぇ」
「鳳雛先生の指摘は厳しいですね。しかし我らの軍師を甘く見ない方が良いと思いますよ?」
「ほぅ……」
すまんが俺ではこの智嚢の塊に勝てるビジョンが見えない。
っていうか、水面下で何が起きてるのかすらわからん。
「ま、殿のお言いつけ通り、上品にいきやすか。んで、邯鄲も返さない、その侵攻によって受けた被害も賠償しない。これじゃあ話にならないッスね」
「それ以上の利益を享受しようっていう提案なんだがな。南には曹操、東の方には公孫康。そして北海には孔融だったか。泰山付近でも賊徒がうろついてるな」
「どれも我が軍の相手に不足はねーと思いますがね。そもそも国力が違うッスよ」
郭嘉の食い気味な意見に対し、龐統はまだ二十歳ながらも貫禄のある笑みで返す。
「噂の郭奉孝殿はせっかちですな。不利な条件は百も承知で来てるんだがねぇ。それでもおたくらを上手く味方に出来る道があるから、こうして話をしてるわけだ」
「是非聞かせてもらいたいッスね、耳かっぽじって拝聴しますよ」
「まぁまぁ。奉孝殿、殿の御前ですぞ。少し頭を冷やしなされ」
「文和サンがそういう風に甘やかすから、この薄汚い男が調子に乗るってのに……ホントわかってねーッスね」
魏志倭人伝ならぬ、ギスギス中華伝。
うちのトップを争う知恵者がこの有様とは……龐統の特殊能力による効果なのだろうかと疑いたくなる。
「俺が提案するのは、張燕・袁紹同盟だ。そうさな、北部同盟とでも名付けておこうか。これで後顧の憂いなく、曹操と雌雄を決することが出来るだろう?」
「それ、ウチらに何の得があるんスかね」
「郭奉孝、貴殿は智謀の士と聞いていたが、存外頭の回転が悪いな」
「答えになってねーッスよ」
煽り愛、宇宙。
こいつらどこからどこまでがガチなのか、さっぱりわかんねえ。
ならば、と賈詡を見るが、彼はいかめしい顔を緩め、精一杯の愛想を振りまいている。一体何がどうなってやがるんだ……。
「いいか奉孝。そのおつむを回してよく考えてみろ。こっちはもう欲しいものは揃ってんだ、これ以上戦線の拡大はしたくねえんだよ。それは分かるよなぁ」
「舐めてるんスか? 邯鄲を落とした程度で引き下がっちゃ、メンツが持たないんでね。やるときはとことんやるッスよ」
「聞け。俺たちは自分らが食ってくだけの土地が欲しかったんだよ。張燕も河北全体を仕切るほどのバカげた夢は持ってない。ここがお前らの妥協点だ。俺たちを受け入れて、戎狄の兵を味方にするか。それとも最後の一人まで潰し合うかだ」
この時代の異民族と呼ばれてる人たちは、滅法強いってのがスタンダードだ。
彼らを懐柔して、尖兵として突撃させられたら、そら鄴も危ういよな。
「この賈文和が思いますに、鳳雛先生の言は正しいのではと。ここで無為に諍いを起こしても、曹操を利するのみ。であれば、邯鄲を譲渡してでも安全を買うべきでしょう」
「アンタ……それマジで言っちゃってるんスか? 稀代の名軍師と謳われた、賈文和ともあろう人が、それ言いますかね」
「黙っておれ、小童。物事は総合的に考えねばならぬ。損して徳をとるのは、戦の常道ぞ」
殿、御裁可を、と賈詡が膝を寄せてくる。
いや、まだまだ全然まとまってないし。こんなクソみたいな条件で同盟するとか、アホ臭くてやってられんでしょ。
「困りましたな……もう少し袁家にも手心を加えていただけるよう、鳳雛先生に御計らいを頂かないことには、家臣がまとまりませぬ」
「北からの脅威を公孫康に一本化し、上党の安全も確保できる。そして戎狄の兵を援軍として南部に増員できるんだぞ。これほどの好条件はあるまい」
「自らの領土に他家の兵を入れるのは、古来より悪手とされています。『道を借りて草を枯らす』という計略でしたかな」
「ほほう……多少は兵法に通暁されていると見た。郭奉孝よりも話が出来そうだなぁ」
悪態をつく郭嘉を尻目に、俺は丁寧にヒアリングを進めていく。
染みついた前世のブラック労働が、俺に重度の低姿勢を強いるのだ。
「今や賊で食っていくにも限界がある。今まで好き勝手にやっておいて、それはないだろうという意見もあるだろうがな。誰も彼も、自分が可愛いのさ」
