第94話 呂玲綺ちゃんは輿入れしたい

――郭嘉

 壺関に撤兵し、改めて戦術を練り直す必要に駆られている。

 郭嘉は戦地となる上党付近の地図を広げ、木片を軍勢と見立てて動かし続けていた。戦の障害となりうるのは、劉備を取り巻く二人の武将である。即ち関羽と張飛だ。

 彼の二名を早期に除きたい。さすれば戦局における変数は消えることだろう。


「いやー、参ったッスねー。こいつらの存在が邪魔なこと邪魔なこと。どうにかならねーかなぁー」

「申し訳ないッピ。拙者にもっと力があれば、斯様な荒地なぞ楽に平定できたッピが」

「張将軍には張将軍の良さがありますからねー。そんなに卑下せんでも大丈夫ッスよ。問題は状況を打開できない軍師の力なんスよ」


 互いに無念のほぞを噛み、乱世の寵児たちが籠る都市を幻視する。

 敵兵の数は不明。だが、ある意味熱狂的に迎えられ、多くの志願者が集まっているに違いない。


「援軍要請は通ったっスかね。壺関にいる一万だけじゃ、ちょいと厳しいんスよね」

「邯鄲から鄴を経由し、袁尚様の将が向かっているとの報が来たッピ。確か郭援殿だったッピ」


 出た、と郭嘉は唇をひん曲げる。袁尚を補佐する審配・逢紀の子飼い武将だ。

 年のころ四十に近いのだが、いかんせん頑固な人物である。言説を飾らずに述べれば、融通が利かない猪武者なのだ。


「なんで郭援殿なんスかね……。まあ、付き従っている兵士たちは上手に活用させてもらうとしますか」


 到着までは今しばらく日数がかかるだろう。それまでに着々と上党が守りを固めていくのを、座して見続けなければならないのは精神衛生上よろしくない。


「野戦になるかぁ。撃破出来ても、城攻めは民衆の意志に反しそうなんスよね。主従一丸となっているような相手は、マジでめんどくせーッスなぁ」

「難しく考える必要はないッピ。しかし、野戦で敵軍と対峙するには、こちらも相応の作戦を用いなければならないッピよ」

「ですよねー。けどあの人たち、微妙に戦の勘が鋭そうなんスよ。さぁて、どうしますかね」


 郭嘉の頭には、二つの矢が引き絞られている。

 一つは郭援の到着を待ち、前面から凡戦を仕掛ける。そこに張郃率いる部隊による伏兵をぶつけ、一気に野戦を征する方法だ。

 問題は郭援が血気はやり、敵将に挑まないように抑える必要があるということ。

 張郃の伏兵が押し切れない場合、速やかに戦線を縮小させて撤退しなくてはいけない。


 第二の矢は、秘中の秘。

 郭嘉は壺関の守将である蔣義渠を密かに出撃させ、で攻撃を仕掛けることにある。

 この第二の矢は遅効性の毒だ。豊かな収穫を得るには、十分に時間を稼がなくてはいけないだろう。


「壺関がガラ空きになっちまいますが、仕方ねーッスな。殿に早馬を出して、兵力と将を捻出してもらいましょう。延津方面も苦しいでしょうが、曹操と劉備の結託だけは阻止しねーとヤベーよなぁ」

「近郊の白馬港には顔良将軍がいるッピ。そう簡単に上陸はできないと思われるが、いかがッピ?」

「そうッピ……じゃなくて、そうッスね。再度白馬を狙うのは曹操も流石に躊躇うでしょうね。しかし、港ってのは他にも点在してるんスよ」


 彼の地は河東。

 洛陽から北上し、上党に向かうと行きつく黄河の流域である。

 

