第38話 君の名は

 食料、衛生、経済、医療、治安……考えればきりがないが、すぐに取り掛かるべきものは衛生であると思う。


 鄴やその周辺は俺が口うるさく、あーしろこーしろ言ってたから、割とマシな部類になっていた。

 流石に下水完備とは行かないが、肥料にしたり、処理用に一つ川を犠牲にしたりとかね。


 中世の欧州では二階の窓からも汚物をぶちまけてたというが、南皮はそれ以上にやばい。具体的に言うと、その辺で住民が野グソかましてる。


 そんな危険地帯にいる俺は、今強力編集の新メニューと向かい合っていた。


「どうしましたワン? お品物をご案内いたしますかワン」

 某張郃将軍を思い出すような語尾だが、そこは気にしたら負けなんだろう。


「ここは……というよりこの機能は一体何なんだ? 店……とな」

「はいですワン。ここは南華老仙様が蒐集された貴重な物品を販売しているところですワン。お客様、よろしければ今お望みになっている物を教えて欲しいワン」


 まあ、言うだけはタダか。

 手持ちの金は婚礼行事を終え、色々編集にも使った結果、50000ほど残っている。これは俺の命金だ。使い果たす前に、南皮に投資していかなければならない。


 為政者による効率的な富の再分配こそが、自由な経済を発展させる栄養素となる。


「下水施設の設計図……いや、寒冷地でも育つ穀物がいいか……流石に火薬は無理か。まあ、ざっとこんなもんだ。ハハハ、あるわけないか」

「ありますワン」

「マジかワン」


 語尾系は移るからやめて。

 いや、違う、そうじゃない。え、あるの? 俺の欲しいもの、ガチで売ってるの?


「そ、その……下水施設の設計図は……ちなみにどれくらいの時代のものなんだろうか」

「大体1600年代の石積み式下水道の図面がありますワン」

 おいおい、クッソ近代じゃねえか。


「雨水だけではなく、屎尿も処理できるんだろうか」

「屎尿処理施設の設計図は別売りになりますワン。両方同時購入されると、効率的に工事が出来ると思いますワン」


 優勝。

 この店、この犬、有能過ぎる。

 

