第49話 袁家の誓い

 のっけからトップスピードのテンションで登場した二人、袁譚と袁尚。

 お姉ちゃんだぞぅ、と遠近感がバグってる乳を押し付けてくる袁譚は、すっかり酒に飲まれて出来上がっている。


 兄さん不潔です、と釘を刺しつつも桃色吐息を抑えきれない妹の袁尚。この子は魔改造の末に性癖がルービックキューブ並みにねじれてしまったので、手におえない。


 君たちね、群臣の見てる中で姉妹サンドイッチはイカンと思うんだよ。

 具体的に言うと、俺は袁譚に後ろから抱っこされつつ、袁尚にお酌をしてもらっている。見る人が見れば、追加料金を頼んでもいいオプションなんだろうが、残念ながら肉親なのよね。


 いくら儒教世界では近親婚が許可されているとはいえ、俺の中身は日本人だ。それに嫁さんもいて子供もいる。

 鼻の下を伸ばして、酔生夢死を楽しむわけにはいかんよね。


「お姉ちゃんは複雑な気分だよ、顕奕。あんなに色々小さかったお前が、どうしてこんなことに……ううううぅ」


 待って、色々小さいってどういうこと?

 俺が強力編集で書き換えた世界線では、袁譚にセンシティブな部分を観察されてたってことになってるんかい。

 うん、まあいいか。何も今この宴席で、下半身をボロンと出せって言われてるわけじゃない。過ぎたことは取り返しがつかないから、追及しても無意味だろう。


「あんなに顕甫のお尻がお好きでしたのに……兄さんは本当に人が変わられましたね。甄姫様がシてくださらないのでしたら、いつでもお捧げしますよ?」


 小首を少しかしげ、袁尚のキメ顔が俺の胸を打つ。

 主にやべえモンを見たという恐怖感によるものだがな。

 これはあれかね。書き換わった世界の儒教は、肉親にケツを贈る習慣でも発生したのだろうかね。嫌な思想だな、おい。


「二人の気持ちは嬉しいが、俺も一人の男として、蘭とややを守っていくつもりですよ。そういうお姉ちゃんや顕甫は、誰かいい人はいないんですかね」


 バキリ、と酒杯――青銅製の『爵』が握りつぶされた。

 心なしか体感温度が下がりつつあり、目の前にいる親愛武将である二人から、殺気が漂ってきているような……。


「お姉ちゃんは、お姉ちゃんはぁぁあ! 顕奕のお嫁さんになりたかったんだよおっ! うわーん、顕奕のばかー! どうしてお姉ちゃん遊んでくれなかったんだよーっ!!」

「兄さん酷いです、鬼畜です、最低です。顕甫はあんなにも……身も心もお尻も兄さんに尽くしてきましたのに。このような無体な質問をされるなど……よだれが……いえ、心が絞めつけられて枯れてしまいそうですよ」


 袁煕ガチ勢とかいう謎の組織が今ベールを脱いだ。

 血のつながった姉妹であるということを除けば、引っ張りっこされて「やーめーろーよー」とかほざきつつモテ男っぷりを堪能できるシチュだろう。


 まあ、目が座っててガンギマリだから、その妄想呪文はキャストキャンセルされるんだけどな。

 いかん。ここは別方面に話を持っていくことにしようか。


「ところでお姉ちゃん、顕甫。最近お二人はよく文を交わしていると伺っておりますが、いつの間に仲良くなられたのですかな」

「おう、顕甫が邯鄲で寂しく暮らしてるっつーからな。オレなりの気遣いってやつよ。冀州の冬は堪えるからな、せめて心だけでも側に置いておこうと思ってよ」


 ものすごくまともな答えに、俺は驚愕している。

 確かに強力編集で犬猿武将を解除したが、ガチ野人――この場合はアマゾネス的な美貌の袁譚が、繊細な心配りをするようになるとは思いもしなかった。


「顕思姉さんにはとてもお世話になっております。ささやかですが、お姉さまの青州平定を祈願して、糧秣や物資を手配しておきました。袁家は遠からず河北の身に収まらない力を持つようになると信じておりますので」

「そ、そうか。顕甫もしっかりと守り固めておくんだぞ。戦になれば目が回るような忙しさになるだろうしな」


 こっちもクッソ模範解答が帰って来たよ。これには赤ペン先生も苦笑い。

 なんかお互いに信頼し合うようになってから、様々な部分に目がいくようになったんかね。

 

