第40話 呪毒移し

 希魅は扇子をひらひらと振りながら、過去を懐かしむような目をした。


「過去に呪毒卵じゅどくらんを飲んだ、あやかしがおる。八岐大蛇なんだがな。やはり、陰陽師が作ったのだわ。千年ほど前の話だから、つい最近やな。だから、よく覚えている。八岐大蛇の体内に入ったときは、名前のとおり、卵やった。だが、その卵はあやかしの生気を吸って成長していった。卵だった期間、八岐大蛇は元気やったわ。花を摘んで、うちに求婚しに来とった。だがな、そのうち苦しみだした。卵が孵化して、幼虫になったのだわ。最期は、八岐大蛇の体を喰い破って、蝶となって飛んでいった。青い鱗粉が舞い散って、美しい光景やったわ。また見たいものだわ」

「あのっ! 卵のときは元気だったって……真珠はぐったりしていて、動きません。孵化してしまったのでしょうか⁉︎」

「真珠は賢い。おまけに、あやかしの上位に君臨する白狐や。低脳な蛇頭とは違う。呪毒卵が生気で成長することに気づいて、生気を抑えているのだわ。さすがは、うちの可愛い子。爪の垢を煎じて、あほんだらの父親に飲ませてやりたいものやね」

「……良かった……」


 力なく横たわったままの真珠に、草世はいつ心臓が止まるのかと、気が気でなかった。だがそれは卵を孵化させないために、生気を抑えたものだった。

 真珠も生きたいと願っている──。

 そのことに草世は力づけられ、地面に両手をつけた。


「希魅さん、お願いします! 僕たちがともに生き、なおかつ、真珠を助ける方法を教えてください!!」

「今の名前の呼び方、心がこもっていたわぁ。尊敬と親愛を感じたわ。うちは、慕ってくる男にはやさしいんよ。ええよ、教えてあげるわ」

「ありがとうございます!!」

「真珠を助けるには、二つの方法がある。この二つ以外には、方法がないとも言える。一つは、呪いを放った呪詛師を倒す。もう一つは、呪毒卵をあんたに移す」

「僕に、ですか……。死にませんか?」

「死にはしないと思うが……」

「はっきりしない言い方ですね⁉︎」


 希魅がとぼけた笑いを浮かべるのを、感情が動きすぎて疲労してしまった草世が無表情に見つめる。


「そんな顔でうちを見つめんでよ。しゃーないじゃないの。呪毒卵を体内に入れた人間を見たことがないんだもの。だがな、これだけははっきりと言える。呪毒卵は、人間の生気を好まない。虫に成長しても、人間の肉を食べることはない。つまり、外に出てくることはないというわけだ。安心やな」

「それは……出てこないというだけで、体内にはいるわけですよね?」

「虫との共同生活ってわけやな。楽しそうでいいやん」

「全然楽しくないですよ!」


 希魅はウフフっと楽しげに笑うと、扇子をパチリと閉じた。


「呪毒は、あやかしの生気と肉を好む。だが、人間には別な反応を示すそうだ」

「なんですか?」

「人間の心にある、あるものを喰って、成長するそうだわ。うちは気の利く聡明や女やから、安心しいな。真珠の父親を吾平という若者のところにやったのは、あんたのため。吾平は真珠と同じ茶を飲んで、体内に呪毒卵を入れておる。春子という女、いい仕事をしたわ。人間の体で呪毒卵がどのように成長するか、観察できるわ。めでたしめでたしってわけやな」

「いつ頃、人間に対する反応がわかるのですか?」

「わからん。反応が出るのが明日かもしれんし、三年後かもしれん。その若者次第やな」


 草世は真珠狐の上に被せている上着の中に、手を入れた。毛の流れにそって、背中を撫でてやる。すると、ぴくっと真珠が動いた。耳を澄ましたが、真珠の声は聞こえない。

 真珠の声が聞きたい。草世、やさしい。大好き! と、また言ってほしい。そう、草世は切に願った。

 草世は、芯の通った真剣な声音で考えを述べた。


「真珠は生気を抑えているだけで、止めているわけではない。ということは、少なからず、卵は真珠の生気を吸っている。孵化するときが必ずくる。ですよね?」

「そやな」

「だったら! 三年待つなどと、悠長なことは言っていられません! それに、吾平の反応が良くないものだとしても、やめるわけにはいかない。僕は、呪毒卵を引き受ける覚悟ができている。だったら今すぐに、呪毒卵を僕に移してください!!」


 希魅の切れ長の瞳が、不穏にきらりと光った。


「そうそう、うちとしたことが、大切なことを言い忘れておったわ。呪毒が好むという、人間の心にあるもの。それは……心の闇。あんた、闇を持たない陽気な男だろうな?」

「あ、いや……。っていうか、本当に言い忘れていたのですか? わざと言わなかったんじゃ……」

「あーっ! あんた、疑ったね? 今、疑ったわ!! 猜疑心は、心の闇の住民。あんたの体の中に卵がおったら、今、確実に成長したわ。呪毒を引き受ける覚悟はあっても、闇が強かったら速攻死んでまうわ」

「…………」


 無言になった草世に、希魅は「いじめすぎたわ。堪忍。草世、心を強く持て」と慰めの言葉をかける。


「人間は誰しも、闇を持っておる。だが同時に、光も持っておる。闇を感じながら、光の道を歩むことは可能だ。草世、あんたには真珠がいる。あの子は、明るくて無邪気な子や。一緒にいると、心が明るくなるやろ? だから、大丈夫。ともに生きることができる。むしろ、一緒じゃないと互いに生きていけんわな。……呪毒卵を受け入れたら、あんたは一生これを体内に飼わねばならん。飼い慣らすこと、できるか?」

「できるできないではなく、やるしかありません。覚悟を決めるまでです」

「そこまでしてなぜ、真珠を助けようとする? 真珠も真珠やわ。あんたにすべてを委ねている。うちだったら、怖くて生気を抑えられん。生気を抑えるということは、話をせず、歩きもせず、ただじっとしていること。相手を信頼していなければ、できない。あんたと真珠って、なんやの? 愛とかそういうのは無しで頼むわ。うちは愛など信じておらんのでな」


 草世は微笑んだ。

 きつねうどんを食べたり、ニンニクにんにんで笑ったり、丹地風呂屋のことで悩んだ時間が、絆を生みだした。二人で共有した、楽しさ、苦しさ、悲しみは、無駄ではなかったことを知る。


「真珠は、恩返ししたい。役に立ちたいと、何度も口にしていた。僕は、恩返しされるような価値などないのに、と卑下していた。でも僕は今、真珠に恩返しをしたいと思っている。彼女の役に立てる喜びを噛み締めている。真珠の笑顔が見たい。幸せを与えたい。誰よりも、大切な人だから」

「口の中に無理矢理、砂糖を突っ込まれた気分。不快やわぁ。愛って言葉を使っていないだけで、言っていることは愛やないの。気分悪いわぁ。しゃあない。あんたには血止めの薬をもらったからな。うちも、恩返しってものをあげるとするわ。呪毒虫が悪さを働いたら、あんたを殺してあげる。うちに殺される幸運を噛み締めといいわ」

「あ、ありがとうございます?」


 物騒な恩返しだが、文句を言ったら叱られそうなので、礼を言うにとどめる。

 希魅は着物の裾をさっと翻した。


「ちょうどいい時間や。逢魔時おうまがときになるのを待っておった。あやかし人間の境界線の真上で、呪毒移しの儀を行うで」



 

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