第36話 家内安全とか、夢見過ぎですかね

 袁家嫡男として結婚を恙なく終えることができた。

 一般的に古代中国においての社会的立場とか責任とか、そういう系は果たしたと思う。

 会う家臣に毎度、子供はまだですかとか聞かれるのがちょっと膨満感になってきてるが、俺は出産する側ではないので気苦労はまだマシなほうだろう。


 現代日本人、しかも若年で結婚っていうと、恐らく小さ目なアパートで生活し、お金を貯めていずれはマイホームを! っていう感覚だろうか。

 夫婦一緒に目標を定め、幸せな生活目指して釈迦力になる時期だと思う。


 まあ、三国時代の袁家はぶっ飛んでるからね。主に金銭とか権威とか。

 問題です。パパンから贈られた結婚祝いはなんでしょうか。


 はい、正解。

 答えは地域。


 史実での袁煕は北方に追いやられて、日の目を見ずに死亡したそうだが、今はちと事情が違っていた。


 親父殿の御座所である鄴より東北方面にある、南皮をまるっと受け取った。

 ゲームだと概ね袁紹軍の本拠地になってる場所だね。


 この時代は既に後漢は消滅寸前で、いちいち朝廷の許可を得るなんていう奇特な人も少ない。ご多分に漏れず、ウチの親父もその辺の手続きは簡略化したそうだ。


 本来は朝廷で任命されたナントカ将軍とか、ナントカ太守とかが赴任する形であるのが正しい。

 だが、名より実のこのご時世。手っ取り早く支配地域を拡張していきたいのが群雄の戦略だ。

 袁家もそれに倣ったにすぎない。


 南皮に連れて行くのは張郃・呂威璜・袁春卿・高覧・陳琳・鈴猫・甄姫・クソ郭図のメンツだ。

 顔良や牽招には公私ともに世話になったが、対黒山賊の張燕本隊への守りとして残ってもらう手はずだ。

 南皮に人材を集めて、本拠である鄴が落ちましたでは洒落にならんからね。


「顕奕様、お引越し準備完了ですよ!」

「おう、マオには随分働いてもらったなぁ。助かったよ、ありがとう。南皮に到着したら甘いお菓子でも食べようか」


「はぅあっ! 猫は忠を尽くしたまででございますよ! そのような甘味は……じゅるり……奥方様とお召し上がりくださいませ!」

 目が月餅になってる。

 分かりやすくて大変面白いんだが、そうだな……マオの言うことも一理ある。


 俺は所帯持ちということで、気軽にマオを呼びつけてあれこれ世話をしてもらうのもよろしくない。

 さりとて長年付き従ってくれたマオを手放すなどありえないことだ。


 伽藍になった部屋を確認し、外で喫茶をしているときに、甄姫が現れた。

「殿、何をお考えですか? 難しいお顔をされておりますが」

「うぐ、顔に出てたのか……ちょっと困りごとがあってなぁ」


 ティンと来た。

 現代日本では死語となりつつあるが、古代では「奥方」や「家内」という単語がまだ健在である。

 文字通り家の中の采配をする者のことで、主に自分の妻が担当する。


 だったら甄姫の意見も聞いた方が効率的かもしれない。

 

「なあ甄――蘭よ。うちのマオのことで相談があるんだが」

「……まさかとは思いますが?」

 はい、毒蛇さんしまって。やましい話じゃねーから!


 鉄笛と蛇籠をこれ見よがしに側に寄せた甄姫――蘭は、映画のタイトルでもあったよな氷の微笑をもって俺に相対している。

 余計なワードは死ぞ、これ。


「いや、他でもない。俺は忠実に働いてくれているマオをこのまま近侍として置いておきたいのだが、それでは蘭も心配なのではないかと思ってな。どうだろう、甄家の方からも従者を出してもらうというのは」


 蘭は目を丸くし、口元に手を当てて「まぁ……」と驚いている。


「殿、そのような差し出がましい真似、本当に宜しいのでしょうか? 夫を信用していない妻の嫉妬と取られそうで恐ろしいのですけれども」

「かもしれん。けど俺とマオの間が潔癖であることは、蘭に知っていてほしいんだ。それに見方によっては妻を信用していないから、人質を取ったとも言えるだろう」


 何ら恥ずるべきことがないので、正々堂々浮気監視してくれ。

 それが俺の判断だ。

 本来の袁煕君は流刑に近い処遇を受けたとき、妻が付いてこなかったんだよね。

 なので曹丕にNTR食らい、無事脳破壊されて死亡したわけだ。


 夫婦仲は円満にしておくべし。

 俺の中のゴーストが囁いている。

 

