第112話 君には休息が必要なんだよと、ゲス顔で言ってみる
――袁煕
この絵面のありえなさをどう表現していいのだろうか。
郭図が世にもうぜぇドヤ顔でたたずみ、燕人張飛と紹介された人物が俺を睨んでいる。何の戒めもせず、ただひょっこりと散歩でもしてきたかのような有様だ。
「てめぇが袁煕って小僧だな。やいやい、兄者の皇室復興の邪魔をしやがりやがって!」
あ、マジでこの人そういう喋り方するんだ。キャラ造形が大分現代人に馴染んでいて、ほっとしたようなそうでないような。
「大きな誤解があるようですね。我らのもとを離れ、上党に兵を連れて行ったのは玄徳公ですよ。こちらはだまし討ちを喰らったようなものです」
「へん、そんなもんてめぇらの都合じゃねえか。俺様達には大義があるんだよ」
「人を欺き、不意を打つのが大義なのでしょうか。まあ、そこのところを論じるのはやめておきましょう。玄徳公にも譲れない道があると思うので」
「……やけに物分かりがいいじゃねえか。じゃあついでに俺様も解放してくれや」
いや、もう実質解放されてるようなもんなんだがね。
郭図がどんなことをやらかしたのかは知らないが、張飛は怯えているらしい。
「ほっほっほ、殿、戦場で暴れて張飛殿もお疲れでしょう。ここは一つ、臣の顔に免じて一献差し上げてはどうでしょうか」
蹴りたい顔面。どのツラ晒してそんなことほざけるんだか知らないが、まあいいか。良しとしよう。
「俺としたことが失礼した。公則殿の言う通り、先ずは喉を潤されよ」
「張飛殿、ここは安全です故、気持ちの昂りをおさめられるがいい」
「チ……おめぇがそう言うなら、しゃーねえ。おら、早く酒持ってきな」
なんだこの対応の違いは。
俺には敵意ビンビンなんだが、郭図には尻尾振っとる。
まさかこの中華に、郭図と相性がいい人物がいるとは思わなんだ。
俺は近くにいる兵士に命じ、行軍中の気付けとして持ってきた酒を解放する。
気付けとはいえ、袁家が金にモノを言わせて集めた酒だ。そこらの品物とはわけが違うよ。
「お待たせした。さぁさ、一献。この袁顕奕と一杯酌み交わしましょう」
「へん、この程度で懐柔される俺様じゃねえぞ」
ぐびり。
うん、美味い。
この世界に来たとき、酒のまずさに辟易していた。濁ったどぶろくのような液体を口に入れたとき、目の前にサイケデリックな色彩が浮かんだもんよ。
酒に灰を入れ、不純物を沈殿させて作ったものを今回は用意してある。
酒精は強いのだが、口当たりがよく飲みやすい。
「くっかぁー---っ!! なんだぁこれは! おい、袁の字、もっと寄越せ。馬鹿野郎、ちびちび飲んでられるか。甕ごと持ってきやがれ」
なんだろう、俺は今ほっとしている。
所謂『The・張飛』の態度を取られており、大分理不尽な要求をされてはいるんだがね。
けれど、常識というスタミナゲージがもりもり回復していくのを感じるんだわ。
「ほっほっほ、飲みなされ飲みなされ。この公則めも頂戴しますぞ」
と、非常識筆頭が抜かしよる。
まあ、実質的に張飛を無力化したという手前、無下に扱うわけにもいかん。
俺の頭の中では、こいつらを酔い潰してしまい、その間に勝負を決めてしまうという計算式が生まれた。
子曰く、臭いものには蓋をせよ、と。
「おうおうおう、袁の字、飲みが足りてねえんじゃねえか? ほら、俺様からの酒杯だ、受け取れや」
「あ、はい。その、合戦中なのでほどほどに……」
「いいんだよ、そんなこまけえことは!」
「ほっほっほ、殿さまの、ちょっといいとこ見てみたい、あ、それ!」
このチョビ髭はあとで必ず吊るす。
俺は張飛の機嫌を損ねぬよう、酒杯を空にしていく。
世界は回り、視界がぼやけてくるのが分かる。
「がっはっは、ある酒全部持ってこいや! いくらでもイケるぜ!」
「う、うぷっ」
この昭和の飲みサー的な盛り上がり、古代からの伝統だったんだな……。
何度目かのゲロを厠で吐きつつ、俺はよろつきながら席へと戻る。
「――なあ、袁の字。ちぃと真面目な話があんだけどよ」
「あ、ふぁい、なんれしょう」
頭いった。くそ、急にマジトーンで話しかけてくるなし。大事な内容は飲む前にしようねと声を大にして言いたい。
「俺たちは漢王朝の復興を願い、各地の盗賊に襲われてる民を救いたいと思ってんだ。けどよぉ……」
「それ自体は立派な志かと」
「ああ、間違ったことはしてねえ。そのつもりだ。なんだが、時に感じるんだわ。結局各地を荒らしてる賊どもと俺たちは、なんも変わりがないんじゃねえかってよ」
まあ、為政者サイドから見れば、君たちは立派な賊の部類に入るね。