 古代中国でも宮殿から汚水を流す配管は作られていた。だが、近代的な下水処理道と浄化施設がセットでくっつけば、飛躍的に衛生状態を改善できるだろう。


「言い値で買おう。いくらだろうか」

「下水道の設計図は金10000。屎尿処理施設も金10000ですワン」

「ぐ……たけえ……」


 手持ちの四割が消し飛ぶぞ。これから様々な施策を行わなければならないのに、ここで使ってしまってもいいのだろうか。

 冷気に強い穀物とかいくら吹っ掛けられるのか、聞くのも怖い。


「抱き合わせで、金15000。当店開店祝いですワン」

「やるな……ワン公」

「僕は【金時きんとき】という名前があるワン。お客さんには末永くご愛顧いただきたいので、たくさん勉強させていただく所存ですワン」


「買った。その設計図二枚、俺が買う」

「お買い上げありがとうだワン。強力編集に新しいタブが出来るので、そこにダウンロードしておくワン。ジョブズもびっくりだワン」

「お前、どこの時代の犬だよ……」


 人は金があると使う生き物だ。

 貯蓄が趣味という人もいるだろうが、俺はどうやら倹約には向かない性質らしい。


「設計図二枚、寒冷地で育つ特殊米の種もみ……これで金30000か。厳しい数字だが、もとは取るぞ」

 ワン公……金時におだてられ、持ち上げられて、ついつい爆買いをしてしまった。

 だが決して無駄にはならない投資だと思うし、民生の安定に貢献できるものだと思っている。


 強力編集のメイン画面に戻り、俺は【New!】と点滅しているタブを開く。

「おお、マジで設計図だ。すげえな、使用するべき石材の名前や、産出場所まで書かれてる。三国時代にチューニングされてるのは便利だな」


 南皮やその周辺で手に入れることができる資材や、必要と予測される人足の数に予定工事日数。そのほか、ヒヤリハットの例なども添付されていた。

 拡張子がpwsという、PDFのパチもん臭いものであったが、紙に書き写してしまえば問題は無かろう。


「よし、残りは金20000。これを元手に南皮の大改装工事だ!」

 鼻息を荒くし、俺は意気揚々と薄暗い倉庫から外へ出た。


――

「お疲れ様ですよ、顕奕様!」

「マオもお疲れだ。誰も来なかったか?」

「軍師様が徘徊……いえ、行ったり来たりしておられました! 話しかけてきませんでしたので、そのまま放置……いえ、任務に精励しておりましたよ!」


 郭図め、何か金の香りでも嗅ぎ取ったんだろうか。

 よくいるよね、この手の「都合の悪い人」

 例えば、一人で自家発電してるときに電話してくる友人とか。

 仕事でミスしたときに、バッチリ目撃する人とか。

 切り替わりが早い信号で、ノロノロ走る車とか。


「……まあいい。俺の用事も済んだしな、執務室へ戻ろうか」

「はいですよ! マオがご案内いたしますよ!」


――

 気分は007。

 俺は誰にも告げずに、とある人物を鄴から連れてきていた。


「某です。お召しにより参上いたしました」

「入ってくれ」


 執務室に音もなく入ってきた男の名は、こうという。

 196年9月に結婚を執り行う前から、延々と手紙を出し、逆圧迫面接を乗り越えて、俺の幕僚として加わった者だ。

 まあ若干相性値をパワーアップセットでイジったおかげでもある。


 割とマジで言うと、考を手に入れるために、ありとあらゆる手を打った。

 そしてこの人物こそが、公孫瓚や張燕、曹操との戦いで鍵を握ると信じている。


「ふー、春はいいッスねえ。某はあんまり体が丈夫じゃないんで、あったかい季節ってのはそれだけで万金の価値がありますよ」

「顔色はよさそうだ。何よりだぞ」

「殿の考えた【らじお体操】でしたっけ? 効果抜群ですね。河北全ての民がアレを行えば、富国強兵に近づけるでしょうなぁ」


 軽薄そうな口調だが、この男は全ての物事を観察し、分析している。

 現実を冷静に受け止め、理想を目指し、効率的に作戦を立てる。


「考、実はとあるスジから面白きものを手に入れてな。南皮の公衆衛生を著しく発展させうるものだ。興味はあるか?」

「マジっすか。いやー、それはいい。某が見る限り、不潔な場所に居る者ほど病に罹りやすいと思ってるんですよ。殿がその工事を成功させてくれれば、某の推論も証明できるってもんです」


 俺が独り言で「マジかよ」とつぶやいたのを、考は大層気に入ったようで、自分でも率先して使っている。

 このように、新しいものに物おじしない性格なのがアグレッシブで素晴らしい。


「そこでだ、考に設計図を書いて渡そうと思う。工事奉行をやってみんかね」

「え、いいんすか? 某流に改造しちまうかもしれませんが」

「考の行いには無駄がないからな。それが最善というのであれば、俺は信じるよ」


 甘い人っすね、と軽口を叩く。

 だが考の顔は、まだ見ぬ新技術に期待の光を宿していた。


「これから忙しくなる。体調管理は徹底してくれよ」

「大丈夫っすよ。殿の言いつけ通り、屋敷には常にお湯を置いてますしね。体温と湿度……でしたっけか。確かに埃っぽいのがなくなって、呼吸しやすくなりましたよ」


 ニンマリとほほ笑む考を見て、俺は安堵と不安が綯交ぜの気持ちになる。

 この男を早死にさせてはいけない。


 せっかく運命を変えたのだ。

 健康に、そして縦横無尽に働いてもらうという、名誉終身刑を受けてもらおう。

 

 なあ、郭奉孝よ。

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