第24話 黒山賊討伐④ 覚悟は良いな?

 張郃ちょうこうの旗が敵軍の背後に翻る。

 俺も無策で凡戦を半日も続けていたわけじゃない。張郃には残った騎馬部隊を全て預け、敵軍の後背を脅かしてもらう算段だった。


 偽旗作戦、そして挟み撃ち。

 相手が賊徒であっても手を抜くわけにはいかない。一人でも多くの兵士を故郷に帰すのが、指揮官たる俺の務めなのだから。


「張将軍が敵の背面を取ったぞ! 全軍、意気を上げよ! 敵を残さず追討し撃滅するのだ。恩賞は思いのままだぞ!」

「うおおおおおっ!」

「やってやるぜええええっ!」


 恩賞をチラつかせると、兵士たちの目が変わる。まあ、どの時代も兵士の忠節は金があってのものだからな。

 既に勝ち戦、そして前後より圧殺しかかる陣形。これに賞金まで出すって言うんだから、人が変わってもしょうがないね。


「首だ、首をよこせ!」

「百人長を探し出せ! 恩賞は敵が上の階級ほど重いぞ! かかれ!」


 王当おうとうが率いていた賊軍が次々と討ち取られていく。馬から引きずり降ろされ、泣き叫んでも容赦なく殺害される。

 俺はこの光景を、あと何度見ればいいんだろうか。

 情けない考えが浮かぶが、戦乱の世において、この結末から目を背けるわけにはいかない。だから俺は見る。断末魔の悲鳴も記憶して、前へと進むのだ。


 顔良がんりょうの突破力はまさに鬼神ともいうべきだ。

 触れるもの全てを薙ぎ払い、敵の塊に突っ込んでいっては、バラバラに瓦解させる。彼が通った後には動くものは残されていない。

 付き従う兵士たちも一騎当千の猛者ぞろいだ。鐙のない馬上で、難なく槍を振るっては、敵の百人長や什長を屠っていく。


「はっはー! 行くぞ行くぞ行くぞ! 死にたい奴から前に出やがれ!」

 暴走機関車というネーミングがぴったりだろう。現世でトーマス君も泣いてるに違いない。


 後方にまで目は届かないが、明らかに敵の兵士数が減少している。

 張郃のことだ、隙無く堅実、それでいて苛烈な攻撃を仕掛けているのだろう。ましてや壊走している相手だ。赤子の手をひねるより容易いのかもしれない。


 既に王当は戦死しているが、彼の牙門旗は健在だった。

 賊徒なりの最後の抵抗のようだったが、時間の問題である。


 顔良の率いる一群が突撃を敢行したかと思ったら、旗はばたりと地に落ちた。

 完全勝利、と言えるのかな?