勝手に若者を連れてくは、有力商人から金引き出すわ、負け戦に突っ込んで来るわ。やりたい放題やってるからね。
「俺は闇夜の中で、姿の無い靄を相手に槍を振り回してるだけなのかもしんねぇ。で、気づいたら多くの若ぇヤツらが死んじまってる。なあ、そうならそうって言ってほしいんだがよ……」
「ご、ご希望に……うぷ、失礼。張翼徳殿の期待に沿ってお答えしましょう。貴方たちは気持ちが先行しすぎており、盤石な土台をつくることを軽視しています」
「チ、耳がいてえな。けどいいわ、続けてくれ」
「ええ。今は客観的に見れば群雄割拠の時代です。力なき者は倒れ、弱肉強食の自然界そのままと言えましょう。ですが、集の力を強めることが出来るのが人間です。歴代王朝もそうやって出来てきました」
「俺はバカだからよぉ、もっとさくっと言ってくれや」
「失礼した。貴方がたは折角人が集まったところに立ち寄り、そこを乱して去っていく存在になっています。それではいつまでたっても戦は終わりません」
君たちは人に取り入るクセがあるんよ。
それ自体は構わんのだけど、秩序あるところを荒らして去っていくのが悪いトコなんだよね。
「大いなる土地を得て、勇躍する日も来るかもしれません。ですが、それは今ではない。張飛殿、これは俺からの提案なのですが、機嫌を悪くされるかもしれません。構いませんか?」
「ここまで来たら何でも抜かしやがれ。聞くか聞かねぇかは俺様が決める」
「玄徳公のお側を、一時離れませんかな?」
「――てめぇ」
張飛の眼に殺気が灯る。
野生味溢れる純粋な炎のようで、うっかり長く見ていると、身が焦がされそうだ。
「張飛殿の世界は今、非常に狭い。更に言えば、玄徳公のお考えに対し、従順すぎるのです」
「それの何が問題だってんだ。俺様は兄者と共に死ぬって決めたんだからよ!」
「問います――貴方自身の考えは、一体どこにありや?」
「…………なん、だと」
張飛は一度惚れ込んだら一直線に駆ける、中華武侠の代表格だ。
その竹を割ったような生き様に憧れる者も多いだろう。
「張飛殿。貴方は本当は、どうありたいのですか。考えを譲ることと、考えを放棄することは大きく違います。貴方は――考えないようにしていたのではないですか? 玄徳公の不正義な部分を」
「だ、だまりやがれ! 兄者は、兄者は仁の世を創るために、今まで……」
多くの村人を巻き込んだ。
多くの血を流し、敗北を重ねた。
散り散りになった兵士は、故郷には帰れなかった。
言葉巧みに金を引き出した。
漢王朝の一族・中山王の末裔。
それは誰がどう証明できるのか。
「張飛殿が知っている玄徳公は『身なりにそぐわない剣』を持った、『漢王朝の末裔』であるという『発言』のみではないでしょうか。この大陸に『劉』の姓を持つ者がどれだけいるのでしょうかな」
「兄者が……騙っていると……いいてぇのかよ」
「それは俺にもわかりません。ですがこれだけは指摘しておきたい。『中山王の末裔』は劉姓を持つ者ならば、誰でも名乗る機会がある、と」
天運を持つ人相というものはあるだろう。類稀なる才能と、人を惹きつける力。それらを併せ持つ若き英雄・劉備。期待をしてしまうのは仕方の無いことだ。
それが真実ならね。
結論は『わからない』なんだよね。
こと張飛は儒者や権威に弱いと歴史の本に書かれていた。劉備の煌びやかなサクセスストーリーや、バックボーンに目を輝かせるのも無理はない。
「張飛殿、期を見るためにも、少し俺の側で人物観察をしてみませんか」
「兄者を裏切れってのか……?」
「いえ、そこまでは言ってません。今のように疑念を持って戦場に立つと、きっと大怪我をされることでしょう。故に今は『休憩』されてみては」
建前:君が心配だから、ちょっと酒でも飲んで休んでいってください。
本音:こんなクリーチャーと戦ってられるか。俺は自分の部屋に戻るぞ!
「ああ、そうだな。たしか趙の字もいるんだったか。あいつと話をしてみるわ」
「そうなされ。貴方の衣食住はこの袁煕が保証しましょう。色々と見えてくるものがあると思いますので、全てのことを無理強いはしません」
「……ありがとよ」
張飛のぽつりともらしら言葉が、もしかしたら彼の心の殻にヒビが入った証だったのかもしれないと思った。
それにつけてもセーフ! 俺生きてる!
酔いつぶれてチンコ出してる郭図を見やり、殺意をこぼしつつも、ぐびりと酒杯をあおった。
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