第9話 敵中突破

 清螢村しんけいそんの各地に火の手が上がる。

 俺たちは村の北部に方円陣を敷き、賊徒である赤槍党あかやりとうの突撃に備えた。


高覧こうらん将軍、本陣の指揮を任せてもよいか?」

「構いませんが、若様、どちらへ?」

「逃げ遅れた村人を救う。伍の組を三つ借りていくぞ」


 伍の組とは言葉通り、戦場で動く五人組のことだ。中華では基本的に5の倍数で部隊を運営していく。


「公則殿は後方への注意を。敵の援軍が出たら部隊を率いて討て」

「ははあっ。この郭公則、必ずやお役に立って見せまする」


 智謀の臣に直接兵士を率いて戦えというのは不思議に思う人もいるだろう。

 だが郭図かくとは逆神ではあるが、袁家三都督の一人であったのだ。部隊を牽引して交戦するなど、十分やってのけるだろう。


「マオ、準備はいいか? 俺たちは村人を救いに行く!」

「合点承知ですよ! まおにお任せください!」


 村々には残骸が多く放置されており、長物を取りまわすには不向きな戦場だ。達人になれば周囲を利用して上手く戦えるのだろうが、少なくとも今の俺には無理だった。


「若様、前方より敵接近。その数20名! お下知を!」

 こちらは俺とマオを合わせて17名。本来であれば戦うべきではない。しかしここは袁家が庇護するべき村である。領民に背を向けて逃亡するのは今後の統治に関わってくる大問題となろう。


 俺は何度も訓練で振ったはずの剣を握りなおし、噴き出る汗をぬぐう。

 この一戦で何かが変わる。それはもう、現代人の俺には引き返せないほどの経験となるだろう。


 顔・顔・顔。相手は生きている人間で、俺が指揮する兵も家族がいる。

 斬り抜けろ、袁煕えんき。これは乱世で生きるための試金石だ。


「各員戦闘準備。敵を殲滅せよ」

「応っ!」


 キョエエエ、と猿叫えんきょうをまき散らしながら、赤い布で頭を覆った一団が突進してきた。誰もが手に粗末な槍を持ち、目をぎらつかせて押し寄せてくる。


「んんんんん、一番槍ぃっ! 死ねや袁家のボンボンどもっ!」

「抜かせ、賊徒め。屍を晒すのは貴様らだ!」


 そこかしこで戦闘が始まる。

 マオは二名を相手にしているようだが、苦戦している様子ではない。


「へっへっへ、俺ぁツイてるぜ。アンタいいとこのお坊ちゃんだろ? もしかして総大将だったりしてな。こりゃたんまり身代金が取れそうだぜ」

「や、やれるものならやってみよ。生半可な腕前で俺の前に立つと後悔するぞ」


 はい、どう考えても俺の方が生半可です。

 でも脅すしかできねえんだよなぁ。口喧嘩も合戦の一つだし、オラついて相手を威圧するのも戦法だ。


「へっ、足がブルってる癖によう言うわ。だったらここで手足の一本でももぎ取ってやるからよおっ!」


 突きが来る。

 それは間違いなく俺を害する意思のあるものだ。日頃スマホをポチポチいじってる日本人だったら、反応さえ出来ずに死ぬ一撃だろう。


 だが、遅い。

 俺は剣で相手の穂先を切り落とし、そのまま首へ――。


『迷ってはなりませぬぞ、顕奕様。貴方はお優しい。統治においては美徳ですが、戦場では悪手となるでしょう。敵の隙は逃してはいけません」


 呂曠りょこうがそう言っていた。

 だから迷わない。この時代で生きると誓った俺の、渾身の決意を見せてやる。


「えっ?」

 敵兵はとても間抜けな声を上げた。

 片手剣は赤槍党の賊の首を深く斬り、直垂ひたたれにかかるほどの鮮血をまき散らした。


 むっと香る濃厚な血の匂いに、思わず吐きそうになる。だが食いしばらなければならない。俺は将だ。兵士に情けない姿を見せるわけには、断じていかない。


「次はどいつだ! かかってこい!」

 これが巷で聞くコンバット・ハイってやつなのかもしれない。


 一人、もう一人と斬り伏せ、気がついたときには賊徒の一群を全員討ち取っていた。やったか……?


