第29話 黒山賊討伐⑨ 鄴への凱旋。やあ郭図君、随分お楽しみだったね。

 王当おうとう于毒うどく孫軽そんけいの三将を討ち、冀州きしゅうにおける黒山賊こくざんぞくの勢力を大きく削ることに成功した。

 敵の本隊がまだ残っているのが気がかりだが、張燕ちょうえんだけでは指揮官が足りないだろう。兵の疲労も馬鹿にはならないので、いったん討伐を終えて帰還することにした。


「これより鄴へと帰還する。全軍、よくやってくれた! 袁家の兵として胸を張り、堂々と行進せよ!」

「応ッ!」


 勝ち戦ってのは大抵の要求が通ってしまう、便利な高揚感があると知った。

 皆くたくたなのだろうが、最後まで矜持を損なわずに動いてくれるようだ。

 世話になった村々を通り、敵襲の可能性が少ない夜を過ごす。


 やがて兵士たちの顔に、明らかな笑顔が増えた。そう、見慣れた土地へと戻って来たから、自然と零れ落ちる笑みである。鄴の都は今日も壮麗に存在し、中で生活する人々の安全を守っている。


「では俺は御父上に報告をしに参る。張郃ちょうこう将軍は軍を解散させ、所定の部隊へと再配置をしてほしい」

「承知しましたッピ。若様、この度はご戦勝、誠にめでたいッピ」

「諸将のおかげだ。俺一人ではとてもではないが、戦いになどならんよ。これからも力を貸してほしい」


 張郃をはじめ、諸将が拱手にて忠誠を誓ってくれる。

 袁紹えんしょうに奏上し、重い恩賞が出るように進言しなくてはならんね。


「あ、公則こうそく殿。そなたには話がある故、客室で待っていてくれ。顔良がんりょう将軍も同席を頼みたい」

「おう、わかったぜ若」

「そそそそ、某にどどどどのようなご用件が。いやあ、その、書類が多くたまっておりましてですな。か、片付けねばならないのですが……」

「待ってるんだぞ」

「……承知致しましたぞ」


 逃がさへんで。

 郭図かくとの放蕩は斥候が村から聞き出して既に知っている。ついでに黒山賊に命乞いをしたこともな。

 

 まあいい、まずは袁紹だ。健康に気を使って、壮健であってくれればいいが。まさかこの年代で病に倒れるとは思いもよらなかったから、俺も心配で仕方がない。

 俺がこの時代に迷い込み、色々改変したことで袁紹の天命も変わってしまったのだろうか。


 袁家特有の黄色で彩られた、当主の御座所に続く扉の前に立つ。

 先触れは出してあるので、俺は待つことなくすんなりと通ることが出来た。


袁顕奕えんけんえき、御父上にご挨拶申し上げます」

「おお、戻ったか顕奕。お前の活躍は耳に入っておるぞ。賊将を三人も仕留めたそうだな」

「ははっ、家臣が獅子奮迅の働きをしてくれましたので、黒山賊の力を大きく削ぐことに成功致しました。どうか厚き恩賞を彼らに下賜くださるようお願い申し上げます」


 顔は伏せたままだが、俺は声の張りから袁紹が健康であると察していた。

 それにいつになく上機嫌だ。惰弱と称された俺が、禍根の深い賊徒を敗走せしめたのが、よほど痛快だったのだろう。


「うむ、面を上げよ顕奕。父に勇敢な者の顔を見せてくれ」

「御意。ただいま戻りました父上――え?」

「はっはっは、相変わらず痩せぎすだな、顕奕は。体の鍛え方はまだ足りぬようだの。わしを見よ、この通り力が有り余って仕方ないわ」


 なんかムッキムキで、筋肉がはち切れそうな親父がそこにいた。

 え、マジで何が起きたし。


「御父上、その、随分と変わられましたね……」

「お前が残していった、病人食の献立で体を治し、兵士育成用の献立を食したのだ。今では顔良や文醜にも負ける気はせんぞ」

 そう言って袁紹は胡桃を手に取り、パキョッと音を鳴らして粉砕した。

 