 ほぼ同数の兵力だったが、将の質で勝った。指揮官が俺っていうマイナスも、きちんと補ってくれて、喜びの嘆息をするばかりである。



 やがてそれぞれの将が俺のもとへと帰参してくる。


 顔良は身体中赤に染まり、そのまま魚拓でも取れそうなほどだ。

 張郃は逆に鎧に傷一つついていない。今しがた鄴から到着したと言われても信じられるほどに、整然としていた。

 呂威璜りょいこうはぼろっぼろになっている。担当していた右翼は、最終局面で敵が殺到してきたのだ。血路を開かんとする相手は骨が折れたかもしれん。


 だが、一つの悲報があった。

 中軍の増援として向かった袁春卿えんしゅんけいが、重傷を負ってしまった。

 従軍医師の見立てでは、これ以上の従軍は不可能だそうだ。斯様な場所で血族を失うわけにはいかないので、負傷兵と共にすぐに帰還させることにする。


「ううう、若……申し訳ござりませぬ。賊徒相手に後れを取るなど、袁家の面汚しです。どうかこの場でお斬りください」

「ならぬ。其方は袁家でも重要な将だ、打ち捨てるなど出来るはずもないだろう。どうか鄴で養生し、また袁家の力になってほしい」

「ご厚情、かたじけなく……」


 負傷兵を乗せた荷車を見送り、俺はうずうずとしている兵士たちに向かって勝鬨を上げる。


「我らの勝利だ! 天よ、ご照覧あれ。これぞ袁家の武威なり!」

「うおおおおおおおおっ!!」

「御大将万歳! 袁家に栄光あれ!」


 かつて項羽は少数の手勢で何度も劉邦に突撃していった。その時に天に向かって、我ら弱卒ではなしと吼えたという。

 彼ほど驕るつもりはさらさらないが、皆で掴んだ勝利は、きっと誰に対しても誇れるはずだ。


「よし、各将は軍をまとめ、北にある梅嘉村ばいかそんへと向かう。以前は賊と通じていた村だが、辛毗しんぴの手管によって我らに靡いている。そこで休息としよう」

「ハハッ」


 辛毗と陳琳ちんりんの檄文によって、多くの村が賊徒から離反した。

 そこに会戦での勝利である。これで説得が難しかった連中もこぞって降ってくるに違いない。

 ここまでは順調だ。しかしま黒山賊こくざんぞくの本隊が残っている。

 名将・張燕ちょうえんに指揮された、百戦錬磨の賊たちがどのように動くのか。警戒心は常に保ち続けなければならないだろう。


――梅嘉村ばいかそん

 陽が完全に落ち、闇が支配する世界になった。

 だがそこに、複数の光が灯っており、ある種の異様さを感じさせる。


 村の付近までくると、大きな篝火が燃えているのがわかった。まさか戦闘準備をしてるんじゃなかろうな。


 俺は不審に思い、斥候を出す。だがほどなくして安心した顔で戻って来た。


「若様にご報告申し上げます。村長一家よりご伝言。村を上げて袁家の軍を歓迎するとのこと、そのままお入りくださいと」

「ふむ……一部隊を先行させる。様子をさらに探ってまいれ」

「ハッ」


 俺が馬上で腕組みをして考えていると、深刻な顔をした郭図かくとが近寄ってきた。

「この村は危険ですぞ。顕奕けんえき様、この郭図、罠の匂いを感じまする。ゆめゆめ気をお許しにならぬよう」

 郭図は冠を正して先方の村を見やっている。その視線は非常に険しい。


 じゃあセーフゾーンだわ。

 こいつがあぶねえって言うことは、その逆が正解だ。村人たちに害意ナシ。ヨシ!

 俺の頭の中で、ヘルメットをかぶった猫がゴーサインを出した。


 念のため呂威璜を先に入村させ、周囲の制圧を図る。

 続いて俺も村へと進んだが、村人たちは一様に平伏してお出迎え状態だ。


「何かあったのか、呂将軍」

「いえ、袁家に背いたのが恐ろしいのでしょう。食料も村中から絞り出して供出してきたようです。いかがなさいますか」

「それを奪ってしまったら、村人たちが餓死してしまう。鄴からの兵站は高覧将軍が十分に担ってくれているので、もらう必要はない。そうだ、逆に料理を振舞ってやろう」


 恐らくは村長一同斬首を覚悟していたことだろう。この時代の命は軽い。

 だが彼らも賊徒と袁家の板挟みになっていた状態だ。苛烈に責めるのは民心を損なう行いだろう。


 まるで仙人のような長い白髭で、禿頭の爺さんが前に出る。

「私めが村長でございます。やむを得ずとはいえ、袁家に背きましたる罪はこの老人の首でお収めくださいますよう、伏してお願い申し上げまする」

 地に額をこすりつけ、老人はぶるぶると震えながらも嘆願をしてきた。そのような姿を、俺は放っておくことはできない。


「ご老人、安心めされよ。命の危機に際し、賊徒の命に従うのは苦渋の決断だったと推察する。今後袁家に忠誠を誓うことにより、前倒しで罪の帳消しとしよう」

「おおお……なんと、なんと寛大な……。貴方はまさか、袁家の……」

「袁本初が嫡子、袁顕奕だ。粗忽ものだが、村にいる間はよしなに頼む」


 ぼとぼとと滂沱の如く涙をこぼし、老人は俺の手を取った。

「どうぞ、どうぞこの村でお寛ぎくださいませ。高貴なお方よ、我らは終生袁家についてまいります」

「その気持ちはありがたい。では早速だが――」


 どうせなら、みんなでお祝いしちゃおうぜ作戦。

 見張りにブチ当たったをのぞき、兵士や村人に食料と酒を解放する。


「今宵は皆の力あっての振る舞いよ! さあ、存分に食べ、存分に飲め。今日は無礼講とする。さあ、どんどん行くぞ! 祝宴の開始だっ!!」

「おっしゃああああっ!」

「きたぜええええええっ!」


 従軍中に酒なんて飲めないからね。

 士気を維持するにも、適度なところで力を抜かなくてはならないと思う。

 まあ、郭図が言ってたからこの村は安全だろ理論が大きいが。


「さあ若様、我らの盃を受けてくださいよ!」

「おう、どんどん行くぞ。さあ肉も酒もうなるほどあるわ、いくらでも食べよ!」


 気のゆるみとも受け取られかねないが、こうして兵士たちと同じものを食べ、同じ酒を飲むのは、将として大切なことではなかろうか。

 

――


「不幸だッピ」


 夜風はすきっ腹に、とても堪えるものであった。

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