第101話 袁家炎上前夜 漆黒の呂旗VS冷厳なる青の甄旗
――袁煕
曹操軍敗走す。
しかしてその隊列は静謐にして規律在り。
よってこれを追撃するは死地への誘いと同義であり、時を同じくして引くのが上策と判断できる。
長居は無用。
俺たちは軍をまとめ、敵の置き土産である間諜狩りをしつつ、鄴へと入っていく。
石造りの堂々とした城門を通過し、民衆からは万雷の拍手と喝采で迎えられた。
道沿いには百花が飾られ、賑々しく催し物が繰り広げられている。紙吹雪が舞い、寒風の中にも関らず、子供たちが兵士に花束を贈り合っていた。
「許先生、顕甫ちゃんが敗走してきたという報を受けているが、安否は如何だろうか」
「ご心配召されるような事態にはなっておらぬかと。しかし堅城たる邯鄲を失陥したという出来事は、後々袁家の重しになりましょうな」
「だよねぇ……」
溜息をついていても状況は変わらない。
今はガッツリと固められている鄴にて軍の再編成をし、割拠している河北を平定せねばならんのよな。
北の張燕。東の劉備。そして南の曹操。
マジで公孫瓚が生きてたら詰んでたよな、これ。
歴史の修正力というべきか、劉備の復古は予想外だった。
南華老仙のやらかしっつーか、ある種実験動物にされてる感があるのは否めない。
しかし人間は与えられたカードで勝負するしかないのもまた事実なり。
「やってやろうじゃねえか。日本じゃついぞかなえられなかった妻子までいる。失うモノが何もない、無敵の人は卒業したんだぞ、ちくしょうめ」
幕僚も武将も揃ってきた。
流れは袁家に向いているものと信じたい。できれば勢いを殺さず進撃したいところだが、急いては事を仕損じるとも言う。
ここは一つ徹底的に準備ってのをしてやろうじゃないか。
「顕奕様、お帰りなさいませ!」
「戦勝おめでとうございます!」
「殿、民衆に応えて差し上げてはいかがですかな」
「そうだな……。馬上でむっつりしているのも決まりが悪いしな」
俺は新参謀の賈詡が挟んだ進言で、落ち込みかけた気持ちがまた持ちあがって来た。全然勝った気はしていないが、勝利を喧伝するのも国政には必要か。
プロパガンダってこうやって作られるんだろうなぁ、と。
俺はすっと腕を上げる。
一瞬にして民衆の声は止まり、辺りには静寂が支配したのであった。
「皆の支えがあり、この度の戦は勝利することが出来た。最大限の感謝を河北に捧げたい! ありがとう、誇り高き河北の民よ! 袁顕奕、一生の誉れと刻む!」
漣のように、魂の律動が鄴に溢れる。
「うおおおおっ、顕奕様! 若殿様!」
「俺、必ず次は兵士になります! 河北武者の誇りを発揮して見せます!」
風聞伝聞で話が広がる時代、為政者の言は何よりも重いのだろう。
故に人は正確な情報を得られずに、時の流れに飲まれていく。
「舵取り、頑張らなくちゃな。思いに応えなくてはならねえか。その責任を負ってるしな」
唯才有。
それだけを求める為政者もいた。人は己の存在価値を示してこそ天下に名を馳せることができるし、それを夢見る者も後に続く。
しかし、圧倒的に続けない者の方が多いのだ。この事実を看過してはならない。
「最初は俺のため。その次は妻子のため。そして今度は国のため民のため。最後には大陸のため……か。南華老仙のクソジジイよ、しくじったな。凡才で無能な人間を送り込んで遊ぶ予定が、大分変わったんじゃないかね?」
いっちょやったるか!
という気持ちがクライマックスモード。
パリピ袁煕も悪くないと思い始めたころに、政庁へと到着した。
拱手でもって迎えられ、仮の君主位が座す場に腰を下ろす。
「さて、だ」
「ふむ、ここが我らの新居であるか。呂家の格式と釣り合う見事な造りであるな」
ごく当然の如く、俺に寄り添って、オパーイサンドイッチを敢行してくる呂綺玲ちゃん。この栄養失調が慢性化してる三国時代において、その部位が発達してるのは奇跡の産物だよ。
「むむ、この屏風の後ろには兵が臥せる隙間が! お嬢様、ご油断めされませぬよう」
「なぁに、我が君となられる方が今更暗殺なぞするはずがない。心身共に誠意をもってお仕えするのが妻の義務ぞ」
ここで一つ、河北の民に謝罪しておこう。
ついぞここに至るまで、呂綺玲ちゃん十五歳に甄姫――蘭の性格を理解してもらえなかった。今宵の鄴都は血に飢える魔境となるやもしれんね。
「構造に関しては追々我が君にご教授頂こう。夫婦円満の秘訣は、何よりも隠し事をせぬことと聞いておる」
「左様でございますな! 袁顕奕殿、お嬢様のご期待に見事お応えされますよう!」
張遼がかなり食い気味の姿勢で俺に圧をかけてくるのは辛いッシュ。
呂綺玲ちゃんが大切な主君の姫君だってのは分かるが、仁王のようなしかめっ面で周囲を威嚇するのはやめてくれないだろうかね。
「では早速、華燭の典の式どりを……」
「あ、ちょ、それは待って……」
「袁顕奕殿、お嬢様のご好意を無碍にするわけではあるまいな?」
いや止めるよ、ガチで。
だって首を縦に振ったら毒蛇の刑執行だし。
「ご注進でございますよ!」
マオ! いいところに!
このゲロ悪い空気を打破してくれるのは、君以外いない。
「甄姫様のご一行が、間もなく到着される由に御座います!」
ワイ将、終了のお知らせ。
これは詰んだンゴねぇ……。
「どれくらい……で、来るのかな」
「半刻もすればとのことですよ! 河北随一の鴛鴦でございますので、猫も嬉しくなってしまいます!」
「は、ははは。そう……だね」
チラと横目で呂綺玲を見ると、目からハイライトが消えていた。
「文遠、我が得物はどうしたか」
「ご用意いたします」
ご用意すんな、止めろバカ。
「コホン、先にも話あったと思うが、正妻は甄姫――蘭だ。息子の綾もいるしな。俺もなるべく間を取り持つから、良好な関係を築くと約束して欲しい」
「我が君の正妻殿が、尊敬に値する人物であれば嬉しいことだが、さて……」
つまり蘭が毒婦認定されると、YOU殺害しちゃうYOって事っすかね。
鴛鴦ならぬチワワと大蛇の関係だけど、大丈夫かな。
「殿、急使が参っております」
「お、あ、うむ。通してくれ」
俺の前で膝をつき、伝令は語る。
「袁顕甫様が至急の面会を希望なされております。時間は半刻後ほどを願っておりますが……」
「マジで」
「まじ……とは?」
「いや、忘れてくれ。時間をもう半刻後ろにずらしてくれと伝えてほしい。なるべく穏当に、な」
「……はっ」
今の間はなんだよ。顕甫ちゃんは立場上急ぎ上申するのは分かるけど、それにしてもなぁ……。
河北で一番顔を合わせちゃいけない、ってか、混ぜたら危険な洗剤が三種揃った感あるね。いっそ融合して新たなエネルギーとか生まれないかな。
そんな現実逃避にも終わりは来る。
ちょうど半刻が経過し、蘭の到来を告げる先触れが現れた。
「ご戦勝おめでとうございます、顕奕様。明兎、先触れとしてまかり越しましてございます」
「ご苦労様。その……蘭の機嫌は如何かな」
そっと明兎が目を伏せる。
心なしか彼女の身体は震え、瘧が起きたかのように痙攣していた。
おい、まさか一大事になってないよな? ケガとか病気とか……それに綾の様子もだ。クソ、気になりだしたらきりがない。
「――うっきうきでございます」
「お、おう。それほど、なのか」
「獲物を狙う、猛獣のような眼光でございました」
変なスイッチ入っちゃってるのか。そういえば綾を授かるときも、コンバット・ハイな状態になってたしな。
今宵は第二子爆誕の予兆なのかもしれな――
「文遠、ご正妻殿をお迎えする。軍備を怠るな」
「承知! 者ども、呂家の威信はこの一戦にあり。必ずやお嬢様に勝利を!」
「応ッ!」
俺の瞼には、虎牢関が一瞬幻視されたような気がする。
飛将軍呂布の娘・呂綺玲。
河北の柱石、甄家の姫・蘭。
そして袁家の性欲ぶっ壊れマシーン、袁尚。
ここは三年E組。endのE。
暗殺ならぬ、虐殺教室。
授業開始の鐘が、そろそろ鳴りやがる。
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