 いやいやいや、ソロでブートキャンプしてたのかよ。

 てっきり食が戻ったとか、具合が良くなったとか、その辺の常識ある範囲の改善かと思ってたんだが。


 ちなみに、俺が残した近衛兵士育成用の献立はこうだ。

 鳥のささみ、豆の汁物、桑の実、卵と野菜の炒め物、雑穀飯だ。

 タンパク質を多めに取り、栄養バランスに気を付けて考えてたのだが、まさか当主自らが実食するとは思わなかった。


「この食事は効果がある。袁家の兵士にも十分に摂らせようぞ」

 いや、それ結構コストかかるから……。でもなぁ、うちは超絶金持ちだしなぁ、やると言ったらやるんだろうね。


 俺はボディビル鑑賞会のように、肉まみれの軍隊を想像してちょいと吐き気がこみあげてきた。


「論功行賞については日を改めて行おう。戦勝大儀であった。流石わしの息子よ」

「勿体なきお言葉。御父上のお体もご壮健で、袁家の威光に翳りなしと安堵いたしましてございます」


 通り一辺の挨拶を終え、俺は執務室へと戻った。

 この丼模様の窓格子も、今は懐かしく感じる。

「顕奕様、今日はまお特選のお茶でございますよ! お疲れがすーっと抜けますので、是非ご賞味くださいませ!」

「ははは、そうだな。を考えれば、今は力を抜いた方が良いね」


 茉莉花の爽やかな香り漂う茶を味わい、気持ちを落ち着ける。

 帰ってきたと実感できる家が、部屋が、そして人がいるのはありがたいことだ。


「さて、だ。マオ、武装してついてきてくれ。そろそろ今日の本題を始める」

「了解でございますよ! 猫はいつでも行けます!」

 相変わらずどこから取り出したのかわからない薙刀を手にする。ひょっとしてマオはアイテムボックスでも持ってるんじゃなかろうか。


――

 俺は扉を数度叩き、客室の内部へと入る。

 そこには青ざめて脂汗をかいている郭図と、鋭い目つきで睨んでいる顔良がいる。


「顔良将軍、ご苦労だった。すまんが引き続き同席してほしい」

「若のご命令とあれば。しかし公則は何をしたんですかい? 何度も厠だと言い張って逃げようとしてましたが」

「今から分かる。さて……」


 俺は徹底的に目を合わせない郭図の対面に座る。場合によってはエンコ詰めるだけじゃなく、水の中にちんするしかない。


「公則殿。随分と享楽に耽っておられたようですな。民の築いた財は民のもの。民が収める税は国家のもの。その理を知らぬわけではあるまい」

「いえ、その……断ったのですが、どうしてもと言われまして。それに受け取ったモノは兵士に預けて本陣へと届けましたぞ」


 確かに色々と持ってきた兵士がいたね。

 つまりは公然と賄賂を受け取り、あろうことか俺に押し付けてきたってことよな。


「あれらは全て村々へと返却した。公則殿、そなたほどの身分であれば、民から過剰な接待を受ける危険性を解しないわけではありますまい。そなたの行動が袁家の姿と映ってしまうのですぞ」


「民の誠意を無下にするは、これもまた主家の威光を損ねることになると考えましてござる。あえて、某はあえて民の好意を一身に受けたまでですぞ。この郭公則、誓ってやましい心を以て接したわけではござらん」


 嘘くせー。

 まあ、それぞれの村には後で補填をするとしてだ。最大の問題はこれからだよ。


「公則殿、次の話題はそなたの首を賭けたものになります。なぜ、賊徒と行動を共にしておられたのですかな? そなたが賊徒に命乞いをしていたという情報は入っている。弁明があれば聞きましょう」


 こういう言い方もよろしくないが、効果的な伏兵と隘路での挟撃は並みの賊徒に出来る行為ではない。

 さらに言えば、森で遊撃戦をするか城に立て籠もるかの二択を取る公算が高かった。攻城兵器を素通りさせ、兵士を狙うのは明らかに策を用いた者がいる。


「お、脅されたのです! この郭公則、生きて情報を持ち帰ることこそ、袁家への忠誠につながると信じておりました。故にあえて稚拙な罠を提案し、若様に見破ってもらうことが目的でございました!」

「この野郎、賊に肩入れしたってことか。おう郭図、てめぇ生きてこの部屋から出られると思うなよ」


 当然のことながら、顔良が気色ばむ。隣にいるマオも、毛虫でも見ているような冷え切った目で郭図を睨んでいた。


「それで、どんな情報を持ち帰ってきたんですかな。公則殿、内容次第によっては……」


 ニヤリ、と郭図が嗤った気がした。

 こいつ、何か隠し玉を持っているのか。ここで糾弾し、俺の側近から外す予定だったのだが、もしかして俺の知らない何かがあるというのか。


 拱手をし、郭図は報告をする。


「ご報告申し上げます。この郭公則、賊徒の長である張燕の本拠を聞き出しましてございますぞ。敵の本拠は常山にあらず、河北最北部の晋陽しんようにあり」


 ぬかった。

 まさかガチの情報を掴んでいるとは思わなかった。

 

「すぐに斥候を飛ばせ! 晋陽を洗い出すんだ!」

 俺は控えている兵士を呼び、急いで情報の精査に取り掛かるのだった。

 

 おのれ郭図。いつかお前を更迭してやるからな。そのドヤ顔が続くとは思うなよ!

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