第10話 郭図、お前ほんま……

 俺の撤退命令を待っていたように、兵士たちは一糸乱れず退き始める。流石高覧こうらん将軍の麾下、よく訓練が行き届いているわ。


「うおおおっ、どけっ!」

 出合い頭にカチ合った赤槍党あかやりとうの雑兵を斬り、血路を開く。果たして何人が無事に本陣へ戻れるのか不明だが、将たるものが希望を捨ててはいけない。


顕奕けんえき様、こちらへ! まおについてきてください!」

 マオは閉所においても長物を自由自在に使っていた。持ち手の位置を工夫し、時には短剣のように、時には長柄の剣のように、熟練した動きを見せていた。


「怪我はないか、マオ」

「へっちゃらりんの、ぷーです! まおはこう見えても強いのですよ」

 マジで強いからビビる。

 襲ってきた賊徒を数合でたたき斬り、次々と撃破していく。これで武力60台なんだから、世の中狂ってるよな。


 砂塵と血煙の饗宴を抜け、俺は味方の旗が視認できる場所までやってきた。

 残念ながら半数の兵士は脱落してしまったようだ。俺が無計画に突入なんぞしたから、彼らは帰ってこれなかったと思うと慙愧の念に堪えない。


「止まれ、何者だ!」

 誰何の声に安堵したのは初めてかもしれない。

 身体中を包む黄色を基調としたカラーリング。まさしく袁家の兵士だ。


袁顕奕えんけんえきだ。村人に襲撃されたので至急高覧将軍とお会いして協議したい」

「おお、若様、なんというお姿に……さあ、どうぞこちらへ」


 警戒中だった兵士は、懐から笛を取り出してぴゅーと吹く。敵襲を知らせるものであり、人を呼ぶための道具でもある。


 やがて伍の組が五個集団現れ、皆一様に俺のボロカスな姿を見ては嘆きの声を上げた。

 後で言われて気づいたことなのだが、全身返り血で真っ赤であり、髪の毛はぼっさぼさ。目を異様に血走らせていたそうだ。

 こんなんが闇夜から出てきたら、そりゃ怖いよな。


「御大将、ご帰陣である! 鉄壁の守りを以て進軍せよ!」

 三個集団に守られ、俺は僅かな手勢と共に本陣へと戻る。俺の初陣は散々な結果に終わってしまったが、死者に誓うとするならば、今後このような手痛い失敗をおかさず、より多くの兵士を帰還させると約束するしかない。


 翻る『袁』の牙門旗。そして高覧の『高』、郭図かくとの『郭』の旗も健在だ。

 陣中に設置された帷幕に向かうと、高覧将軍が転げるように飛び出してきた。


「わ、若様! 敵の攻撃を受けられたとの報を聞きましたが……よくぞ、よくぞご無事で……! どうぞ天幕の中でお掛けになり、ゆるりとお休みくだされ。あとはこの高覧が逆賊どもを残らず討ち取って見せましょう」

「お役目ご苦労、将軍。私の無能な采配でお借りした兵を死なせてしまった。将軍に合わせる顔がない身だが、恥を忍んでお力をお借りしたく思う」


 高覧は直立不動になり、拱手こうしゅで深く頭を垂れる。


「若様の護衛を任されながら、斯様に危険な状況に陥らせてしまったこと、誠に申し訳ない限りでございます。どうか大将として鼎重く鎮座され、我ら武将に後始末をご用命くださいますよう」


 まあ戦童貞は引っ込んでろということだろう。大変申し訳ないが、このまま黙っているわけにもいかない。

 俺だって戦えるところをみせてやろうじゃないか。

 そう意気込んだところで、マオにそっと腕を押さえられた。


「顕奕様、大将には大将のお役目がきちんとあるのですよ。袁家の牙門旗を守り抜くことこそ、顕奕様に課せられた大切な使命でございます。どうか高覧将軍を信じてお待ちくださいですよ」

