私の、好きなこと

しらす丼

私の、好きなこと

 応募していた新人賞の一次通過作品が、本日発売の文芸雑誌にて発表されることになっていた。


 私は購入してきた雑誌の一次通過者が載っているページを開くと、隅々まで、それはもう舐めるように見つめた。


 しかし、どこをどう探しても、そこに私の名前は見当たらない。


 ――落選。つまり、そういうことらしい。






 自室のベッドに横たわり、左腕で視界を覆う。そうやって光を遮ることで、少しでも現実から目を背けたかったのかもしれない。


「今回も一次通過ならず、か……」


 結果の発表を見た後からなんとなく全身が重く、目には見えない何かが纏わりついているような感覚があった。


 この感覚は何なのだろう――。

 ふとそんなことを考えてみる。しかしすぐに面倒になって、その思考を手放した。


 はぁ、とふいに大きなため息が漏れる。


「自分のベストを尽くしたつもりだったのに」


 新人賞に応募していた作品は、男子高校生の青春を描いた、どこにでもある王道の物語。


 そしてそれは、私じゃなくたって書けるような単純なお話だった。


「少しは自信、あったんだけどな」


 溢れ出た言葉は空気中を漂い、そのままどこかへ雲散していく。


 誰にでも書けるような物語にしたことは間違いだったのではないか。

 いや。そもそも、あれはちゃんと物語になっていたのだろうか。


 そんな問いを繰り返しているうちに、とある一文が頭をよぎっていった。


 ――公募の一次を通過できない作品は、小説未満のものである。


 それは以前、どこかの文芸雑誌で目にした言葉だった。


「未満。私の書く物語は、小説未満……」


 口にした途端、その言葉は刃物となり、私の腹を、胸を容赦なく切り裂いていく。


 痛くて痛くてたまらないよ。

 誰か助けて、なんとかしてよ。


 けれど、今の私が誰かに助けを求めることなんて許されないだろうと思った。


 私は呆然と、あたりに飛び散る赤を見つめる。それは絵筆を振り回してできた跡みたいだった。


「そうだよね。これは、ぜんぶ自業自得なんだ」


 誰にともなく私は、そう呟く。


 そう。本当は分かっていたのだ。自分の力量なんて、痛いほどに。


 しかし、分かっていながらもずっと目を瞑り、投稿サイトで良い反応をもらっていたから『私なら』と調子に乗っていたのだ。


「もう、やめようかな……」


 物語を書き始めて、もうすぐ三年になる。

 しかし、始めた当初から成長をしていないのではないか、むしろ退化しているのではないかと私は思うようになっていた。


 周囲の人たちが次々に受賞や書籍化を決めていく中で、自分だけが取り残されているような気持ちだった。


 才能のない人間がいくら頑張ろうと、どうせ橋にも棒にも引っかからないのだろうと。


「なんで私、小説を書こうと思ったんだっけ」


 たった三年前のことなのに、私はそんなことも思い出せない。


 ただ、始めた頃はもっと違う気持ちを持っていたことだけは覚えていた。


「頭の中にしかなかった世界の子供たちが、文章の中で生き生きとすることがたまらなく嬉しかったんだよね」


 でも。今はもう、そのことだけを思えない。


 プロになりたいと思うようになってから、その気持ちに蓋をするようになったのかもしれなかった。


「ねえ。いま、小説を書いていて楽しい?」


 自分からのその問いに、私は答えられない。


 言葉の糸がこんがらがって、口にしようとしても紡ぎ出すことができないからだった。


「やっぱり、楽しくないのかな……」


 鼻の奥がツンとした。目頭が熱くなって、耳に温かいものが流れ落ちる。


 どうして私は、泣いているのだろう。


 苦しい。つらい。

 でも、その感情の理由は何?


 わからない。

 けれど、小説が書きたくないというわけではないことなのはわかる。


 書きたいけれど、書けない。

 たぶん、そんな今の自分が苦しいんだ。


 こんなにも書きたい想いがあっても、自分はまだ書けていない。


 次第に大きくなる嗚咽。私は周囲を気にかけることなく、涙を流し続けた。


 誰にもこの声や想いが届かないことはわかっていながらも、今の私はそうせずにはいられない。


 いっそこのまま逃げ出せたら、ぜんぶ楽になるんじゃないかな――


 そんな弱音を吐きかけた時、好きなバンドの曲の歌詞が、ふと頭に浮かぶ。


 ――『まだやれるんだろ? いこうぜ』


 自分の敵は自分自身なのだと、諦めずに立ち上がれと。そう教えてくれる曲だった。


「そうだよ。私だって……まだ、やれる。こんなところで、諦めたくない」


 涙を拭い、身体を起こした。


 開きっぱなしのノートパソコンに向かって、私は手を動かす。


 一次で落選した私と今の私は変わらない。

 けれど、身体を包み込んでいた重くて目には見えない何かはもうなくなっていた。






 結果がすぐに出なくとも、やめる必要なんてない。


 後から悔いる人生にしないよう、これからも私は続けよう。


 小説を書く。

 それが――私の、好きなことだから。



(了)

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私の、好きなこと しらす丼 @sirasuDON20201220

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