第40話 呪毒移し
希魅は扇子をひらひらと振りながら、過去を懐かしむような目をした。
「過去に
「あのっ! 卵のときは元気だったって……真珠はぐったりしていて、動きません。孵化してしまったのでしょうか⁉︎」
「真珠は賢い。おまけに、あやかしの上位に君臨する白狐や。低脳な蛇頭とは違う。呪毒卵が生気で成長することに気づいて、生気を抑えているのだわ。さすがは、うちの可愛い子。爪の垢を煎じて、あほんだらの父親に飲ませてやりたいものやね」
「……良かった……」
力なく横たわったままの真珠に、草世はいつ心臓が止まるのかと、気が気でなかった。だがそれは卵を孵化させないために、生気を抑えたものだった。
真珠も生きたいと願っている──。
そのことに草世は力づけられ、地面に両手をつけた。
「希魅さん、お願いします! 僕たちがともに生き、なおかつ、真珠を助ける方法を教えてください!!」
「今の名前の呼び方、心がこもっていたわぁ。尊敬と親愛を感じたわ。うちは、慕ってくる男にはやさしいんよ。ええよ、教えてあげるわ」
「ありがとうございます!!」
「真珠を助けるには、二つの方法がある。この二つ以外には、方法がないとも言える。一つは、呪いを放った呪詛師を倒す。もう一つは、呪毒卵をあんたに移す」
「僕に、ですか……。死にませんか?」
「死にはしないと思うが……」
「はっきりしない言い方ですね⁉︎」
希魅がとぼけた笑いを浮かべるのを、感情が動きすぎて疲労してしまった草世が無表情に見つめる。
「そんな顔でうちを見つめんでよ。しゃーないじゃないの。呪毒卵を体内に入れた人間を見たことがないんだもの。だがな、これだけははっきりと言える。呪毒卵は、人間の生気を好まない。虫に成長しても、人間の肉を食べることはない。つまり、外に出てくることはないというわけだ。安心やな」
「それは……出てこないというだけで、体内にはいるわけですよね?」
「虫との共同生活ってわけやな。楽しそうでいいやん」
「全然楽しくないですよ!」
希魅はウフフっと楽しげに笑うと、扇子をパチリと閉じた。
「呪毒は、あやかしの生気と肉を好む。だが、人間には別な反応を示すそうだ」
「なんですか?」
「人間の心にある、あるものを喰って、成長するそうだわ。うちは気の利く聡明や女やから、安心しいな。真珠の父親を吾平という若者のところにやったのは、あんたのため。吾平は真珠と同じ茶を飲んで、体内に呪毒卵を入れておる。春子という女、いい仕事をしたわ。人間の体で呪毒卵がどのように成長するか、観察できるわ。めでたしめでたしってわけやな」
「いつ頃、人間に対する反応がわかるのですか?」
「わからん。反応が出るのが明日かもしれんし、三年後かもしれん。その若者次第やな」
草世は真珠狐の上に被せている上着の中に、手を入れた。毛の流れにそって、背中を撫でてやる。すると、ぴくっと真珠が動いた。耳を澄ましたが、真珠の声は聞こえない。
真珠の声が聞きたい。草世、やさしい。大好き! と、また言ってほしい。そう、草世は切に願った。
草世は、芯の通った真剣な声音で考えを述べた。
「真珠は生気を抑えているだけで、止めているわけではない。ということは、少なからず、卵は真珠の生気を吸っている。孵化するときが必ずくる。ですよね?」
「そやな」
「だったら! 三年待つなどと、悠長なことは言っていられません! それに、吾平の反応が良くないものだとしても、やめるわけにはいかない。僕は、呪毒卵を引き受ける覚悟ができている。だったら今すぐに、呪毒卵を僕に移してください!!」
希魅の切れ長の瞳が、不穏にきらりと光った。
「そうそう、うちとしたことが、大切なことを言い忘れておったわ。呪毒が好むという、人間の心にあるもの。それは……心の闇。あんた、闇を持たない陽気な男だろうな?」
「あ、いや……。っていうか、本当に言い忘れていたのですか? わざと言わなかったんじゃ……」
「あーっ! あんた、疑ったね? 今、疑ったわ!! 猜疑心は、心の闇の住民。あんたの体の中に卵がおったら、今、確実に成長したわ。呪毒を引き受ける覚悟はあっても、闇が強かったら速攻死んでまうわ」
「…………」
無言になった草世に、希魅は「いじめすぎたわ。堪忍。草世、心を強く持て」と慰めの言葉をかける。
「人間は誰しも、闇を持っておる。だが同時に、光も持っておる。闇を感じながら、光の道を歩むことは可能だ。草世、あんたには真珠がいる。あの子は、明るくて無邪気な子や。一緒にいると、心が明るくなるやろ? だから、大丈夫。ともに生きることができる。むしろ、一緒じゃないと互いに生きていけんわな。……呪毒卵を受け入れたら、あんたは一生これを体内に飼わねばならん。飼い慣らすこと、できるか?」
「できるできないではなく、やるしかありません。覚悟を決めるまでです」
「そこまでしてなぜ、真珠を助けようとする? 真珠も真珠やわ。あんたにすべてを委ねている。うちだったら、怖くて生気を抑えられん。生気を抑えるということは、話をせず、歩きもせず、ただじっとしていること。相手を信頼していなければ、できない。あんたと真珠って、なんやの? 愛とかそういうのは無しで頼むわ。うちは愛など信じておらんのでな」
草世は微笑んだ。
きつねうどんを食べたり、ニンニクにんにんで笑ったり、丹地風呂屋のことで悩んだ時間が、絆を生みだした。二人で共有した、楽しさ、苦しさ、悲しみは、無駄ではなかったことを知る。
「真珠は、恩返ししたい。役に立ちたいと、何度も口にしていた。僕は、恩返しされるような価値などないのに、と卑下していた。でも僕は今、真珠に恩返しをしたいと思っている。彼女の役に立てる喜びを噛み締めている。真珠の笑顔が見たい。幸せを与えたい。誰よりも、大切な人だから」
「口の中に無理矢理、砂糖を突っ込まれた気分。不快やわぁ。愛って言葉を使っていないだけで、言っていることは愛やないの。気分悪いわぁ。しゃあない。あんたには血止めの薬をもらったからな。うちも、恩返しってものをあげるとするわ。呪毒虫が悪さを働いたら、あんたを殺してあげる。うちに殺される幸運を噛み締めといいわ」
「あ、ありがとうございます?」
物騒な恩返しだが、文句を言ったら叱られそうなので、礼を言うにとどめる。
希魅は着物の裾をさっと翻した。
「ちょうどいい時間や。
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