第40話 衛生会議 渤海人涙目コースの巻

 197年3月。

 人口の調査はひと段落し、戸籍網を作り上げることに成功した。

 強力編集で確認したが、納期時に実数のズレはない。

 住民登録をしていくうちに、ガンガン人が入ってくるのは避けたかったのだが、物流を止めるのは死を意味するので、仕方なく『高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対応』することにした。


 誰の名言か思い出せないが、現場の作業者は血涙を流しながら任務に従事したことだろう。


 作業効率の向上のため、南皮ではモデルケースとして安価な竹簡から、紙を使用して公文書を書くことにした。

 この時代は竹簡などの木片や布がお手頃な記録媒体として活躍している。

 紙ははるか前に蔡倫先生が発明して、存在は官人の間では認識されているのだが、結構お高いイメージだ。


 一般的な日本人がイメージするつるっつるの紙ではなく、麻や漁網などを組み込んだコットン用紙である。

 紙無精なんて言葉もあり、手紙などに用いた紙の品質の悪さを嘆く言葉でもあるそうだ。


 紙を導入して一番良かったことは、物理的に持ち運びが楽になったってことだ。

 どこかの木こりよろしく、肩に竹簡をまとめた束を担いで書庫まで行く必要がなくなったわけさ。

 書類作ってるんだか、筋肉作ってるんだかわからない状況だったしな。業務改善がなされたと思うことにしよう。


 さて、だ。

 いよいよ南皮改造計画第二弾の発動である。

 巡視などで外出すると、ほぼ100%の確率でウンコ踏む。

 マジでこいつら外でも容赦なくブリブリしてるからね。


 流石に袁家の貴人や将たちは厠で済ませるし、専用の場所も設けてある。

 だが日銭を稼ぐのがやっとであり、その日に食べるものを得るので精一杯な民は、糞尿などという些末なことを気にしない。


 南皮衛生工事奉行として『考』を任命した。

 いや、言い直そう。

 晴れて曹操とのつながりを断ち切り、俺の幕僚として仕えることになった、郭嘉だ。


 最初は他家との縁を訝しむ者もいたのだが、郭嘉の智謀溢れる弁舌が諸将の心を掴んだ。

 悔しいことに、郭図の同族であるという点も認められる重要なファクターとなったと思う。広い中華は血縁関係の重用がガチで半端ない。

 漢王朝に出仕し、家格を上昇させること。もしくは知識人の弟子になること。最後に名家の一門であること。

 三国時代に人から信用されるための三つの弾丸だ。


「さーてと、殿。面白き意見のすり合わせの時間ですぜ」

「これから大規模工事が控えているのに、楽しそうな顔で何よりだ」


 俺、郭図、郭嘉、許攸、高柔で内政会議を開催している。

 護衛にはマオと袁春卿が侍っていた。


「皆、忙しい中よく集まってくれた。今から南皮の公衆衛生を改善する施策について検討をしていく。各々そのつもりで智慧を巡らせてほしい」

「はっ!」


 拱手にて深く礼を受け、まず先に俺が着席する。

 続いて軍師役の郭図が座り、年齢順に腰かけていく。

 こういう年功序列が儒教だねって思い起こさせてくれるね。


「顕奕様、公衆衛生という概念について今一度我らにご教授いただけませんかな。大命を果たすには細部を穿って知る必要があると、この高柔思いまする」

 若干二十三歳の高柔は、俺の従弟である高幹の一門だ。

 この人物はクッソ激烈に有能で、のちに高幹が反乱を起こした時に連座されそうになるが、法理を駆使して場を乗り切っている。

 その後曹操に仕え、魏帝国時代に司徒にまで昇進した。


「疑念はもっともだ。ではまず、公衆衛生の意味からおさらいしよう」

 俺はさも勉強して自分で発明しましたよ的な顔で喋っているが、脳内に浮かんでいる強力編集のTipsを読んでいるだけだ。


「まず定義を述べよう。公衆衛生とは国民の健康を保持し、また増進させるため、公私で営まれる組織的な衛生活動……つまりは汚れを落とす行動のことを指す」

「汚れを……でございますか。家屋敷の掃除と同義と解釈しても?」


 まあ三国時代の人には中々伝わりにくいよね。話してる俺も全部知ってるわけじゃないしな。


「うむ。しかしもっと手広く公益性のある活動を、袁家の事業として行うのだ。差し当たってまず俺が考えているのは、道々に溢れる黄金の花を除去し、汚水を垂れ流すことなく処理できる施設を作成することだ」

