第120話 龐統という論客、謀略の士を翻弄する

――袁煕

 199年 晩夏


 行ったり来たりと忙しい。


 前世で通勤電車の地獄を味わっていたが、アレを欲しがる日が来ようとは思わなかったわ。

 てっきりこの時代に心身が染まってると思ってたけど、ふいに懐かしむ瞬間が来る。一種の望郷の念みたいなもんだろうか。


 鄴都から出撃し、上党を落とした俺は消耗した軍団の編成任務を終え、町の治安回復に努めていた。

 そこに許攸からの報告が舞い込んでくる。


『類稀なる知者の到来に、群臣は弁舌枯れ果てる有様。幕下の諸先生方にお越しいただき、お力添えを頂きたく』


 マジか。

 張燕ってあの賊軍なはずなんだが。

 しかし、邯鄲という堅牢な城を叩き落とし、戎狄を味方に引き込んだ手腕は認めざるを得ない。その知恵者なるものが糸を引いていたということなんだろう。


 これは行くしかないな。

 そうと決まれば行動は迅速に。護衛に趙雲と張遼、れーちゃんを選ぶ。

 随軍軍師に賈詡と郭図。残留組に陳羣と孫乾、そして魏延・張郃。

 北部の備えに顔良、南部への備えには文醜を当てている。

 

 善かどうかはわからないが、俺の中のゴーストが急げと言っている。

 顕甫ちゃんと逢紀だけでは、下手したら蹴散らされる可能性がある北方面軍だ。状況を安定させるためにも、敵の意図をしっかりと把握する必要があるだろう。



◇鄴

 ようやく着いたね。ほんと馬上は疲れるわ。

 毎度毎度帷幕を設営するのだが、兵士の皆の苦労が偲びない。

 手伝おうとしても、全力で断られる有様だ。仕方なくデーンと構えているのだが、やたら偉そうな感じがして居心地が悪い。


「顕奕様、お待ちしておりました」

「出迎えありが――許先生、ですよね?」

「……はい」


 ガリッガリに痩せた許攸が現れ、俺に恭しく首を垂れる。

 その姿はまさにゾンビ。気を抜いたら噛みつかれそうなレベルだ。


「何があったんですかね。そういえば他の文官たちも皆、どことなくボロボロになっているような……」

「殿……申し訳ございませぬ。某の能力では、かの者に太刀打ちできませなんだ。どうか仇を……」

「もういい、喋るな……!」


 なんでこんなパニックホラーみたいになってんだよ。

 一体どこのどいつが紛れ込んだってんだ。


「顕奕様、こちらですよ! 猫がそっと偵察してまいりました!」

「ありがとうマオ。いつも影ながら尽くしてくれて、本当にありがとうな」

「はぅあっ! これが猫のお役目なればですよ! ささ、どうぞこちらに!」


 戦いが続く中、マオは護衛件侍女としてフル回転で働いてもらっていた。

 さぞや気苦労が多かっただろうに、それでも彼女は元気いっぱいに溌剌としゃべる。であれば俺も主としての責務を果たさねばならないか。


 青龍の間。

 ドラゴン模様は代々中華皇帝のみが使用できるものなので、名前だけ拝借した貴賓室である。龍っぽい何かが彫られた扉に手をかけ、俺は中へ足を踏み入れた。


「お待たせした。俺が袁顕奕です。ご使者の方には不便な生活を強いて申し訳なかった」

「いやいや。上党での出来事を鑑みれば、まだお早いお着きかと思いますよ。お忙しい中時間を割いていただいて、恐縮です」


 ブサイク……と報告ではあったが、別にそこまでではないか。

 ああ、なるほど。この男は中華的な常識から外れた風貌をしてるから、そのように称されているのか。合点がいった。


 今でいうツーブロックに刈られた髪は、どうやっても衣冠を付けられる状態ではない。眉を細く剃り、髭も整えている。

 色は日に焼けて浅黒い。髪の毛はアジア的な黒さではなく、どちらかというと茶色に染まっていた。


 つまりはこれ、チャラ男だわ。

 着けている腕輪とか首紐とか、もうシルバーアクセにしか見えんね。


「さて、御大将自らお越しということは、議論を進めても良いということでしょうかな」

「そのつもりで赴きました。ええと、ご尊名をお伺いしてもよろしいか」

「ああ、これは失礼した。某は――」


 龐統、字を士元と名乗った。


 吐きそう。

 水鏡先生の一門が出てきちゃったかー。ちょっとそれは手に負えないっていう次元じゃねえぞ、マジで。


「ほ、龐先生、俺は噂通りの凡愚でしてな。こちらも相応の知恵袋を用意したいのですが、よろしいですな?」

「構いやしませんよ。この龐士元、利を以て堂々と説きます故」


 そういうことだぞ。

 サモン・ティーチャーズ!