「殿が仰せでしたら、そのようにいたしますわ。人選を含め、南皮に出頭するように申し付けておきましょう」

「苦労を掛けるが、よろしく頼む」


「それにしても……殿。本来であれば側室などは持って然るべき御身分と存じますが。もしこの甄めがやや子を産めぬ場合、殿のお立場が苦しいものになるかと」

「まぁ……それはそうかもしれんがな」


 未来を知ってるから断言できる。甄姫さんに関しては憂いは無いですよっと。

 それどころか魏の皇帝を出産してるからね。国母様だよ。


「それにどうしても蘭には嫌われたくなくてな」

「まぁ、歯が浮いてしまいますわ」


 そう、俺は知っている。

 一時の寵愛を得て、曹丕のもとで栄華を誇った女傑だが、その最後は断罪で終わるということに。

 理由は簡単だ。単に興味がなくなったから、見向きもされなくなったということ。


 英雄色を好むという格言は確かにあるのだろう。

 そして俺はつい先日まで童貞だった小市民マインドの持ち主だ。

 女性をとっかえひっかえし、用済みになったら処罰するっていう考え方は、決して賛同できない。

 

 子孫をより多く残し、一門の繁栄を願うのは時代に則したものだろう。

 そこは理解できる。

 だが、一身を賭けて子供を産んでくれた女性に対し、礼儀を失するような真似だけはしたくない。

 それだけは譲れない一線として、俺の中でボーダーを決めている。


「殿、南皮はここよりも少し寒いとうかがっております。夫婦で温め合うのもまた一興ですわ」

 やっと鉄笛と蛇君をしまってくれたようだ。


「そうだな。俺はもっと色々な蘭を知りたい。嬉しい時も、悲しい顔も、全てを包み込めるよう、男として成長していきたいと、心から願っている」

「……ッ、と、との……その……それ以上は……」


「ぬ?」


 蘭の顔が真っ赤だ。

 白雪に紅を差したように、心地よさそうな火照りを伴っているように見える。

 

「蘭……俺は……」

「い、言わないでくださいまし。続きは閨にてうかがいましてよ」

「ああ……」


 ドゴン! と快音が鳴る。


「顕奕様! お荷物の積み込み完了してございますよ! 今からでも出立できますが、いかがなさいましょうか!」


 二人で色めき立つ空を舞っていたのだが、マオが大声で地対空ミサイルをぶっ放してきた。

 蘭が目をガン開きし、歯をギリギリとこすり合わせている。

 

「ややや、これは奥方様、失礼しましたですよ!」

「殿、先ほどのお話ですが」

「うむ? どの話であろうか」


 分かってるけど、一応ね。

 

「甄家の方から【迅速】かつ【最優先】で従者を連れて参ります。お側にお置きくだされば幸いですわ」

「う、うむ。そうしてくれるか」


 ややや? と小首をかしげるマオだが、同僚が出来ると知ると大喜びをしていた。

 違うんだよなぁ。君の監視役かつ、色恋のフラグクラッシャーとして頑張ってもらうんだよね。

 

「そうでした! ご報告を忘れておりました!」

 ん、なんぞ?


「南皮の豪族、劉家の方よりお誘いをお預かりしております!」

「も、申してみよ」


「はい! 是非我が家の娘を側室に……」


 落雷のような音と同時に、机が鉄笛で粉砕された。

 甄姫サン、なにやらブツブツいいながら目がガンギマリ。

 そらそうよ。夫婦の営みを邪魔された挙句、側室のお誘いとか。

 こんなん攻め込まれても文句言えないレベルでの危険行為ぞ。


「マオさん、そのお話よく聞かせてくださるかしら」

「はぅあ! 襟首をつかまないでくださいまし! わわわ、顕奕様、お助けを!」


 すまん。それは無理だ。

 俺はマオに謝罪と成仏の念を込めて、合掌を一つ送る。


 いやああああ、という悲鳴が聞こえる。

 惰弱な俺を許してくれ、マオ。スイッチ入った甄姫――蘭の行動は、多分この世の誰も止められない。


 情報を聞き、つやつやした表情で戻って来た蘭と、げっそりとしたマオ。


 次の日以来、俺の寝床には見張りの蛇君が一匹から八匹に増えたという。

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