「失礼ながら、顕奕様。地面に人糞が落ちているのは、何も南皮のみではなく、どこの都市でもあることでは。それらを除去すると仰せでございますが、一体どのような効果があるのでしょうか」


 高柔の懸念ももっともだ。

 残念ながら光学の未発達により、レンズで細菌を見せるような真似はできるはずもない。なので家屋敷や周囲を清めると、病人が減るという論文を引用した。


 もちろん偽論文で、郭嘉にそれっぽく作ってもらったんだがね。

 高級な紙の出番が増えていいことだ。袁家で研究している秘中の秘だが……と前置きしておいたのも効くだろう。


「このような内容が……我らに御館様の極秘情報を開陳していただけるとは、歓喜の極み。この高柔、一意専心取り組んでまいりますぞ」

「うむ。心強い味方が出来て、御父上もお喜びになるだろう。よろしく頼む」


 まずは俺の住んでいる南皮の中心からだ。

 四方囲む壁を『郭』、中心部を『城』と呼ぶ。

 城からまず北東の場所に、大掛かりな溜め池を作る予定だったのだが……。


 実際は1995年に竣工するはずの『大浪淀』というダム地がある。今現在はほぼほぼ無人の土地なので、ここをまず水の浄化施設として機能させるつもりだ。

 南皮から大浪淀まで行くのに三日ほどかかる。そこまで水路を繋げるのも一苦労なのだが、すさまじい体積の土を掘り返して、水の集積地点を確保しなければならない。

 

 流石にこれでは国家財政が傾いてしまうので、断念せざるを得なかった。


「うーん、もっと近場で工事できんかなぁ……公衆便所も設置したいし」

「顕奕様、この郭図めにお任せいただければ、斯様な工事など三年でやり遂げてみせましょうぞ」

「……そうか」


 はい、却下。

 郭図のことだから、人民をフル動員でこき使い、怨嗟の声が南皮を覆いつくしても工事しまくるだろう。そしてそのケツを拭くのは俺だ。


「殿、いいッスかね」

「ああ、話してくれ」


 ニッコニコの郭嘉がそっと手を挙げ、発言を始める。

「これ思ったんスけど、南皮の城外で溜め池を作ればよくないッスかね。殿の考えだと、大規模な建築をして、水を渤海に流すようにも見えるんですよね」

「まあその通りだ。いくら処理をしたとしても、海水で希釈して、自然に委ねなければ水資源はいつか尽きてしまう。故に大きな場所に流したかったんだがな」


「うん、まあ道理と言えば道理かもなんですけどね。いっそどうでしょうかね、専門の村作っちゃうのは」

「ぬ!?」


 郭嘉いわく、水処理専門の村を南皮近くの土地に立ち上げ、袁家から委託という形で水の処理を任せればいいと。


 そして渤海方面に向かってまた水路を引き、次の村でも更なる水処理を行う。

 いわばリレー形式で水路を引き、村を建て、仕事に従事する者には袁家から給金を出すと。蓄財が進んで来たら、袁家が村と共同で新たな水路を建設し、渤海までつなげていくという計画だ。


 これであれば順次水の処理が行えるし、人口の集中している都市部が不衛生な液体で塗れることも少なくなるだろう。


 総工事年数は結構かかるが、こちらの懐具合や戦況に合わせることができる利点がある。さらに言えば村が発展すればそこには人が増え、税収が期待できる。


 まずは与えること、そして取ること。

 管仲先生、こんな感じでいいんですかね、内政って。


 郭嘉の適宜進行案を採用し、総奉行に改めて任命する。

 脳内にある水処理方法等は用紙に書き写して、後日郭嘉に渡す予定だ。


「ぐぬぬ、いと悔し……しかし我が一族が大命を授かったと思えば、この郭図、喜んでその栄誉を譲りましょうぞ」


 半べそかいて、胸元をかきむしっていた郭図がかろうじてヒリ出した言葉がそれ。

 まあ、そうしょげないでくれ。

 郭図にしかできないこともあるんだよ。


 そう、埋伏とかね。


 俺たちは次なる議題へと話を続けていく。

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