第42話 閑話:歴史ドキュメンタリー 『草の王、郭図』
書き換えられた正史。それは異なる世界線から漂い、いつの間にか定着した。
後の世に袁家随一の知将として、河北文化に華を飾った人物がいる。
陳寿いわく、その者小心にて狡猾なれど、行いは全て成し遂げる、と。
男の名は郭図、字を公則という。
手綱を握る袁煕も傑物として有名であるが、その幕僚として補佐し、主命を忠実に実行する手腕は見事の一言である。
戦場での策略や埋伏の毒等の戦功が目立つが、郭図の真の功績は、河北に米文化を定着させたことである。
今日中華人民共和国の国民が米を主食としているのは、実に郭図の描いた未来予想図であると考察されうるだろう。
―—郭図
197年、南皮。
ふう、どうやら仕事にありつけましたぞ。
忙しなく汗水たらす文官を横目に、優雅に茶をすするのは愉悦につくのですがなぁ。手持無沙汰というのは悲しいことですぞ。
若君――いや、妻を娶りて、一人前になられたのですからな。ここは殿とお呼びするのがよろしい。
その殿より賜った南の蛮族の穀物よ。実に忌々しいですな。
殿は誠実に栽培をしたうえで、河北の風土には合わないことを証明せよと申されていましたな。ふふふ、汚れ仕事こそ軍師たる臣の生きる道ですぞ。
長江周辺の土人どもに、風情のある食物とはどのようなものなのか、知らしめてらしましょう。
「ふむ、まずは塩水に漬けよ……と。穀物の種子に塩を含ませるとは、殿も仕掛けをなさいましたな」
まさに慧眼ですぞ。最初から種は痛んでいたということにすれば、こちらの瑕疵にはし辛いですからな。
「ふむ……この手順書によると、まずは農地を確保し、畑の土を混ぜ合わせておくべしとな。ええい、面倒じゃ。確か我が一門の郭奉孝めが下水工事でかき回した土地があったのぅ」
森林を切り拓き、土を掘り返しておったのじゃったな。うむ、木の根や落ち葉の破片が埋まっておるだろうが、問題はない。どれ、早速耕地として使えるように進言してみるかの。
ついでに使い終えた木炭や、家畜の糞なども一気に埋めてしまうのが良策か。
くくく、この郭図、二兎をも捕まえまするぞ。
斯くして臣めは形ばかりの農地整備と、穀物の種を死滅させる作戦を施した。
人足が言うには、豪雨が降った時に備えて畦道なるものを作るべきだそうな。
害獣対策にもなると申すので、支払う給金は同じ故自由に作らせておいた。
一見して計画的に耕作をしているのが、人目につくように行動するのが基本ですぞ。何事もやってる風を装うのが処世術ですなぁ。
さて、そろそろ種もあらかた腐りはてた頃合いじゃろう。
なんぞ塩水に漬けたときには、プカプカと浮いてくる種があったの。斯様に悪目立ちをするということは、浮いてきた種は優秀なのでは。これは捨てるしかありませんぞ。
密売が横行する貴重な塩を投入するのですからな。殿の偽装はちと金がかかりまするが、これもお役目。それがしは久しぶりに痛飲し、浮いてきた種共があげる断末魔の声を想像し、床にて快眠しますぞ。
翌日。
ええい、塩などもったいない!
底に残り、水洗いをしておいた愚物どもは、水攻めに限りますぞ。
臣めの堪忍袋は殿ほど広くはないのです。適当に水を吸わせ、腐る速度を速めてやりましょう。
――
ややや!?
