第104話 袁尚とハサミは使いよう

――袁煕


 恥も外聞もなく、床でギャン泣きしてる顕甫ちゃんを見て、誰が優しい気持ちになれようか。マイナー武将繋がりで親近感があるとはいえ、一応河北の雄である袁家の娘なんだぞ。


 まあ野放しにしておくのも精神衛生上よろしくないので、俺から話しかけてみるかね……。どう転んでも碌なことにならない予感が半端ないんだが、まあそれはそれよな。


「顕甫ちゃん、いい加減にしなさい。末妹とはいえ袁家の娘が群臣の前で醜態をさらすなど、あってはならん。俺に内容を話してみよ」

「兄さん……えぐ、だって、その……」


「もうぐずるのはおよしなさい。お兄ちゃんに全て言ってごらん」

「はい……その、邯鄲を失陥してからというもの、幾度となく再起を図るための募兵をしているのですが、一向に集まる気配がなくて……私はそんなに魅力がないのでしょうか」


「南の曹操軍に対抗するため、鄴都から多くの民が徴兵されているからなぁ。これ以上は経済や生産活動に支障がある故、仕方のないことだと思うぞ」

「であれば、兄さまの軍を分けてくださいまし。このままでは袁家の名折れと思いませぬか」

「それは無理。ただでさえ三方に敵を抱えてるんだ。鄴都の維持すら危うい状況でもあるしなぁ。ここから機動戦力を抽出して遠征に行かせるのは、自殺行為だと思うぞ」


「でもっ、でもっ!」

「だーめ。今は我慢しなさい」

「ぶううぅぅ」


 なんかこれ、嘘臭くね?

 いくら顕甫ちゃんが脳筋のお馬鹿だとしても、流石に本拠地の兵力削るってのが危険なのは百も承知のはず。

 俺の中に眠る本物の袁顕奕の魂が叫んでいる。

 袁尚が真面目そうなことを言ってるときは、大抵腹黒いことを考えてるぞ、と。


 ちょいとカマをぶっかけてみようか。

 

「ところで顕甫ちゃん、兵力の話はさておいて、最近どうやって生活してたのかな」

「聞いてくださいお兄様! 顕甫、ここのところお昼と夜にしか眠れず、ご飯も三回しか喉を通りませんの。それもこれもあの薄汚い夜盗どものせいで……」


 割と普通……というか、クッソ健康的な生活だった。


「そうだな、聞き方が悪かった。顕甫ちゃんが邯鄲の町を取り返すとして、どういう戦術を用いて攻める予定なのかな」

「全 軍 突 撃 に決まっておりますわ。袁家の兵に背を見せる惰弱な者は不要。神々しく、堂々と。それこそが王者の道でございます」

「兵は絶対に貸さないと神仙に誓う。内政や民生が安定してきたとは聞いていたんだが、肝心要の軍略がお粗末すぎる。確か顕甫ちゃんの軍師は――」

「逢紀先生ですわ。彼の言に従えば、間違いはございませんよ?」


 すごい郭図臭がする。

 一度面通しをしておいた方がいいだろうか。そもそも側近に頭脳が一つしか無いってのが異常極まる事態だ。様々な士大夫を雇い入れ、多くの意見から最善であるものをつかみ取る。それこそが太守の役目だろうに。


 で、だ。

「顕甫ちゃん、なーにを隠してるのかな。お兄ちゃんのトコの斥候は優秀って知ってるかな? もうぜーんぶ分かってるから、自白したほうがいいぞ」

「ぬえっ、あの、それは……その……」


 こんな政務軍務のマトモな議論をブチかますのであれば、カメムシダンスなんぞする必要性は全くない。

 もっと粛々と事を進めてくるだろうがよ。


「私、出家します」

「話が飛びすぎ。その間をもうちょい詳しく」


「その……鄴に蓄えてある物資が、ですね……」

「ちょっとそれ大事そうだから、はよ言ってもろていい?」


「劉備の子分である簡雍なる人物が訪ねてきて、ですね。その、張燕を共に挟撃しようという案を持ってきまして」

「うん、劉備はバチクソ怨敵だね。まさかその案……」

「鄴の兵と、上党の兵を合わせれば、賊徒の壊滅など容易いと」


 雲行きが百鬼夜行。

 どうしてこう、ウチの身内は碌なことしないんだろうかね。


「挟撃のために、援助をしてほしい……なーんて言われたら、ねぇ? 兄さん、あはは、しょうがないですよねぇ」

「続きを言え」

「はい……それでですね、多数の糧秣・馬・武器・建材等を融通してしまいまして」


 頭が怒りで種田山頭火だよ。

 この子アレだ。ちょいと小金を持つと、ホストクラブとかにドハマリする系だわ。

 そんで借金して、自宅とか売り払っちゃうやつ。

 その調子で鄴都をたたき売りされたらたまらん。顕甫ちゃんの処罰は後ほどにして、至急対策を練らなくてはいかんよな。


「で、でも、兄さんご存知だったんですよね? じゃあ顕甫は……」

「部屋へ連れていけ。すまんな、流石にこれは俺も庇えない。物資横領は一般的には死罪に該当することだ。だが袁家の一門ということで、俺の独断で処するわけにもいかん。故に罰が定まるまで蟄居を命じる」

