第114話 目が、覚めたぜ……

――袁煕


 関羽という武神相手に部下を残していくのは気が引けるが、首魁たる劉備を押さえるのも大事な役目だ。

 流石に張遼・趙雲・張郃のオールスターがそろい踏みしてるので、やすやすと負けはしないだろう。


「おい、いい加減に行き場所を教えやがれってんだ。俺様はてめぇに負けたわけじゃねえんだぞ」

「すぐわかりますよ。落ち着いてください」

 このDQN――もとい張飛という武辺者を引き連れて、劉備のもとへ駆けるのは中々心臓に負担がかかる。

 

 出撃時に黄色い狼煙を上げておいた。

 内容は『敵将を直撃す、道案内を』である。

 上党には逢紀の手の者が複数はいりこんでおり、各種倉庫を炎上させたとの報告が上がってきていた。どのみち劉備は野戦で俺を討ち取る以外に勝利はない。

 

 だがそれは大いに困難な道のりだ。

 押し寄せる鯨波のような兵を退け、歴戦の猛者と知将の策を踏み破る必要がある。

 ほぼ詰みだった盤面に、不意に条件達成の大将首が現れたらどうなるか。


 敵が押し引きして戦場を揺るがすのであれば、こちらはあえて身を晒すことで敵の陣を崩す。

 それに、だ。

 張飛には見ていてもらいたい。尊崇する劉備が、如何にゲス野郎であるのかを。


「張飛殿、そろそろ雑兵の鎧は脱いでいただいて結構ですよ。もうすぐ案内役と合流するので」

「おう、そうか。まったく袁家のくせえ鎧なんぞ俺様には似合わねえってんだよ。あー早く兄者に会いてえ」

「そこは郭公則殿に負けた身。約定に従い、しばし戦を静観してください」

「わーってるっつの。ああ、腕が鳴るってのによ」


 張飛の雷のようなボヤキ声を受け流していると、例の人物が現れた。


「殿、お待たせいたしました。史渙、まかり越してございます」

「うおっ!」

「てめえ、どこから出てきやがった!」


 まったく気配を察知させず、史渙は俺と張飛の背後に立っていたのだった。

「お、驚かせて申し訳ありませぬ。この身はもともと影が薄くあれば……」

 そうだった。固有能力に『陰の極み』があるんだったね。

 中華が誇るステルス戦闘機である彼は、きっと誰に気づかれることなく堂々と戦場を通過してきたのだろう。


「それで史渙殿、劉備の居場所は突き止めたのかな」

「はい、しかし、その……」

「やいやい、おめぇそんな陰気なツラで兄者を語ろうってのかよ! もっとしゃきっとしやがれってんだ」

「話が進みませぬので、少々お待ちくださいな、張飛殿。史渙殿、続けてくれ」


 促すと、史渙は苦しそうな表情で、劉備軍の現状を語りだした。

 聴いているだけで胸が苦しくなり、喉元まで怖気がせりあがってくる。


「上党に火がついた時点で、劉備は……総攻撃を命じました」

「乾坤一擲……じゃあないな。これはまるで煙幕だ」

 悲痛な思いで歯噛みしていると、張飛が怒鳴る。


「嘘をつくんじゃねえ! 兄者が――あの天下の大徳がそんな真似するわけねえだろうがよ! 俺様は信じねえぞ!!」

「是非ともその眼で確認してもらいたいのです。あのような悪逆非道、決して許すわけにはまいりません!」


 影の薄い史渙が身を震わせて怒っている。

 主義主張がないわけでも、感情が乏しいわけでもない。

 きっと大事な時のために、自らを律していた男の叫びだった。


「クソが。嘘だったらその場でてめぇをブチ殺すからな。さっさと案内しやがれ」

「こちらです、どうぞ続いてください」


 張飛が袁家の服を脱いだことにより、周囲にいる劉備軍からは敵視されなくなった。寧ろかえって安全まである。

 俺と史渙は張飛が着替えたときに、持参していた劉備軍の雑兵スタイルにチェンジ済みだ。


「――やけに、兵士が少ねぇ……いや、これは……」

「これが劉備の実態です。目を背けずにご覧ください」


 そこには粗末な棒切れで武装した女子供、そして老人や病人、怪我人までが戦場に動員されていた。

 陣立ても隊列も連携も何もない。

 ただひたすらに前進し、無残に斬られていくだけのゾンビのよう。


「兄者、なにやってんだよ……!」

 張飛は大きな目を皿のようにし、目の前に広がる不毛な行軍を凝視する。


