第93話 一歩ずつ
――袁煕
既に漢王朝はスリーアウトだ。これは誰が見ても同じ見解に至るだろう。
黄巾の乱から始まった一連の乱れは、立ち塞がる者が居なくなるまでバトり続ける、ノックオン方式になってしまっている。
俺の知っている歴史によれば、この三国時代における人口の減少はマジでえげつない状況だそうだ。
延々と繰り広げられる群雄の戦争。そして蔓延る不衛生と疫病。地球寒冷化。
生きてる方が奇跡レベルの現地では、日々修羅の国状態だ。
「孟徳公と……和睦ですと?」
「ええ。というか、戦う必要性、ありますかね」
「中華を一つにせねば、戦乱の火種はいつまでも残ろう。それゆえに孟徳公は統一を大義として行動されている」
「それですよ。無理に統一しなくてもいいんじゃないですかねっていうのが、俺の論の最深部です。袁家の治める土地と孟徳殿の治める土地。まずはそういう垣根があってもいいのでは」
すまぬが、と手を挙げたは呂玲綺だ。
彼女なりに何か伝えたいのだろう。心なしか声が震えている。
「呂姫殿、是非お考えを頂ければと思います」
「うむ。私は知っての通り頭が悪い。そう前置きしておいて話をさせてもらう」
ミス・予防線。
それを行使できるだけ、実はこの姫は賢いのでは? と思わずにはいられない。
「軍に身を置いている者からすれば、争いがなくなれば用済みの存在になる。それが怖い。おりしも漢の高祖の例に触れられた。私たちは何か処罰を受けるのだろうか」
「不法行為や虐殺等の非人道的行為を実施していなければ、処罰する理由にはなりませんね。だって対外的に武力は必要ですから」
俺も平和論者じゃないんだよね。
内外においてある程度『イワしとく』ためには、武力は必須だ。誰の目にもわかりやすいし、食らえば痛い。
能力の差や身分の差、そして頭脳の差があれど、武力から受けるダメージは一緒だと思う。
「私は七国に分かれると、相争う結果になるという張遼の意見に賛成だ。だが、貴公は武力は必須だという。どうすればこの状況を打開できるのか、私は知りたい」
「物事を支配するには、衣食住が基本です。そしてこれらが満たされれば、人はあえて争おうとはしない。俗に言う金持ち喧嘩せず、ってやつです」
「……そうなの、か?」
ちょっと令和の語録が出てしまった。こういうところよくないね。
「礼節を知るとは管子の言葉ですが、俺もそれに則りたいと思うクチでして。我々権力や武力を持つ者は、持たざる者を庇護する責務を負います。では庇護とは何か。それは民が幸福だと感じる瞬間が、より多くなる状態のことを指します」
幸福は瞬間で、永続的ではない。
それは誰もが知っていることであり、言わずとも察せれることだろう。
だからこそ、その瞬間を増やすことこそが為政者にとっての命題なのだ。
「槍を持つ手には鋤鍬を、弓で狙うのは鳥獣を、馬は戦場ではなく村々の往来に。用途を変えていきましょう。大風呂敷なのは理解してます。ですが、最初の一歩は誰かが始めないといけないのですから」
「机上の空論に過ぎぬ、と言いたいが……惹かれるものは確かにある。無論、拙者たちの世代では完遂しない、前代未聞の大事業となるであろうな」
「変化の過程で戦が起きることは承知の上ですよ。甘いことは言ってられませんしね。でも、目指す先には七国がそれぞれ支え合って一つの国と成すのです」
「では、まずは何をされるのだ、えと……袁顕奕」
「呂玲綺殿、お好きに呼んで下さいな、大丈夫ですよ。農業、衛生、法律、教育、商業。様々な分野があるので難しいですが、あえて言えば『通路』です」
「その理由は? 袁顕奕」
訥々とした喋りだが、呂玲綺も進んで会話に入ろうとしている。
俺は俺の拙い知識で、中華史を塗り替えようとしているのだ。
正直クッソ怖いぜ。
間違ってたら、世紀の大犯罪者として世界遺産登録されちまう。けど、人の手で治められる範囲には限界があり、内部を和合させても外敵が出てくるもんだ。
「俺は地図を見ました。中華全域の地図です。そりゃまあ、多少間違ってたり、他のと食い違ってるのはありますがね……でも気づいたんですよ、可能性に」
「可能性……それを私に教えてくれ、袁顕奕」
「拙者にも、是非」
中つ国とは、文字通り多くの国の真ん中にある。
あったよね、そういう政策。
「四方経済回廊の創出、です」
