第13話 悪魔の妹よ、兄が正してやろう!

 朱色で塗られた欄干に背が当たる。妹、袁尚えんしょうは俺の手を掴んだままにじり寄ってくる。無言の圧がすさまじく、何か言おうと思っても口内でもごもご言葉が転がるだけであった。


「兄さん、思い出してみてください。私たち子供のころはいっつも一緒でしたよね。毎日毎日兄さんのお世話を、付きっ切りでしてあげましたよね?」


 ゾクリ、と悪寒が走る。なんだ、俺は何に怯えているんだ。

 本日初対面のはずのこの少女に対して、強く恐怖している体がある。これはまさか……袁煕としての記憶が残っているからなのか。

 南華老仙のパワーで転生してもなおぬぐい切れない何か。記憶の断片が悲鳴を上げるような疑惑の沼があるのかもしれない。


「しょ、顕甫ちゃん。その、俺は……」

「ちゃん? いつから兄さんは私にちゃん付けするようになったんですか。そんな立場でしたっけ?」

「えぇと……俺はどう呼んでいたっけか。すまぬ、少し前に体調を崩してな、あまり物事が思い出せんことがあるのだ」


 足がかっくかくに震えている。

 吼えている、この体が。今すぐ逃げろと轟き叫んでいる。


「ふぅん、そういうこと言うんですかぁ、兄さんは」

「お、おう……」


 俺の手を掴む袁尚の手が、そっと首元へとかかる。ふんわりと真綿で絞めるように、冷たい指で脈打つ動脈を撫でつける。


「兄さん、顔色悪いですよ? ふふ、怯えているんですか?」


 うん。


 なんかこいつ雰囲気やべーもん。

 しかも心なしか袁尚の呼吸が荒くなってきてるし。何も興奮を助長するような場面はなかったはずなんだが。


「今までの関係、誰かに喋っちゃったらまずいんじゃないかなって思うんです。袁家の長男が実の妹と……ね?」


 ド畜生やんけ。


「兄さんのその顔……。びくびくしながらも、好奇心を抑えきれなくて切ない目。ふふ、本当に可愛い。可愛くて可愛くて、思わずぎゅって握りつぶしたくなる」

「ひぇっ」

「あは、変な声。そうだよぉ、兄さんは私の言うことを絶対に聞かないといけないの。目をそらしちゃダメ。耳をふさいじゃダメ。反抗的な口もダメ。顕甫のことだけをずぅっと考えてないとダメなの」


 ぬるり、と舌が這う。袁尚のスモモのような瑞々しい匂いと共に、生暖かいものが俺の頬をなぞった。

 

「兄さん、頬に刀傷が出来てますね。あんなに綺麗な肌だったのに……これもきっと馬鹿な袁譚が無茶をさせたのですよね。それとも間抜けな郭公則のせいかしら。本当に罪深い……」

「いでっ!」


 袁尚は俺の右頬についた傷に爪を立て、ガリリとひっかいた。

 木製の床にぴとりと赤い鮮血が滴る。


「上書き……しないとだよね。兄さんの一番は私じゃなくちゃダメなの。心も体も、傷もね。この傷は顕甫がつけ直した傷だから、大事にしてね兄さん」

 指についた血を美味しそうに舐め、袁尚は酒に酔ったような上気した目を向ける。


「ねえ兄さん、ここで昔みたいにしよ? 覚えてないなんて言わせない、いつだって兄さんは顕甫のことだけを見てきたって知ってるんだから。誰が誰の所有物なのか、きちんと再教育しなくちゃね」

