第83話 英雄は英雄を知る
――??
曹丕、字を子桓。
眉目秀麗と人はほめそやし、冷厳無比であると士大夫は恐れ入る。
乱世の梟雄にして、中原を征した時代の風雲児、曹操の息子だ。
天に愛され、地に恵まれる。しかして彼は人に対しては苛烈であった。
「子桓様、どうか妻をお返しくださいませ。まだ跡継ぎを産んでおらぬ身なれば、我が家にとって大切な……」
「それは、俺に意見しているのか? ふん、不逞な儒者よ」
「ふ、不逞とはこれ如何に! 私は正当な申し出をしておりますれば!」
初夜を上げて数日。曹丕の前にいる家臣は妻を奪われたのだ。
曹操の家臣団内においても位の高く、不和を生じるのは危険な状況でもある。しかし曹丕は何の躊躇いもなく妻を寝取った。
「俺の成すことに口を差し挟むな、下郎。執戟郎よ、この腐れ儒者を中庭に引っ立てよ」
両脇を押さえられた男は苦悶の声を漏らしながらも、必死に目で訴える。だがすべては無駄な事だった。
「杖刑五十を与えよ。死ねばそこまで。生きていても……まあ放っておくがいい」
「畏れながら……このような行為を孟徳公はご承知でおられるのでしょうか」
「姦しい口だな。もっと舌が回るようにしてやろう」
けたたましい悲鳴と共に、木製の床に血液が散る。
口を十文字に斬り裂かれた兵士は、顔を押さえてのたうち回っていた。その様子を薄ら笑いを浮かべて見下し、曹丕は刑罰の続きを指示するのだった。
「父は若き頃、俺よりもさらに悪童であったと聞く。この程度の火遊びなぞ鼻で笑われるであろうよ」
「はっ……」
「やれ。容赦はいらん、徹底的に打ち据えよ。あと、そこのやかましい雑兵は斬り捨てておけ」
「…………」
目の前で同僚が斬られた。泣きわめく男を手当てすることすら許されず、更には命を奪えという。この衛兵の心労はいかばかりであったのだろうか。
「終わったら報告に来い。俺は寝所にいる」
「承知……いたしました」
曹丕の住まう邸宅は常に皆が戦々恐々としていた。いつ何時、主人の勘気を買うか分かるものではない。誰もが口を閉ざし、下を見て俯き、面持ちを暗くさせていた。
「……やるがよい。私の運命は既に決した。この上は一死をもって孟徳公に奏上するほかに道は無かろう。さあ、打て。さもなければお主の首が飛ぶぞ」
「申し訳ありませぬ、文和様……軍略で縦横無尽に戦場を陥れ、戦慄と畏怖で語られた貴方様に……私は……私は……」
「構わぬ。お主の責任ではない。この賈文和、英傑の影に潜む毒蛇を見抜けなった。私の敗因は強烈な光に対し、無垢な気持ちで接したことよ……」
士大夫は目を閉じ、執戟郎の手によって杖刑に処された。
通常、数打で気絶し、下手をすれば死に至る確率の高い刑罰だ。しかし、賈文和は生き延びた。碌に傷を癒すこともなされず、そのまま身分は一般兵にまで落とされたのだった。
官渡の戦いが勃発し、一兵士である賈文和は、延津の港を攻める軍に加わっていた。奇襲というにはお粗末な平押しであり、およそ作戦と呼ぶにはほど遠い力技であったのだが、攻撃は成功したのである。
「美学が無い。孟徳公が戦を検分されれば、お嘆きになられるだろうな」
「手厳しいのではないか、文和殿。数で勝る戦いは犠牲が少なく済みます故、某はそれほど落ち度があったとは思えませぬ」
「……今の私は一兵士ですぞ、文遠殿。一軍の将が気安く下々の者にへつらっては、士気にかかわりましょう」
「同じ降将として、某は文和殿と同じ立場と思っております。此度の仕置き、若様の御気が晴れればすぐに元に戻りましょう」
生真面目で剛毅。それでいて気配りも忘れない。
曹操軍に俊英多しと言えど、賈文和が手放しで賞賛できる武将は目の前にいる男意外には居なかった。
英雄は英雄を知る。
かつて曹操が劉備と問答し、この中華において両雄は並び立たずと示した。
落雷に怯えた振りをして虎穴を脱した劉備だが、曹操の執拗な追撃は終わらなかったのである。
薙刀を持つ偉丈夫はまさしく英傑である。
張遼、字を文遠。
呂布の下で戦場狭しと暴れまわり、大陸中にその勇名を馳せた男だ。
そしてまた張遼も賈詡を買っている。
かつて劣勢極まる張繍を支え、悪来典韋を討ち取った深謀遠慮の臣だ。
伏魔とも言わしめた彼の知恵は深い。中華最大の英雄を死の一歩前までおびき寄せた手管は、恐らく誰にも真似できぬ所業だろう。
「行きなされ、文遠殿。ここは寒い。あんなにも炎が上がっているというのに、だ」
「生きてくだされ、文和殿。某の炎熱は河北の大地を焦がして見せます故」
そう。
曹孟徳が河北の地に来るまで。
知勇両輪が機能するには、未だ天の時を得ていなかった。
延津の港は火竜の舌のように赤く周囲を染め上げる。
逃げられなかった袁紹の兵は、皆炎の中に消えていった。斬首の名誉すら許されず、生きたまま焼かれて死んでいった。
誰もが心胆寒からしめる中、一人愉悦の顔を見せるは、曹丕ただ一人であったのだ。
――袁煕
よーしよしよしよし。
『黒竜』部隊より、魏続に続き宋憲を討ったとの知らせが届いた。
まあ、顔良と趙雲に前後を攻められれば、ケツ穴ガバガバになるってもんよ。
河北の二枚看板、ガンボリルドルフ。前から激しく攻めたことだろう。
常山の昇り竜、ダイワスゲーデッゾ。後ろから前立腺ぶっ壊しに行ったに違いない。
あとはこっちでやるしかねえわな。
張り巡らせた連絡ラインから、こちらには于禁とその支隊が向かっているという。
正面からガチンコすると厄介な相手だそうなので、ちょいと仕掛けをすることにしたよ。みんな、鬼島津は好きかな?
前方に出ていた物見より、敵軍襲来の報告が入る。
いいね。真っすぐ来てくれる正直な人は好きだよ、俺は。
「全軍、転進! 出来るだけ混乱した振りをして、例の合流地点まで進むのだ」
許攸のオッサン、こういう小細工大好きってツラしてるね。
所謂釣り野伏ってやつよ。
潰走した振りをして、後列で防御線を張りつつも押し込まれる。そのまま雪崩れ込むように味方が待っているポイントまでご招待って寸法だ。
「敵襲! 旗の字は『于』です!」
「予定通りだ。さあ、地獄への片道切符を着払いで送ってやるぜ」
俺の旗は見えるところにドーンと立てておく。
いかにも名門のボンボンが前線に来てますよ感を出すのよ。お貴族様が戦争を見物遊ばれているような無能っぽさを演出だ。
実際そこまで有能ではないのが悲しいね。現実は辛い。
剣劇の音はきちんと耳に入れる。断末魔の叫び声も、無念の涙も、全て覚えよう。
俺が命じて、俺が殺させて、俺が殺した。
責任をとって、よりよい未来を創ると約束しよう。だから英霊よ、安らかに眠ってくれ。必ず皆の魂を一緒に連れていくぞ。
「後陣、後退開始しました。もうすぐで合流地点ですぞ!」
「よく頑張ってくれた。よし、天灯を上げよ。張郃将軍に俺たちの場所を教えるんだ」
「はっ!」
新兵器の天灯は、雨天では作動しない。
しかしこの時代に住む人類には摩訶不思議なブツであり、迂闊に近づけないほどの恐怖を与える効果を持っている。
迷信や妖術が盛んな時代だ。宙にぷかぷか浮く奇抜な紙風船は、相当異様な光景だろうね。
やがて時至る。
声が――聞こえる。
「ッピ! ッピ! ッピ!」
抜山蓋世の奇声にして、張郃部隊の共通言語。しかしてイントネーションによって千差万別の発展性を遂げた謎のボイスだ。
「ピーーーーッ、ッピ!」
「ピッ!」
多分だが、これは『全軍攻撃開始』と『了解』だろう。
その証拠に、張郃率いる精鋭部隊が于禁の旗に向かって突進して行ったし。
そろそろ俺も張郃語を学ばなくてはいけないかもしれない。あとついでに文醜語も。流石に家臣と会話が出来ないってのは、今後差し障りがあるだろうしなぁ。
「報告です! 張郃将軍、敵将于禁を捕縛した由! お下知を」
「だらっしゃぁ! 大金星! そのまま殺さずに俺のところまで連れてきてくれるよう、伝達を願いたい」
「かしこまりました。すぐに早馬を走らせます……ッピ」
「……」
張郃の語尾は、意外にも近くまで浸透していたようだ。
そのうち全言語が『ピ』で表される未来があるかもしれん。
俺は一抹の不安を抱えつつも、白馬港奪還及び、敵埋伏兵の討伐に成功したのだった。
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