「し……ほう?」
「東に行けば大海があり、多くの人が住む列島があるそうですよ。当然そこで取れる様々な文物があるでしょう。南には多くの野趣あふるる果実や種子が、西には精巧な彫刻が、北には未開拓の荒野が待っています。これらを連結させ、一大経済圏を創るってなると、すげーことになりませんかね」
「すまぬ、話が壮大でわからぬ。しかし猶更のこと、一つの国でなくてはならんのではなかろうか」
「富が一か所に集中し、腐敗の温床になる可能性が高いのです。税として徴収したものは、より多くの利益を生み出すために、効率的に分配された方がよい。それには地方の特色や強みに積極的に投資してもらったほうが栄えると思うのですよ」
秦は西洋への出口。西涼ともつながる交易の玄関口だ。
楚は南洋にある国々との交易がメインになるだろう。
斉は主に日本列島との窓口だ。製塩技術も発達しているしね。
燕・魏・趙・韓は交易路の整備だ。
それぞれに旨味を与え、それぞれの懐を潤す。
「どこか一つの国が欠けても駄目なんです。役割分担をしつつも、同じ共同体の一員として利益に対して懸命であること。例えば俺たちが日常に使っている『紙』は、まだ見たこともないよっていう場所だってあるんです。そういうところ、商売の匂いがしませんかね」
「貴公は金で国をまとめようとするのか。呂不韋の如く」
「金は目的の一つですが、他にも必要なものはありますよ」
「端的に教えてほしい。私はまず何をすればいいだろうか。我々ができうることが何かあると思うのだが」
人は自分の代で何事かを成したいと思うもの。それは俺だって同じよ。
だからまあ、こう答えとくか。というか、必須事項だよな。
「国旗の制定でしょうかね。無地に漢字一文字だけじゃなく、何か共通の模様であれば好ましいです」
「確かに……漢の字だけだと時折わからぬことがある」
「色合いによって意味が違いますぞ、お嬢様。いえ、恐らく顕奕殿が申されているのは、文字ではなく紋様。その形が刻まれたものは我々中華の圏内だと把握できる……と」
時代的に竜とか鳳凰になるんですかね。
竜って『皇帝』とかその辺りしか身につけてはいけない絵柄なんよね。
全部が全部大衆化させるのはよろしくないが、ある程度認知されてるものがいいね。
ってかね、この大陸の人々の独特のクセっつーかな。
邪馬台国の字面を見てもらえれば分かるが、あからさまに他の国を見下してるんだよな。そういう習慣を無くす意味でも、高いトコにいるものを民衆レベルにまでおっこどしてほしいのよね。
「私は……お花がいい」
「お、お嬢様。それでは威厳が……」
いいね。いいんじゃない。寧ろそれで行けまである。
「梅の花、なんていかがでしょうかね。花弁の色で七国の違いを出すのもありかと」
「ん、綺麗。私は梅の花、好き」
「……拙者に是非はござらぬ」
ござるよね。
君主筋がそう言っちゃえば、逆らえないメンタル。万国共通よな。
「現状、俺の広大稀有な夢でしかありません。ですが、必ず後世の人々の幸福につながると信じています。それにはまず、戦で勝ちて、退く。これを実践しなくてはいけないと思うんです。呂玲綺殿、張遼将軍、願わくばこの志に賛同していただけないだろうか」
「私は……乗る。今まで戦場しか知らぬ身であり、多くの者を殺めてきた。だが、本当はそんなことをしなくてもいいはずと、心のどこかで思ってはいたのだ。袁顕奕、貴殿がその夢を捨てぬ限り、私は貴殿と添い遂げようと思う」
「この張文遠、正直に申し上げれば納得には至っておらぬ。だが、そのような疑惑の目を持つ人間もまた必要だろう。拙者の考えを尊重していただけるなら、お嬢様と共に貴殿に降ろう」
俺は無言で拱手する。
目の前にいるのは敵ではない。同じ夢を共有する仲間だ。
ふと、とある名文が頭に浮かんできた。
『なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠とうげの上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから』
俺は、きっとそうありたいと思っているに違いない。
引用元)宮沢賢治「銀河鉄道の夜」
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