第99話 鳳凰の巣

――龐統


 袁尚の軍団に戎狄の突撃が繰り返し突き刺さる。

 矢も楯も、という言葉があるが、戎狄の兵士たちはそのどちらも意に介さない。

 何故彼らは強いのか。


 秦帝国が建国される前より、多くの異民族が差別的な扱いをされ、僻地へと追いやられたのである。

 寒冷期の時期ではあるが、河北・中原においてはまだ食い扶持がある状態であった。しかし、荒野に放逐された人々の暮らしは、筆舌には尽くしがたいものである。


 怨嗟、怨念、瞋恚。

 戎狄を突き動かすのは、自らを人として認めず、中華の歴史より抹消することで充足感を得てきた者たちへの、反撃の意志であった。


◆ 時間はややさかのぼる


「敵将は袁尚、そして逢紀か。なんのことはない、この龐士元の包囲からは逃れられん」


 龐統は自陣に潜んでいた正体不明の刺客を斬った。

 もう一人は傷が浅かったのか、夜の闇へと消えていき、静寂を残していった。

 十中八九袁家からの間諜であろうが、生かしておく必要性を感じない。

 必要な情報は、既に自らの手によって調べ上げているからだ。


「さて、そろそろ始めるか」

「士元先生、お頭のところへ行くので?」

「ああ、そろそろ盤面を詰ませようと思ってな」


 張燕率いる精鋭弓騎兵と山岳歩兵。彼らは深山に迷い込んだ敵兵を生かして帰さない。袁尚との決戦においては、騎兵による走射と突進によって、敵陣形の弱い部分を『作り出す』のが任務だ。


 山岳歩兵は山々に伏せ、敵至らば兵以て覆うのが役目である。

 時には偽兵として旗のみを立て、戦場の攪乱を狙う目的もあった。


 戎狄による前面からの攻撃は、最初は大いに戦況を優勢に傾けるだろう。

 しかし態勢を立て直され、遠距離攻撃で数を減らされればそのうちに磨り潰される。なので袁尚軍に戎狄の存在を慣れさせないことが肝要だ。


「おう、士元。とうとうヤるときが来たんだな!」

「ああ、河北に戦乱を起こすのは心苦しいが、虐げられし民のためだ。反撃の狼煙を上げよう」

「へ、難しいことはわかんねえがよ、おめえが言うなら間違いねえな」


 張燕は城門に立ち、険を振り上げて兵に向けて雄叫びを上げる。


「てめえら、戦の時間だ! 調子ぶっこいてる袁家の小娘をブチ殺すぞ。俺らは確かに卑しい。人間の中でも最下等のクソだ。けどな……」


 固唾が飲まれる。


「それでも、人に生まれた以上、生きてもいいんだと吼えようぜ! 王侯将相いずくんぞ種あらんやって昔の奴は言っていた。天道の下、俺たちは唯人であるのみ! ならば我ら悪党、これに応えん!」


 巻き起こる怒号と歓声。それは人の感情が渦巻き、賊徒に身をやつした不運を蹴り飛ばすべく、世の中に自らを証明しようとする魂の叫びだった。


「我ら悪党なり。故に、悪として生き、悪として死ぬ。お前ら、デカイことやって死のうぜ!」

「おおうっ! 張燕様っ! お頭!」

「袁家に死を! 我らの生に意味を!」


 士気の高まりに龐統は勝利を確信した。

 己が策は棋譜をいじっただけのもの。水面に一滴の毒を垂らしたにすぎない。

 恐らく、大きな物事を成すのは、人の意志であろうなと龐統は胸が昂るのを感じたのだった。


◆ そして決戦


「戎狄兵、第二波をぶつけろ。掲げた旗を倍に増やせ」

「はっ、すぐに伝令を送ります!」


 龐統の策は三軍による波状攻撃である。

 主として戎狄の歩兵部隊による突撃を用い、補佐として張燕の部隊で攪乱を行う。

 戎狄の兵を五つに分け、旗指物を徐々に増やしていく。


 平面から視界に入る軍の影は、多くの旗が掲げられる大部隊だと錯覚させる。だが、実際のところは袁尚の軍よりも遥かに少ない兵数だ。

 戎狄の猛攻が当たったかと思えば、潮のように引いていく。袁尚が隊列を整えようとする瞬間を狙って、張燕麾下の弓騎兵が崩しにかかった。

 横陣の端からは山岳歩兵による急襲があり、容易に軍を広げることが出来ずにいる。袁尚と逢紀は度重なる攻撃に、思考の容量を徐々にはぎ取られていったのだった。


「第二波、突撃開始しました。続いて第三波も準備完了です」

「敵軍の最も弱い箇所は一文字の陣の両端だ。徹底的に機動部隊で削れ」

「はっ! あ、張燕様の旗に藍色の紋様が付けられました。敵将発見かと」

「第三波突撃開始。戎狄の旗を大量に掲げ、数で勝るように見せかけるのだ。袁家の兵士の心をへし折り、完膚なきまでに叩きのめすぞ」


 龐統は矢継ぎ早に伝を飛ばし、徐々に包囲を狭めていく。

 強壮な兵団を前面にし、助攻による左右両翼の制圧。そして騎兵による敵将への直撃を目指す。


 これぞ鳳凰の巣。

 戦域を自在に動かし、掌のままに敵を討つ。

 