八日ほど放置……否、厳重に監禁していたはずの種共が、未だに生気を帯びておりますな。おのれ……下賤な穀物めが。この郭公則に抵抗するとは愚かなり。
ならば今度は袋に詰め、風にでも晒しておくべきか。
水攻めの次は情け容赦のない磔刑ですぞ。
鳥獣が近づくと臣の手腕を疑われますので、一応監視兵を置いておきますぞ。
まったく、どこまで手を焼かせるのか。
これだけ風に吹き曝しになれば、干からびておるだろう。
「軍師様、この穀物大丈夫なのでしょうか。袁顕奕様から育てよと命令を受けていると……」
「構わぬ。しかし人目につきすぎるのも問題か。よし、適当な箱を用意せよ。中に土を詰め、種をまいておくのじゃ」
「畑にまかずともよろしいので?」
「其方はかたいのう。この手の仕事は気負い過ぎてはいかんぞ」
――
なんとしたことか。少し目を放していた隙にこのようなことに……・
箱に適当にまいた種から、緑の茎が伸びてきましたぞ。なんたる不撓不屈、植物の分際でこの郭公則に挑戦するとは、よい度胸じゃ。
ええい、邪魔じゃ。
「人足を集めよ。この小生意気な種、もう畑に捨ててしまうのが吉じゃ。お、良いことを思いついたぞよ」
兵士の耳に臣めの策を授与する。目を白黒しておったが、これならば完璧よ。
藺相如も驚きの妙策、味わうがよいぞ。
――
はーっはっはっは。これはたまらぬ光景よな。
そう、臣は畑を水浸しにし、そこに小癪な苗を突き立てるよう指示をしたのじゃ。
三段構えの水攻め、古の孫武にも劣らぬ電光石火の猛攻よな。
見栄えもよいし、このまま腐敗して朽ちさせようぞ。
くくく、兵士を使うのは手当金が上がるので、兵士に似せた人形をあちこちに立てておくとしよう。軍師たるもの財政には気を遣わねばならぬからな。
――
「ふむ……雑草が目立つのう。それに水攻めをし続けているせいか、濁ってきたようにも感じる。このままでは殿が視察に訪れたときに、臣の責任問題になってしまうぞよ」
臣は人足を再び召集し、定期的に雑草を抜き、水をかき回して念入りに責め苦を続けるよう指示をした。
働いている風景をご覧になれば、この郭公則の面目躍如というもの。
それにしても郭奉孝の土地開発がうっとおしいのう。腐った落ち葉や動物のフンなどをそのままにしておる。袁家の支配地が汚らわしくあってはならんというに。
致し方ない、この水畑に捨ててしまおう。
ちょうど伸びている茎に、色のバラつきが出てきておるしな。ここらでとどめを刺しておくべきじゃな。
――
草取りの量が多いと嘆きの声が上がっておる。うむむ、このままでは殿の名誉にかかわるか。
このまま水攻めをしても埒が明かぬのかもしれん。生意気なことに、青々と育ってきておる。ええい、この作物に弱点は無いのか!
ちょうど種をまいてから75日。臣は堰を切り、水畑を日照りで乾かすことにした。天道の光に当て続ければ、いかな穀物であろうとも餓えて滅びること間違いなし。
爽快爽快じゃ。
――
顕奕様の視察を受けた。
公則よ、このザマはなんたることか。一体何をしておるのかとお叱りをもらってしまったわい。
おのれ……憎むべきかな、この蛮族の作物めが。
虫どもが作物を食んでおる。草も伸びてきおった。
これでは無限地獄ではないか。
くぅ……しかし殿のご意向は『見栄えよく枯らせよ』というもの。
臣は額の血管が切れそうになるのをこらえ、人足を再招集するのであった。
――
臣は勝利した。
呵々、なんという絶景かな。このクズにも等しい蛮地の作物どもめが! とうとう色を変え、枯れてきおったわい。
黄金色が陽光を浴び、今にも死にかけておるぞ。
そうとなれば話は早い。死にぞこないどもを刈り取り、殿へ報告せねばならん。
ふぅ……種をまいてから150日か。
教養のない文物は、斯くも智嚢の士を苛立たせるものなのか。
総動員令をかけ、一心不乱に刈り取りをさせる。
何ぞ穂先に丸い粒がついておるな。うーむ、まさかこれを口にせよというのではなかろうか。
そうじゃ、殿に見つかる前にこの粒を分離してしまおうぞ。
意外と骨が折れたが、無事妖術師の実と、茎を綺麗に処理できたわい。
そうじゃな、適当に冷たく暗い場所にでも封印しておくのがよいか。
いかがですかな、殿。
この郭公則、見事に全てを枯らせることができましたぞ。
褒美には何を頂戴しようか、今から悩むというものよな。
――
「公則先生、一仕事終えましたな。見事です」
心なしか声が震えておられるが、殿の満足げな表情を見て、臣は任務を果たしたと確信した。
「この郭公則、主命に忠義を果たしたまで」
謙虚に、静かに、泰然と。
「先生の精励に対しては足りぬとは思いますが、今は倹約の時。しかしこれは俺の気持ちを込めました。こちらへ」
誘われて入って行った蔵には、唸るほどの黄金が。
金……一万はあるのだろうか……ぐひっ、ぐひひっ。
「おそれ多いことです。厚恩に対して益々の忠誠を誓うとお約束いたしまするぞ」
「うむ。これにて任務完了とする。ご苦労だった。そちの手順を真似たいのでな、また貢物が来た時の対策として指示書を作ってほしい。農民たちにも布告しておかねばならん」
「殿は千里眼の持ち主でございますな。早速したためてまいりますぞ!」
――
関帝廟、武侯祠、そして郭公堂。
俗に言う三国時代の三大偉人を祀る霊廟として、今も訪れる民の安寧祈願を受け続けている。
一説によると、郭公則なる人物は初めての米作りにおいて、卓越した指導力と予見を用い、見事五万石に届こうかという収穫を得たという。
当時は地球が寒冷化現象に見舞われており、各地では飢えが深刻であった。
しかし米作成によって、河北――特に南皮中心の民衆は安心して時を過ごすことができたそうだ。
現代日本においても、農業を行う際には、郭公堂の方向に供物台を設置し、豊作の祈願をかける習慣があるそうだ。
――
出展:
ドナルド・ウェンディーズ『中国史における食文化の遷移』
陳寿『正史三国志』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます