第48話 呑むがよい。袁煕一家の大盤振る舞いよ!
197年 秋 吉日
俺の嫁に子供ができたんだぜ! ってことを、大々的に発表するときがやってきた。この時代、ご懐妊の報告をするだけでも一々祖廟を訪れ、占い師に吉凶を調べてもらう必要がある。
ちょっとめんどくさいが、だいぶ慣れてきた感があるのは、俺が袁煕としての自覚が強く根付いたからだろうか。
今日は袁家統領である袁紹パパンの音頭に従い、家臣全員が集う場で公式アナウンスをされる。
気恥ずかしい心と誇らしい気持ちが同居している。
「斯くして我が嫡男である袁煕が宝を授かった。これも天地神明に恥ずることなく生を全うしてきた証であり、また一族の祖霊の――」
こう、な。
盃持ったまま長話する上司っているよね。
ビールの泡が消えて、水滴でべっちょべちょになるまで語るマン。
多分けっこうな数の家臣は、はよ終われって思ってるよ。
「――では一門益々の繁栄と、集いし心強き臣たち。そして袁家が護るべき民の平安を願う。次代に希望をつないだ顕奕と甄姫殿、見事である。乾杯!」
「顕奕様万歳! 甄姫様万歳! お世継ぎ様に栄光あれ!」
おっぱじまった。
南皮にある宴会用の大広間は、鄴の造りよりも質素である。
だが集ってくれた群臣たちは、皆一様に笑顔を浮かべていてくれた。
鳳凰が彫られた欄間の隙間から、酒の香りが漏れ伝わっていく。楽し気な雰囲気というものは伝播するらしく、必死に給仕をしている使用人たちもどこか充実しているように見えた。
この時代の盃は『
古くは殷から周を経て、現在に受け継がれているそうだ。
爵とは『スズメ』という意味を持ち、のちの『爵位』にもつながった。
一族の団結と、神々への御供。三国時代の酒宴は令和ジャパンの飲み会よりも、より重い意味を持つ。
なお、酒精は弱いが雑味が多い『どぶろく』のような濁り酒が一般的だ。
キリっと冷やしたポン酒とは比べるべくもないが、慣れてしまったので美味しく楽しめている。
「ささ、顕奕様。拙者の盃を……」
「いやいや、今度は某の……」
上司に酒を注ぐシチュの一種だと思うんだが、まぁこの行列がクッソ長い。
俺がいたブラック企業でも、きちんとタイミングを見計らって挨拶にいってたんだがね。この時代の人たちは礼儀だの作法だの強調する割には、お酒に対しては無節操なんすね。
もう数えるのも飽きるくらいの人から酒を注がれれば、そりゃぶっ潰れる寸法なわけで。
しかし主賓としては意識だけは断線しないように気を強く持ってなくてはならない。今にして思えば、注ぐ立場にいた方が楽だったんだなぁ。
「うーむ、目が回る。頑張れ俺……ここで倒れるは恥ぞ」
「ふふ、辛抱されている顕奕様もお可愛いですわ。ほら、お腹のややも喜んでおりますよ」
そう手を握られれば、発奮せざるを得ない。
よし、へべれけ状態だが全員相手してやろう!
「殿、郭公則、お側に参りましたぞ」
「うむ」
一瞬で酔いが醒めたわ。
こいつを自由に泳がせておくと、どんな惨事を起こすのかわかったもんじゃない。
なんせ袁家に在籍してるほぼ全ての武将と犬猿関係にあるしな。寧ろなぜ仕えてられるんだという。
「ささ、まずは一献」
「いただこう。うむ、美味い」
稲の刈り取りで大成功……郭図的には全滅させたという功績から、このアホは妙な自信を持ってしまったようだ。
ちょいちょい『我、有能な軍師ぞ?』っていうドヤ顔が出て、うぜえことこの上ない。生かしておいていいのか、それとも……。
殺気が漏れそうになるのを必死でこらえ、隣にいる蘭の顔を見て心を落ち着ける。
まあ真正面を見れば、郭図の油ぎったゲス顔が待ってるんだがな。
「ふむ、殿は何かご懸念がおありとお見受けしますぞ。よろしければこの郭公則、身命を賭してご助力いたしますぞ」
「い、いや……今のところは特にない……かな……」
来るなよ。郭嘉、マジで今だけは来るなよ。
気球と砂糖の生産をぶち壊されたら、ガチで俺は発狂しかねん。
「殿ーっ、いやぁ待った待った。この長蛇の列は勘弁ッスねぇ」
馬鹿野郎、頭を出すな。撃たれたいのか?