「張燕の動きも気になるッピ。顕甫様の采配を疑うわけではないが、未だに賊どもは跋扈している有様ッピ」

「つまり上党は火種の宝庫ってわけッスよ。ったく、マジで余計なところに逃げ込みやがって」


 苦虫を通り越し、毒虫を噛み潰すような不快感が郭嘉を襲う。

 山間部にある上党は大軍を運用するには向かないが、各地との交易路が確保されており、遊撃戦を繰り広げるには最適の土地でもあるのだ。


「ま、いっちょやったりますか。とりあえず、蔣義渠将軍には副軍師としての権限で、行動を命じておきましょう」

「拙者も軍を再編し、伏兵用の騎兵を抽出しておくッピ」


 両将は思いもよらず、袁家の支柱を守る危険な戦いに身を投じることになった。

 仙人の天意による戯れと、劉備という男の人為による戦略。この二つは、袁の旗を折るに、十分な破壊力を秘めているのだった。


――袁煕

 柄にもなく大演説をぶってしまったぜ。

 今更ながら、数世紀先の話を三国時代の人間にぶつけてしまっていたので、恐らく賛同や理解は得られないだろうね。

 寧ろ狂人の類と取られなかっただけ、まだセーフってところか。


 実際のトコ、王朝による専制政治しか知らない人間に、新概念を伝えるのは些か無理のあることだったと思う。

 俺も宇宙の真理とか、霊界の存在とか語られても、こいつヤベー薬やってんなってドン引きするしな。


「袁顕奕、改めて挨拶をしよう。我が姓は呂・名は玲綺。字はない。これから其方の妻になるわけだが、一つよろしく頼む」

「ああ、よろし……え、は?」


 チャイニーズ・ビックリボンバー。

 今まで俺、結構真面目に政治形態とか統治の理想論とか語ってたよね。

 少ない脳みそなりに、一生懸命ガチトークしたと思うんだ。いわば、政治に関するトーク番組で激論を交わしてた系なんだが、なんで妻とかいうワード出てくるん?


「あの……妻とは……?」

「男性と番になる女性のことだぞ。なんだ、あれだけ偉そうなことを述べておいて、そんな簡単なことも知らぬのか」

 

 いや違う、そうじゃない。

 そういうことを言いたいんじゃない。


「概念は分かるし、身をもって理解してる。何故に俺が呂玲綺殿を妻に迎えるという話になったのかな」

「端的に言えば、私が夢想家を好む気質にあるからだろう。夢や野望の無い男など、眼中に入らぬ。袁顕奕、其方の論を完成させるには、数代の時が必要だろう? ならば私と子をつくり、意思を引き継いでいくべきだ」


 ええと、これ大丈夫かな。発言したら殺されないだろうか。


「呂玲綺殿、非常に言いにくいのだが、俺は妻帯者だ。それに子供もいる。なので御身に人生を賭けてもらわずとも、志は――」

「ならば第二夫人でよい。私はまだ若いしな、子を授かる機会も多いだろう。家族が増えるのは楽しいに違いない」

「……ちなみにおいくつですか?」

「ん、十五だが?」


 アウトだよ馬鹿野郎。

 いや、うん、三国時代でのスタンダードではOKなんだろうけど、俺の倫理的にはゲームセットだ。


「袁顕奕殿。貴殿の言葉は偽りであるのか。お嬢様が一身を賭してその夢を共有しようとなされているのだ。男ならば妻が何人いても道を全うするべし」

「えぇ……」


 そこは止めようぜ、張遼。

 お前めっちゃ俺のこと疑ってたじゃん。この手の詐欺師には連れ添うなって諫める場所やぞ。


「ふつつかものだが、よろしく頼む。こう見えても天下無双の血を引く女だ。子には武芸百般を仕込もう」


 普段ぼけーっとしてるのに、攻めるところはぐいぐい来るのね。猛将は勝負所を見逃さないってことなんだろうか。


「ではお嬢様、婚礼の持参品として延津の陥落は如何でしょうか」

「それはいいな、文遠。よし、突撃しよう」

「待てーや。いや、お願い、待ってください。こっちにも戦略ってのがあって……」


 頭痛い。

 突撃厨ばっかり増えても困るんだよなぁ。もう少し落ち着いた……せめて被害を減らすよう立ち回れる武将が来てくれると嬉しいんだがね。

 まあ、贅沢な悩みだし、そう発言するのは呂玲綺と張遼に失礼だ。

 彼らにも通すべき筋があるんだろうしね。


 俺が今にも飛び出していきそうな、ロケット花火のような武将をなだめているときだった。

 冷静に、そして粘着質な低い声が身に絡みつく。


「水臭いですぞ、殿ぉ。この郭公則めにお任せくだされ」


 現状、この場で一番不要とされる人物からのダイレクトメッセージが届いた。


「我が胸中に秘策あり。お味方が増えた以上、既に延津は我が手中にありまするぞ」

「……そうだな」


 吐きそう。

 誰か、この問題児どもを正してくれまいか。

 俺はそっと腕を絡めてくる呂玲綺を引きはがしつつ、臓腑の底から絞り出すような嘆息をついた。

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