199年 夏 上党の戦い
第105話 偽撃転殺の計、全軍バージョン
――簡雍
大戦果大戦果。
袁家の姉弟は頭が緩いと聞いてはいたが、これほどに手緩いとは。
簡雍は弱り目に祟り目の袁尚に、そっと手を差し伸べただけ。故に今彼が運んでいる物資は全て、袁尚からの『善意』であり『共闘』のためのものだ。
「人は選択肢を断たれると斯様に折れやすくなるものか。玄徳も笑いが止まらんだろうなぁ」
「それにしても膨大な量ですね。これでは上党の蔵に入りきらないのではないでしょうか」
「はっはっは、そうさなぁ。その時は民に惜しみなく施しをし、玄徳の名を高めることにしよう。なぁに、手慣れたものよ」
そう。彼らはこれまでもやっていた。
身分の高い者や豪商などに取り入り、物資を確保する。その物資を横流しして金銭を産み、民に還元しては徳を得てきた。
世の中の見栄っ張りどもは、何かと金で解決しようとするもの。なので思う存分利用してやるのがいいだろう。そう思い行動してきたのだ。
「人足も十分に出して来るとは、愚かとしかいいようがないわい。借りた人間によって攻められることになろうとは、夢にも思うまいて」
「左様ですな。おっと、簡先生、壺関が見えてきましたぞ」
「もうそんなに行軍したか。運搬が早いのぅ。よしよし、それではせいぜい袁家に同情を送る同志の顔でも作ろうか」
ふぁふぁふぁ、と笑いながら簡雍率いる大規模な輸送部隊は関に入っていく。
彼は知らない。
早馬にて別ルートから、壺関に知らせが届いていることに。
『劉備軍の輜重隊は通せ』
命令通りに守将たる高幹は笑顔で簡雍を迎えた。
「これはこれは、玄徳公のご一行でございますな。共に憎き張燕と戦えること、嬉しく思いますぞ」
「ははは、これは丁重なお迎え恐縮いたします。山賊破落戸風情に跋扈されているようでは、民の安寧は得られませぬからな。手を取り合って立ち向かいましょう」
露ほども劉備の動向を疑っていない。寧ろ味方である。
高幹は意識を意図的にすり替え、心を殺して応対するのであった。
「お疲れでございましょう。簡先生、どうぞお寛ぎくださいませ」
「いやいや、某も玄徳公のもとへ急がねばならぬ身。お気持ちは嬉しく頂戴いたしますが、君命ですれば……」
「うーむ、左様でござったか。お互い宮仕えとはいえ、ままならぬもの。せめて茶の一杯だけでも喫していって下さらんか」
「ふむ、では喉を潤させていただきましょう。高将軍、感謝いたしますぞ」
ドア・イン・ザ・フェイス。
到底受け入れることが出来ない物事を要求し、それが断られれば、小さな要求を出す。しかして、その小さな要求こそが本命であるというテクニックだ。
「ささ、お前たち。簡先生を案内せよ」
生え抜きの美人たちに命じ、風通しのよく、涼しい部屋へと促した。
お茶の一杯、されど一杯。
「手筈は?」
「整いましてございます。いつでも」
「よし、やれ」
高幹は部下に命じると、袁煕からの命令である『時間稼ぎ』を実行する。
部下は、高幹からの『命令』を『誤認』して、『酒』を振舞ってしまった。これは大変失礼をしてしまいました、と。
簡雍だけならば酒をあおらないかもしれない。だが、劉備軍の兵士たちはどうか。
それに輜重隊の人夫たちは既に袁家の手のものだ。
簡雍がここで数日過ごしてしまっても、それは劉備にとって大きな問題にならない。簡雍が帰陣しなければ警戒されるだろうが、呑気に酒を飲んでいるのであれば、仕方のない奴だで済む。
「ささ、先生。南群から取り寄せた最高級のお茶でございますよ」
「おお、これはこれは。ずずっ、うむ、なんという芳醇な……」
注がれるままに杯を重ねていく。
春も近づこうかという時世下、身に浴びる日光の優しさもひとしおだ。
大好物の酒が出された。
簡雍は最初こそ渋っていたが、一杯くらいはいいだろうと手を伸ばす。
完全に網にかかった瞬間であった。
――袁煕
俄かに慌ただしい、袁家の本丸だが、ここで手を抜けば一気に持っていかれることを俺は理解しているつもりだ。
「奉孝、人選は出来てるかな。重要な役目だし、人柄重視で願いたい」
「それなんですがね、殿。某が直で行ってこようと思ってるんスよ」