「はぁ、はぁ……こちらの損害は?」

「怪我人が数名おりますが、問題なく戦えます。若様、お見事でした」

「死人がいなくて何よりだよ。よし、このまま村人を救うぞ!」

「はっ!」


 考えるな。

 今は己の使命を果たすときだ。

 そんな俺の顔に気づいたのか、マオは優しい瞳でこちらを覗いていた。


「大丈夫だマオ。俺は戦える」

 大見栄も大見栄だが、しゃーない。もう引き返せんしな。


 俺たちは雄叫びを上げながら、村人たちの行方を探し続けた。


――

 村の中心部にある半分瓦礫になった集会所に、村人たちは農具を手にして集まっていた。幸いにして周囲に賊徒どもはいない。

 今のうちに北の防御陣まで連れて行くとしよう。


「ご無事ですか、村長!」

「おお、おおおお……これは袁家の皆様……お力添え、何と感謝を申し上げてよいやら」

「お気になさらず。ここは危険ですので、我らと共に村の北までご同道願いたい」

「左様でございまするか。時にお武家様、お連れの兵士の皆さまは大丈夫でしょうか。見たところ20もいないようですが……」


 数は少ないが、高覧将軍より借りた精兵だ。よほどの数で押されなければ十分戦えるだろう。

 それにこの村は障害物が多い。敵を誘引し、一対一に持ち込むことも不可能ではない。


「これで全員だ。さあ、こちらへ」

「聞いたな皆の衆。!」


 村長が叫ぶや否や、気圧されるほどの殺気を纏って村人たちが襲ってきた。

 誰もが反応に遅れる。無理もない、護衛すべき対象として見ていた村人たちが、急に牙をむいたのだから。


「な、何をっ!?」

「我ら積年の恨み、とくと思い知るがいい!」


 動揺しつつも、即席の方陣を敷く。仕方なく数名を斬り伏せるが、多勢に無勢、徐々に倒れる者もあらわれた。


「一体袁家が何をしたというのだ! そこまでの恨みとはなんだ!」

「この村は懊悩の末に亡くなられた韓馥かんふく様の遺臣が集う場所。赤槍党は貴様らをおびき寄せる罠よ」


 韓馥……だと。

 確か袁紹が権力をはく奪した君主だ。優柔不断で小心者、その上に戦のセンスもないと来ているので、乱世を生き残ることはできなかっただろう。だが、仕えていた臣にとっては恨み骨髄に違いない。


「……忠勲大儀である。しからばこの袁顕奕が黄泉への道へといざなって進ぜよう」

「ほざけ。地獄で鬼に責められるは貴様よ! 者ども、奴を討ち取れ!」


 村長の合図とともに、左右から赤い被り物をした集団が現れる。

 くそ、反包囲されたか。どうする、どうすればいい?


『時には犠牲を覚悟して、血路を開くのも将の務めですぞ。顕奕様はお優しいので最後までとどまろうとするでしょう。ですが貴方が先に離脱することにより、残った者たちも退却へと意識が向くのです』


 呂翔りょしょうはそんなことを言っていたな。


 ならば迷いなし。高覧・郭図と合流してこの村を潰す。


「全員紡錘陣形! 後方一点突破し、本陣へと退却する。続け!」

「応ッ!」


 なんて初陣だよ、まったく。

 って今気づいたわ。


 韓馥を強請って、冀州きしゅうを強奪した主犯は郭図じゃねえか!


 あのクソ野郎、生きて戻ったら絶対に泣かす。

 俺は歯噛みしながらも、懸命に退却戦を続けるのだった。

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