河北での酒宴戦線は、今泥沼の塹壕戦ぞ。
「郭奉孝殿、お待たせして逆に申し訳ない。お陰様でこの袁顕奕、無事に役目を果たせましたぞ」
「ひゅーっ、結婚もいいッスねぇ。俺もそろそろ相手探したくなってきましたわ。まあ、まずは一献……と」
郭一族特有の自由さ。
若干イラついてる郭図を見るのは爽快だが、知恵袋同士で喧嘩せんように気を遣わんとな。片や殺しても死なない軍師、片やススキが当たっただけでも死にそうな軍師だ。
「あっれ、公則おじさん、いたんスね。いっつも気味悪い顔してるから、すぐ分かると思ったんスけどね」
「ガキが……コホン。奉孝よ、卿もいい年齢なのだから、少しは軽薄な言動を慎むべきじゃぞ。年上の寛容さにいつまでも甘えてはならん」
「ほーん。あ、殿、お代わり注ぎますよ」
OK、君たちの関係性はよく伝わったよ。
先輩風吹かせたい郭図君と、形に縛られない郭嘉君だね。全言的得のスキルと全言裏目のスキル、戦わせたらどっちが強いんだろうか。
矛盾って言葉は中国由来だったよね。
「公則おじさん、そうカリカリしねーでくださいよ。あんまキレると毛が抜けるっていいますからねー」
「ぐぬ……臣が気にしていることを……」
「あっそうだ。俺実は殿から密命を受けてでですね。公則おじさんとはあんま関係ねーかもしれねえッスが、結果を楽しみにしててくださいよ」
ぶーっ。
おま、そういうことを郭図の前で……。
俺のプロジェクトがガラガラと音を立てて崩れていく絵面が浮かぶよ。
「貴様、その中身を申してみよ! この郭公則、正軍師の座は譲りはせん!」
「へっへー。実はッスね、石材の大量生産を命じられてましてね。面白いモン作ってる最中ですよ」
セーフ!
嘘ありがとう!!
気球にも金平糖にも石材関係ないから、ヨシ!
地球上に生息する全ての現場猫が、この会話を了承した。
「ぐぬぬ、おのれ小僧、ちょっと顔を貸すがよいぞ。郭公則が袁家の流儀というものを叩き込んでやろうぞ」
「お手柔らかにッス。あんまそういう堅苦しいの興味ねーんで、手際よくお願いしますわ」
郭嘉の煽りスキルが強すぎる件。
恐らく郭嘉は余計な事象が起きる前に、郭図を場外に追い出す役目を担ってくれたのだろう。
こういう人いるよね。飲み会で損な役回り引き受けてくれるの。
さて、蘭も疲れているようだし、一旦席を外すように言っておこう。
「蘭よ、そろそろ休む時ではないかな。今は腹のややを第一に考えてくれ」
「あら、お優しくなられましたね。いつもこのように扱っていただけるのであれば、常に身ごもっている方がお得かもしれません」
「そ、そんなこと……ないぞっ」
俺のツンデレとか需要がないと思うので、夫婦の語りは割愛だ。
蘭を部屋まで送り、侍女の明兎をつける。体を冷やさぬよう、十分に休養して欲しいと願うばかりだ。
「うし、じゃあ戻るか……戦場へ」
俺にしか出来ない戦いがある。
多くの家臣が忘れているだろうが、袁家は三姉弟なんだよなぁ。
ブラコンがゲージ振り切っており、アジアンビューティーな姉・袁譚。
異常性欲の塊。顔だけは大谷さん並の本塁打の妹・袁尚。
まだこいつらの絡みを受けていない。
大分場も温まって来たしな。誰かが踏まなければ、地雷は撤去出来ない。
「も、戻り……ましたぞ」
おずおずと席に着くと、そこには『爵』を持ってスタンバっている仲良し姉妹がいた。マジで犬猿ステータス外しておいてよかったわ。下手したらこの場で殺害し合ってても驚かんレベルだったしな。
「おう、待ってたぞ顕奕! お姉ちゃんは、お姉ちゃんは寂しかったぞっ!」
お、おう。
「兄さぁん、今日まで……顕甫は……ハァハァ……誠実に……ンッ、勤めてきましたので、褒めてくらしゃいぃ」
あ、こっちはもうダメな気配してるわ。
正史では袁家を二分するはずの袁譚・袁尚だが、今では肩を並べて酒を飲んでいる。強力編集は使い方によっては人を貶めるものになるのだが、家族のこじれた仲を取り持てたと思えば、実は尊いチートなのではなかろうか。
力を持つ者は、相応の責任が伴う。
俺は酒には酔っても、与えられた能力で酩酊はしないぞ。
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