 新しい酒杯を手に、三人で向かい合って座りなおす。

「顕奕、今日はお前が主役だ。長幼の功は無視して構わないから、お姉ちゃんたちに意気込みを聞かせてくれ」

「そうですよ兄さん。もっと格好のよいところ、顕甫にも見せてくださいまし」


 史実を知っている身からすると、この変貌は宇宙の法則が乱れるレベルでありえないのだが。

 しかし、それでいい。それがいい。そうあるべきだ。

 姉妹が血みどろの殺し合いをする未来があるとしたら、俺の精神はきっと死んでしまうことだろう。それくらいに二人のことが好きになっている。


「じゃあ僭越ながら、この袁顕奕が――我ら袁姉弟、生まれし日は違えども、大望を志し、万民の安寧のために戦うことを宣する。願わくば、同年、同月、同日に死なんことを!」


「立派になったな顕奕! お姉ちゃんはさっきから涙が止まらんのだぜ。その誓い、謹んで受けることにするぞ!」

「顕甫も異論はありません。兄さんの……いえ、袁家の威光は民草の生活のためにあるべきですよね。身が引き締まる思いがします」


 秋風が城の瓦を撫で、ささやかな寒気を残しては消えていく。

 花鳥風月が移ろい、景観が変わり、山々に緑が映えようとも、今日の想いは忘れないだろう。

 群臣が見守る中、俺たちは互いに顔を見合わせて酒を飲む。

 それは神聖な儀式であり、誰も嘴を差しはさむことができない、天神への表明であった。


 と、安心してたんだがね。


「臣めも誓いまするぞ! この郭公則、殿に付き従うとお誓い申し上げまする!」


 袁家家臣の中でもぶっちぎりの嫌われ者が叫んだ。

 言ってることは嬉しいが、正直微妙なところではあるし、空気感もあまり良くない。郭図、お前はもう少し日々の生活態度を改めた方が、説得力が増すんじゃないかなって俺は思うんだよね。


「ぐぬぬ、公則めに先を越されるは癪に触りしことだが、認めざるをえん」

 そう口にしたのは、郭図嫌いの急先鋒である田豊先生だ。

 他にも逢紀・審配・沮授・王脩といった袁家のブレインたちも渋面で頷いていた。


「我らの個人的な感情など、天下泰平の大志の前には、岩に打ち付ける波しぶきと同じこと。激情を露わにするよりも先に、盤石の態勢を作らねばならん」

「左様。今回ばかりは公則めに教えられてしまったわ」


 田豊先生と審配君が両手を上げて降参したようだ。

 

 素直じゃねえなぁ、まったく。

 空気を読めない子、袁煕君がここは一つ肌どころか皮や肉まで脱いで進ぜよう。


「うむ。皆の心意気は、俺や我が妻である甄蘭、そして腹の中にいる子にとって最高の宝物となることだろう。よぅし、ここからは飲み比べだ! お前ら全員ぶっ潰してやるから、覚悟しておけよっ!」


「応ッ!」

「その挑戦、受けましたぞ!」

「ただ酒はいいものですなぁ」


 約一名の馬鹿野郎を無視し、俺は群臣の中に飛び込んでいく。

 ちなみに袁紹パパンと言えば、酒の飲みすぎには注意するとのことで、静かに料理を楽しんでいてくれている。

 俺が傍若無人に振舞えるのも、パパンのお墨付きを事前に得ているからだしね。


「沮授が飲みます、サンハイ、ぱーりら、ぱりらぱーりら、へいへい!」

「ちょ、顕奕様! 何ですかその面妖な歌は。しかし何やら飲まねばならんという気持ちがムクムクと溢れてきますね!」

「だろう? 俺が即興で作った煽り歌よ。さあいけいけ、どんどん飲め!」


 現代だったら100%NGな行為でも、三国時代では許されるのが怖いね。

 いくら無礼講つっても、主家筋の嫡男からの盃は断れんだろうしな。アルハラに加えてパワハラも含んでいるんだが、これくらい弾けていたほうがこの時代の人々には受け入れられる。


「ではご返杯をば……とーの! とーの! とーの!」

「よっしゃ、任せろっ!」


 弦楽の音が俺たちの喧騒を後押しし、鼓のビートが心を沸かせる。

 何の憂いもなく、屈託もない。

 袁家にいる皆、誰も欠けることなく乱世を乗り越えたいと、強く思った。

 

 人の縁は得難いもの。

 紙のように粗末に扱われるこの時代、こうして肩を並べて飲めるというのは、本当に幸せなことだと痛感する。

 

 そして時は流れ、酒の魅せる夢はうつつから幻へと変わる。

 眠りに落ちる直前、俺は輝く光に触れた気がした。

 この日の情熱は、決して色褪せてはいけない。そう、願いをこめて微睡みのゆりかごに包まれていく。




 明けて翌年――198年 俺と蘭の第一子が誕生した。

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