第8話

 二週間の時が過ぎた。


「ねえ、見て。これが私のサインだ!」


 隣にいる人愛が紙に書いた自分のサインを僕に見せてくる。TOAと言う文字を縦に並べ、Tの縦棒をOの中に入れている。さらに、Tの頭部分からは触覚のような二本の髭が生やされていた。見た感じ、不気味なサインだ。


「これはどう言う意味?」

「このTの縦棒は『指』を表しているの。そして、Oは『指輪』を表す。やっぱり、人の愛が感じられる時は、指輪を嵌める時よね」

「Aは何の役目があるの?」

「愛のAよ」


 随分と強引な解釈だな。まあ、人愛らしいといえば、人愛らしい。


「この触覚は何?」

「触覚じゃない。祈りの手よ! 牧師さんとかが祈るじゃん」

「ウェディングをイメージしているんだね」

「そう言うこと」

「いいんじゃないか」


 二人で話していると隣の天城さんが話に入ってきた。僕の肩に手をのせ、体をくっつける。天城さんに褒められ、人愛は満足げな笑みを浮かべる。


「本当に!?」

「ああ。その文字はさらにもう一つの解釈ができそうだ。男女の性器を束ね合わせている描写。そして、Aは赤ちゃんのAと言ったところか。それもまた、人の愛と言うものだ」

「この触覚は?」

「子宮を表しているんじゃないか?」

「かーー」


 天城さんと僕のやりとりに人愛は思わず顔を赤める。自分でも意図していなかった卑猥な意味にとてつもないほどの羞恥心を覚えたのだろう。僕はあえて触れなかったが、天城さんは突っ込んでしまったみたいだ。


「書き直す……」


 人愛は自分の机に向かいなおると、先ほどの元気を失って大人しくペンを走らせた。

 実際にチェキに書いて、誤解を生むようなサインが多数発行されなくて良かったと捉えよう。一応、文化祭まではまだ二週間あるのだ。焦る必要はない。


「それで、八神くんはどんなサインを書いたんだ」

「こんな感じ」


 僕は天城さんにサインを見せる。黒文字で綺麗に『八神 結友』と書いてある。


「これは、サインというよりは署名だな」

「名前は覚えてもらいやすいかなと思って」

「まあ、私には関係ないことだから君がそれでいいなら、特に何も言うまい。そういえば、アカウントのフォロワー数、600人を突破したよ」


 天城さんはそう言って、スマホの画面を僕たちに見せる。画面には作成した文化祭専用のアカウントが記されており、フォロワーは603人となっていた。


「おー、いいね。いいね!」


 僕よりも先に人愛が反応する。さっきまでのおとなしさとは打って変わって、瞳を光らせながらワクワクした様子で画面を覗いていた。600人ならば、かなりの集客が見込める。むしろ一日では足りないくらいだ。


「まだ始まっていないのにこの人数ならば、行列ができる予感。さらに、その行列と私のメイド姿を利用すれば、もっともっと人を集められそうな気がする。今に楽しみだね!」

「うん。そうだね」


 と言いたいところだが……


「何だ、もう一度言ってみろ!!」


 不意にクラスに響く怒号。僕たちは思わず、声の主へと目をやった。見ると、男子生徒一人が上地さんの襟を掴んで、怒りの表情を浮かべていた。

 葛西 透(かさい とおる)。彼は確か、服飾係の担当だったはずだ。上地さんの推薦でなったところから、服飾に関しての才能はピカイチであろう。


 葛西の見せる言動とは反対に上地さんはいつもと同じように冷静な表情で彼を見る。


「何度でも言うわ。もしあなたがプロになりたいと思うのなら、費用も納期もちゃんと守るべきよ。自分の下手なプライドでそこを守れないようであれば、あなたはプロには向いていないわ」

「てめー!」


 上地さんの言葉に葛西は思わず拳を握った。


「ちょっと待って!」


 すると、いつの間にか隣にいたはずの人愛はいなくなっており、二人の仲裁に入っていた。こう言った人間トラブルへの対応力に人愛は人一倍長けている。


「まずは、女の子の襟は掴んじゃダメ!」


 人愛はそう言うと、葛西の襟を掴んだ手首をチョップする。


「痛って!」


 葛西は悲鳴を上げ、上地さんから手を離した。


「そして、人に言っていい事はいくら何でも限度があるよ。透くんは一生懸命取り組んでくれている。毎日遅くまで残って、作ってくれているんだよ。それなのに、彼を傷つけるような言い方をするのは私が許さない」

「……」


 上地さんは人愛の言葉を聞いて、口を噤んだ。普段の人愛の怒りとは少し違う。本当に誰かを思って怒る時、人愛は人が変わったようなオーラを見せることがある。いつもは柔らかい物腰だが、ここぞという時はしっかりしているのだ。だからこそ、みんなから信頼されている。


「でも、このままじゃ文化祭に間に合わないわよ」

「それは……後で考えよう!」


 ただ相変わらず、知能的には乏しいものがある。実際には言っていないが、教室にいる何人かは『ノープランかよ!』と言うツッコミが飛んだのは否めない。

 

「とにかく! 喧嘩はダメ。文化祭は来客や他のクラスの生徒たちに楽しんでもらうためにあるかもしれないけれど、一番楽しむべきは私たちなの。だから喧嘩は絶対にダメ!」


 教室にしばしの沈黙が走る。


「ちっ。今日のところは帰るよ」

「葛西くん。その……」

「分かってる。ただ、流石にこの気持ちのまま作業しても正直うまくいく気がしない。だから今日のところは帰らせてくれ」

「そ、そっか。うん、ゆっくり休んで!」

「ほんと姫薙と一緒にいると調子狂うな……一応、気が向いたら部屋でも作業するから。文化祭までには間に合うように頑張るよ。それじゃあ」


 葛西はそう言うと、鞄を持って教室を後にした。


「えーっと、もし何かあったら私に言って。買い出しとか、そんなことしかできないけれど、できることは頑張るから。結友と一緒に!」

「さらっと僕が入ったな……」

「はっはっは、災難だな。だが、これで問題は解決……というわけにはいかなさそうだな」

 

 天城さんは教室を一瞥する。教室で作業する生徒からは少し不満が漏れている雰囲気があった。全体の士気としては最悪なものだった。


「利益の分け方を『担当ごと』にしたのは完全に間違いだったな。最初に話していた社会主義の過ちに陥ってしまった」

「社会主義の過ち?」

「担当ごとでの分配が一律。どれだけ仕事をこなそうとも、分配は一律であれば、八神くんならどうする?」


「できる限り仕事をしないように努めるかな」

「私が求めた答えを言っただろ。君の場合は、利益関係なく動きそうだからね。そう言う事だ。より少ない努力で利益がもらえるならば、そっちを選ぶのが大多数だ。ただ、これだけなら何の問題もない。一番の問題はその行動はやる気のあるもののやる気をも奪ってしまうと言う事だ」

「なるほど。確かに、自分一人頑張って、他の人たちが頑張っていないとやる気は削がれるね。これは一度、管理係で話し合ったほうがいいかな」

「そうだな。とはいえ、こちらも少し不穏な様子だが」


 天城さんはある方向を覗く。彼女の視線に合わせると、上地さんの姿があった。上地さんはやるせない様子で立ち尽くし、やがて廊下の方へと出ていった。


「いよいよ、かなり面倒くさいことになったな」

「一つ一つ解消していこう」


 僕は椅子から立ち上がる。先ほどは人愛が何とかしてくれた。

 そうなると、次は付き添いである僕の番と言ったところか。

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