第3話 ごきげんようお姉さま
部屋で一人寝転んでいると、再び鈴猫が俺のもとにやってきた。
「失礼いたします、
「や、大丈夫だ。ちょっと一仕事をしたんだが、疲れてしまってね。それで何か火急の要件でもあるのかな?」
「ややや、これは粗相をいたしました」
拱手をし、マオは俺に告げる。
「顕奕様を見舞うと、姉君様の
「……姉君? マジで?」
「まじ……とは。顕思様はご長女様で、顕奕様を溺愛しておいでですが」
ちょっと確認したい。
「マオ、袁家の長男は誰だっけ」
「?? 顕奕様お一人ですが、何かございましたか?」
真顔で聞き返されてしまった。
どうも歴史が書き換えられたらしい。
顕思様—―つまりは史実で言うところの兄、袁譚だ。
マオがこんな状況で冗談を言うとは思えない。ということはガチで性転換しちまったのか? あの袁譚だぞ。サルとゴリラのハーフみたいな残念武将が、姉……だと。
でもすまん。めっちゃ興味あるわ。
ほぼほぼ他人だしな、恐怖もあるが是非会ってみたい。
「そ、そうか。姉上にはお見舞い有難く頂戴すると伝えてほしい。部屋を清め、香を焚いて失礼の無いようにな」
「委細
うーん元気っ子だ。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。マオが連れてきた侍女によって、衣服を正し、部屋を整えて袁譚の到来を待つことにした。
◇
ドカドカ、という荒い足音が近寄ってきた。
「おい、顕奕は生きてんだろうな! オレの可愛い弟がくたばったら、お前ら全員なで斬りにしてやるぞ!」
ガラ悪いセリフが聞こえてくる。だが声は確かに女性のものだ。
どんだけやべーのが来るんだよ。こう、茨城とか神奈川に棲息しているヤンキーみたいのが顔を出すんじゃなかろうか。
史実だと袁煕の3歳年上の兄なのだが、さて……。
「顕奕、無事か。お姉ちゃんが来てやったぞ! さあ、顔を見せてくれ!」
ドカンと扉が開き、大柄の女性が姿を現した。
ウェーブのかかった黒いミディアムヘアは、半分目にかかっている。黒い黒曜石のような瞳は、真っすぐに俺を射抜いていた。
目がぱっちりとした、彫りの深い美人だ。これが袁譚とか言われても信じる人いないでしょ。
そしてデカイ。胸囲だけで言えば呂布並みだ。
腰はぎゅっと引き締まり、お尻がドンと突き出ている。アジアンビューティーってのはこういう人のことを言うのだろうか。
「顕奕、どうした。おーい、顕奕。お、お姉ちゃんが来たんだぞ、何か言ってくれよぅ」
「あ、これは失礼しました姉上。袁顕奕、この度は父上のご帰還祝いに向かうことができず、大変な無礼を致しました。ですのに、姉上に斯様な厚遇をいただけるとは望外の喜びでございます」
きちんと三国志っぽく礼を尽くしてみたが、いかがだろうか。
袁譚はなんか頭をモジャモジャとかいている。なんか照れくさそうに、顔を紅潮させ――。
いきなり熱烈なハグを敢行してきた。これは孔明ならぬ乳明の罠か!?