「ぬ……それはちと考え物だな。これから先の戦い、奉孝がいないのは相当厳しいと思うんだが」
「まあ、そうさせないために某が細工してくるッス。南からの圧力は抑えてみせましょうか」
誰が予期しただろうか。
官渡の戦い最中に、まさかの和議。
というか停戦協定。
曹操軍としては何が何でも河北を取りたいに違いない。彼我の戦力差や支配地域の大きさを考えれば、時間が経てばたつほど国力が変わってくる。
即ち曹操軍が寡兵、袁紹軍が増大ってことよ。
史実には居なかった人材も揃って来ている。
イレギュラー的な新規勢力も登場してきているが、概ね優勢に進んでいるのが現状だ。
「……分かった。奉孝、行ってくれるか」
「任してくださいな。ツテもあることですし、口八丁で何とかしてみますよ」
「危険な場所に行かせてすまん」
「好きでやってることッスからね。大丈夫ッスよ」
南の押さえは最低限にしておきたい。
曹操のポテンシャルを考えれば、いの一番にぶっ潰しておきたい。それは袁紹軍の誰しもが思っていることだろう。
だが、大立ち回りをする前に、身中に巣くう虫を駆除しておくのが先決だ。
「若、いえ、殿。全軍の準備は整いましたぜ。いつでもご命令を」
「我ら二枚看板が揃うのはいつぶりになるか……。名折れにならぬよう奮励努力いたしますぞ」
顔良・文醜が第一陣となる。
今回劉備軍を潰すため、言い訳の効かないほどの兵力と将器をぶつけるつもりだ。
顔良、文醜、魏延、張遼、呂玲綺、張郃、趙雲、高覧……。
逢紀、郭図、賈詡、許攸、陳琳、高柔、陸兄弟……。
これで負けたら、もう世間に顔向けできねーってレベルで取りそろえたわ。
北方の邯鄲を睨むにあたり、 袁尚に呂威璜をつけ、二万の兵士を向かわせた。
散々涙を流し、色々なモノでべっちょべちょだったが、お構いなし。
今回の軍を起こしたのは、邯鄲奪還及び、張燕討伐と思わせるのが第一の意義だ。
「予定通り北進し、壺関付近にある長子城塞を経由して上党に向かう。強行軍になれど、各々油断めされるな」
「応ッ!」
精々賊徒討伐軍を演じよう。
先手で顔良・文醜の二将の旗が確認されれば、本腰になって攻めていると認識されるだろう。逢紀の混ぜた遅効の毒が浸透しきるころ、軍が丁度上党に辿り着く。
はず。
「しかし殿、壮大な軍でございますな! これでは張燕如き賊も一網打尽でございますな!」
「公則殿、浮足立ってはいけませぬぞ。じっくりと腰を据えて平定する所存ですからな」
「なぁに、これだけの規模であれば如何様にも蹂躙できましょう。殿は謙虚であらせられますな!」
郭図センサーによれば、張燕攻めは『凶』と。
こいつがイケイケドンドンになってるときは、必ず負ける。
ついでに劉備について聞いてみるか。
「時に公則殿、玄徳公が上党におられるのですが、助力を乞うてみましょうか」
「かーっ、あの小坊主の力など不要ですぞっ。やたらめったらに武力と人徳をひけらかし、民心を捕まえようとする姿勢、反吐が出まする」
「そう悪しざまに罵るものではありませぬぞ。仮にこの兵力を上党に向ければどうなりましょうや」
「残念ながら、劉備めの一党にしてやられることでしょう。天険の地勢と豪傑の質により、天誅を与えるにはやや時期尚早かと」
「左様ですか」
勝ったな。
まあ、例え不穏な予見であっても、ここで劉備を潰しておくのは必須である。
ゲントク・マスト・ダイ。
「殿、軍の再編成のことですが――」
「今参る」
武官の求めに応じ、俺は再び軍中へと赴く。
世界の理が、南華老仙の手管によるものだとしよう。
しかし、人々が唯々諾々と従う義理は存在しない。
その先頭に立つのは俺だ。
「イレギュラーな存在なはずなのにな……なーんでバグ潰しに一生懸命になるんだか」
「殿、何か仰いましたか?」
「いや、独り言だ。気にしないでくれ」
さあ、行こう。
鉄と血の掟が支配する、唾棄すべき戦場へ。
鄴都を出立した軍は、一旦北上を開始する。堂々と、悠々と。
袁顕奕の牙門旗、とくと見よ。
全力で釣ってやるからな!
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