第35話 華燭の典
犬猿関係が消えたおかげか、甄姫は好意は寄せずとも特段俺を厭う行動をすることはなかった。
常に周囲には蛇君たちが見張っているので、やるつもりはないが、余計な手出しはできない。
196年9月吉日
俺は甄姫との結婚式――華燭の典を迎えることになった。
東方より俺が貴人の衣と頭冠を身につけ、袁家伝来の宝剣を佩いて広間に向かう。
俺に付き従うのは、腐れ軍師の郭図。そしてお目つけ役の顔良だ。
郭図は顔良に大分遊んでもらっていたらしく、すっかりと従順になっていたようだ。それはそれでキモいが、アホなことをほざかないだけマシというものだろう。
「しっかし、若もついにご成婚ですか。立派になられて、俺たちも嬉しいですよ」
顔良は太い眉根をほころばせ、人懐っこい顔で俺に寿いだ。
「この郭図、ますます知恵の絞りがいがあるというもの。今後ともよろしくお引き立てのほどを」
胡散臭い詐欺師面をにやけさせてるのがイラっとするが、一応はこいつも喜んでくれてはいるらしい。
「うむ、二人とも、これからもよろしくな。では行こうか」
「はっ!」
行燈が灯る長き廊下を渡り、麒麟の間と呼ばれる袁家の結婚式場へと足を踏み入れる。左右には群臣が侍り、文武両面の重鎮が居並んでいる。
「袁家当主、袁本初が長男。袁顕奕参上いたしました」
俺は当主であるパパンに挨拶をし、甄姫の到来を待つ。
「そう緊張するな、顕奕。お前は一皮むけたと儂は思っておるぞ」
「そう……でしょうかね。自分ではなんとも言えませんよ」
やがて西の扉が開き、艶やかな紅梅の刺繍が成された衣装を纏い、甄姫が静々とこちらへ向かってくる。
金の雲雀の髪飾りは甄姫のお気に入りなのだろうか。いつも身につけている。
この日はまさに青天。黄金の雲雀よ、空へ高くはばたけと言わんばかりに輝いていた。
本来ならば「
だが今回袁家の場合はちょいと礼記より外れていた。
ぶっちゃけていうと甄家からの強烈なゴリ押し結婚だったため、袁家から贈った以上の品物が送られてきたという裏事情がある。
おかげで強力編集も使えたので、そこは無理に礼儀を押し通さなくてもいいだろう。
既に祖先の廟にて報告を行っていたので、あとは袁家の統領と甄家の統領の前で挨拶をするのみだ。
司会進行役の沮授先生が声を張り上げる。深みのあるバリトンで、落ち着きを感じさせるものだ。
「袁家ご嫡男、袁顕奕様。ならびに甄家一の姫、甄姫様、ご入場完了いたしました」
儒教の教えによれば、本来は三日に分けて婚姻を行うのが道理だ。
だが、後漢末期の今、手順は簡略化されているらしい。
新婦――甄姫のつけている純白のベールを夫である俺がまくり、二人そろって舅と姑に挨拶をして終わる。
そのあとはロックンロール。
飲めや歌えやの大宴会が待っている。
「し、甄姫、顔布を取るぞ」
「……はい。御心のままに」
白磁のような滑らかな肌に、翠成す黒い瞳。目元の泣き黒子と桜のような唇が美を引き立てている。
俺は目を見張っていたようだ。やっと再起動できた時には、沮授のゴホンゴホンという咳合図が響いていたという。
「これからはよしなに頼む。其方は誰にも渡さぬ」
「まぁ。顕奕様の勘気を買わぬよう、精一杯お仕えいたしますわ」
二人頷き、両手を握り合う。
この時代、人前でキスをするのは不道徳とされてるので、今はお預けだ。
「両ご当主様にご挨拶申し上げます。袁顕奕、この度甄家の一の姫との間に婚儀が成立したこと、謹んでご報告いたします」
「うむ。袁家は祝福しよう」
「甄家も惜しみない慶びを伝えよう」
「ありがたき幸せ。甄姫を守れるよう、より一層の精進を重ねてまいります」
「袁家の嫁として恥じぬ行いと、忠節を尽くすことをお誓い申し上げます」
