第9話
幸い、上地さんはまだ帰ってはいなかった。
クラスから少し離れた廊下の窓から外を覗き、涼んでいる様子が目に入った。僕たちのクラスは建物の中でも階数の高いところに位置しているため外からの景色は絶景だ。それに今は、夕日が西に沈む瞬間であり、幻想的な赤と紫の空が地球を包み込んでいる。
「八神くん……何か用かしら?」
上地さんは僕の存在に気づくと顔をこちらに向ける。
表情にはやや曇りが見える。今このタイミングであまり来られたくはなかったようだ。
「ちょっと上地さんが気にかかったから。ここから見る景色は最高だね」
「ええ。気分が冴えない時はこうしていつもここからの景色を見ているの」
「どうしてだ?」
「いい景色は『ストレス軽減とリラックス効果』がある。副交感神経が優位に働くのよ」
「なるほど。ちゃんと科学的に考えて行動しているんだね」
「当たり前じゃない。これまで接してきた通り、私は科学と技術に特化した人間なの。無意味な事はしないわ」
「そうだね。隣に行ってもいい? 僕も涼みたくなったから」
「……いいわ」
上地さんはやや抵抗感を持ちつつも承諾してくれた。お礼を述べつつ、彼女の横につく。窓から注ぐ風がダイレクトに当たり、全身に冷たい空気が行き渡る。窓から見える街並みは遠くまで広がっていた。地平線の向こうに消える街は僕たちの住んでいる街が丸いことを証明してくれる。今度から僕もここを愛用しよう。
「ねえ、せっかく場所を少し譲ってあげたのだから、私の質問に答えてもらってもいい?」
「僕が答えられることなら」
「あなたはどうして姫薙さんと一緒に行動しているの?」
「どうしてと言われると難しいな。小さい頃から一緒にいたからとしか」
「それだけ?」
「うん。それだけかな。ほんとこれに関しては僕にも分からない」
「非論理的ね。八神くんは私側の人間だと思っていたけれど、そうでもないみたいね」
「僕が上地さん側?」
「ええ。あなたは論理的な人間だと思っていた。組み立てると言うよりは解体する方かしら。毎回、誰かの言動に対して、理由を深掘りする。まるでソクラテスのようにね」
「天城さんにもソクラテスって言われたな。論理的と言うよりかはただ単純に興味があって聞いているに過ぎないんだけど。その人がどう思って行動しているのか。その人は何に突き動かされているのか。それに興味があるんだ」
「変な人ね」
「上地さんは人には興味なさそうだね」
「ええ、大多数の人間には興味がないわ。興味があるとすれば、優秀とされる人間くらいなものね。彼らの導き出す崇高な理論には私自身驚かされてばかりよ」
「ここにいる生徒はそうでもない?」
「そうね。全くもって非論理的だもの。ロボットを相手にしているほうがまだマシよ。彼らはちゃんとした理由のもと行動をしているからね」
「人間も案外論理的だと思うけどね。さっきの葛西だって、自分の納得いく物を完成させるために上地さんに訴えかけた」
「襟を掴んで怒鳴りつけることで?」
「怒ったのは、自分が傷つけられることに対する抵抗だよ。きっと彼の中でもわかっていることだったんだと思う。それを誰かに面と向かって言われて腹が立ったんだよ。ほら、自虐は気にならないけど、他人に馬鹿にされると腹がたつみたいな」
「……私は自虐はしないけど」
「まあ、そう言う人もいるだろうね。上地さんが自虐を言う姿は想像できないや」
試しに想像してみようとするが、普段見る彼女のキャラとはかけ離れていた。自虐をする時は照れなどの感情を出すが、上地さんに照れは似合わない。
「ほんと私には全くもって理解できないわね。論理的とはいえ、飛躍し過ぎているわ。最終的には力でねじ伏せようとしているじゃない。議論になっていない」
「人を相手にする際はよくあることだね。身体的にも精神的にも『力』は強い。だからこそ、みんな起用したがる」
だから僕は力を磨いた。彼らがたどり着く終着点が『力』であるというのは、あまり面白くないから。先にその道を潰すことで、人が、人のみが見せる新たな終着点を見ることができるかもしれないから。
「……あなたも姫薙さんもたまにすごく怖い時がある。幼児組は皆そうなの?」
上地さんは僕を見ながら恐る恐ると口にする。僕もまた彼女を見ると今度は空を見上げた。
「さあ。僕はそんなこと思わない。ただ、たまに欲望に忠実になることがあるだけだよ」
「……前言撤回。あなたは私側の人間じゃないわね。今の話を聞く限り、論理的じゃないもの」
「そうだね。僕は人だから、人としての道を突き進みたい」
「私はそうじゃないと?」
「さあ。ただ、論理だけの人間を僕はあまり面白いと感じないから。かなり頭が切れていない限り、予想しやすいから」
「……なら、かなり頭が切れる人間になるだけの話よ」
あくまで上地さんは自分の信じた道で自分を高めようとするらしい。でも、それはかなりの苦難になるだろう。頭の切れは遺伝的な影響が大きい。環境で変えられないとはいえないが、苦痛を強いられるのは言うまでもないだろう。
「そうなると、早速それを試す番だよ。残り二週間、進捗が芳しくなければ、全員の士気も下がっている状態だ。これをどう乗り越えようか?」
「そうね……」
上地さんは視線を下に向ける。地面を覗くと言うよりは、自分の内を覗いているのだろう。今から巻き返しを図れる案を彼女なりに頭の中で描いている。
「この後はまだ時間あるかしら?」
「僕はいつでも空いてるよ。特にやる事はないからね」
「ありがとう。休憩は終わりよ。続きを始めよう。時間はあまり残されていないのだから」
そう言って、上地さんは颯爽と教室へと足を運んでいった。どうやら、やる気になってくれたみたいだ。僕はうっすらと笑みを浮かべて、彼女の背中を追いかけた。
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