第41話 郭公則の出番でございまするな!
197年4月。
日本であれば麗らかな春の足音が鳴り響き、もう夏日かなと訝しむ表情を作る日もある時期だ。
「震えるほど……でもないか。しかしまだ寒いな」
北緯にして三十八度。南皮は新潟よりもやや北に位置する場所だ。
南北朝鮮を隔てる国境線のある緯度だとイメージがつきやすいだろうか。
平均気温は十二℃だ。厳しい冬を乗り越えた者の特権として、たっぷりと滋養に満ちた日差しを浴びることができる。
「来年は間に合わせないとな……クソ、なんてザマだよまったく」
凍死者が出た。餓死者も同じく。
俺たちが人口調査をしているさなかでも、常に数の変動があった。
流入を制限しているなか、増える数字もあれば減る数字も当然の如く存在する。
いくら強力編集の力をもってしても、万民を救えるわけではないことは知っているはずだったのにな。
万屋「チンゲンサイ」で購入した種もみを使い、一人でも飢える民が少なくなるように取り計らって行かなくてはならない。
どういう方法かわからないのだが――もっとも、編集なんていうチートが備わっている以上、あらゆる現象には目をつぶるべきなのかもしれんがね――種もみの入った麻袋が例の秘密の倉庫に積まれていた。
金時というワン公の話によれば、寒冷地でも作付け出来るという令和ジャパン仕様のミュータント的なコメだそうだ。
マジであいつどの時代から来た犬なんだか。
「そろそろ種もみの選別や発芽をせんとな。おおぅ、袋に何か書いてあるぞ」
後漢末期に蛍光レッドなんていう着色があるはずもない。これは強力編集の力によるものだろう。
「コシヒカリかな、それともひとめぼれかな。他にも品種はあったかもしれんが、メジャーどころで美味いものだといいんだが、さて」
ブッと噴き出した。
『青梗菜特選・寒冷地仕様米』
その名前は『されおとこ』
おい、あのバカ犬、なんてことしてくれてんだよ。
運命という奴は、どこに逃げても追跡し、ホーミングして来るものなのかもしれない。クソ……今後米を紹介するたびに『されおとこ』って言うのか、俺は。
「南皮の人もこんな米食いたくねえだろうな。ただでさえ人気がない作物だしな」
そう、そうなんよ。
黍とか稗とか麦が主食な河北一帯で、コメってのは南の野蛮人が食うものだっていう認識がある。
果たして作付けをしても、庶民の口に運ばれるかどうか甚だ疑問ではあるんだけどね。やらないといけないんだよ。
一つは飢えを減らすため。
糖質の多いコメは、それだけでカロリーの補強になる。そして腹持ちもいい。
特段他の穀物の畑を潰すわけではなく、耕作地を増やす方向に舵を切れば、多くの人々を救えるかもしれないんだ。
二つ目は我慢の限界説。
俺が食いたいんだよ!
なんか黄色いツブツブとか、練った小麦粉に塩付けただけとかな。食えるだけ幸せな時代なので、文句をつけるのは憚られてきたんだわ。
でもね、もう無理。
固めに焚いた米を、塩焼きした魚と一緒に口に放り込み、あふれる油を潤滑として思いっきり噛みしめたい。
うまみを吸った米がばらけてきたところで、喉につっかえそうなのを無視して飲み込みたい。
辛抱たまらん。
この種もみの麻袋の山から生まれ来る黄金の稲穂を幻視し、腹の虫が盛大に鳴る。
まずは成果を見せんとな。
俺は袁家直轄事業と銘打ち、新しい糧秣調達の奉行には誰が適切なのか。人選は慎重に行わなくてはならない。
俺が直接受け持ってもいいのだが、各種工事や戸籍調査等の進捗を鑑みても、軍集団の中央部として動くわけにはいかない。
「いっそマオに……いや、やってくれるだろうけど、流石にこの時代はなぁ」
男尊女卑の思想が根深いので、恐らくは誰も彼女の指示には従わないだろう。それにマオの政治力もそこまで高いわけじゃない。
マオも明兎も獅子奮迅の働きをしてくれている。これ以上負荷をかけるのは好ましくないだろう。
「顕奕様、軍師様がお見えになりました!」
おい、よせ。
今、あの野郎に倉庫の中身を見せるわけにはいかない。
「あ、ああ……執務室前で待つように伝えてほしい。俺も今すぐ外に出る」
「かしこまりですよ! って、あっ! 駄目です、顕奕様のご命令が……」