 戎狄と連携が取れたのも、命令を単純化しておいたからである。

 軍を五つに分け、合図と同時に一軍ずつ突撃せよ。

 そして銅鑼の音で後ろに下がれ。


 押しと退き。これだけを徹底させたのみだ。

 

「敵牙門旗、崩れます!」

「もはや隠し立てする必要もなしか。全軍突撃、袁尚を始末せよ!」


 龐統の軍配扇子に合わせ、戎狄の残兵と黒山賊の一斉攻撃が始まった。

 しかし、包囲の輪が完全に閉じる前に、袁尚と逢紀はかろうじて血路を開いて脱出することに成功したのである。


 戎狄に蹂躙され、多くの袁家の兵が戦場に命を散らした。

 張燕の連合軍は軍の再編成を行い、そのまま袁尚が逃げ込んだ邯鄲城を狙う構えだ。守備兵少なく、住民は多い。戎狄が雪崩れ込めば阿鼻叫喚の地獄が顕現することだろう。


 果たして攻城戦は張燕軍の勝利に終わる。

 再び袁尚は配下によって逃がされ、そのまま袁家の本拠地である鄴へと落ち延びた。


 邯鄲は過去における趙国の首都であり、決して生易しい防備ではない。

 龐統は戎狄を再び前面に出し、敵の注意を引きつけ、町の住民の恐怖を煽った。

 賊徒故、攻城兵器は切り落とした丸太程度しか持たない張燕軍だったが、彼らには一つだけ他には負けぬ特技があった。


 それは悪路にて生を拾うもの。

 即ち体力である。


 戎狄の威嚇と簡易破城槌による攻撃を見せつつ、龐統は邯鄲に入り込むための穴を掘った。

 昼夜兼行による工事を隠すため、戎狄の攻撃と同時進行で差配をとる。龐統の疲労は極限にまで達していたのだが、彼の精神力は戦の結末まで途切れることはなかった。


「士元、道が出来たぞ。このまま行くか?」

「落ち着くがいい、お頭。まずは小人数を先行させ、倉庫に火をつけろ。混乱に乗じて本命の部隊を送り込む」

「おめえ、随分ワルが板について来たな。いっそ邯鄲丸ごと燃やしちまうか」

「馬鹿を言うな。民に咎はない。それに物資が尽きては俺たちも不便で仕方なかろう。袁家の軍を討つことだけを考えなければな」


 火竜の舌が物資の保管庫を舐める。

 火事だ、一大事だとの声が飛び交う中、張燕率いる『悪党』共が邯鄲の地下から湧き上がってきた。


「チ、悪運の強い小娘だ。それとも参謀の入れ知恵か」


 城主たる袁尚は既にその姿を消し、本丸はもぬけの殻であった。

 大物を取り逃がしたと悔しがる張燕を尻目に、龐統は大きな拠点を得たことに満足していたのである。


 晋陽はお世辞にも耕作に適した土地ではない。

 多くの民を養うことができる河北の楔、即ち邯鄲を手中に出来たことは非常に強い札となる。

 物流・経済・糧秣・人材。

 

 悪党が欲しがっていたもののすべてが、ここにあった。



――袁尚

「くぅううっ、なんですかこの有様は! 逢紀、私は、私は……」

「おっほっほ。流石に今回は武運がありませんでしたわぁね。ですがまだ天は見放してはおられませんよぅ」

「このまま鄴に戻れば、私はいい笑いものです! ああ、なんということ……」


 逢紀は既に窮余の一策を講じていた。

 袁尚の命を救い、名誉挽回すべく、袁煕に軍の派遣を要請していたのである。

 曹操と向かい合っている中で、後背地を奪われた失態は許しがたいものであるだろう。だが、鄴に敵軍が迫れば戦線を維持することは出来ないという現実がある。


『俺らを助けないと、お前も死ぬんやぞ?』

 悪辣かつなりふり構わぬ救助信号だ。


「ご心配召されませんように、お嬢様。全ての責任はこの逢紀めが」

 必死に馬を駆る袁尚に、逢紀は一死大罪を謝す覚悟を固めるのであった。

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