「こんなことはあってはいけない。張飛殿、俺と共に劉備のところへ来てくれますね?」

「おうよ。問わなきゃならねえ! こんな、こんな世界を創らないようにしてきたってのによ! ちっくしょう、どういうことだよ、兄者ァ!」


 史渙の道案内により、俺と張飛は退却の準備をしている劉備の陣へと接近することに成功した。

 粗末な木組みで造られ、護衛とは名ばかりの瘦せこけた男たちが立っている。

 既に中核となる部隊は後退を開始したのだろう。それでも劉備が残っていたのは、戦場にいる関羽の動向を探るためだろうか。


 だがそんなことはどうでもいい。

 劉備、お前はやりやがったんだよ。

 守るべき民に玉砕を命じ、てめーの身だけを守る算段を取った。


 お前に中華を差配する資格はねえ。

 必ずここで後悔させてやる。


――劉備


 よくないですなぁ。

 恐らく雲長は敵の先鋒を突き崩すことは出来よう。しかし圧倒的に戦力が足りていない。

 それにどこぞの賊が城に火付けをしたという。


「潮時だな」

「玄徳公、何か仰られましたか?」

「よいよい、気にするでない。万事うまく進んでいる故な」


 訝しんできた雑兵に笑顔を向けてみたものの、戦況は芳しくない。

 急報によれば翼徳が敵に捕縛されたともあった。大方敵の数を計算せず、無理に突撃していった結果だろう。

 誇りだけで生きる髭男と、脳まで筋肉の大男。

 手駒が足りないなぁ。


 麋竺を処分し、財を確保したのは良かったが、上党が燃えてしまえばすべては灰塵に帰してしまうでな。

 また一からどこかに取り入るしかあるまい。

 張燕を焚きつけて、邯鄲を攻めさせたまでは描いた図面通りだったのだが、それ以降が不調だ。

 

「チ、あの宦官の息子に取り入るか。腐っても劉の血筋は役に立つ。下手に出れば適当な俸禄を得られよう」


 それには雲長と翼徳が邪魔になるなぁ。

 翼徳はまあいい。袁家の能無しどもは疾く斬首でもしてくれるだろう。処理は奴らに任せるとして、だ。

 雲長は曹操が欲しがっておったな。ふむ、手土産に引き渡すことも考えねばならんか。


 雲長にはまだ使い道はある、か。

 仕方ない、ここは健気に義弟を待つ君主を演じるとしよう。


「玄徳公、ここは危険です。後退を!」

「ははは、よいのです。私は雲長と翼徳を信じている。きっと彼らは大きな戦果を持ち帰ってくれるでしょう」

「さ、左様で……」


 この兵士の言う通り、確かに本陣の守りが薄くなってきた。

 仕方がない、後詰めを出すか。


「君、後陣に伝令を飛ばしてもらいたい。前進し、中央部まで戦線を上げよと」

「玄徳公、後陣はとてもではないですが、戦力とは呼べぬ集団ですぞ」

「彼らの戦うという意思。尊い自己犠牲の精神は美しい。それらを守りたいのは、この玄徳の想いです。しかし、ここは共に合力し、官民揃って敵を退けるのが上策ですよ」


 志願兵という名の、戦えぬ民兵たちに前進命令が下った。


 次々と倒され、或いは逃げまどい、命乞いをする人々。

 それはもはや戦闘と呼べるものではなかった。


「よいよい。それでは少し我らは下がろうか。ここは彼らの力を信じようぞ」

「えっ、しかし……」


 劉備の剣が一閃する。

 何かと口答えが多く、疑念を抱いていた兵士は一瞬で絶命した。

 

「よくないですね。私に疑問をもつのは、とてもよくない」


 直垂を翻し、白馬に鞭を入れようとしたとき、雷神もかくやと思しき怒声が響いた。


「兄者ッ!! お前、お前、何してやがるんだぁぁぁぁっ!!」

「おお、翼徳、無事であったか。心配したぞ」


 余計なときに来やがったなぁ。

 まあいい、これで逃走するには戦力が足りる。


 劉備は両腕を広げ、張飛を抱擁しようと下馬して近づいて行った。


「俺様は、目が覚めたぜ……」


 翼徳は何事か呟いたようだが、どうせいつものぼやきだろう。

 気にする必要もない。


「ささ、これからが戦だぞ、翼徳」

 我が表情は崩れない。桃園の誓いのまま、理想と夢の蜜を舐め続けるがいい。

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