「ええぃ、放さぬか! この郭公則、火急の用にてまかり越しておるのだぞ」
扉の向こうで争ってる音が聞こえる。
まあ、武力50程度の郭図が、85まで成長したマオに敵うはずもない。
速攻で鎮圧されてるんだろうな。そう思って俺は気楽に倉庫の扉を開けた。
「ばたんきゅー」
「えぇ……」
マオの周囲には蜘蛛とかムカデとか、その手の女性が嫌がりそうな昆虫がばらまかれていた。
シャリシャリと動く節足動物を率い、呵々と勝利の笑顔を浮かべているのは我が軍師、郭公則なり。
なんて……低レベルな……。
いや、あのさ、ここ一応袁家嫡男の居城なわけだよ。
護衛の制止を聞かずに、虫さんを使って嫌がらせするとか、精神年齢の低さを嘆かずにはいられない。
「公則先生、これは何事ですかな」
「やや、顕奕様。これは失礼いたしましたぞ」
慌てて拱手をするが、もう遅い。
なんで幼稚園の砂場みたいなカオスな状況になってんだっていう話だよ。
「執務室におられませなんだので、こうして足を運んだ次第。しかしてそこな侍女に行く手を阻まれ、仕方なく策を使い申しましたぞ」
「うん、まあ……そうね」
「顕奕様、本日はこの郭公則、直訴に参りました」
「ふむ、とりあえずマオから虫をどけなさい。それからお話を聞きましょう」
籠の中にインセクトを放り込み、とりあえず安全を確保する。
「で、軍師殿。火急の要件との声が聞こえましたが、如何なさいましたか」
「はっ、それでは申し上げます」
ごくり、と喉が鳴る。
いつになく郭図の顔が真剣で、緊迫感を伴って硬直していた。
が、次の瞬間、涙をちょちょぎらせながら、俺の腰にしがみついてきた。
「し、仕事を! 臣にも仕事を与えて下され! 手持無沙汰で少々興奮……いえ、策を練るにも新たな刺激を欲しているのですぞ。どうか、どうか!」
チッ、気づきやがった。
そこはかとなく郭図の仕事を取り上げ、軍師としてドッシリ構えていてくれとおだてていたのだが、流石に限界が来たか。
「仕事か……ふむ、今のところ俺の方でも新しいものは無くてな。軍師殿にお任せする以上は、相応の事業にしたいのですが……困りましたな」
さも困ってます風に頭をかいてごまかしていたが、予期せぬ事態が発生した。
ドサドサッと倉庫の中で、大きな物音が鳴る。
「曲者! この郭公則が刀の錆に!」
「おい、やめろバカ! そこに立ち入るな!」
声を上げ、手を伸ばしたのだが、祈りは届かなかった。
扉をあけ放ち、倉庫内で雪崩を起こしていた種もみ袋を見た郭図は、喜色満面の表情でこちらに振り返ってくる。
「顕奕様、これは新種の作物の種ですかな。いえ、中身が零れておりましたので、拝見いたしました。ふふふふ、あるではないですか、臣が粉骨砕身するべき仕事が」
終わった。
せっかくの米が、郭図の手によって灰塵に帰そうとしている。
考えろ、袁煕。負けるな俺。
こいつに農地を与えて、まともに耕作をさせるとゲームオーバーなことだけは分かる。そうか、ならば……。
「軍師殿の慧眼は隠せませぬな。ここにあるは南の地より貢物として届けられた、蛮族の食べ物です。御父上の手前断れませんでしたが、実は作付けをせよと仰せでしてな」
「ほほう、なんたる侮蔑か。袁家の威光を舐めておるのですな」
「うむ。なのでここは我が陣営一番の知恵者に力を借りることにしよう。郭公則殿、この作物を育て、見事に枯らしてくれまいか」
「なるほど。蛮族の穀物など雅な河北には不要。さりとて突き返すのも不調法ですからな。下賤な穀物は河北には根付かぬと証明せよということですかな」
「然り。どうやらこの4月に種の選別をしなくてはならんのだが、俺には良く分からん。故に添付されていた栽培方法を授ける故、正当な手段を執り、全ての種を枯れ果てさせるのだ」
ニヤリと郭図は悪代官のような顔をする。
うんうん、君はやはり外道なことをするときが一番輝いてるよ。
「謹んで拝命致します。この郭公則、必ずや全ての種を始末して見せましょうぞ」
「うむ、くれぐれも他者にバレぬようにな。内密にだぞ」
全ての現象を逆転させる男、郭図。
上手く枯らしてくれよ、先生?
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