第107話 北部方面へ 無論、嘘だがね

――袁煕


 鄴都をすっからかんにする勢いで、袁家の超好戦的な武将たちが出立する。

 先行して邯鄲方面に向かっている、半べその顕甫ちゃんの後詰めという体でだ。


「殿、これはもしやなし崩しに邯鄲を奪還出来るのではないでしょうか」

「許先生の言も一理あるね。だが、今回はどうしても劉備の勢力を潰しておきたいんだ」


 確かに全軍でブチ当たれば、一発逆転で邯鄲を落とせるかもしれない。

 しかし戦力未知数かつ死を恐れない戦いぶりであったという、戎狄なる蛮族の大軍が居座っている状況だ。更に言えば、彼らを戦いに引き込んだ、類稀なる外交手腕を持つ人物もいることだろう。


 兵法上、未知の戦力に対して、全軍で当たることは常道の一つだ。多少の有利不利を粉砕する、圧倒的な戦力差で埋めつくすのが最も勝率が高い。


「今回は牽制だけだ。流石に二虎共食の計が見えているんだ、まんまと乗ってやる必要はないよ」

「左様ですか。しかし軍師殿はやる気満々のご様子ですぞ」

「……そう」


 郭図がオフェンスモードに入ってるってことは、この戦場は必ず負ける。

 なんだろうね、この現象。郭図の身体には、強力編集によって謎のウイルスでも仕込まれてしまったのだろうかね。

 本音を言うとアポトーシスを起こし、身体が塵になるとか。


「斥候からの報告は上がってきてるかな。顕甫ちゃんが戦端を開いてなければいいけど」

「流石に寡兵で蛮族の群れに突撃するとは……今すぐ確認しますぞ」

「頼む」


 最近割と順調だったし、俺自身忘れてたことでもある。

 ここは袁家だからね。

 基本的にやってはいけないことほど、盛大にやらかす種族だし。

 寧ろよく今まで生きてこれたなと心配になるほどだ。


「お待たせしました、殿。袁顕甫様の陣に動きなし。邯鄲から離れた位置にて、堅守の構えでございます」

「一安心だ。だが、それもそれで……」


 とある懸念が持ちあがる。

 戎狄を引き込んだほどの知恵者がいれば、袁尚の動きは陽動であることが見抜かれてしまうのではないか。

 ある程度の損害は覚悟し、周辺の土地を制圧させた方がいいのかもしれない。


「よし、高覧将軍を呼んでくれ」

「かしこまりました。すぐに」


 騎兵部隊の一角を残し、散発的に攻撃を仕掛けることを選択することにした。

 兵力分散の愚ではあるが、一番厳しいオチは北と西、そして南から一気に攻められることなんだよな。

 

「お召しにより参上いたしました。高覧、ここに」

「よく来てくれた。顕甫ちゃんの動きについて多少懸念があってね。そこで将軍に遊撃隊として敵の攪乱を行ってもらいたいと思う」

「選りすぐりの騎兵をお授け下されば、周囲を適度に脅かして見せましょう。陣に引きこもり、あからさまな陽動とバレぬように、ですな」


 話が分かるって素晴らしいね。

 一を聞いて十返ってくるから、やっぱ家臣団は優秀なんだよなあ。


「では文醜将軍の部隊から騎兵を抽出しよう。転戦して疲労も溜まっているだろうしな」

「え、あ、いや……あの部隊はちょっと……某には……」

「なぁに、日頃から地域で奉仕活動に励むほどの善人ぞろいと聞いている。周辺を制圧した暁には、彼らの徳が必要になるだろう」

「……承知、いたしまし、た」


 なんか泣いてるんだけど、大丈夫かな。

 まあまさか、袁家でも指折りの精鋭を指揮できるとは思わなかったのだろう。

 感涙の涙はいつも美しいものだ。


「それでは殿、ご武運を」

「うむ。高覧将軍も」


 顔色が紫に近い色をしていたが、昨夜は飲み過ぎたのだろうか。

 笑顔満面で手を振る文醜軍の精鋭に見送られ、俺たちは進軍ルートを急展開させる。目標は壺関より北にある長子城塞だ。


 山岳・攻城・騎兵多しと、不利な条件は勢ぞろいだ。

 しかしここは力押しで突破させてもらおう。時間をかけては劉備一党が戦闘態勢に入ってしまうので、最終的な犠牲を減らすためにも、ここで命を多く散らせることになる。


 正直心苦しい。

 俺がもし諸葛孔明や龐統士元のような知恵者であれば、誰もが驚嘆する方法で、犠牲少なく城を落とせるに違いない。

 だが凡人代表としては、今あるもので何とかするしかないのだ。

 ならばここは仲間の将兵を信じるのみ。いっちょやってやろうじゃないか。


 滑落や怪我、病の波を越え、先行している部隊が長子城塞を射程内に入れた。

 本日天気晴朗なれど波高し。なーんて偉人の言葉にもあやかりたくなる。まあ、海じゃなくて、おもくそ山なんだけど。


「攻城兵器はまだか。敵に気取られる前に組み立てを完了させてくれ」

「御意、急がせております」

 

 指示だけで恐縮だが、俺は俺でドンと鎮座しているのが役目だ。

 浮足立つと将兵にも動揺が波及してしまう。


 やがて攻撃準備完了の報が届く。

 待ってたぜぇ、この瞬間トキをヨォ……!


「全投石機部隊、攻撃開始! 装填し次第順次放て!」

「はっ、攻撃を開始せよ!」


 ギィっと木の部品が軋む音が聞こえる。

 霹靂は雲霞の如く城へと向かい、さして補強のされていない城壁を次々と粉砕していく。圧倒的な飛距離と破壊力。

 蘭が実家が運営する公司から持ってきて(かっぱらって)くれた、トレビュシェットMkⅡだ。

 銅板を張り付けた投石部分は、油で燃える火炎弾の発射を可能にしている。


「殿、火炎弾を放ちますか?」

「駄目だ。山頂付近で煙が上がれば眼下の敵に気取られる。ここは多少の出血を覚悟しても、歩兵で制圧する」

「かしこまりました。砲撃中止、顔良・文醜両将軍に突撃命令ぞ!」


 鬨の声はいつ聞いても武者震いがする。

 

「第二陣には張遼・趙雲の二部隊をぶつけよ。騎兵で逃げる敵を全て捕殺するのだ」

「御意ッ!」


 本陣への備えは、呂玲綺と張郃に任せ、俺は今目の前で失われていく命の輝きを凝視する。きっとそれが寄せ手の大将として出来る、最大限の弔いなのだろうから。



――顔良

「だらっしゃあああああっ! と、っつ、げっ、っきっ! だぁぁああああ!!」


 とても人類が振り回せるとは思えない、重厚な薙刀を手に、顔良は山道も隘路もなんのその。馬を巧みに操り、いの一番に城塞に飛び込んだ。


「ひいいっ、天の怒りじゃ……天が火を噴いた……」

「おた、おた、おたしゅけを……」


「あー、うん、そのなんだ。そういう反応されると、俺も困るんだわな」


 劉備軍の兵士は選りすぐりの精鋭でもなければ、代々の武家でもない。勝ち目に乗っているときは勢いが三倍マシになるのだが、劣勢になると途端に士気が瓦解する欠点を持っている。

 

 誰も顔良を誰何することなく、ひたすら頭を押さえてうずくまる者。または何やら先祖への祈りを捧げ、泣き腫らしている者の群れがそこにあった。


「やる気失せるぜ。おい、こいつらを縛り上げて、武装解除させろ。俺たちは城郭を抑えに行く」

「お待ちください、室内には先に文醜将軍が突入された由にございます。また、敵の抵抗が激しいとも……」


 ぺろりと舌なめずりを一つ。

 顔良は楽しみが増えたと、薙刀を宙で大旋回させた。


「野郎ども、敵は城郭にあり! 俺様に続け!」

「うおおおおっ!」


 顔良は副官に面倒事を投げ、最も楽しみとする戦の大火の場へと向かった。

 不完全燃焼で終わるのは、今後のやる気に関わる。将にあるまじき精神状態だが、顔良は感情で大きく戦力が左右するので、あながち間違った行動ではない。


 戸を蹴破り、数人の兵を斬った。

 そして気づく。妙に城郭が静かになっていることに。


 灯の類は全て消されており、室内は暗闇が支配していた。

 


「ひいいっ! や、やめ、やめてくださいっ」

「うおっ!? なんだ?」


 目の前に現れた血塗れの敵兵が、後ろから迫って来た無数の手に足を掴まれ、暗闇に引きずりこまれていった。

 流石のホラー展開に、顔良も得物を握る手に汗がにじむ。


「おいおい、何やってんだよ文醜。まさかお前さんまでやられたのか」

「誰がやられたんだ。まったく、早とちり癖が抜けぬな、顔良」

「ぶ、文醜、いつの間に。いや、無事で何よりなんだがよ」


 顎先でクイと暗闇を指し示すと、文醜は静かに笑ってみせた。

「今は俺の兵が訓練をしている最中だ。ここのところ野戦に従事するときが少なくてな。袁家の兵たるもの、如何なる状況でも対応出来なくてはいけないからな」


「答えになってねえよ……」


 奥からは断続的に悲鳴が聞こえる。

 恐らく、野戦装備をした文醜の部隊――例のアレが『遊んで』るのだろう。


「おや、もう戻るのか、顔良」

「結果が見えてる勝負はつまらんからな。殿が入城されるだろうから『清掃』だけはぬかるんじゃねえぞ、文醜」

「分かっているとも。俺の兵士は『綺麗好き』だからな」


 長子の城に茜消え

 闇の僕が胡蝶を追う

 夜な夜なつわもの共が四肢探し

 故郷に向かう足無しと

 嘆く声が木霊する



 唐代の詩人 『猛毛もけ』が詠んだ詩は、後世の間でも評価が分かれている。

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