第39話 ごちうさ

――郭嘉


「しかし巷の噂ってのは当てにならないもんッスねー。ボンクラだとか暗愚だとか聞いてたけど、中々どうして……あれは狼だよなぁ」


 考、と名を伏せている男が一人呟く。

 体裁だけ取り繕い、名族の威光に胡坐をかく袁紹に見切りをつけ、新進気鋭の曹操軍のもとへ向かっていたのを、ふと思い出す。


「文若ちゃんには悪いことしちまったな。メンツ潰しちまって申し訳ねえが、こっちの方が面白い予感がすんだよなー」

 曹操軍にその人ありとの名声を持ち、我が子房とまで評された稀代の名軍師・荀彧文若。彼からの招聘を断れる人物は、この中華に果たして何人存在するのやら。


「殿との面接、あれは傑作だったぜ。今思い出しても笑いと……寒気が来るねえ」


 袁紹軍の中でもいち早く後継争いから脱落し、平々凡々と暮らしていると噂される袁煕から、まさかの書状の束が届いた。


 当初は見る価値もない、死にかけた老犬が餌をねだってるだけだと斬って捨てるつもりだった。

 ふいに。そう、ふとした拍子に中身の文章が目に入り、脳に焼き付き、釘付けになった。


『無礼にも数多くの書状を出すこと、なにとぞ寛恕いただきたい。我が名は袁顕奕。貴君ら智謀の士の中では惰弱な小兵であると聞き及ばれているだろう』


 自己評価はできているようだ。それに何か不思議な……強い意志のようなものを感じてしまった。

 郭奉孝はつい、続きを目で追ってしまう。


『単刀直入に述べよう。我が幕僚へと加わってほしい。その対価は十分に用意できると信ずるものである』


 一瞬、読むのを止めようかと考える。だが、名門で金満家の袁家が、金銀財宝以外の何をもってこの郭奉孝に応えてくれるのか興味が湧いた。


 次の一文を読み、郭嘉は頭部を破城槌で殴られたような衝撃を受けた。

 ハハハ……こいつ、何言っちゃってんの? 馬鹿なのか。

 次々と否定する言葉が浮かぶが、抗いがたい魅力が注ぎ込まれているのも事実だった。


『二千年後の技術について、知りたいとは思わないか』


 早大稀有、大風呂敷、大言壮語。

 狂人の戯言のように紡がれた文字列だが、強烈に惹きつけられる。


 未来を予知する妖術使いでもなく、知を原動力とする技術を用いてきたか。

 郭嘉は文を握りしめていた。


『遠投投石機、考案図』

 添付されていた絡繰りの図面は、ところどころ稚拙であり、まだまだ研磨が足りていない粗いものではあった。

 

 郭嘉が真に恐れたのは、そこではない。

 投石機――霹靂車の概念は構築されつつあるとの噂が流れていた。もっともごく少数の壮士の間でのみではあるが、まことしやかに、そして深く。

 大きなものを動かすときには、棒の端に力を加えると良い。郭嘉は世に溢れる文物は何かの術理が定められており、一定の法則によって作動すると感じていた。


 故に反動によって霹靂を飛ばし、城砦を攻撃するという手段は画期的かつ納得のいく手法であった。

「まあいつか誰かが作るっしょ」

 戦術や戦法、そして新兵器は常に進化し続ける。


 しかして袁煕が示した図面や如何に。


 霹靂車の概念を超え、円運動によってより大きな石を、恐るべき飛距離で投げつける兵器を見せてきたのだ。

 もし郭嘉がこの技術を持って曹操軍に降れば、袁紹軍にとっては大きな痛手になるやもしれない。

 だが、恐らくは……袁煕という男は、この遠投投石機の弱点も知っているのだろう。故に漏れても問題なし、使えるものならば使ってみよと言っているのだろう。


「試されたッスね……。ひゅー、やるじゃねーっすか」

 郭嘉はすぐに宿から出て、周囲を見回した。

 なんだよ、いるじゃん……そう思った。


「袁家の……いや、袁顕奕様の私兵ッスね? 某は郭奉孝と申す。お召しにより参上したい次第――」

「お喜びになることでしょう。郭先生、どうぞこちらへ」


 囲まれてんじゃんよ。この袁煕ってやつは敵にしたら不味い。

 ってか、こいつ、おもしれえ!