盛大な歓喜の声と、万雷の拍手で会場が包まれた。
俺は今日この時より、妻帯者となったのだ。
宴席の様子は多くは語るまい。
顔良と文醜が酒の入った壺を持ち上げ、がぶ飲みし始めた時点で終末は見えた。
死屍累々。
酒瓶を抱きながら寝る者や、机の上でいびきを立てる者。厠に落ちそうになっていた者など、醜態をあげつらえばキリがない。
まあ、めでたい席だからね。それに三国時代は娯楽に乏しい。こうして集まって酒を飲むのも人生の肴なのだろう。
――
さて、だよ。
俺は酒をセーブして宴席を乗り越えた。
給仕にまわってくれていたマオにお願いし、極限まで薄めた酒を口にしていた。
顕奕様、お強いですな! なんて言われたが、まあ絡繰りがあるからね。
新婦with毒蛇との野戦を控えているので、シラフでいないと命に関わるのよ。
「しかし……」
貧乏ゆすりが止まらない。
ヤるのか……今から……。
前世では童貞こじらせてたからな……正直どうしていいのかさっぱり分からん。
一応雰囲気作りで肉桂の香を焚いてはいるが、果たして正解かどうかも不明である。
コンコン、と扉が叩かれる。
「う、うむ。入ってくれ」
「失礼いたします」
侍女と毒蛇籠を伴って、甄姫が華美な夜着で俺の前に立つ。
彼女が手をスッと挙げると、侍女たちは退室していく。甄姫と蛇だけが夜風を身にまとい、俺の目をまじまじと見ている。
どうすっかよ、これ。
ケモノのように襲い掛かるのが礼儀なんだろうか。それとも手を取って紳士に寝台までエスコートすべきか。
マジで脳がオーバーヒートしそうだ。
「くすくす……顕奕様がそこまで緊張なさるなんて。女冥利に尽きるというべきでしょうか」
儒教的にアウトな発言っぽいが、ここはスルーだ。
しゃーない。正直に思ったことを言うか。
「すまんな。俺はどうも不調法でな。その、床での作法が……な。手探りでの契りとなるやもしれぬが、そこは笑って見逃してほしい」
「くすくす。はい、旦那様。今宵起きたことは、わたくし誰にもお話いたしませんわ。ですので、思いのたけを頂戴出来ればと」
「ありがとう、甄姫。俺は、君を抱く」
「はい。思し召しのままに」
燭台の明かりを最小限にし、俺と甄姫は夜の闇に溶け行く。
時折閃くように声が上がり、互いに貪る姿が映し出されていたことだろう。
雌豹の動きに合わせ、俺は気持ちを寄せ合って応える。
――
目が覚めた。
そして失禁するところだった。
俺の胸の上に毒蛇さんがトグロを巻いて鎮座しており、舌をチロチロと出しながらじっと睨んでいる。
甄姫に籠へと戻してもらおうと思ったのだが、彼女は隣でくぅくぅと小さな寝息を立てていた。
「お、お早うございます……」
チロチロ、チロチロ。
まるで値踏みされているようだ。
「あの……起きてもいいでしょうかね。できれば静かに」
なるべく小声で話しているのだが、冷静に考えたら寝床で毒蛇とグッドモーニングしてるとか、構図がおかしい。
口をパカっと開け、毒牙を見せた後、蛇は籠へと戻っていった。
『おい小僧、ウチの姫さん泣かせたらガチで殺すぞ』
彼の目は確かにそう言っていた気がする。
まあどちらかというとNTR食らって泣かされるのは俺なんスけどね。
歴史の先取り講義を、爬虫類相手に説いても仕方がない。
かけ布団をまくると、あらヤダ!
色々とお痛した痕跡がまじまじと残っていた。
無性に恥ずかしくなり、俺はもうひと眠りすることにした。
曹丕……か。
渡さねえぞ、絶対。
甄姫を、袁家を必ず守って見せる。
中国史を書き換えるのは、俺だ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます