第84話 程昱先生の節穴EYE

――袁煕


 白馬の港、奪還完了!

 犠牲は少なくないが、それでも顔良が討ち取られて、全軍が瓦解することは防げた。もとの歴史を知る者として、これはこれで上出来の結果ではなかろうかとさえ思ってしまう。


 闇に放った『黒竜』も無事に帰還し、土産とばかりに敵将の首を差し出して来る。

 いや、うん。

 この時代は上席の者が首級を見て、部下にお褒めの言葉を出すのが要求される流れだ。けど、無念にして苦悶の表情を浮かべる首っころを見て、笑顔になれるほど俺はまだ慣れていない。


 いい加減に戦の作法を知れとお叱りを受けそうだが、心はまだジャパニーズなんよ。戦国時代とか鎌倉武士とかだったら話は違うだろうが、憲法九条下に生きていた者としては、心苦しいものがあるね。


「殿、そろそろ例の密使が敵陣に着く頃合いかと……」

「お、そうか。流石に対曹操討伐軍の大将の首がかかれば、敵さんも血眼になって食いついてくるだろうね」

「然り。この許攸、殿、日頃から不満を述べておりましたので」 

「辛い役目を押し付けてしまいましたね。その挺身が実ることを期待しましょう」


 そう。

 許攸に翻意在り。喧伝するかのように、あちこちで袁家に対する不満を口にさせていた。あわや斬首になりかけた場面もあったが、危険そうであれば介入し、何とか耐え忍んできた。

 人呼んで、これを苦肉の策という。

 黄蓋に先んずること数年。俺は河北の地で偽の反逆情報を流していたのだ。


「して、許先生。人選は如何に」

「アノ者を向かわせております。なぁに、彼奴も中々に反骨の相を持っておりますからな。殿のご要望は全て満たせるかと」

「作戦の成否も重要だが、無事に将兵が帰還することも大事だぞ。ぬかりなく進めてほしい」

「かしこまりましてございます」


 偽の手紙には偽の反乱の兆し。

 そして偽の脱走兵を率いるは、ミスター反骨心だ。

 武力的にも統率的にも、彼ならば無事に切り抜けてくれると信じている。


「延津には野郎がいるって噂だが、さて、どうしてくれるかね」

 このボディの天敵であり、瞋恚の炎で焼くべき相手、曹丕。

 あまり面と向かって「テメーはぶっ殺す」とか言いたくないが、運命がそう望むのであれば仕方がないと思う自分がいる。


 もしかしたらそれは、この身に残る袁顕奕の残留思念なのかもしれないね。

 俺に魂を乗っ取られて無念の極みにいるに違いない。ならばせめて、滅びの未来を回避するのが手向けになるだろう。


「いっちょ、やってやるか――」


 俺は大きく背伸びをし、再び馬に跨った。

 鐙の開発によって随分と楽になったのだが、長距離にして連続の乗馬は身体に悪い。主にケツの皮がべりっべりにはがれてくるのよ。


 弱音はいかんな。

 今が踏ん張りどころだ。袁家と家臣は全員タマ張っている。

 率いる俺がくじけていては、成すべきことも成せないだろう。

 馬に鞭を入れ、俺は手勢を率いて白馬港を後にするのだった。


――賈詡

 滅びの灼熱は延津を薙ぎ、投降を許されなかった袁家の兵士を骨へと変えた。

 通常であれば降兵は受け入れ、後送するのが戦の常道である。さもなければ敵は皆死兵と化し、頑強な抵抗を続けることだろう。


 歴史の跡をなぞれば、項羽と劉邦の咸陽落としが例に挙げられるだろう。

 仁慈を尽くし、敵兵にすら温情をかけた劉邦。

 目の前の全てを破壊し、悉く鏖殺した項羽。

 進軍速度は目に見えて変わり、お互いの戦功争いに差を生じさせたのだった。


「愚かな……孟徳公のご子息は皆聡明であったのだがな」

 一人呟く賈詡は、まだ燻り続ける熾火を眺める。

 長男の曹昂、甥の曹安民。両者とも宛城の戦いで露と消えた。主君を守り、馬を差し出してまで忠義を尽くした姿勢は、賈詡も大いに評価するところであった。


「次代を継ぐは、かの冷酷なヤモリか。ふむ……」

 

 俄かに陣が慌ただしく動く。

 一つの凶報と、一つの朗報、そして真偽不明の情報を持って軍師が帰還したのだ。


 白馬方面軍大将・于禁、捕縛。

 副将・李典、戦死。

 客将・関羽、消息不明。

 埋伏の将・魏続、宋憲、戦死。

 軍師程昱・荀攸、帰還。


「惨憺たる有様だな。孟徳公の智嚢も案外穴が広いと見える」


 程昱が申し述べるところによれば、十面埋伏の計は看破され、敵正面・中盤・後方による三段階の追撃を受けて瓦解したそうだ。

 率いる将の能力差はあれど、敵陣深くに埋伏するという着眼点は良い。

 しかし、各個撃破をされなければ、の話だ。


「さて、それでは不明の情報は如何に……と」

 執戟郎としてそっと陣幕の横に立つ賈詡は、中に集う大将たちのやり取りに聞き耳を立てた。


「白馬の失態、どう言い訳をしてくれるのだ、程仲徳。貴様の策は徒に死者を増やしただけの愚かなものであったぞ」

「見破られたのは確かに申し開きも出来ませんな。しかし、これで敵は白馬方面に目が集中することでしょう。延津に攻め手が来るのは時間の問題ですが、さて」

「さて、なんだ? この曹子桓に才を示す気はないのか」

「いえ、ここまでは布石でございます。ここに逆転の一撃がありましてな」


 程昱はどうやら敵からの情報を得ていたようだ。

 曹丕の苛烈な追求を柳に風とばかりに受け流し、ひたすらに戦局を有利に動かそうと専心しているらしい。


「南皮方面軍にいる密偵からの報告です。どうやら袁家の臣の間に不和が生じているようですな」

「……ほう。面白い、続きを言ってみろ」

「はい。袁家に降った公孫続は調略済みです。その者によれば、袁煕と近衛統括の許攸の間に隙間風が吹いている模様です。現にこちらが――」


 風がそよぐ音で聞き取りづらいが、どうやら帷幕の中で程昱は何かを読み上げているようだ。


「南皮から出撃してきた軍団の後衛……率いる将は魏延と申しましたかな。彼の者が袁家に見切りをつけた兵と共に我が方へ向かっている由にござる」

「ふん、見え透いた偽計だな。まさか乗るわけでもあるまい?」

「そうですな。渡りに船が通ると疑いの目を向けるのが人情でしょう。しかし、その裏を突いた奇策かと」


 一族郎党を皆殺しにされた公孫の息子が細作として逐次情報を程昱に流しているらしい。

 降将の魏延は易京城砦で活躍したものの、武勲に比較して恩賞が少ないと憤慨していたという。


 公孫続、魏延、許攸。

 軍閥の出である公孫の子息と、荊州からの武人である魏延は軍を動かすに十分な能力を持っているだろう。許攸はその智謀で袁煕の懐深く入り込み、近衛を統括するに至っている。


 三者が背けば、白馬港のみならず、一気に鄴都を攻め取るは容易いに違いない。


「まずは魏延を受け入れ、正面に陣取る袁煕と戦わせましょう。その働きを見て、両者とも殺すか生かすかを決めましょうぞ」

「フッ、使えない降将なぞ最初からいないも同然ということか。曹の旗に相応しき人材であるよう、自ら奮励させねばな」

「然り。のちに公孫の小倅を伏兵として特攻させましょう。魏延よりも使い道がありませんからな。下手に手柄をあげ、北平に戻られると面倒です」


 捨て駒は多ければ多いほど、こちらが楽を出来る。

 程昱の案は火中の栗を他人に拾わせ、中身だけ頂く寸法だ。反吐が出そうになるのをこらえ、賈詡は続きを聞き逃すまいと気を張っていた。


「本命は袁煕を包囲する許攸の軍です。しかして、彼は小物。我らが旗には相応しくありませんので、早々に始末するのがよろしいかと」

「袁煕の首を取り、返す刀で裏切者を斬る……か。ゴミはゴミ同士、無残に野鳥についばままれるのが面白かろう」

「御意。故に一旦、我らも演技が必要です。魏延と同調し、戦列を合わせて敵正面を圧迫せねばなりません。その任に堪えうるは、張文遠殿をおいて他にいないかと」


 丁原、呂布、曹操と鞍替えをしてきた人物だが、その人柄と能力は大陸に広まるほどである。

 驍将にして、疾風怒濤。迅雷のような用兵は曹操軍においても衰えず。


「よし、文遠を呼べ。任務をくれてやろう。それから横で聞き耳を立てている阿呆を引っ張ってこい。弓避けの盾代わりにはなるだろうからな」

「はっ」


 舌打ちの音すらままならず、賈詡はそのまま曹丕の前に引き立てられた。

 今では一兵士だが、賈詡の眼光は決して常人のそれではない。射抜くように曹丕を刺すも、怜悧な表情を崩せずにいた。


「子桓様、張将軍と、もうお一方が参られました」

「入れ。待っていたぞ、張文遠。そして悪鬼の忘れ形見よ」


 北方騎馬民族の血が入った、美しい銀糸の髪。

 青き瞳は底冷えするほど。整った顔立ちは仙女のよう。


「この呂玲綺に、何か用か――」

 父の愛用した方天戟を手に、桜色の唇は呪詛を撒く。

 忌々しきかな。呂布の血族。

 張遼が必死に守った主君の娘は、今再び戦地に送られようとしていたのだ。

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