「顕奕っ! お姉ちゃんは心配したんだぞ! それなのにお前と来たら、身内に仰々しく喋りやがって。いつもどおり顕思姉ちゃんって呼んでくれよ」
「あっはい。ええと、顕思姉さま」
「姉ちゃん!」
「顕思姉ちゃん。ありがとうございます」
むぎゅうと体を絞めつけられる。
袁譚姉ちゃんは渾身の力を出しているようだが、あんまり痛くない理由は二つだろう。即ち、武力不足と乳力無双のおかげだ。
当然この時代にブラなんぞあるわけがない。なのでほぼほぼナマの感覚がダイレクトに伝わってくる。
姉弟の微笑ましい抱擁に、袁煕の子息がコンニチワしそうなので、急いで体を引き離すことにした。
「お戯れを、姉上。この顕奕、もう立派な大人でございますよ」
「だ、だからさ……姉ちゃんって呼べよ……」
あ、ダメだこの人。伊達に親愛武将に設定されてるわけじゃねえわ。
ブラコン気質がバッキバキに強調されていて、離れてもくっついてくる。
ホーミングおっぱいとか、俺得でしかないんだが、そういう状況じゃない。
「お姉ちゃん、父上はご壮健でしたか。この通りまだ体が治っておりませぬので、ご挨拶に伺えないのが恐縮なのですが」
「あー親父はいつも通りピンピンしてるよ。公孫のイナゴどもがチョロチョロしてやがるが、大抵は現地住民に捕まって殺されてるしな。名族の威光を舐めんなって話だぜ」
そのいつも通りがわからんのだが、とりあえず不測の事態にはなっていないようで一安心だ。
ルートは2つ。
袁紹にはなるべく長生きしてもらうこと、もしくは袁兄弟仲良しこよし計画だ。
そのためには何としても家族の絆を強める必要がある。
体を強引に引きはがして、着ている
「お姉ちゃん、時に聞きますが、
バキン、と文机の角が切断された。
「オレの前で、顕甫の話をするんじゃねえ。あのクソ妹なんぞ家族でも何でもねえよ。ツラだけは一丁前にしてるが、中身は腹黒の汚泥だぞ」
うーん、拒否反応がえぐい。
名前出しただけで机ぶった斬るとか、脳みそバーサーカーで草も生えませんよ。
これは相当に骨が折れるな。もしくは金1000を親父殿に無心してみるとか……。
「いえ、失礼しましたお姉ちゃん。ですが三姉弟が喧嘩をしていると、公孫瓚や南方の曹操に隙を狙われるのではと危惧しております。出来ましたら歩み寄りが出来ますよう、この顕奕もお手伝いしたく思うのですが」
「クソ妹との決着はオレの仕事だ。可愛い顕奕が心配しなくても、いつか門の前に首を晒してやるから、安心して待ってるんだぞ」
あんたは鎌倉武士か。それか島津武者かね。
まあ古代の死生観なんぞ、生きてるだけで超絶幸運っていう世界だからな。
俺は気が遠くなるのを感じたが、少なくとも姉には可愛がられているということで一安心することはできた。
「おう、そういえば父上が言ってたが、参謀の公則殿が探し回っていたぞ。まあ、オレからの推挙だからな。ははは、あやつめ張り切っていたから、今度一席設けて労ってやれよな」
「承知しました。お姉ちゃん、今日は来てくれて心強く思いました。是非とも姉弟力を合わせて乱世を乗り切りましょうぞ」
「長く熱に浮かされたと聞いていたが、顕奕が無事でよかったよ。お姉ちゃんは今から軍に顔を出してくる予定があるからこれで行くけどよ、他にも必要なものがあったら、お姉ちゃんを頼るんだぞ、いいな!?」
姉への拱手で礼を終え、嵐のような面会時間が過ぎ去った。
もう自陣に取り込もうと見え見えの行動そしているのが、なんとも残念なところだ。結局のところ、まだ一族滅亡の危機はこれっぽっちも去ってはいないらしい。
「マオ、いるかい?」
「はい、いつでも顕奕様のお側に猫はおりますですよ!」
「今から先触れを出すから、是非ともあってみたい人物が出来た。準備を頼む」
転生の特典だろうか、読み書きには不自由していない。
離れている心を一つにまとめるには、この世界の知識が圧倒的に足りてない。
ゲームでは読みとることが出来なかった、各種貴重な書物を手に入れ、その写本を使って勉強をしなくてはならない。
「素直に武将に頼ろう。人材は喧嘩さえしなければ十分の駒は揃っているはずだしな。内政の力、ここで上げ切ってしまうぞ!」
◇
「顕奕の様子がおかしい……あれはまるで人が変わったような……」
袁譚がつぶやいた言葉を、側にいる男は聞き逃さなかった。
「何かご懸念でもおありでしたかな」
「おー、公則か。まあなんていうのかな、顕奕のやつ、妙に大人ぶりやがってよ。昔は何をするにもお姉ちゃーんって鼻水垂らせて抱きついてきてたのにな。それがちっと寂しかったのかもしれん」
遠い目をしたのを公則は見逃さなかった。袁譚はじきに青州刺史となる。だが現地の北海には孔融が陣取っていて、それを排除しなければならない。
長い闘いになるかもしれないので、愛する栄養素……弟を摂取しに来たのだろうと。
だが、何かが袁譚の心に渦巻いているものがあるのではと推察した。
「なあ公則。オレに万が一のことがあれば――」
「はい、郭公則、粉骨砕身顕奕様にお仕えさせていただきます」
「ああ、頼んだぞ」
拱手で見送る男の名は、郭図という。
後の世に、袁家崩壊の大戦犯として記録に残されるものだった。
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