「に、兄さん、そんな……お慈悲を……!」


 縋りついてくる袁尚を衛兵が抑え込む。

 まさかこの子、こんなヤベーことやってるとは思わなかったわ。

 ステータスを顔面に全振りしていても、脳にまでは浸透してないんだなって。

 

「許先生、主要な幕僚及び武官を招集して欲しい。至急対策会議を開く」

「かしこまりました。逢紀殿は如何なされますかな? 彼は一応袁尚様の智嚢でございますが」

「参考人として招致したい。というか連れて来い」

「しょ、承知いたしました」


 心なしか周囲が冷えっ冷えになってる。

 いかんな、怒気が態度や顔に出ていたか。己を律するのは難しいとよく言うが、流石に事がデカすぎるから、精神状態の平穏を保てないよ。


 剣を抜いていたら、とんでもないことになるところだった。

 まさに剣呑、か。


 袁家当主たる袁紹が鄴に居ないため、仮として俺が御座所の中央に座す。

 向かって右側には文官が。左側には武官が揃っている。


「孟徳公との戦が終わり、疲労取れきらぬ中よくぞ集まってくれた。目下火急の事態が発生したので、これを詮議し、対策を練りたいと思う。賢明なる諸君らの力を貸してほしい」


「もったいなきお言葉。我ら一同、殿が思うがままに采配を振るえるよう、力を合わせていく所存でございまするぞ」


 頼もしい言葉だ。

 ほざいてるのが郭図じゃなければ、俺のきっとものすごく安心したと思うんだ。


「事のあらましを説明しよう。許先生、逢紀殿、それぞれ順に発言を」


「許子遠でございます。本日、三姉弟の末姫であらせられる袁顕甫様より、その……大いなる利敵行為が発生したとの報を受けまして――」


 許攸が説明を深めていくたびに、同席している群臣の顔が引きつっていく。

 そらそうよ。俺だってブチ切れてるし。

 許攸が悪いわけではないが、どうしても感情の矛先は彼に向いてしまう。そこはあとで労っておかなくてはいけない。


「――という次第でございまして。幕僚たる逢紀殿の意見を拝聴したく存じますが」


 そして敵意の牙は一斉に犠牲者へ。

 袁尚の側に侍りながら、よくもまあ涼しい顔をしていられるものだ。その胆力だけは見習いたいね。


「ほっほっほ、戦略物資を決裁なく敵性勢力に渡したとあれば、極刑はまぬがれませんわねぇ。顕甫様もさぞお嘆きになられているに違いありませんわぁ」


 宦官には見えないが、妙なオカマ口調が神経を苛立たせる。

 知ってて流したって言いたいのか。


「あえて申し上げますわ、顕奕様。顕甫様のなさったことは決して袁家にとって不利益になることではありませんことよ」

「冗談は口調だけにしろ。俺は怒っている。疾くその意義を説明してみせよ」


「あらあら、短気は損気でございますよぉ。例えばそうですねぇ……物資を運搬するには人足が必要でございましょう? さてさて、その労働者は無辜の民衆なのか、それとも訓練された兵なのか」

「……種をまいておいた、ということか」


「お気づきが早くて、この逢紀安心いたしましたわ。物資に毒を混ぜれば気づかれる、さりとてそのまま渡すのは芸がない。であれば、警戒されないところに工作員を混ぜるのが、埋伏の真骨頂でございますれば……」


 重要でないところにこそ、毒を盛る。

 恐らく、俺があたふたと軍議を開き、てんやわんやしてるのは漏れ聞こえているところだろう。

 そして軍議で吊るし上げられれば上げられるほど、『物資』等々の信頼性が増す。


「なるほど、理解した。ならばその策を成就するためには、もう一手必要か」

「むふ、覚悟はしておりますよ」


 郭嘉や賈詡、陸兄弟は気づいているか。

 武官も数名は理解しているらしい。


「では、逢紀。貴様に刑を申し渡す」

「謹んでお受けします、如何様にも御裁可くださいませ、んふ」


 まさか俺が赤壁の真似事をするとは思わなかった。

 人を打ちて計とする。これ、苦肉の策なり。


 ここからは時間との勝負だ。

 邯鄲を取り返すと気炎を上げている風体を装い、上党の劉備を討つ。

 強力編集をバグらせるほどの、歴史修正力。ここで断っておかねばなるまい。


 行くぞ、劉備!

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