 悉く自分の予測を裏切る行動に、郭嘉は興奮の色を隠せなかった。



 袁煕の屋敷に出向き、そこで面接と称した郭嘉の質問時間が与えられた。

 生気のない青白い顔が、徐々に紅潮していく。

 眉目秀麗にして軽薄、そして痩身。郭嘉はお世辞にも健康とは言えない。

 だが袁煕の屋敷に入ってからというもの、呼吸が随分軽やかになってきているのを感じた。


「郭奉孝殿、贈り物はご満足いただけたようですね」

「あんな垂涎止まらないモノみせられたらね。来るしかないっしょ」

「そう言ってもらえると、大げさな手段に出た甲斐があったというもの。さあ、存分に俺に問いを投げてもらいたい」

「ええ、もちろん、もちろんですよ。それじゃあ早速……」


 二千年後の物語は、郭嘉の知的好奇心を満たす至福の時間だった。

 絶えず袁煕の目を見ていたのだが、その眼差しは真っすぐであった。

 狂っているわけでもないし、嘘八百を並べているわけでもない。


 必至。

 必ず世界は斯くあるよう、との自信を窺えるほどに、堂々とした眼だった。


「ちょっと待ってくださいよ、その……狼煙や早馬以外で伝令が出来るんスか?」


「鉄の……荷馬車ですか……。油を食って動くってのは想像が……いや、それはそれで考え甲斐があるってもんか」


「いやいやいや、王朝がない国なんて存在するわけ……国民? 民草に教育を……ですって? そんなことしたら反乱が……いや、待てよ……」


 袁煕の語る未来像は荒唐無稽にも映る。だが、もし、もしも事実であれば、この男は一体何者なのだろうか。

 いや、そんなことは郭嘉にとっては些事であった。


 この男について行けば、某はきっと大喝采を送るほどの面白きものが見れるはず、と。人生30年、生き急いででも、見るべき光景があるはずだと。

 中でも郭嘉を強烈に打ちのめしたものがある。


「空を……飛ぶ……ですと……」

「うむ。同じく鉄と油を加工する必要があるのだがな。前提条件になる技術も多い。だが安全性を削って、極力部品を少なくすれば一定の距離は叶おう」


 天の道はいと高く険しい。

 悠久の霊山に住まいし仙人や、秘境にねぐらを作る鳳凰でもない限り辿り着けぬ、前人未到の場所だ。


 行きたい。

 某も、蒼穹の彼方へ行きたい。

 

「郭奉孝殿、この袁顕奕と共に、夢を果たしてみませんか。俺も見てみたいんですよね、あの青い空や雲の島々をね」

「――った」


「うん? 今何と?」

「乗った! いや、乗ります、その話。与太話でしたっていうオチでも構いやしませんよ。この広い中華にあって、空を夢見る人物がいて、天を掴むのではなく自由に泳ぎたいと言う。それだけでも某にとっては命を賭けるに値しますよ」


「作りましょう。我らが新しい羽を」

「戦乱――ふ、ふふふふふ。治めましょう、この修羅道を。某の知恵は人殺しの策だけで終わらせたくない。心の中に薫風が吹きましたよ」


「おお、では!」

「ハッ。この郭奉孝、まだ見ぬ世界をのぞくため、袁顕奕様に忠誠を誓う所存。つまらぬ乱世なぞ、さっさと終わりにしちまいやしょう」

「ああ、まったくだ。技術ってのは、平和的に使ってこそだと思うしな」


 酒が運ばれ、夢のような時間が過ぎた。

 机に突っ伏して寝ている新たな主君は、どのような夢を見ているのだろうか。


 面白い時代に生まれた。

 郭嘉は今日、初めて未来への希望を胸に宿したのだった。


――翌日

「まいったなー。文若ちゃんからの文、返してなかったな。あーあー、剣呑な雰囲気だねえ、この様子は」


 戯志才という名の、曹操の軍師が没した。

 その後任に郭嘉を当てる予定だったのだろうが、荀彧の思惑はもはや叶わない。


ゃごちゃい……っと」

 将来の嘱望だとか、重く取り立てるだとか、一国の舵取りだとか。

 マジで……ああ、殿が使ってたな。こんな時に便利な言葉だったか。


「マジで興味ないから、ごちゃごちゃうるさい。これで良しと」

 

 後日郭嘉は荀彧からの登用文書を袁煕に提出し、己の忠義を示した。

 返事の内容に流石の袁煕も絶句していたようだ。


 196年冬。

 後漢末期の「ごちうさ」事件として、袁家の歴史に語られることになるやもしれぬが、それは後世の歴史家の匙加減によるものだろう。

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