「マオ……そうか、そうだな。俺が誤っていた。血気に逸る一番首に成り下がるところだった。ありがとう」

「猫こそ出過ぎた口を差しはさみました。申し訳ございませんです」


 この悔しさは噛みしめるものだ。俺には全軍の長としての責任がある。

 何事も自分でやれる気になっていたのだが、今回は良い教訓となった。

 勝ったときは味方の将兵を慰労し、褒め、勝鬨を共にする。

 負けたときは首を差し出して、将兵の命を守る。

 大将の役目を勘違いしてはいけない。


「高覧将軍に命じる、敵は赤槍党の賊徒のみにあらず! この村の住人は韓馥軍の残党で構成されている。一人残さず討ち取れ!」

「ははっ、この高覧、必ずや勝利を顕奕様に奉じさせていただきます!」

「うむ、出撃せよ!」


――

 夜が明けた。


 その後の戦は一方的なものであった。

 いくら韓馥の臣とは言え、木製の粗末な農具しか持たない弱兵ばかり。赤槍党は陣立てすらままならない烏合の衆であった。

 地元のヤンキーと結託した半グレが、河北の特高警察に勝てるはずもない。


 およそ一時間程度で敵の抵抗は止み、残りは壊走していった。


 数珠つなぎに縄をうたれ、恨みがましい瞳で睨む下手人どもを、俺は焼き付けるように見送った。

 いつの日か、自分がその立場になるかもしれない。言い訳も泣き言も通じず、ただ首を斬られるのみ。乱世とはそういうものなのだろう。


「見事だ、高覧将軍。御父上もお喜びになるだろう」


「ありがたきお言葉でございます。付近の村々を襲った赤槍党なる賊徒が少数落ち延びました故、鄴からの援軍が到着し次第山狩りを行いまする。若様はお先に鄴にて吉報をお待ちくだされ」


「ならん。山狩りの終結までは俺が責を持たねばならん。なに、高覧将軍の采配に口を出す気はないぞ。ただこの任務は御父上より受けた大切なお役目である。責務を放棄するわけにはいかん」


「かしこまりました。万事この高覧にお任せくださいませ」


 全体的には確実に勝利したと言える戦いだ。だが俺はどうしても自分の失態が許せなかった。下手したらマオを失っていたかと思うと、如何に自分が甘えた環境で育ってきたかが分かる。


「顕奕様、お辛いお顔でございますよ。御味方の勝勢ですので、是非とも笑って将兵を見送ってあげてほしいのです」

「そんな渋面をしてたか……よし、ニカっと笑うか!」


 現代ではゲームの数値でしか見てこなかった武将たち。彼らはきっと胃が焼けるような思いをしても、こうして笑顔を無理に作ったのだろう。本当に頭が下がる。


「若様、山以外のすべての敵地を制圧致しました。勝鬨の音頭をお願いいたします」

「うむ。勇猛にして高潔な袁家の兵たちよ! 此度の戦、我らの勝利だ。勝鬨を上げよ! えいえいおぅっ!」

「えいえいおぅっ!!」


 両手を天頂へと突き出し、満身の力を込めて拳を握る。

 血も涙も汗も、後悔も全て握り締める。それこそが将。それこそが袁顕奕としての生だ。


「やや、若様。勝鬨でございまするか。この郭図もお側でお祝いいたしますぞ!」


 だから思わずニヤニヤ顔で近寄ってきた郭図をぶん殴ったのは、決して非難される行いではなかったと言い張りたい。


「てめえ! よくも顔を出せたなこの野郎! 今まで何してやがった!」

「お、落ち着いてくださいませ若! 郭公則殿は今まで……今まで後ろで……えぇ、何をしてたんでしょうか」


 止めに入った高覧も怪訝な顔をして首を傾げた。


「そ、某は後方で博打……いや警備を行っておりましたぞ! 蟻一匹通さぬ、鉄壁の守り。それこそが郭公則の布陣なれば……」

「先陣がめちゃくそ戦ってるのに、援軍よこさねえとはどういうことだ、このチョビヒゲ! しかもお前がだまくらかした韓馥の手勢が相手だったんだぞ。ちょっと顔貸せや!」


 俺と郭図が武力50台の幼稚な喧嘩をしているのを、武力80の高覧将軍に止められた。クソが、この疫病神が軍師とは先行き不安だよ、まったく。


「まあいい、公則殿、ぎょうからの兵を待って山狩りへと移行する。高覧将軍と情報共有しておいてくれ」

「か、かしこまりましたぞ。では早速兵士を集め、突撃を……」

「二秒前の俺の発言忘れんな! 援軍が来てからだ!」


 こんなん血圧上がって死ぬわ。

 袁紹の死因って、実は郭図のアホな行為が原因じゃなかろうか。

 歴史の闇の深さに恐怖を覚えつつ、俺たちは残敵掃討の作戦を練るのであった。

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