 俺は控えていたマオに、軍師ーズの入室をお願いした。

 拱手ののちに名乗るは、稀代の名軍師・賈詡文和殿。

 そして袁家が誇る合体事故・郭図公則。

 

 頭脳と頭脳、そして溶けた頭脳がぶつかる戦いが幕を開けるだろう。


「高名な鳳雛殿にお目にかかることができ、この賈文和、恐悦至極です」

「いやいや、俺はそんな大した者じゃないよ。それよりもどうしたってんだい? 曹操軍に降ったって聞いてたが」

「ふむ、鳳雛殿の手は長いとお見受けする。さすれば今某がここにいる意味も理解出来ましょう」

「ま、あの女好きにはつける薬がなかったってことだな。いいねぇ、色男は」


 賈詡の顔色がどんどん悪くなっていく。

 つまりは、龐統の言うことは全て正鵠を射てることなんだろう。

 北方の端に居て、尚中原の情報を得ている。そして一瞬で相手の嫌がる話のネタをぶっこんでくる胆力は恐れ入る。


「某の身の置き所はよいでしょう。孟徳公とはご縁が無かったということで」

「子桓殿、じゃないんだな。まあ、言いたくない気持ちはわからんでもないよ」

「意地の悪いお人ですな、鳳雛殿は」


 俺と郭図は話について行けず、口を開けたままである。


「して、本題に移りたく思いますが……殿、この賈文和めが話を進めてもよろしゅうございますか?」

「うん、お、おう。是非ともそう願いたい」

 一礼した途端、賈詡の目つきが鋭く光る。スイッチが入ったってことだろうか。


「何はなくとも、邯鄲への攻撃は看過出来ぬ行いだ。どう言い訳を並べてくれるのか、ご高説を拝聴したい」

「取れるものは取れるときに取る。乱世の定めだろうに。今更俺が言わねば理解出来ぬか」

「なるほど。確かに現世は弱肉強食の理で進んでいる。しかし当然のことながら、取られた者は取った者を恨むのが筋です。今鳳雛殿がこうして安全に過ごされているだけでも奇跡というもの」


 不敵な笑みを浮かべ、龐統は賈詡をいなす。

 勝てる余地があるというのだろうか。


「お宅らが育てた邯鄲は、俺たちが美味しくいただいた。理由は単純で、そこに熟した果実があったからっていうもんだよ。複雑でもなんでもない」

「では当然袁家との全面戦争に陥るのが必定ですが、それでよしとするのですかな」


「南に曹操。北東には公孫康。そして孔融とか、まあ雑魚はいいか。領土が広いと色々な輩に接していて大変だねぇ。少しでも敵を減らしておきたいんじゃないんかい?」

「議論にならぬ。要所を奪取した相手が、血塗れの手で握手を求めて来る。面子が保てぬことこの上なし」

「その面子ってやつは、生きていてこそ効果を発揮するもんだろう?」


 邯鄲攻めの不義を責め、同盟の無理筋さを指摘する。しかし龐統は冷静さを崩さない。どちらかと言えば賈詡の方が圧されているようにも感じる。


「よーく考えな、文和クン。邯鄲を差し出し、正式の譲渡することで得られる利益をな」

「張燕殿の勢力が味方になると言いたいのか。賊徒崩れが偉そうに抜かしおる」

「理詰めで語りなよ。感情はこの際置いておけ。いいか、こっちは誰も懐柔できなかった戎狄軍を従えてんだ。一気に南下すれば、鄴だって危ないぞ」

「我らが易々とその進軍を許すと思うか。逆に本拠地まで攻めあがることも可能ぞ」


「じゃあ、組む相手を変えてもいいんだぜ。遠交近攻ってのが本来の外交の基本だ。曹操と合力し、袁家を南北から攻めるとおもしれえことになるぜ」

「……確かに袁家は大打撃を受けよう。しかし元凶となった貴殿が生き延びられるとは思わないでいただきたい」


「言い澱んだが最後。論客ってのはいつでも滔々と語らなきゃなぁ。困るんだろ、曹操と組まれたら。じゃあ邯鄲くらいはくれよ」

「舐めおってからに。兵力差と地の利を失念しているのか」

「身をもって知ったろう? 俺の手は長いんだよって。当然俺だって調べてるんだよなぁ」


 歯ぎしりをする賈詡と、余裕綽々の龐統。二人の論戦は勝敗が付きそうなところまで来ていた。

 謀略の臣・賈詡が負ける。


「おもしれーことやってるッスね。某も混ぜてもらっていいッスか?」


 痩身の天才、郭嘉の到着までは、誰しもがそう思っていたに違いない。

 論戦のラウンド2、ゴングが鳴ったのであった。

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