 目がガンギマリだよ。

 こんなアブねえやつに関わってられるか。いくら血を分けた兄妹でも、パパンが主催する宴席で、しかも正月におっぱじめるわけにはいかない。

 頭の中では、パトカーのランプが絶賛点滅中だ。


「兄さん、ほら……これを持って」

「何を……ん、なにこれ。革製の……乗馬鞭? え、何に使うのこれ」


 袁尚は俺の手を取り、そのまま薄暗がりへと誘う。行燈の灯が届かないギリギリの場所で、闇の中静かに下履きを脱いだ。


「はぁ、はぁ、兄さん。ほら、昔みたいに顕甫を……この雌犬のお尻をぶってっ」

 白い桃のような尻を突き出し、袁尚は期待を込めた艶声を塗りつけてくる。


「ちょま、え、鞭で? え、俺がやるの?」

「ふふ、そういうじらすところも好き。兄さん、ほら、昔みたいに嫌そうな顔をしてぶって。ゴミを見るような目で私のことを汚して……」


 アウトだよ馬鹿野郎。

 袁兄妹、ちょっとレベルが高すぎないか。こいつら昔からどんなプレイして楽しんでんだよ。魂の色が違いすぎて引くわ。


「や、俺は……そういうのはちょっと……」

「じゃあ!」

 がばっと前を向き、俺の両手を握る。


「あれしよ、あれ! 顕甫がいっちばん好きなアレ!」

「うん、ああ、アレ……なんだっけ。ははは……」

 やばいやばいやばい。早く逃げないと。こいつ元日からネジぶっ飛びすぎだわ。

 

 強引に手を振りほどこうとするが、びくともしない。なんだ、異常に力が強いぞ。

 袁尚は俺の手を自分の首に当て、そのまま締め始める。


「ああああ、しゅごいいいいいっ、兄さんの首絞め、さいこうううううううっ」

「あああああああ、やめろおおおおっ」

 阿鼻叫喚とはこのことだよ。


「おま、ちょ、やめえや。マジで泡拭いてるぞ」

「私のことはぁぁぁぁ、犬って呼んでくらはいっ。ぬぎぃっ」

 

 あ、ダメだ。こいつもう脳みそが腐海になってるわ。

 ん! そうだ、俺には奥の手があった。

 そうと決まれば、うなれチート。砕けろ現実。強力編集パワーアップセット、出番だぞ!


『ジャーン! ジャーン!』

 毎回銅鑼うるせえ! 早くしろ!


『あけて196年。河北の状況は袁一門の支配が強まっていた。北方の雄、公孫瓚こうそんさんは着々と広がる差に苛立ちを――』

 ナレーションいらねえよ! そんな機能付いてたのかよ!


姓:袁 えん

名:尚 しょう

字:顕甫 けんほ

年齢:15

相性:101


武力:73

統率:62

知力:42

政治:40

魅力:81


得意兵科:歩兵 騎兵

得意兵法:平地戦

固有戦法:首絞天昇


――

 最後のは戦法じゃないよねって一兆回は主張したい。たんなる性癖やんけ。

 まあいい、それよりも問題なのは武力だ。俺よりも20高い。こんなん檻の中で虎と戦うようなもんだろ。


 父である袁紹から下賜された金は既に5500ほど溜まっている。色々とイジれるとは思うのだが、どうすればいいのだろうか。


「にいさあああああああん! 出る、出ちゃううっ!!」

 やかましいわ! 叫ぶな、人が来る!

「あっ、もうっ……だめ、無理ぃっ」


 内股をがくがくと痙攣させ、袁尚は白目をむき始めた。

 こんなんが妹とか、もう終わりだよこの一族。


 猿轡でも噛ませたいが、柔らかい者が何もないので、先ほどの乗馬鞭を突っ込んだ。些か残虐プレイかと思ったが、袁尚はさらに痙攣を激しくし始めたので、もしかしたら喜んでいるのかもしれない。


「何か……変更できるものはないか……!」


『ジャーン! ジャーン! 実績:好感度100を達成しました!』

 嘘だと言えよ、編集君さぁ。

 三国志ってそういうゲームじゃねえから。くそ、まあいい。何が解除されるんだ?


『特殊編集:性癖変更が追加されました!! ジャーン! ジャーン!』


 なんだこの超限定的な機能は。

 神は俺に何をさせようとしているのか。


「あああ、兄さんにずっと……こうやって首絞めでトばせてほしかったのぉぉ! 顕甫を支配して! 誰がご主人様だから、顕甫の体に刻んでええええっ!」

 もう無理ぞ。

 華佗も吉平でも虞翻でも匙投げるわ、こんなん。


 ごくり、やるしか……ないのか。

「性癖編集……起動だ!」

『金4500を消費します。よろしいですか?』

「構わん、やれ。いや、やってくださいお願いします」


 ギィィという鋼の扉が開く音と共に、新たな編集画面が広がっていった。

 行くぞ袁尚。俺がお前を更生させてやる!

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