「つまり足を洗って、農民になろうとしておられるのかな? ふぅむ」
それならば、袁家という大きな枠組みに嵌めてしまえば、そのうち吸収できるかもしれない。そんな甘いことを考えていた時だった。
「やってられねーッス。殿には申し訳ねえッスが、俺はここで降りさせてもらいますわ。そこの日和見じーさんが、袁家に毒を仕込もうとしてるのに、呑気なもんッスよ」
「それは下種の勘繰りだぞ、奉孝殿。この賈文和、殿に命を助けられて以降、滅私奉公して仕事に邁進してきましたというのに」
「はん、口だけは良く回るッスね。すいやせんね、殿、もう限界ッス。俺は鄴で政務でも片付けてますんで、今の案件以外の御用があれば教えて下さい」
言うや否や、郭嘉は振り返らずに足音を踏み鳴らして去って行った。
「若造めが……平和や安寧の尊さを知らぬのか」
「まあ反対する奴がいなくなったので、これ重畳。どうですかな袁顕奕殿、同盟に前向きになっていただけると嬉しいんですがね」
「うーむ……即断はできかねる」
龐統の『この無能が』という視線に耐えながら、俺は思案する。
どう考えても謀略の士である郭嘉の振る舞いは異常だ。それは長く接してきた俺が一番よく知っている。
そして賈詡の妙な甘ったるさも気になってはいた。
郭嘉と賈詡、血の気が多いのはどちらと問われれば、それは断然賈詡だ。
長年張繍を支え、武闘派筆頭のような形で縦横無尽に知恵を尽くしてきたしな。
「殿の悪い癖ですぞ。しかしまぁ、群臣を説得するにも時間がかかりますな。それに何よりも御館様にお諮りせねばなりません。早馬を南皮に向かわせ、その間に我らで草案を作成しておきたいのですが」
「うむ、そうだな。俺はこのような政治の機微に疎い。お二人の知恵者が最適解を導いたというのであれば、それ以上のものは出てこないだろう」
「流石は袁家の次期ご当主。この龐士元、賈文和殿と共に、お互いの利益を追求した関係を紡いでみせましょう」
なんだか上手く乗せられているのは分かっている。
だが俺一人では何とも分が悪いし、口でこの二人に勝てるべくもない。
「すまんが一時中座させてもらおう。俺も政務があるので」
「かしこまりました。ああ、殿、治水工事の件を優先してほしいとの陳情が来ております。放置すれば住民が不安がりましょう」
「分かった。文和殿はこのまま龐士元殿の歓待をお願いしたい」
「ははぁっ」
喉の奥に小魚の骨がつっかえたような気分だが、俺は執務室に戻って書類を決裁していく。
「さて、治水工事だったな……どれ……ん?」
それは巧妙に偽装された、対張燕討伐案であった。
提案者は、賈詡。
曰く、敵本拠地を一気に急襲し、敵を邯鄲に閉じ込めて圧殺する作戦だ。
戎狄兵の本隊が下山しており、張燕の旗本も邯鄲にいる。故に、根城である晋陽は手薄になっていると。
『郭嘉殿には先だって上党へと赴くようお伝えしました。拙者が一日でも長く龐統を足止め致す』
知恵者同士の騙し合いだった。
親父殿は既に南皮を離れ、北平へと向かったと聞いている。
情報を小出しにしていくことで、敵の懐刀である龐統を封印する腹積もりか。
『殿におかれましては、上党にて北伐軍を編成され、敵の本丸を落としていただきたく、お願い申し上げる次第』
鄴に連れて来た趙雲・張遼・呂玲綺のチームで鄴都の北にある邯鄲に備える。
上党にいる魏延・張郃・顔良・文醜の武力チート組で晋陽を攻めろってことだね。
郭嘉の切れたナイフのような態度は、若者であることを利用した計略だったのか。
いいだろう、ここまでして設えてくれた舞台だ。踊らなくてはオーディエンスに対して申し訳が立たんよな。
可愛い尚ちゃんを泣かせておいて、はいそうですかで終われねえんだわ。
俺はマオと共にひっそりと厩舎へと向かう。
目指すは上党。
トンボ帰りだとか、ブーメランだとか、燕返しだとか色々形容詞はあるだろう。
龐統のクソ舐めた態度にも、いい加減イラついてたところだ。
邯鄲くれたら、袁家を手伝ってやってもいいよ? か。 上等上等。
よろしい、ならば戦争だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます