第55話 SS 河北の二枚看板

 冀州にその人ありと呼ばれ、姿を見た敵兵は慄きのあまり武器すら捨てて逃亡するほどの勇将、顔良。

 駆け抜ける場所はことごとく血煙で覆われ、草木は全て朱に染まる。

 手にした大薙刀は、敵将を馬ごと両断したことから『斬馬刀』ともあだ名された。


 その顔良と肩を並べるほどの猛将であり、渤海きっての剛の者である男、文醜。

 公孫瓚をかつてあと一歩まで追い詰め、趙雲と死闘を繰り広げた。

 冥界の使者であるかの如き三叉槍は、今まで数えることを放棄するほどの敵兵を屠ってきたという。


 河北の二枚看板、すなわち袁将軍の頂点同士が今、激突をしようとしている。


 練兵場のある広場で、多くの兵士に見守られながら、二人は睨み合う。

 決していがみあっているわけではなく、寧ろ二人の関係性は良好この上ない。

 だが定期的に実力伯仲である両者は、友情を確かめるかのように剣戟を交わすのだった。


「よう文醜。南皮も随分と大きくなってきたじゃねえか。やっぱあれか、若――いや、顕奕様のお知恵によるものかい」

「然り。殿は多くの事柄に目を向けられ、民草から重臣に至るまでその恩恵を受けている。そのうち南皮も鄴都に追いつくのやもしれんぞ」

「そいつは景気のいい話だ」


 軽口を叩き合いながらも、二人は模擬剣を持って円旋回をしながら間合いを詰めていく。

 張り付けた笑顔は紛れもない親愛の証。だが、抑えきれない闘志によって、徐々にヒビが入ってきているようだ。


「それじゃあ行くぜ、今日はどっちが勝つかねえ」

「うむ。頃合いか」


 紫電がほとばしる。

 右から左へと横薙ぎに胴を狙う顔良の一撃は、文醜の剣にて阻まれた。

 まるで帯電しているかのように、周囲に振動すら感じさせる重い軌跡だったが、互いに譲らず。

 否、もとより一瞬で勝負がつくなどとは考えてもいないだろう。


「挨拶代わりというわけか、顔良」

「まあな。南皮の兵も目ぇ覚めたんじゃねえかな」


 鍔迫り合いから身を建て直すと、次弾は文醜が先に撃つ。

 何の変哲もない、それこそ一兵士が繰り出すようなただの『突き』


 速度こそあれど、顔良にとっては恐怖など微塵にも感じないほどの、平凡なものではあった。あったのだが、顔良は野生の勘に近しい警告を感じ取り、咄嗟に転がって避けた。


「フッ!」

「っとぉ……ひゅー、あぶねえあぶねえ」


 三段突き。

 最初の一撃はいわば撒き餌である。

 舐めた真似をと、受け止めたが最後、残り二発の神速攻撃により両胸に風穴を開けられることだろう。

 

 剛にて全てを叩き潰す顔良と、技にて敵を圧倒する文醜。二人はお互いの動きを学び、インスピレーションを受けながら、進化していくのである。


「やはり見破られるか。いつも手と品を考えてくるのだがなぁ」

「いい性格してるぜ。男ならもっと、ドンとぶつかってこいよ」


 牽制は終わった。

 互いの商品を陳列し終えたことにより、安心して狂気の特訓に打ち込めるというもの。訓練場には濃霧に近しいほどの殺気が充満していく。


 地を割るかの如き振り下ろし。

 風を穿つかのような刺突。

 時には体術やフェイントも混ぜ、体力が尽きるまで剣に身を任せる。

 水を飲み、軽食を食べた後も、戦いは続く。


 やがて精魂枯れ果て、どちらともなく地面に寝そべって寝息を立てるまで、延々と死闘は繰り広げられたのだった。


 見ている兵士たちは、鬼神同士の戦いに終始圧倒されたことだろう。

 その証拠に、相当な長時間の訓練にも拘らず、誰一人立ち去ったりすることは無かったのだ。


 やがて従者が汗と血と土まみれの二枚看板を、それぞれの部屋まで運んでいく。

 二人の姿がなくなるまで、兵士たちは目を放すことが出来ずにいた。


「おわ……ったのか……?」

「ぷっはーっ、つ、疲れた……。もう見てるだけで恐ろしい」

「今回もお二人は引き分けか。どれほどの天稟と修練を積めば、あのような境地に至れるのか」


 めいめいに感想戦を言い合うも、じっと見続けていた身体は休息を欲している。

 兵士たちの脳裏には、古の神話のような戦いが途切れることなく続く。その熱に焙られた心もまた、情熱の炎をともし続けていた。


 あすなろ、という言葉がある。

『明日は檜になろう』

 そのような、成長を意味する言葉だ。


 檜は十メートルほどの常緑樹だが、一般的な樹木よりも小柄である。

 しかし、まだ夢と希望を持つ若き兵士たちは、成長し続ける樹と同じだ。

 常に立ち止まることなく、その背は低くとも、誰よりも雄々しく育ちたい。 


 顔良や文醜に言わせると、自分たちはただ相棒の実力を試していただけと答えるかもしれない。

 いつものこと、ただのじゃれあい。そして友情を確かめる行為だった。

 

 戦乱の世において、未来への希望をなくすものは多い。

 それが一兵士であればなおのこと、死に近づく場面は増えていくことだろう。

 しかし二将の雄姿を目の当たりにした者たちは、確実に憧れを抱くに違いない。


 河北を取り巻く環境は厳しい。

 生きて使命を全うする可能性は、限りなくゼロに近いかもしれない。

 しかし、今日目にした武勇は、明日の、その次の日の自分たちを助ける活力につながるものだと確信するだけのものであった。


 明日は檜になろう。

 なれずとも、何もすることなく死ぬわけにはいかない。

 その身が朽ちて、新たな花が芽吹くころ。きっと平和は訪れるだろう。


 ただ食料と水のために生きるに非ず。

 兵士たちの心に燻る熾火は、密やかに、そして確実に広がっていくのだった。


「なあ文醜。南皮はどうよ」

「漠然としてるな、相変わらず。まあ悪くはない」


「それはアレか。若――顕奕様のご手腕かい?」

「うむ。流石御館様の血よ。殿のもとには豪傑や智謀の臣が集い、日々新たな文物が生み出されている。本当に面白き時代だ」


 大いびきで眠り、朝の行水を終え、食事をたらふく食べた二人。

 丸机で向かい合い、喫茶を楽しみつつ今後を語っていたのだった。


「某には政務は分からぬ。が、着実に民に笑顔が増えてきているのだ。嫌でも気づくだろう」

「そうだな。顕奕様のドタマには何かが詰まってるんだろうなぁ。この世界をひっくり返すだけの神仙の知恵ってやつが」


「然り。故に我らは身命を賭してでも守り抜かねばならぬ」

「……そうだな。で、どうなんだ。北方のイナゴどもは」

「それについてだが――」



 時は過ぎて198年 冬。

 

 袁紹軍は、公孫瓚討伐の大号令を発布する。

 袁紹自らを総大将とし、総兵力十五万の大軍をもって北平郡平定を目指すことになる。

 軍団を三つに分け、本隊、後詰め、そして前衛とした。


 無敗の白馬陣を使い、頑強な易京城砦を擁する公孫瓚に当たる前衛。

 その大将は袁煕、字を顕奕という。


 中身はオッサン、見た目は軟弱。

 妻一人子一人。令和ジャパンからの旅人は、この先生き残ることができるのだろうか。



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